第147話 核心的な情報

「おいおい、いねぇって事はねぇだろ?」


「いないとは言っていない、変わらないと言っている。アルマドはいつもと何ら変わらない、入り込んでいる間者かんじゃの数も、その顔ぶれも、おかしな動きもまるでない。全くもって、いつも通りだ」


 夜。ここはアルマド西地区にある老舗パブ、夜のしずく。古くから地域の人々に愛されているこのパブ、実はジョーカー諜報部が管理運営する店の一つであり、アルマドにはこのような店がいくつか存在する。諜報部は工作部と同様に始まりの家に本拠を置いていない。場合によっては団員達を内偵ないていする必要もある為、諜報部員達を特定されては都合が悪いのだ。ゆえに諜報部員達も自ら名乗り出るなどという愚かな事はしない。その様な理由もあり、諜報部の事務所は別の場所に用意されている。更にその所在地はほとんどの団員には知らされていない。つまりは徹底した秘匿ひとく組織として活動しているのだ。知らずにこの店を利用している団員もいるだろうし、通りを歩きすれ違った者が、実は諜報部員だったなどという事も日常的にあるだろう。ちなみに全ての諜報部員がその存在を隠している訳ではない。他の団員達に情報を伝達し、時には依頼に同行、サポートする必要もあるからだ。他の団員達の前に立ち、自らを諜報部員だと名乗る者達は、同じ諜報部員達からはコーディネーターなどと呼ばれている。南でライエ救出に参加したユーノル達や、参謀部と兼任ではあるがデームなどはそのコーディネーターである。


 さて、他にもいくつかあるこれらの店の役割だが、ここは各地に散っていた諜報部員達が集めた情報を持ち寄る情報の収集場所として機能している。仮に諜報部の事務所に諜報部員達が直接情報を届けたならば、きっとひっきりなしに人が出入りする事になる為、その建物はさぞ怪しまれるだろう。事務所と諜報部員達が特定されないよう、このように情報の届け先を設けているのだ。


 一階店舗の賑やかな喧騒けんそうとは裏腹に、建物二階は静まり返っている。その一室で三番隊マスター、ゼル・トレグは諜報部マスター、ラクター・トゥワイスと会談を行っていた。議題は無論、ブロスらが王都ミラネリッテで仕入れてきた情報。北西リザーブル王国のアルマド侵攻の可能性の件だ。


 当初ゼルよりこの情報を聞いた諜報部は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。それはそうだ。それは諜報部とていまだ掴んでいない情報だったからだ。商人達特有の情報網に引っ掛かった最新の情報だったと言えよう。自分達の気付かぬ内に敵方の間者かんじゃが増えている。情報収集や監視が主な任務の諜報部にとってはまさに遅れをとった形であり、この上なく不名誉な事態だったのだ。ラクターはすぐに関連する情報の収集を指示。優秀な諜報部員達によりリザーブル王国の中枢、同時にアルマドとの国境並びにその周辺の情報が瞬く間に集められた。そしてその情報をゼルに伝達すると共に、今後の対応を協議する為にこのパブにゼルを呼んだのだ。


「一番隊がいない今、我ら諜報部はアルマドの防衛には相当気を使っている。街に入り込んだ新顔は確実にチェックしている、どこの間者なのか……徹底的にな。しかしまぁ、アルマドに潜り込んでいるリザーブルの間者に変化がないのは当然だ。そもそもここに必要以上の間者を送り込む意味がない。アルマドからジョーカーの部隊が出陣したら、それはすなわち始まりの家から出た部隊という事。本来ならばアルマドの守備に当たるはずの一番隊が不在なのは、連中とてとっくに知っているだろう。ならば必然的にアルマドの守備が薄くなっている、という事実に結び付く。アルマドから部隊が出たか否か、侵攻を決断するにはそれさえ分かれば事足りる。むしろ必要なのはアルマドを守る為に派兵される援軍の規模、その情報だ。そう考えると王都やその周辺に間者が増えているというのは道理だろう」


「まぁそうなんだがなぁ……」とガシガシ頭をくゼル。


「それよりも、俺が気になって仕方がないのはここの数字だ」


 ラクターはトン、とテーブルに広げられた地図のとある地点に指を置く。そこはアルマドの北、リザーブルとジノンの国境線。そのリザーブル側にはいくつもの数字が記されている。


