第82話 疑念の種

 時間を少し巻き戻そう。


 ゾーダがユージスにかくまわれる三週間程前。ミラネル王国の隣国、ジノン王国南西の街パドラ。その繁華街にあるパブ兼宿泊施設、金夜亭きんやていの地下室にはジョーカー三番、四番隊と参謀部ほか、主要メンバーがそろっていた。始まりの家を追われ周辺の街に潜伏していた団員達がほぼ合流出来た為、そろそろ今後の方針を固めよう、という訳だ。


 ゼルはおもむろに立ち上がり、皆の顔を見回して話し始める。


「さて、それじゃ始めようぜぇ。まだ消息が掴めねえヤツもいるが……」


 そう、リガロの事だ。


 結局リガロは金夜亭きんやていに現れなかった。ホルツやライエといった面々は皆リガロの安否を気にしている。が、ゼルとブロスに関しては少し微妙な雰囲気。リガロが裏切ったという疑惑をぬぐえていないからだ。


「その前にいか?」


「何だぁ、カディール?」


「ふむ……ここで話す必要はないかも知れんが……いやしかし、話しておかなければどうにも気持ちが悪いのでな」


「何だよ? いいぜぇ、話しな」


「これは確証のある話ではない。それに、この話で気分を害する者もいると思うが……」


「じれってぇな、前置きはいい、話せよ」


「うむ……始まりの家の襲撃、西の連中を手引きしたのは三番隊のリガロなのではないか?」


 カディールのこの言葉で場は驚きに包まれた。ホルツやライエなど、事情・・を知らない者達は「こいつ何を言い出すんだ?」、ゼルとブロス、そして俺は「何でこいつの口からその事が出る?」という驚き。

 一瞬の沈黙、そしてざわめき。最初に声を上げたのはホルツだった。


「おいカディールさん、何話してるか分かってんのか? 言っていい事と悪い事があるぜぇ。リガロが殿しんがり引き受けてくれたお陰で、俺達は始まりの家から無事脱出出来たんだ、よもや忘れたとは言わせねぇぞ」


 ホルツはカディールを睨みながら、怒気どきをはらんだ口調で噛み付く。するとライエも声を上げる。


「そうだよカディールさん、いくらこの場にリガロがいないからって……」


「待て待て」


 カディールは慌てた様子で口を挟む。


「前置きした通り確証はない。気を悪くしたのなら謝罪しよう。だが、まったく根拠がないという訳でもないのだ」


「……んじゃ、その根拠ってのを聞かせてもらおうぜぇ?」


 ゼルの言葉で皆がカディールに注目する。


「うむ、襲撃の三日程前だ。四番隊の宿舎のすぐ脇に林があるであろう? あの林は外から見えるよりも案外深くてな、迂闊うかつに入り込めば方向感覚を失い迷ってしまう程だ。うち四番隊の連中もほとんど足を踏み入れないような林ではあるが、私はよく中を散策するのだ。一人であれこれと思案するのにちょうど良くてな。その日も林の中を散策していたのだが、そこでリガロと会った。なぜ宿舎も離れている三番隊の者がこんな所にいるのか不思議でな。


 私は、ここで何をしている? と聞いた。

 リガロは、へいに不備がないか確認している、と答えた。


 本来一番隊が行うはずの敷地内の見回りをしているのか、へいが崩れたりなどしていたら一大事だ、なるほど殊勝しゅしょうな心掛けだな、とその時は感心した。


 私は、手伝おうか? と聞いた。

 リガロは、もう終わったので大丈夫だ、と答えた。


 そうしてリガロは林の中を本部棟の方向に去っていった。その時は何も感じなかったが、あとになってとある違和感を覚えてな。なぜよりによってあの林の所でへいの見回りを終えたのか、という事だ。

 林の中は薄暗く足元も悪い。塀に沿って北か西、どちらかにもう少し進めば林の中を歩かないで済む。なぜわざわざあの場所で? と疑問に思ったのだ。そしてその疑問は襲撃のあった日に疑惑に変わった。

 ひょっとしたらリガロはあの日、西の連中の侵入を手引きする為に、林の奥の塀に何か細工をしていたのではないか? という疑惑だ。

 西の連中はあの林の中から現れたそうだな。ホルツよ、お前はそれを見ていたのだろう?」


 襲撃の日、ホルツは林の中から西支部の団員達が、次々と飛び出してくるのを目撃していた。


「……ああ、確かに連中はあの林の中から出てきた。でもよ、それだけでリガロが裏切ったってのは……

 じゃあ、何でリガロは俺達を攻撃しなかったんだ? 始まりの家を脱出する時、あいつは殿しんがり引き受けてくれた訳だが、あいつ弓の腕なら逃げる俺達を背後から射抜く事くらい、造作もないはずだ」


「ふむ……裏切ったとは言え、さすがに仲間を殺す気にはなれなかったのか……その程度の情は残っていたのかも知れんな。

 まぁいずれにしてもだ、何度も言うが確証があるわけではない。あくまで疑惑だ。しかしな、今回の襲撃で少なからず犠牲者が出た。これが本当にリガロが手引きして起こった事だったら……お前達はリガロを許せるのか?」


 皆一様に押し黙る。


「この場で言わなくてもいい事だったのかも知れん。だが、言わずにはいられなかった。リガロが裏切り者だったとして、その可能性に気付いてなかったら、また同じようにしてやられるかも知れん。また同じように犠牲者が出るかも知れん。そう考えたらな、言わずにはいられなかったのだ」


 誰も口を開かない。それはそうだろう、誰だって仲間を疑いたくはない。だが本当にリガロが裏切り者だったら……


「ま、こればっかりはなぁ……」


 沈黙の中ゼルが口を開く。


「現段階では確認のしようがねぇ。アイツを疑いたくはないねぇが、カディールの話も分かる。だからよ、これはひとまず各々おのおの頭の中に入れとく、って事でいいんじゃねぇか? 実際警戒は必要だ、けど今はこれ以上出来ることがねぇからよ。カディール、どうだ?」


「無論、異議はない」


「おし、んじゃ話を進めようぜぇ。これからの事だが――」


 ゼルは何事もなかったかのように話し始める。が、当然この場にいる者達の中には、モヤモヤとしたものが残っただろう。言わば〈疑念ぎねんの種〉を植え付けられたのである。

 ひょっとしたら各々おのおの、誰かが裏切ったのでは? と思っていたかも知れない。しかしカディールの発言で、唐突とうとつにその疑いが団員達共通の認識となってしまったのだ。植え付けられた疑念の種がどのように育つかはそれぞれだが、リガロの側にいた者達程この種に苦しめられるだろう。

 ある意味呪いのようなこの種は、彼らの心の中で芽生え、根付いて、疑心暗鬼を花粉のように撒き散らしながら、少しずつ成長し彼らをむしばんで行く事になる。この厄介な種を取り除くには真相を掴むしかない。本当にリガロが裏切ったのか、はっきりとしないことにはこの種の成長を止めることは出来ない。

 そんな中、早くもホルツはその種に振り回される。ホルツはとある違和感を感じたのだ。それは、ブロスが静かすぎる、という違和感だ。いつものブロスならばすぐに声を上げ、怒鳴り散らしながらカディールに噛み付くはずだ。だが今日のブロスは不自然な程静かなのだ。そんなブロスの姿を見たホルツは思った。ブロスは最初からリガロを疑っていたのではないか、と。

 今までゼルの元、一枚岩で活動してきた三番隊にピシピシと亀裂が入って行くような、そんな不安と寂しさをホルツは感じていた。

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