第77話 エクスウェル始動

 金夜亭きんやてい三階の部屋。


 襲撃の日、始まりの家で何があったのかをホルツが語ったその日の夜更け。同室となった俺とゼルはすでにそれぞれのベッドに入っている。


「……コウ」


「……何?」


「はっはっは、やっぱ起きてたかぁ……どう思う?」


「どうって……ホルツ?」


「ああ……」


 スパイがいる。エクスウェルと繋がっている者がおり、情報を流している。今回の襲撃も漏れたその情報が原因、とゼルは見ている。そしてその疑惑の只中ただなかにいるのはライエ、ホルツ、リガロの三人。


「さっき話を聞いた感じだと……違うのかな……と思う。西の連中を何人も殺したようだし……で、それを他の隊員やビーリー達も見てた訳でしょ? それにやっぱり、金夜亭ここにいるってのが何よりの証拠じゃない?」


「やっぱそう思うか……俺もだ。となるとあとはライエかリガロってことになるが……」


 ふぅ、と大きなため息が聞こえる。


「待つしかねぇかぁ……二人をよ。いや、どちらかを……だな……」



 ◇◇◇



 二日後。


 ガチャ、と地下室のドアが開く。ひょこっと顔を覗かせたのはライエだ。


「ライエ! 待ってたぜぇ!」


「ねぇマスター、エイナいる?」


 ゼルは室内を見渡す。エイナの姿はない。


「いや、いねぇ……なぁ。どした?」


「ん、分かった。待ってて」


 そう言うとライエはドアを閉めトントントン、と階段を上って行く。


「何だ、ありゃ?」


 するとすぐにまたドアが開く。


「マスター、連れてきたよ。さ、どうぞ」


 と中に入るよう促すライエの後ろには人影が。


「おう! 来たかぁ、カディール……と、エイナ」


「!! な……!」


 カディールは驚き振り向いた。するとカディールのすぐ斜め後ろにピッタリとエイナが立っており、ニッコリと微笑んでいる。が、目は全く笑っていない。カディールは慌ててライエに耳打ちする。


(ライエ、貴様だましおったな! エイナはいないと言っていたであろう!)


(だって中にはいなかったんだよ! 後ろから現れるなんて思わないじゃない……そもそもカディールさん、何でエイナを避けてるのよ?)


(それは……まぁ、多少の行き違いが生んだ見解の相違というか……)


「カディール」


 エイナに呼び掛けられビクッ、とするカディール。おほん、と咳払いをし、取り繕うように振り向く。


「どうしたのだ、エイナ?」


「無事で良かったわ、喉渇いてない? 良いワインがあるの。まずはゆっくり休んでちょうだい。お腹は? 減ってない? 食事の時間までまだ少しあるのだけれど……あ、マッシュポテトがあるわ。美味しいのよ、ここのマッシュポテト。さぁ、入って。今用意するわね」


「いや、喉も腹もそんなには……」


「いいから、さぁさぁ」


 エイナは戸惑うカディールを部屋の奥まで引っ張って行き、椅子に座らせる。


「デーム、お願いね」


「……はい」


「おい、デームよ、一体何を……」


 カディールの問い掛けにもデームは目を伏せたまま、スルスルスルッ、と実に手際良くロープでカディールを椅子に縛り付けた。


「おい、デーム! これは何の……」


「……私の意思では……ありませんので……」


 ドンッ


 不意に大きな音。目の前のテーブルに置かれたのは山盛りに盛られたマッシュポテトの大皿。そしてトン、トン、トン、といくつものワイン瓶が並べられる。


「あらぁ、カディール。それじゃあグラスもフォークも持てないわねぇ。いいわ、特別よ。私が飲ませて、食べさせてあげる。いいのいいの、遠慮なんてしないで、私とあなたの仲だもの……ね?」


「おい、エイナ……ちょっと待っ……もがっ! ぐぽっ、ごるぽ……ごぽっ! ば、で、はなじを……!! いだっ! そごは鼻だぐばぁ! ぐっ……ごぱぁ……」



 ◇◇◇



 エイナがカディールへの復讐を完遂かんすいしたのと同時刻、大陸東部エイレイ王国西端の街プルーム。


 大陸中東部には東への道を閉ざすように、北から南へ山脈が走っている。しかしこのプルームの西側はちょうど山脈の切れ間となっており、比較的緩やかな道が通っていた。過酷な峠道を通らずとも行き来できるため当然のことながらこの道は、古くから中央と東とを結ぶ主要ルートの一つであり、その玄関口とも言えるプルームは重要拠点となっていた。


