第193話 プライド

「ああ、貴女あなた何も変わっていないわね。どうせ相も変わらず大酒を飲んで下品にガハガハ笑っているのでしょう?」


 そう話しながらレダはレイシィに近付き、顔を寄せるとクンクンとレイシィの臭いを嗅ぐ。


「止めろ馬鹿! 気色の悪い……」


 当然レイシィは嫌がるが、レダはお構いなしに臭いを嗅ぎ続け「ほら、やっぱり……」と見下す様な視線をぶつける。


「酒場に入り浸ってるそこらのおっさんと同じ臭いがしますわ」


「なっ……!? そんな訳あるか! 何で女の私からおっさんの臭いがする! 大体昨日は……」


「飲んでないのですか?」


「少ししか飲んでない!」


「飲んでるんじゃないの。酒バカは変わっていない様ね」


「誰が酒バカだ!!」


 と怒鳴りながらもレイシィはクンクンと自身の身体の臭いを確かめる。


「全く、これがこの名門校を首席卒業した人間の成れの果てとは……嘆かわしい限りですわね……」


「ハッ、ぬかせ!お前みたいに下らない研究をちまちまやってるちまちま女に言われる筋合いないんだよ!」


「あら、あらあらあら、その口振りですと随分ご立派なお仕事をされている様ですわね?」


 ニヤリと笑ったレイシィ、待ってましたの質問だ。しかしすぐにキリッと表情を引き締め「コホン……」と咳払いを一つ。そして若干のドヤ感を出しつつも落ち着いた様子で答えた。


「東はエルバーナ大同盟盟主国、オルスニア王国の……まぁ何だ……宮廷魔導師長? 的な? まぁそんな、感じかなぁ……」


 うだつの上がらない研究助手なぞ足下にも及ばない圧倒的な地位の差。フフン、と心の中で鼻を鳴らしながらレイシィはチラリとレダの様子をうかがう。


(…………ん?)


 しかしレダの表情は変わらない。それどころか随分と余裕のある顔を見せている。地位、名誉、キャリアの違いをまざまざと見せつけられたレダは、顔をひきつらせながら負け惜しみの一つも吐き捨てる、とそのはずだったのだが……


(何だ……レダめ、何を考えている……)


 不敵な笑みを崩す事なく、しかしレダの余裕ある様子に困惑気味のレイシィ。そんなレイシィを見て内心笑いが込み上げているレダ。思った通り、なのだ。


(キャリア……ね。まぁそうでしょうとも。貴女あなたにはそれくらいしか誇れるものがないというのは明白……フフフ……良いですわよ、今とどめを……刺してあげますわ!)


 ニッコリと笑いながらレダはレイシィを持ち上げる。


「まぁまぁそうですか、宮廷魔導師長ですか。さすがは首席卒業ですわね。まさかそこまで責任あるお仕事をしていようとは……」


「ん……ま、まぁそうなんだが……」


(何だこの女……一体何を……)


「それに比べ私などはいまだ小さな研究にしがみついて……恥ずかしい限りですわね。あ、そうそう……一つ貴女にご報告しておかなければならない事が……」


「……報告? 何だ、何の報告を……」


「私……先月結婚致しましたの」




「…………へ?」




「覚えておいでかしら? 二学年下の魔具まぐ科にいたカジェス……彼と先月……ね」


「…………え? え、え?? 何……? お前……何を言って……」


「何ですか貴女、お酒で耳でもやられました? 結婚したと、そう言ってるんです」




「……は……はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」




 思いもよらぬレダのカウンターパンチがレイシィのあごを撃ち抜いた。ガクガクッと膝が震えるレイシィ。驚天動地きょうてんどうち吃驚仰天きっきょうぎょうてん、青天の霹靂へきれきとはこの事か。


「カジェスって……あの、あれか……!? ハーベル魔具まぐ工房の御曹司おんぞうしの……いや……いやいやいや! お前それは……いやいやいやいや!!」


 バッとレイシィはネイザンを見る。くつがえせない程の立場の差が発覚し、引っ込みがつかなくなったレダが出任でまかせを言っている。きっとそうだ、そうに違いないのだ。先生ならば知っている、分かっているはずだ! しかしそんなレイシィのわずかな希望ははかなくも打ち砕かれる。ネイザンは無言でコクリ、とうなずいたのだ。




