第140話 外交官の目

 街の中に入ると路面は石畳になる。カタカタカタ……と小刻みで不快なその振動は、実は内部にはあまり伝わってこない。研究と試行錯誤を重ねて作り出された最新の板バネ、椅子の座面と背板に詰められた一杯の綿、長距離の移動でも不快な振動を極力感じないよう丁寧に設計、作製されているこの馬車は、外交で他国へおもむく事の多い外交官の為に特注された物であり、その中でも特に出来の良い馬車なのだ。


「ソロン様! 間もなく到着致します!」


 馬車の外から声が響く。馬車を囲い守るように騎馬で並走している騎士の声だ。「ふぅ、ようやくかい……」とソロンは呟く。オルスニア王国外務大臣ソロン・グレイルは、外遊の為隣国エイレイ王国の王都エスペラームを訪れていた。


 カタカタカタ、カタカタ……カタ……


 やがてゆっくりと馬車は止まる。御者ぎょしゃ台に座る騎士はスッと後ろの小窓を開き馬車内に向け報告する。


「ソロン様、到着致しました」


「おう、そうかい。ご苦労さん。しっかし……隣国で王都も近いとはいえ、それでもこの歳になると外遊はこたえるのぅ……」


 ぶつぶつと言いながら馬車を降りるソロン。正面には大きな屋敷、そして馬車の両脇には護衛として同行する騎士達がずらりと並んでいる。その先頭にいる騎士がソロンに声を掛けた。


「ソロン様、お疲れ様でございました」


「おぉリアーム、済まんのぅ。しかし、わざわざ騎士団長自ら同行せんでもよかったんじゃぞ?」


「何を仰います、ソロン様に何かあっては国の一大事、陛下からもくれぐれも、と直々のご命令を承りましたゆえ……それに整備中の街道をこの目で見ておきたかったものですので」


 にこやかに笑うリアームロット。王都オルスの警備に当たる騎士団としても、街道整備の進み具合は気になっていた。広く綺麗な街道が整備されれば、良からぬ事を企む盗賊のような輩もその活動をしにくくなる。


「ふむ、今で七割程の進捗しんちょくだとリティが言っておった。二国間の王都同士を結ぶ街道、最初は壮大な事業かと思ったが……案外早く終わりそうじゃ。この大動脈が完成すりゃあ人も物も情報も、あっちゅう間に行き交うようになるのぅ」


 オルスニア王国の王都オルスとエイレイ王国の王都エスペラーム。現在この二つの大都市を直結する街道の整備事業が進んでいる。


「仮に大同盟が破綻したとしても、エイレイとの二国間同盟だけはどうにか維持せにゃならん。安全保障にも関わる重要事じゃて。その友誼ゆうぎの証としても、あの街道整備事業は完遂かんすいせねばならん」


 軍事力に優れたエイレイとの同盟堅持けんじは、オルスニアにとって国防にも関わる重要事項であった。


「う、うぅ~……」とうなりながらソロンは曲がった腰をくぐっと伸ばす。


「やれやれ……早いとこお主らに全部任して隠居いんきょしたいわい」


 腰を伸ばしながらチラリと横を見るソロン。その視線の先には同行する数人の次官達が整列している。


「私共などまだまだ……今しばらく、ご教授きょうじゅ頂きたいと……」


 次官の一人がそう話すと、ソロンは不満そうな表情でリアームロットに「聞いたか? こうじゃぞ?」と愚痴ぐちる。リアームロットは「ソロン様の代わりなどそうそうおりませんよ」と微笑む。


「ソロン殿! ようこそ参られた!」


 大きな声。両手を大きく広げ満面の笑みで歩み寄る男は、エイレイ王国外務大臣、オルバ・リア・ミーンだ。


「おお、これはこれはオルバ殿! 久しゅうございますな」


 ソロンも微笑みながら右手を差し出しオルバと握手を交わす。


「隣国とはいえ長旅、お疲れになられたでしょう。どうぞごゆるりとおくつろぎ頂きたい。さ、どうぞこちらへ」


 オルバはソロンら一行を屋敷の中へと案内する。





「素晴らしい屋敷ですなぁ。これが国の物ではなく個人の所有物というのがまた……さすがはオルバ殿ですなぁ」


 広い応接室に通されたソロン一行。この屋敷はオルバが個人的に要人を歓待かんたいする為に購入した物だ。


「して、今回は迎賓館ではなくこちらに宿泊させて頂くんでしたな?」


「はい。実は……内密にお知恵を拝借致したいがございまして……おい」


 オルバは自身の部下や使用人に声を掛ける。すると部下らはソロンに一礼して応接室を出る。それを見てソロンも「済まんなリアームや、皆もよいか?」と退出をうながし、広い応接室にはオルバとソロンの二人きりとなった