「この数字はリザーブルの国境警備兵の数か?」


「そうだ。現地に潜らせている諜報員からの報告は聞いていた。国境線に点在しているリザーブルの砦の警備兵、ある時を境にその数が減っていっている、とな。当初はこの報告の意味を計れなかった。単に人員入れ替えの為に一時的にその数が減っているのか、くらいに思っていたのだが……しかしお前話を聞いて確信した。リザーブルは間違いなくアルマドに侵攻する。連中はこの減らした警備兵をアルマド侵攻に回すつもりなのだろう。だが不可思議な点が一つ……何故なぜ連中はジノンを無視してこんなにも大胆な手を打てるのか、という点だ」


 アルマドの歴史は戦いの歴史である。過去にさかのぼるとアルマドは常にリザーブル、ジノン両国からの侵攻を受けていた。しかしアルマドの守護者たるジョーカーがその激しい攻撃を都度つど弾き返していたのだ。リザーブル、ジノン、アルマド。この三者の関係は単純な捕食者と非捕食者という間柄ではない。リザーブルとジノンはアルマドを取り合う敵同士なのだ。ゆえにリザーブルがアルマドへ侵攻すればジノンがそれを邪魔するようにリザーブルの国境へ兵を進める。その逆もまたしかりだ。アルマドはこの両国から狙われつつ、しかし見方を変えればこの両国から守られているとも言えるかも知れない。アルマドにとって幸運だったのは、この二ヶ国が手を結ばなかった事だ。両国が協力しアルマドを攻めていたら、さしものジョーカーと言えども守りきれていたかは分からない。


 眉間にシワを寄せ険しい表情で地図をにらむラクター。「これではジノンに国境線をくれてやるようなものだ……」と呟いた。しかし次の瞬間、その顔は驚きの表情へと変わる。ゼルから耳を疑うような発言が飛び出したからだ。


「いや、ジノンは動かねぇ……そう……そうだ! リザーブルの連中はそれを知ってやがるんだ! ジノンの現王は外征がいせいを考えちゃいねぇ……何ならアルマドにも執着してねぇ! くそ……ジノンが邪魔しねぇならアルマドを落とせるってか……ナメられたもんだ……」


「待て……」


「あぁ?」


「待て待て……ゼルよ……」


「何だよ、ラクター」


「お前……その話をどこで聞いた……?」


「ああ、ジノンの北、ティモン領を治める辺境伯から聞いた。プラウル・フィンテックだ。奴とは馴染みでな、バウカー兄弟を仕留めるのに馬を用立ててもらってよ、その馬を引き取りに行った時にその話を聞いた。まぁ確かに、ここ二十年くらいはジノンはアルマドに侵攻しちゃあいねぇ……んだが……ラクター?」


「……誰にした?」


「はぁ?」


「その話を誰にした?」


「誰にって……」




「誰にしたかと聞いている!!」




 突如鬼の形相で怒鳴るラクター。そんな鬼気迫る様子のラクターに困惑するばかりのゼル。


「待てよラクター……一体何だってんだ!?」


「……順を追って確認する。ジノン王は外征がいせいを考えていないというのは?」


「ああ。領土拡大の意思は持ってないって事なんだろ。戦にらず国をます、ってプラウルは言ってたが……内政改革に内需拡大……あとは貿易とかか? 俺は政治屋じゃあねぇから、その辺の事はよく分からねぇが……」


「……そんな話は聞いた事もない」


「はぁ?」


「その話が真実なら、これはジノンにとっては相当大きな変革だ。先王の時代にはアルマドやリザーブルだけではなく、隙あらば他国の領土をかすめ取ろうと周りにちょっかいを出していたあの国がだ、現王に代替わりしたとはいえ外征はしないと決めた……国の方針を大きく曲げたという事だ。だがジノンはその話を公表していない。仮に公表していたら当然俺も知っているはずだ。だがそんな話は知らない……聞いた事がない。いや、そもそも公表など出来る訳がない」


「それは……リザーブルが隣にあるからだな?」


「そうだ。四十年程前か、アルマドの北で起きたリザーブルとジノンの戦争。この戦争により北の国境線は大きく描き変えられた。たび重なる小競り合いの末、業を煮やしたリザーブルは突如ジノンへ侵攻。ジノンはその領土を守りきれなかった。そんな危険な国が隣にあるのにだ、外征はしない、内需拡大だ、などと……リザーブルからしたら願ったりだ。ジノンは先の戦争で奪われた土地を奪い返す気はない、それはそう公言しているようなものだ。そんな話を公表出来る訳がない。しかしリザーブルはそれを知っている。試したんだ、国境から兵を抜いてな。リザーブルのジノンに対する揺さぶりはすでに始まっている。そしてジノンはそれに対し何のリアクションもとっていない。リザーブルは確信したんじゃないか? その話は真実だと。では、何故なぜリザーブルはその話を知っている? どこから入手した?」