 そのプルーム郊外のとある屋敷。元々この地の貴族の別邸だった屋敷をエクスウェルが敷地ごと買取り改装。今ではこの屋敷は東側でのジョーカーの拠点、ジョーカープルーム支部となっていた。





 トントン


「いいぞ」


「失礼します」


「どうした、シャナ?」


 エクスウェルの執務室に入る女、シャナ。エクスウェルの秘書として様々な雑務をこなす。


「アルマドより、始まりの家を占拠したとの報告です」


「そうか、参謀部は?」


「はい、三番、四番隊の激しい抵抗にい、参謀部を含む本部棟の内勤者達は取り逃がした、と」


「ふん……で、その番号付きは?」


「はい、こちらも同様です」


「逃がした、か……ゼルは?」


「ゼルを捕らえたとの報告はありません」


「ふぅ……分かった、じゃあしっかり守れって伝えてくれ」


「はい、それでは……」


 シャナが退室する。執務室にはエクスウェルの他にもう一人男の姿があった。その男は呆れ気味に呟く。


「全てオーダー通りやれる、などと大きなことを言っていた割には、バウカー兄弟も大したことがない」


「そう言うな、ラテール。せっかく口説いて、しかもヤル気になってるんだ、そりゃやらせるだろう? それに最初はなっから過度な信用はしていない。最低限の結果は出した、それで充分だ」


 ラテール・ジア。ジョーカー参謀部所属のこの男は、エイナとのマスターの席を掛けた人事レースに敗北、その後は参謀部副官として手腕を奮っていたが、エイナがゼルの支持を公言したことによりエイナとは距離を置いている。


「逃げられるくらいなら、さっさと始末してしまえば良かったのです。そうすれば後顧こうこうれいなく、に当たれるものを……」


「相変わらず物騒な奴だ。それに今の言葉、ゼルを放っておいた俺にもぶつけてんのか?」


(意地の悪い……)


 ラテールはエクスウェルを睨むように、しかしどこか諦めの表情で皮肉を返す。


「そう受け取られるということは、自覚がおありなのでしょう?」


「ハハハハハッ、遠慮がねぇな。だがそれでこそラテールだ。で、そのについてだが、どうなっている?」


「順調です。来週にも会談の日取りが決まるでしょう。その会談で正式に調印、という運びになります」


「そうか。しかし、随分と時間が掛かったな。お前がその気になりゃ、もっと早く進められたと思うが?」


「まさか、手など抜いてはおりませんよ。ここで下手を打てば、最悪力攻めするしかなくなります。そうなればどれ程の被害になるか見当もつきません。慎重に、かつ最速で進めてきた結果です」


「冗談だ、冗談! 分かってるよ、お前に任せときゃ問題ない。だろ?」


 ふぅ……とため息をつくラテール。


「あの件は……どうなりましたか?」


「ああ……あれな……」


 急に歯切れが悪くなるエクスウェル。表情も険しくなる。


「中々尻尾を出さないようでな、ビー・レイも難儀してるようだ。ゼルに偉そうに喋った手前、さっさと捕まえたいんだが……」


「落ち着きませんね。裏切り者がいるという状況は」


「金はな、どっかのバカがちょろまかした、って可能性もある。もしそうだってんなら大した問題じゃない。でもあの書類がない、ってのはいただけない。念のためと思って記録していたのが裏目に出た」


「仕方がありませんよ、交渉記録を残しておくのは当然です。しかし、せません。あの記録を手に入れて、得をする者など……」


「俺らが国内に入るのを良く思わない反対派がいるとしたら?」


「そんな話は聞こえてきておりませんよ。ここまで交渉が進んでいるのです、我々の思惑が漏れているとも思えません。もしそうだとしたら、そもそも交渉などとっくに打ち切られているはずです」


 ………………


 しばしの沈黙のあと、エクスウェルが口を開く。


「ま、多少リスキーだがやるしかないな。国内にさえ入っちまえばこっちのもんだ。こんなことでビビって手を引く必要もない。そもそも、もう引き返せないしな。注意しながら進むしかない。引き続き交渉を頼むぜ?」


「はい、お任せください」





 ラテールが退室し、部屋で一人思案するエクスウェル。椅子の背にもたれ一点を見つめたまま静かに呟く。


「もう少し、もう少しで手に入る……誰にも邪魔はさせない……」

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