第234話 斯くして魔女は邪悪に笑う 19
鼓動が速い。そして大きい。このままでは心臓が破裂してしまうのではないかと、そんな不安を覚える程に。しかし心臓がこれだけ激しく動いているにも
先程からディルの脳内ではそんな事が繰り返されていた。きっと意識を失ったその先には、症状の一番深い所が広がっているのだろう。敵と味方が判別出来なくなる……いや、全てが敵に見えてしまう、そこはそんな場所だ。
「死ねぇぇぇ!!」
左。剣を振り上げ向かってくる敵兵の姿。ディルは右手に持った剣を寝せると、地面を蹴り付けながら突きを放つ。自分でも驚く程速く、そして力強く、握った剣は敵兵に向かって滑るように真っ直ぐ飛んでゆく。そしてその剣が胴辺りに深々と突き刺ささり
(あいつらは……こんな恐怖を味わっていたのか……)
ディルは城の地下留置場に移送された部下達の事を思う。レゾナブルの中毒症状が進行し重度であると判断された者達だ。敵が自分を殺しに来るのだと、絶えず幻覚や幻聴に襲われ
思えば自分は運が良い方だった。レゾナブルの症状が軽かったのだ。それでも
「ぬぅぅ……あああぁぁぁ!!」
ディルは
(だがそろそろ……)
そう、そろそろだ。感覚で分かる、もうそろそろ飲み込まれる。
殺しても殺しても、敵兵は次々と目の前に現れる。どう考えても数が多過ぎるのだ。敵軍は戦力を追加で投入したのだろう。いくらレゾナブルの効果が絶大だとはいえ、さすがにこれ以上は
「ぬぅん!」
ディルは横一文字に剣を薙ぎ払う。ガチィンと激しい音と共に剣は敵兵を鎧ごと斬り裂いた。直後、ディルはすぅぅ……と大きく息を吸い込む。
「飲まれるなあぁぁぁぁぁ!!」
そして戦場中に響き渡る程の大声で叫んだ。敵に飲み込まれるな。普通に解釈すればそういう意味と取れるだろう。事実、その声を聞いたセンドベル軍の攻撃部隊長は「ハッ、無理だ」と鼻で笑い吐き捨てた。だが真意は違う。
レゾナブルに飲み込まれるな、正気を保て。
もう少し、
◇◇◇
「ディル隊長の声……ですね」
「そのようだ。しかしあれだけの戦力差を物ともしないとは……」
「はい、本当に……でも決して薬の効果だけではありません。純粋に強いんです、特務隊が。戦い方を見ていれば分かります」
「ああ、そうだな。兵舎に隔離されて以降、ろくな訓練など出来なかったはずだが……それでもこれだけやれる彼らはやはり優秀だ。元々の練度が高い彼らが服用したからこその結果だな。しかしそろそろ限界だろう。敵は半分以上の戦力を投入した。さすがに数の差があり過ぎる……」
戦場を見下ろす崖の上。レイシィとベニバスは身を低くしながら特務隊の戦いを見ていた。当初は敵部隊を圧倒していた特務隊だったが、敵の追加戦力投入に
「レイシィ、頃合いだ。もう……彼らを楽に……」
これ以上は見るに忍びない。ベニバスは何とも苦しそうな表情を浮かべる。レイシィは静かに「……はい」と答えると、思い出したかの様に脇に置いたバッグに手を入れる。そしてゴソッ、と何やら赤い布を取り出した。「それは?」と問い掛けるベニバス。レイシィは不思議そうな顔をしているベニバスを見てニヤリと笑う。そしてバサッとその赤い布を広げ「よっ」と声を上げながら肩に
「へへ〜、どうですか? 良い色でしょう?」
レイシィが
「何故マントかと問われるのならば、私はこう答えます。ローブが嫌いだからです! だってこう、
「いや、目立つからって……」
「良いですか主任。私は自身の発案したグレートな新型魔法の実験を中断されて、そらもうイライラマックスな訳ですよ。そしてそのマーベラスな魔法を試すべく敵味方問わず爆殺するんです。自分の魔法を世に示す為にそんな暴挙に出るくらい自己
「そんなキャラ付けまでする必要が?」
「いやいや、こういうディテールが大事なんですよ。そういうのが
どこか得意気に話すレイシィの姿に、ベニバスは思わず「フフ……」と笑う。
「全く……最後の最後まで君はいつも通りだな」
「良いんですよそれで。
「そうかもな……さて、じゃあ先に戻るよ」
「あれ、最後まで見届けるんじゃ……?」
「必要ないさ、失敗なんてしないだろう? 天才的な悪の魔導師がこの晴れ舞台で……万に一つもミスなんてあり得ない」
「……ま、そうですね」
「そういう事だ。ガントで待っている」
「ガントで会う頃には、私はゴリゴリの犯罪者ですね」
「何を……」
そう呟くとベニバスは立ち上がり崖を下りようと歩き出す。数歩進んだ所で背後から「……ありがとうございました」とレイシィの静かな声が聞こえた。先程までとは明らかにトーンの違う声。ベニバスは一瞬立ち止まりそうになったが、振り切る様にその足を前に出す。
今回のこの一件、納得こそしてはいない。だがそれでも受け入れようと心の整理をつけた。が、レイシィと特務隊の事を考えると、やはり
◇◇◇
「…………ハァッ……ハッ……ハッ、ハハハ…………」
風に乗り、
(フフ……本当に笑ったのか……)
少しだけ笑みを浮かべたベニバス。しかしすぐにその表情は険しくなる。
(この先ダグべは……どうなるのか……)
これで全てが終わる。ミーンの産み出した悪魔の薬。その治験に参加した不運の部隊。国は
(………………)
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