「さて、その内密なお話とは一体何でしょうな?」


「……ソロン殿、人払いは済みました。いつものように……」


「むぅ……しかしですなぁ……」


「ここには私の手の者しかおりません。万が一部下らの耳に入ったとて、絶対に外には漏れません。私はソロン殿を師父しふあおいでいるのです。ソロン殿には実に多くの外交術を学ばせて頂いております。門弟もんていに敬語を使う師がおりましょうや?」


門弟もんていて……わしは師範しはんや教師の類いじゃありゃせんのだが……)


「ま、そこまで言うなら言葉を崩させてもらおうかのぅ。わしもこの方が話しやすいし楽じゃて」


 オルスニアを中心に締結されたエルバーダ大同盟は上下のない対等な同盟である。それゆえ個人同士がどのような関係性であれ一国の大使だけがフランクに、あるいは居丈高いたけだかに話すさまは周りに良い印象を与えないだろう。


「んで、相談ってのは何じゃ?」


「はい。ご存じかと思いますが、現在我が国は西の山岳国家であるエラグ王国に侵攻中でして……」


「おぅ、聞いとるぞ。思わしくないそうじゃな?」


「はい。開戦当初は勢いに任せ一気に攻め上がれたのですが、王都エラグニウスに近付くにつれ状況が厳しくなってきたようで……」


「山岳国家のぅ……基本は山攻めじゃな。平地の民に山攻めはキツかろうて」


「仰る通りに。我らエイレイ人の起源は騎馬民族、平地であれば如何様いかようにも立ち回れますが……山や密林はどうにも……敵はゲリラ戦に方針を切り替えたようで、あちこちに仕掛けられた罠により見事に勢いを削がれ膠着こうちゃく状態に持ち込まれました。時間が掛かる程逼迫ひっぱくしてゆく物資に下がり続ける士気、そしてとうとう逆に押し込まれ始めたと……まぁそんな状況です」


「なるほどのぅ……」


「そして昨日の事です。前線から書簡が届きました。内容は……」


「援軍要請……じゃな?」


しかり。前線には傭兵を含め一万七千の兵がいます。指揮官はさらに一万五千の兵と物資を送れ、と……」


「ほう、大軍じゃ。指揮官はどなたが?」


「グリー・スー将軍です」


「なんと……グリー将軍をして攻めあぐねているとは、敵方は余程固い・・のじゃな。して、援軍はどうするのじゃ?」


「実はつい先程、陛下が派兵のご意思を固められたと聞きました。しかしながら……」


「ふむ、無論出したくはないのぅ。大金が掛かる」


「そこなんです。援軍を送れば勝てる、私もそう考えます。しかしこの遠征で掛かった金を回収しようとしたら、一体どのくらい時間が掛かるか……陛下もその辺りの事を随分と気にしておられた様子だったと……我らが求める物は鉱物資源です。しかしエラグの鉱山はその埋蔵量に比べ少なすぎる。鉱山を増やし、採掘する。そしてようやく金に変わるのです、すぐには動けません。さらに防衛の手段も考えなければならない。周辺国もエラグの資源を狙っています、せっかく奪ったエラグを他所よそにかすめ取られる訳にはいきません」


「ふむぅ……しかしなんだのぅ、聞けば聞く程侵攻は悪手あくしゅじゃったように思えるのぅ」


「乗せられたんですよ、傭兵に。ジョーカーの団長に……」


「悪名高き傭兵団、じゃったか。噂くらいは耳に届いておる。しかし中々に営業が上手い奴じゃて、よもや国王陛下を丸め込むとはのぅ」


「全く仰る通り、おかげで今のこの有り様です。当初、当然国内には多数の反対意見がありました。かく言う私も反対派の一人です。しかし最終的には陛下がそれら反対派を抑え込まれた……」


