第148話 和睦交渉

「グリー様、エスペラームより書簡です」


「うむ、これへ……」


「は」


 部屋の奥、机に広げられた書類に目を通しながら、グリーは側近に書簡を渡すよう指示する。グリーの前まで進むと側近は両手で書簡を差し出す。書簡を受け取ろうと手を伸ばすグリー。しかしその手は書簡に触れる手前でピタッと止まった。側近が差し出しているのは細かな装飾が彫り込まれた細長い木箱だった。


「陛下からか……」と呟くグリー。「は。左様に」と返す側近。その木箱の表面にはエイレイ王家の紋章である跳躍する馬が彫られていた。一瞬だけ躊躇ちゅうちょしたグリーだったが、側近から木箱を受け取ると蓋を開け中から書状を取り出す。そしてその書状を広げ内容を確認する。


 エラグ王国東道とうどうエバール砦内、グリーの執務室。


 開戦直後、エイレイ軍は難攻不落と言われたこのエバール砦を瞬く間に攻め落とした。エクスウェルが呼び出したが砦内を蹂躙じゅうりんしたのだ。その後も勢いに任せ王都エラグニウスへ向け一気に攻め上がったエイレイ軍だったが、王都に近付くにつれエラグ軍の戦い方が変化。あちこちに罠を仕掛け兵をし、徹底したゲリラ戦を展開しエイレイ軍の士気を削いでいったのだ。そして頃合いを見計らい一斉反撃。その圧に飲み込まれたエイレイ軍は後退を余儀よぎなくされ、最終的には最初に攻め落としたここ、エバール砦まで押し戻されていた。ここより南の南道なんどうを攻略中の部隊も同様に苦戦をいられいるとの報を受け、エイレイ軍総大将グリー・スー将軍は現状を打破する為、王都エスペラームに援軍と物資の補給要請をしていた。


 一通り内容を確認するとグリーは「ふぅぅ……」と大きなため息をついた。そんなグリーの様子を見たかたわらの副官は「いかがなさいましたか?」と問い掛ける。するとグリーは「時間切れだ」と苦笑いしながら答えた。「時間切れとは如何いかに? もしや……」と最悪の事態を想像する副官。グリーは改めて書状を眺めながら副官に説明する。


「早々にエラグと和睦し帰還せよ、とのお達しだ」


「では……援軍は来ぬと!?」


 思わず声を張り上げる副官に、グリーは少しだけ笑いながら答える。


「準備はしているそうだ」


「準備はしているのに送らぬなど……それでは張り子ではございませんか!?」


「ああそうだ。しかし張り子とはいえ、援軍が編成されているむねはすでにエラグにも伝わっておろう。援軍はすぐにでも出せる、しかしながらこれ以上互いに血を流すは本意にあらず、ここらで手打ちとしようではないか、とまぁ……ご丁寧に交渉の段取りまで記されておるわ。これ以上金を掛けるつもりはないという事だろう。確かに一万五千の兵と補給物資となれば、果たして如何いか程の金が必要か……これは恐らくオルバ辺りが描いた絵だ。それに各大臣が賛同、陛下も受け入れざるを得なかった、という所か。戦で資源を奪えぬなら、あとは貿易しかあるまい」


「では、戦後の交渉の為に……」


「うむ、陛下は恐らく通商条約締結までお考えであろう。その交渉を有利に進める為に、あくまで我々が上、優位性を保ったまま和睦をせ、という事だ」


「なるほど……では、和睦ならなければ……?」


「その事態への対応は記されておらぬ。つまりは和睦一択、だな。だがまぁ、最悪戦争継続ともなれば王都も派兵せざるを得んだろうが……今の所は和睦以外考えていない、という事だろう」