「そんな…………そんなバカなぁぁぁぁぁぁ!?」




 ハーベル魔具工房とはエムンデル国内に六つの工房を展開し、腕の良い優秀な魔具師まぐしを数多く抱える有名な魔具工房である。そこの御曹司おんぞうしともなれば当然引く手あまた、女性の方が放っておかないだろう。そんな優良物件を射止めたレダにとって、酒バカのレイシィなどもはや吹けば飛ぶ様な存在でしかない。ペラペラだ。


(バカな…………バカなバカなバカな!! え、アレだろ? カジェスってアレだろ!? 確か頭良くて、顔もまぁまぁ男前の部類の、そんで金持ちで……え、何で? 何でそいつがこんな腹黒女と結婚……そんなバカな話があってたまるか!! そんな話が…………)


 カリカリカリカリと右手の親指の爪を噛みながら、激しく狼狽ろうばいするレイシィ。そのあわれな姿からは国王に次ぐ権力者であるはずの威厳いげんなど微塵みじんも感じない。


「バリバリ仕事をなさっている貴女に対してこの程度の報告しか出来ないなんて……本当恥ずかしいわ……フフフ……何て言ったかしら、こういうの? 世間一般では確か……ああ、そうそう……た・ま・の・こ・し……だったかしらぁ?」


(見下してる……だと……!? こ、こここ……この女ぁぁぁぁぁぁ……!!)


 レダの勝ち誇ったかの様な邪悪な(?)笑み。怒り、焦り、屈辱……様々な感情がぐるぐると渦巻き、もはやレイシィはグロッキー状態だ。しかしそれでも、わずかに残った最後の一欠片ひとかけらをそっと心の奥底から取り出す。そして両手で包み込む様にゆっくりと天に掲げるのだ。それは力強く光輝くほんの一欠片ひとかけらのプライドだった。




「そ……そっか~、け……けけ、結婚か~……それはアレだな~、めでたいな~……は、ははは……しかし奇遇きぐうだなぁ~……実は私もなぁ、最近まで年下の男と一緒に暮らしていたんだよなぁ~……はは、ははは……」




 しかしレイシィはそのプライドを見栄でコーティングした。


「まぁ今は? ちょっと訳あって? 離れて暮らしてはいるが? だがまぁ……その内な、またな、一緒にな……暮らすんだろうなぁ……なんて……はは、ははは……」


 裏返る声、泳ぎまくる目。「年下の男……?」と疑惑の視線をぶつけるレダ。当然レイシィはレダを直視出来ない。


「いやぁやっぱり……年下ってのはアレだな~、かわいいとこあるんだよな~……色々とな~、教えてやったりな~(魔法を)、手を焼いてやってな~(魔法の)。何だこいつ、何にも知らないのな~、なんてな~(魔法を)。でも意外と、お、こんなん出来るのか~、なんてな~(魔法が)。何かこう……私色に? 染め上げていく? 的な?(魔導師的に)」


 ジト~、というレダの視線。シラ~、というネイザンの視線。「は……はは……ははは……」と愛想笑いのレイシィはこう思っていた。


ひるむな……堂々としろ! 嘘は言っていない……断じて……断じて嘘は言っていない……!)


 確か嘘は言っていない。だが真実も言っていない。もはや詐欺師の考え方だ。


(こやつ、こんなに出来ないむすめであったか……?)


 一部始終を見聞きしていたネイザンは何だか切なくなった。これ以上は見ていられない。ネイザンは意を決し核心を突く言葉を放った。


「レイシィよ、その一緒に住んでおった年下の男というのはひょっとして……先程話しておった弟子の事ではないのか?」


「!?」


 ネイザンの指摘にドキンとするレイシィ。「弟子……?」と問い掛けるレダは益々強い疑惑の視線を放つ。


「な……なな、何を言ってるんだ先生! そそそそんな訳……そんな訳ないじゃないか……なぁ? そんなのアレだぞ、私にだってアレだぞ、そういう男の一人や二人くらいはだな……」


