第194話 ぶっとい糸

「う……」


 アイロウは小さくうめいた。背中からかすかに流れ込んでくる魔力を感じたからだ。そのかすかな魔力はうねうねと、まるで寄生虫でもい回っているかの様に身体の中を動き回る。それはほんのわずかな量の魔力、ゆえに辛くはない。だが充分に不快だ。


「うん、今日はこれでお終いですわ」


 顔をしかめながらその不快感に耐えていると、不意にポンと背中を優しく叩かれる。「ふぅぅ……」とため息をつくアイロウ。そして軽く後ろを見ながら「どんな感じです? エクシアさん……」と尋ねた。


「まだまだ……ですわね。これは時間が掛かりますわよ」


「そう……ですか」


「気を落とさないで下さいまし、決して治らない訳ではありませんわ。焦らずゆっくりと、ですわよ」


「……そうですね」


「今は何よりもお命がある事に感謝なさっては? あの化け物と殺し合いをして生きておいでなのは幸運ですわよ?」


「はは、化け物か……エクシアさんは彼を知っているんでしたよね……?」


「ええ、エス・エリテで一年程一緒におりました。ハイガルド軍のエリノス侵攻では、何でもデタラメな戦いを披露したとかで……イゼロン周辺ではオークキラーなんて呼ばれてますわよ。一体一人でどれだけのオークを狩ったのやら……そして何より……」


「何より……?」


「超絶スーパーな美貌びぼうを誇る、偉大な破格の大魔導師、ドクトル・グレート・レイシィ様のお弟子ですもの、お負けになったとて恥じる事はありません。ですので……」


「……何です?」


「再戦なんてお考えにならない方がよろしいかと。せっかく繋いだ命ですし……」


「ははっ、そんな事考えてませんよ。完敗なんですから」


「あら、そうですの?」


「いつでもね、殺せたんですよ。俺の事はいつでも……でも彼はそれをしなかった。俺に付き合って真っ向からの殴り合いを受けてくれた。その上で負けたんですから……完敗です。一回目もね、いい線いってたんですよ。でも引っくり返された。よくよく彼とは相性が悪い様で……」


「一回目って……二回も殺し合いしたんですか!? ……呆れましたわ」



 ◇◇◇



 バタン、と扉を閉めアイロウの部屋を出るエクシア。しかし動かない。しばしその場で考え込む。


(さて、どうしたものかしら……思いのほか状態が悪いわね。ここでこのまま治療というのも時間ばかり掛かって……)


 スッと顔を上げエクシアは歩き出す。


 傭兵団ジョーカーの内部抗争が終結してすぐに、団長のゼル・トレグはエス・エリテのルビング大司教宛に書簡を送っていた。大量の魔力を体内に注入される魔導師殺しを食らったアイロウの治療、その協力をあおぐ為だ。この書簡を受けルビングは修道士の中でもトップクラスの実力を誇る修道女シスター、エクシアを始まりの家へ派遣した。だがそんなエクシアをしても、治療は難しいものになると思わざるを得なかった。それくらいアイロウの状態は思わしくなかったのだ。


 エクシアは階段を下り一階へ。六番隊宿舎の外へ出ようとするエクシアを呼び止める様に「エクシアさん!」と背後から声を掛ける者があった。


「あら、ベルナディさん」


 振り返るエクシアに駆け寄って来るのはベルナディ。アイロウが動けない今、ベルナディはマスター代行として六番隊を取りまとめていた。


「どうですか、マスターの様子は?」


 問い掛けるベルナディにエクシアは無言で首を振った。「そうですか……」と伏し目がちに呟くベルナディ。


「ベルナディさん、ゼルさんはいつお戻りになります? 今後の事について話をしたいのですけれども……」


 するとベルナディの表情がパッと明るくなる。


「はい! 実はつい先程南から戻ってきた様で。すぐにまた地方巡回に向かうと思うのですが……」


「あら、そうですか。それは好都合ですわね。今はどちらに?」


「はい、本部棟に入ったと……ご案内します!」


 そう言うとベルナディはエクシアを先導して歩き出す。「お願いしますわ」とにっこり微笑むエクシア。動けないアイロウに代わり隊をまとめる為に奔走ほんそうする少しやんちゃな好青年。エクシアはベルナディにそんな好意的な印象を抱いていた。では当のベルナディはどうなのか?


(やっべぇ、エクシアさん……やっぱ超美人。すっげぇいい匂いするし、何この高貴さ……さすがにうちの女連中とは違うわ。しかも修道女シスターって何よ、何かもう背徳感大爆発……)


 勝手に戦い、勝手に負けて、勝手に負傷離脱したアイロウよりもエクシアに夢中だった。そんなもんである。



 ◇◇◇



(ここも変わらないな……)


 同刻、始まりの家南門前。女が一人、南門の前に立つ。北門同様頑丈そうな鉄製の門。塀の所々に刻み込まれた傷は過去何度もこのアルマドの街が戦火に包まれた事を物語る。


「何だい、ねぇさん?」


 門の前で立番たちばんしている隊員が女に話し掛ける。女は微笑みながら隊員に答える。


「ああ、済まない。ゼントスはいるかい?」


「ゼントス……? ゼンじぃなら中にいるが……」


「そりゃ良かった。じゃあレイシィが訪ねて来たと伝えてもらえないか?」


「レイシィねぇ……ま、良いぜ、少しそこで待って……」


 するとスパンッと詰所つめしょの小窓が開く。そして「おい! ちょっと来い!」と詰所つめしょの中で一部始終を見ていた隊員がレイシィを応対している隊員を呼んだ。「何だよ?」と言いながらレイシィを応対していた隊員は詰所に近付く。詰所の中の隊員は小窓から首を出す勢いで身を乗り出した。


(おい、やべぇぞ! レイシィってありゃ……狂乱だろ!?)