「それは何とも……ならばオルバをここへ寄越よこし交渉させればよろしい」


「ハハハハッ、愚痴ぐちるな愚痴ぐちるな。口惜くちおしいが致し方ない、何年振りであったろうな? 久方ひさかた振りの我らの戦、これにて幕引きだ」


 そう話ながら笑うグリー。スッと立ち上がると続けて指示を出す。


「全軍に待機命令を。同時に至急会談場所の選定をしてくれ。出来るだけ先方の負担にならぬ場所が良い。そののちすぐにクライールへ密書を送る」


「はっ」


 副官は部屋を出ようと扉に手を掛ける。するとグリーは「待て、今一つ……」と副官を呼び止める。


「傭兵達にはまだ話すな。良いな?」



 ◇◇◇



 数日後、エラグ王国東道とうどうセンテン砦。


 エバール砦から数えて三番目に当たるこの砦は、そのままエラグ軍の第三防衛線ととらえられている。そして今まさにこのセンテン砦内の一室では、エラグ軍総大将クライール・レッシ将軍が麾下きかの指揮官達を集め軍議を行っていた。


「軍議中失礼致します! 閣下、宜しいでしょうか!」


「構わぬ、入れ」


 扉の外からクライールに呼び掛ける声。配下の兵はクライールの返答を受け扉を開く。「失礼致します!」と入室した兵の手には一通の書簡。つかつかとクライールのかたわらまで進むとおもむろにひざまずき書簡を差し出す。


「敵方より閣下宛の密書にございます」


「ほぅ……」


 クライールが書簡を受け取ると指揮官達はにわかに色めき立った。


「このタイミングでエイレイよりの書簡、間違いありませぬな!」


 興奮気味に声を上げる部下に「早まるな、ぬか喜びで終わるかも知れんぞ?」と話ながら蝋封ろうふうを割ったクライールは、ゆっくりと書簡を広げると内容を確認する。


「ふむ……お主の預言、当たったようだ」


 クライールはそう話ながらニヤリと笑った。途端に指揮官達から歓声が上がる。


「三日後、場所はエバールより少し北、エラグ・エイレイ国境付近の小さな廃村。間道を抜ければ一日の距離であるな。会談の目的は……無論、和睦交渉であろうのぅ」


「さすがは閣下、相変わらずのご慧眼けいがんですな。今の所は閣下のお考え通りに事が運んでいる……感服かんぷく致します」


「何を大仰おおぎょうな……長くこの様な策謀さくぼうに頭を巡らせておれば、自然と身に付くものぞ。しかしながらあと数日ずれ込んでおれば、タイミングとしては完璧だったのだが……まぁ、あまり欲をかいても仕方がないがのぅ」



 ◇◇◇



「失礼、クライール将軍でございますな?」


如何いかにも」


「得物はこちらでお預かり致します。中へはお一人で……すでに我らが主、グリーが中で将軍をお待ち申し上げております」


「うむ」


 クライールは取り次ぎのエイレイ兵に腰の剣を渡す。「閣下……」と心配する部下の言葉に「待っておれ」と短く答える。そして一人、少しばかり崩れかけた民家跡へ入っていった。


 会談当日。クライールは二十人ばかりの供を引き連れ、指定されていた国境付近の廃村を訪れた。廃村にはすでにエイレイの兵が警備として展開されており、会談場所となる民家跡を案内された。そこは恐らく、かつては村長などの有力者が住んでいたであろうと推測出来る廃屋はいおくで、他の建物と比べると明らかに大きく、そして作りがしっかりとしている印象だった。