 キョドりまくるレイシィを見てレダは優しく微笑んだ。しかし……


「そうですか、お弟子を取ったんですか。そうですか……とうとう……」


「あ……いやまぁ……そろそろ私の技術を伝えるというのも悪くはないかと思って……」


「とうとうお弟子を囲い込んで渇きを潤そうと……そこまで思い詰めて……」


 レダは優しく微笑んだがしかし、その微笑みには多分にあわれみの感情が込められていた。


「……はぁぁぁぁ!? おま……お前何を言って……!?」


 驚き慌てるレイシィ。するとすかさずネイザンも口を開く。


「ふむ、感心出来る話ではないな。弟子に食指しょくしを動かし手込めにしようなどと……」


 鋭い眼光、シブい表情。その顔からはネイザンがどこまで本気で話しているか分からない。


手込てご……!? 先生まで何を言って……!!」


「いけませんわねレイシィ、そのお弟子さんと年齢差いくつあるんですか? もう少し自分の年齢というものを考えないと……」


 レダ、更にあおる。


「ふむ、こやつ中身は男だが容姿は良いからな。年下の若い男をたぶらかすなど造作もない事なのやも知れぬが……」


 ネイザン、それに乗っかる。


「…………」


 レイシィ、黙る。


「ですが学長、ひょっとしたら、万が一、奇跡的にも、互いに想い合っているのかも知れませんわ。だとしたらレイシィ、酒バカの本性がバレる前にすぐにでも子を作らなければ……逃げられますわよ?」


「……った」


「何ですのレイシィ? 声が小さくて……」




「分かったぁぁぁぁぁ!!」




 学長室に響き渡るレイシィの怒鳴り声。涙目のレイシィは二人をにらみながら宣戦布告(?)する。


「分かった! いい! もういい!! そこまで言うんだったら、望み通りあいつと一緒になってやろうじゃないか!! 子供だってこさえてやる! 四人五人とこさえてやる!! いいか! 後悔するなよ!!!!」


 フゥフゥと肩で息をしながら興奮冷めやらぬ様子のレイシィ。沈黙に包まれた学長室にはレイシィの息づかいだけが響いている。


(( 何故なぜ…… ))


 レダとネイザンは思った。


何故なぜ私が後悔しなければならないのでしょう……)

何故なぜわしが後悔せねばならんのか……)



 ◇◇◇



「で、学長。実際の所この酒バ……レイシィは何故こんな大変な時に学園に?」


 チラリと酒バ……レイシィに目をやるレダ。レイシィはソファーの上で膝を抱えながら、下を向いてぶつぶつと何やら呟いている。目がヤバい。


「仕事だそうだ。オーク襲撃の報を聞き付けてその調査に来たのだ」


「なるほど……そういう事でしたか。東でも確か、襲撃があったと……」


「そういう事ぞ。ところでレダよ、何か用があったのではないのかね?」


「はい、ラディアン教授より報告書を預かって参りました。オークの検死結果ですわ」


 そう言うとレダは手にしていた用紙の束をネイザンに手渡す。受け取ったネイザンはパラパラと用紙をめくり内容を確認しながら「ラディアンはどうしておるか?」とレダに尋ねる。


「ここ三日程ほとんど休まず作業しておりましたので、報告書を書き上げるとそのまま倒れる様に眠ってしまいましたわ」


「ふむ、そうか……レダよ、これの内容は? 説明は出来るかね?」


「はい、内容は把握しております。必要とあらばご説明も……」


「よろしい。ではレダよ、しばし付き合え。レイシィもだ、遊びはしまいぞ」


 ピクリと反応するレイシィ。「どこへ……?」と小さな声で尋ねる。


「ご領主の屋敷だ。諸々もろもろご報告差し上げねばならん。明日には王都へ向かおうぞ。陛下へも謁見えっけんせねばならんだろうしな。レイシィよ、そなたは東からの使者として振る舞うが良いぞ」


 ネイザンの言葉を聞くと途端にレイシィの表情が変わる。ついさっきまでの死んだ様な目に光が宿り一気に仕事モードだ。「分かった」と答えるレイシィ。そして「先生今、さらりと言ったが……」と言葉を続ける。


「遊びにしては随分と心をえぐられたんだが……」


「ふむ。見栄っ張りな教え子に喰らわした罰である。そも、そんな事せんでもそなたは価値ある魔導師ぞ。次はその弟子も連れて来るが良い」


 話し終わりにフッと柔らかな表情を見せるネイザン。「ああ、そうしよう」とレイシィも笑った。


 その後レイシィはおよそ一ヶ月に渡りエムンデル王国に滞在しあらゆる調査を行った。同時にエムンデル国王より、エルバーナ同盟国との連携の約束を取り付けたのである。これ以上ない程の収穫、なけなしの女のプライドと引き換えに手に入れた成果はことのほか大きかった。

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