「ふむ……して、わしに聞きたい事とは……この現状、果たしてどうすりゃいいか……って所か?」


「はい……ソロン殿ならばこの状況、如何いかさばかれますか?」


「ふむ……そうじゃのぅ……」


 真っ白な口髭を触りながらしばし考え込むソロン。やがて静かに口を開く。


「わしらは外交官じゃ。軍事的な戦略やいくさの勝ち負けなどは門外漢もんがいかん。わしらにとっての戦いは要人との面会や会談、そしてその席での交渉事じゃ。いくさが終わらにゃわしらの戦いは始まらん。じゃからしてまずは戦を終わらせる。お主らエイレイの目的は鉱物資源、エラグはお主らに兵を退いてもらいたい。ならば話は至極しごく簡単、和睦わぼく交渉にて圧力を掛けて譲歩を引き出す。そして最終的な目標を……そうじゃな、通商条約締結あたりにえようかのぅ。ともあれまずは援軍の準備じゃ」


「援軍を派兵すると!?」


「実際に兵を送るかどうかの判断はぎりぎりまで待つ。ここエスペラームには当然エラグの間者かんじゃが潜り込んでおるはずじゃ。援軍の動きありとなれば、その報はすぐにエラグに届く。連中にとって最悪の事態はなんじゃと思う?」


「それは無論援軍の……いや、同盟国が動く事……ですね」


「そうじゃ。連中はお主らを見つつその背後におるわしらも見ておる。仮にお主らが援軍を送り、連中が見事その援軍をも退しりぞけたとしたら……お主らは兵を退くか?」


「……いえ。退かないでしょう。我々にも面子めんつがあります。負けました、撤退しましょうなどと……あり得ません」


「そうじゃろうて。軍事大国の意地と面子めんつにかけて、振り上げた拳を易々やすやすと引っ込める訳にはいかん。もしそうなったらお主らは同盟に話を持ち掛ける。まぁ同盟が外征がいせいの為に動くかどうかは別としてじゃ、仮に同盟が動けばさしもの・・・・エラグと言えどもひとたまりもないじゃろう。そうならない為には和睦しかない。連中も同様に和睦を望んどるはずじゃ。だからこそ圧力も掛けられる。援軍はすぐに出せる、出せるが金が掛かるので出したくはない。資源を融通ゆうづうしてくれるのなら、兵を退かせるのもやぶさかではないが、しかしお望みとあらばとことんまで斬り合おうぞ、とまぁそんな所じゃろ」


「なるほど……」


 オルバは思わず前のめりになる。


「和睦がればいよいよお主の出番じゃな、通商条約締結に向けた交渉の始まりじゃ。条約を結べば貿易がより活発になり、人の行き来も増えるじゃろう。貿易額を徐々に増やしつつ、同時にエラグ国内にどんどん新たな鉱山を開く。金が足りんと言うなら貸せばよい、人手が足りんと言うならお主らが鉱夫こうふを雇いエラグに送り込めばよい。鉱山の共同経営なんかが出来れば上々じゃ。お主らの持っとる鍛造たんぞう技術、ありゃこの辺の国じゃピカイチじゃ。提供してやりゃあ連中はよりお主らに信頼を寄せよる。

 よいか? なだめて、すかして、持ち上げて、時に突き放し、時に受け入れる。徹底的に揺さぶるんじゃ。そうしてあらゆる方面からエラグ国内に切り込んでゆく。さすれば気付いた時には、エラグにとってお主らは決して捨て置けぬ存在となっておるじゃろう」


 ニヤリと笑うソロン。オルバは背筋に冷たい物を感じた。


(全く……怖いお人だ。その手で我らエイレイは丸め込まれた……)


 オルバは時折ソロンからも言われぬ怖さを感じる事があった。およそ腰の曲がった老人から発せられているとは思えないようなあつ。凄みとも言えようか。自分がこの境地に達するには果たしてどれだけの時が掛かるのか? この凄みこそオルバがソロンを師とあおぐ理由の一つである。


「フフ……」と小さく笑うオルバ。「何じゃい、気持ちの悪い……」としかめっ面のソロン。


「いやいや、お話をうかがえてよかった。ソロン殿も我らと同じ様な見解であられたというのは何よりです」


「何じゃお主、わしで答え合わせしとったんか?」


「全く同じではございません。ソロン殿のご意見は我らの上を行っておいででした。さすがは我が師父しふ感服かんぷく致しました。しかしこれで自信を持って陛下にご献策けんさく出来るというもの……」


「ふん、調子のいい奴じゃな。じゃが、これでお主との友誼ゆうぎが深まると思えば、わしらにも得があるというもんじゃ」


 ソロンは再びニヤリと笑った。



 ◇◇◇



 同刻、ミラネル王国、アルマド。


 バン! と本部棟の扉が勢い良く開かれる。ズカズカと中に入る男は笑いながら大声で話し出す。


「いよぅ皆の衆! 変わりないかぁ?」


 ゼルが始まりの家に帰還した。

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