「おぉ、お待ち致しておりました、クライール殿」


 部屋の中央に置かれたテーブルに着いていたグリーは、クライールの姿を確認するとスッと立ち上がり出迎えた。そして自身の向かいに座るよう右手を差し出す。


「何年振りであろうか……ご立派になられましたなぁ、グリー殿」


 クライールはグリーの勧める通りに席に着いた。


「初めてお会いしたのは私がまだまだひよっ子の頃でした。クライール殿もお変わりなく、ご健勝けんしょうそうで何よりです」


「何の、ただただ歳を経たに過ぎぬ……ふむ、思い出してきた。あの時の若者が今や東の番人と呼ばれる名将となられたとは」


「ハハハハッ、お止め下さい。全くお恥ずかしい……そんな大層なものではございませぬ」


 昔を懐かしみ和やかな談笑が続く。しかしそれに大した意味のない事は互いに良く理解している。そして話は本題へと移る。



 ◇◇◇



「ほぅ、では援軍の進発を止めておると?」


 クライールは思わず身を乗り出した。


「左様に。我らが王都では戦争継続派が息を巻いております。陛下のめいにて援軍が編成されてはおりますが、しかしながら私の判断で派兵を遅らせてもらっていたのです。戦争継続は我らにとっても相当な負担となります。何よりこれ以上血を流す必要はないと、個人的にはそう考えております。様々な事情を勘案かんあんした結果この辺りで兵を退くのが良策ではないかと、陛下にそう進言し実は内々に同意を頂いている次第です。ですが……戦争継続派は何故なにゆえ派兵せぬのかと陛下に激しく詰め寄っている様子。正直どちらに転ぶか……陛下のお心変わりを懸念している状況です。それゆえ陛下のご意志が変わらぬ内に、和睦をまとめ上げてしまいたい、と……」


 グリーの発言に「なるほど……」と呟き腕を組むクライール。そしてゆっくりと言葉を続ける。


「貴殿もずいぶんとご苦労されておる様ですなぁ。我らとしても当然和睦は望む所、ぜひ前向きに検討したい。そうそう、それに伴い一つ貴殿のお耳に入れておきたき事がございましてな。実は――」



 ◇◇◇



しからばグリー殿、三日後、またここで」


 グリーにそう告げると廃屋はいおくを出るクライール。エイレイ兵から自身の剣を受け取ると、同行してきた部下達のもとへ歩み寄る。そして一言「くぞ」と話すと、部下達を引き連れ馬にまたがり駆け出した。



 ◇◇◇



「乗ってきますでしょうか?」


 馬を駆けながら問い掛ける部下に、クライールは穏やかに笑いながら答える。


「それ以外に選択肢はないからのぅ。何故なにゆえあの男が東の番人などと呼ばれておるか……分かるか?」


「それは……長く東の国境を守っていたからでは?」


「強い忠義心と愛国心を持って、国境を守っていたからだ。国にあだなす者は何人なんぴとも国境を越えさせん、その強烈なまでの忠義心と愛国心は異常な程の気概きがいを生み出す。それは国境をおかそうとする相手側からすれば、時に狂気とも感じられる程にのぅ。それ程の忠義の士であるからこそわしの仕掛けた一手の、その先が分かるのだ。およそ策などとは呼べぬ様な、誰しもが思いつく平凡な一手ではあれど、忠義の士だからこそ理解する。この一手を無視して戦争を継続させれば、敬愛して止まぬあるじと祖国が果たしてどの様な事になってしまうのか……グリーだからこそ理解出来るのだ。まぁ、どちらに転んだとしても対応は出来る。全ては三日後……どうなるかのぅ」



 ◇◇◇



「クライールは行ったか……?」


「は。供の者らとすでに」


「そうか……」


 そう呟くとグリーは部下から自身の剣を受け取る。そしてシュッとさやから剣を抜き放った。その顔は怒りに満ち満ちており、今まで見た事もないくらいに険しい。剣を渡した部下はその恐ろしさに思わずその場で固まってしまった。




「……ぬうぅぅぁぁぁぁ!!」




 バキィッ!!




 グリーは手にした剣を廃屋の横に建っている物置の壁に激しく打ち付けた。


「ぬぅっ! ぬぁっ! ぬぁぁ!!」


 更に二度三度、繰り返し剣を打ち付ける。物置の壁は見る見る崩れて行く。


「グ、グリー様……!?」


 驚き躊躇ちゅうちょしながらも呼び掛ける部下。するとグリーは我に返ったのかザクッと剣を地面に突き刺す。そしてぎりぎりと奥歯を噛み締めながら低くうなるように呟いた。


「してやられたわ……クライィルゥゥゥ……!!」

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