(狂乱!? あの女が!? そうか、どうりで聞いた名だと……いや、でも何だって狂乱がここに? ゼンじぃに用があるって……)


(分からねぇ……ゼン爺と知り合いか……? いや待て、ひょっとしたら……ゼン爺の首に用があるとか……?)


(何でゼン爺が命狙われなきゃ何ねぇんだよ?)


(痴情のもつれ……?)


(マジか!? ゼン爺狂乱とデキてんのか!? 確かにあの歳でまだ現役・・らしいが、だからって狂乱相手に……?)


 などと、隊員達は小声で話しているつもりらしいがその内容はレイシィの耳にしっかりと届いていた。


(狂乱、狂乱と……こいつら北方の出か? 全く、一体どんな尾ひれが付いて話が広まっているのやら……それに何で私があのジジィに心トキメかせなきゃならんのだ!)


 と、心の中で怒りながらも微笑みは絶やさないレイシィ。しかし若干ほおがピクつく。オークの襲撃を受けたエムンデル王国ダイラーの街での調査を終えたレイシィは、オルスニアへ戻る前にここミラネル王国アルマドのジョーカー本部、始まりの家を訪れていた。ジョーカーの内部抗争が終結したとの噂を聞いた魔法の師であるネイザン・リドから、ゼントスの様子を見てこいと頼まれていのだ。しかしレイシィはネイザンから言われなくても始まりに家に立ち寄るつもりだった。それは勿論、ゼントスの事以外にもここを訪れる理由があったからだ。


(とにかく、俺ぁゼン爺呼んでくるからよ、ここは任せるぜ。相手はあの狂乱だ、いらなく怒らせねぇ様に丁重にな!)


 そう言うと詰所の中の隊員はバタバタと奥へと消えた。


(マジかよ……)


 残された立番たちばんの隊員。ゴクリと喉を鳴らし覚悟を決める。


「あ〜、何だ……今、ゼン爺呼んでくっから……いや、呼んできますんで……取りえず、中に入って待っててもらってよ……いやいや、どうぞ、中へ……あの、お入り下さい……ませ……」


「良いのか? じゃあお邪魔するよ」


 と笑顔で答えながらもはおのピクつきが止まらないレイシィ。


(何だそのブサイクな敬語は……私ゃもんか!)


 南門をくぐり敷地内へ入るレイシィ。正面に見えるのは始まりの家本部棟。


「本当に変わらない……」


 懐かしさが込み上げる。在籍していたのはほんの半年程か。さして特別な思い入れなどないと思っていたが、それでも昔と変わらない本部棟の姿を見たレイシィの脳裏には、あの頃の様々な思い出が浮かんできた。そしてそんなレイシィの姿を遠巻きに確認し、思わず足を止め「まさか……!?」と絶句する女が一人。


「どうかしましたか?」と振り返るベルナディ。「まさか、こんな所で……」と呟くエクシア。その目には涙が浮かんでいる。「エクシアさん……?」とベルナディが呼び掛けるのと同時に、バッとエクシアは猛烈な勢いで走り出した。


「エクシアさん!? 一体どうされて……てか速っ!!」


 瞬間自身の真横を走り抜けるエクシア。驚いたベルナディは取りえずそのあとを追う。向かう先はどうやら南門の様だ。そしてその南門には懐かしさに目を細める女が一人。


(短い間だと思っていたが、それでも色々あったなぁ……)


「………………レ!」


(そう言えば、内部はガタガタだったっけ……)


「…………イ!」


(初めの頃は新入りが出しゃばるな、なんて言われたが……その内にすっかりと馴染んで……)


「……シィ〜!」


(そうそう、そんな感じで名前も覚えてもらって……)




「様ぁぁぁぁぁぁ!!」




「ってエクシア!? 何でここにぶふぉ!!」


 突き刺さる様に抱き付くエクシア。そして仰向けに倒れたレイシィの胸に顔をうずめぐりぐりと動かす。


「こんな所で再びお会い出来るなんて、これはもう運命! 運命ですわ! やっぱりわたくし達は結ばれていますのよ! ぶっといぶっとい真っ赤な糸で、それはもうがんじがらめにぃぃぃぃぃ!!」


「ちょ……エクシア何でここに!? てかちょっと離れ……待ってそれは……や、それ以上は……エクシア! もげる……もげるからぁぁぁぁぁ!!」



 ◇◇◇



「……何をしとるんだ、お前さんら?」


 詰所の隊員に呼ばれたゼントス。片やツヤツヤ、片やグッタリの女二人を見て問い掛ける。ツヤツヤのエクシアは「あらゼントスさん、これはお見苦しい所を……オホホホホッ」と笑い、グッタリのレイシィは「久し……振りだな、ゼントス……」と力なく右手を挙げた。


(あぁ~、アレかぁ……エクシアさん、こじらした美人だったかぁ……)


 衝撃の光景を目撃したベルナディ。スゥ~、と表情が死んでゆく。

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