「ジノンとリザーブルは敵対してるからなぁ、国交なんてありはしねぇ。貿易すら相当制限が掛かってるくらいだ、普通に情報が伝わるなんて事はねぇわな。リザーブルの間者がいい仕事したって事か?」


「その可能性は低い。お前が今話したようにジノンはリザーブルを強烈に敵視している。そんな国の間者が好きに出来る程ジノンは優しい国ではない。そもそもジノンでは他国の間者が発見されれば有無を言わさず処刑される。そのくらい情報漏洩に過敏になっている国だ。故に我ら諜報部もジノンでの活動には最大限に気を払っている。そもそもだ、果たしてこの話、ジノン国内でどれ程の人間が知っているのか。決して他国には、特にリザーブルには漏れてはならない話だ。だとしたらこの話はジノン国内でもごく限られた者達しか知らない、国家機密とも言える程の核心的な話なのではないか? プラウルは領主だ、知っていてもおかしくはない。いや、むしろ真っ先に話すべき相手だ、動くなと釘を刺す為に。なにしろ先のリザーブルとの戦争でティモン領は領土を削り取られているからな。そしてそんなプラウルはお前を信頼して話した……確かプラウルはジョーカーへの出資を考えていたんだったな? ならばお前に話したのも不思議ではない。さて……ジノンが公表した訳ではなく、直接情報を伝えた訳でもない。間者の暗躍も違うとなると……」


「いや……ちょっと待てよラクター……」




「だから聞いたんだ。ゼル、お前この話を一体誰にしたんだ?」




 テーブルに両肘を付き「くそっ!」と吐き捨てるゼル。頭を抱えながら必死に記憶を呼び戻す。


「ホルツは知ってる……か。一緒にプラウルに会ったが、その話をした時そばにいたか? あとは……ありゃあ西から戻ってからか……始まりの家だ、それは覚えてる。あん時は……誰がいた? 大勢の前では話しちゃいねぇ、それは間違いない。エイナはいたか? あとは……デームか? ……くそっ! 思い出せねぇ……!」


 ガン! とテーブルを叩くゼル。ビリビリとテーブル全体が振動する。


「済まねぇ、ラクター……これは俺のミスだ」


 怒り、苛立ち、焦り……絞り出すかのようにゼルが口にした言葉には様々な感情がうかがえた。


「……まだそうだと断定された訳ではない。ジノンは公表していない。リザーブルに直接情報を伝えるはずもない。間者の活動も難しい。そんな中、はからずもお前はジノンの核心的な情報を握っていた。現段階ではこれはあくまで可能性の一つ、という話に過ぎない。だがもしそうだったとしても、別にお前を責めたりはしない。大体誰が予想出来る? 始まりの家にリザーブルの間者が潜り込んでいるかも知れないなどと……」


 話ながらラクターはテーブルに広げられていた地図をくるくると丸め始める。


「しかしそう考えればなるほど、リザーブルにとっては都合が良い。アルマドだけではなく始まりの家にも間者を潜り込ませておけば、より正確にこちらの守備状況を確認出来る。ともあれ、我ら諜報部はすぐに内偵ないていに入る。調査が完了するまでこの件に関しては何もするな。動かず、話さず、じっとしていろ。もう一度言うが、お前にとがはない。本当に間者の存在が確認されたなら、責任を負うべきは我らだ。諜報部の目は節穴だったという事になるからな」


 自虐的に笑いながら席を立つラクター。「済まねぇ、世話を掛ける」と伏し目がちなゼル。


「しかし、裏切り者だらけだな。お前はリガロとバウカー兄弟にしてやられ、エクスウェルはビー・レイのせいでクーデターが失敗、我らも造反ぞうはんした諜報部員を追っているが、奴が南に情報を渡したせいでライエが危険にさらされた……このような事態が頻発ひんぱつするという事は、やはりエクスウェルではまとめられないという事なんだろう。アーバンなぞ論外、器ではない。だから……さっさと抗争を終わらせろ」


 そう話すとラクターは部屋を出た。一人残されたゼルは椅子の背にもたれて上を向くと「ふぅ……」と息を吐く。


「よし、やるかぁ」


 小さく呟いたゼルは決意に満ちた表情で部屋をあとにする。

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