4章 ドワーフの兵器編 第1部 欺瞞の魔女
第196話 暗闇の騎馬
ドドド、ドドド……
月のない夜は暗い。全てを黒く塗り潰し前も後ろも分からなくなる。まるで自分という存在が暗闇と同化してしまうのではないかと、そんな妙な錯覚を覚えてしまいそうになるくらいに。
ドドド、ドドド……
それが夜の街道であれば
ドドド、ドドド……
そんな夜の街道の移動には充分な注意が必要だ。そもそも月のない夜は移動しないというのが大前提。どうしても移動しなければならないのならば、まずは馬や馬車の速度を落とす事。先の見えない暗闇を高速で移動するなど自殺行為に他ならない。
ドドド、ドドド……
そして灯りだ。少しでも進む先を照らす為に、そして自分がここにいるのだと他者に知らせる為にも、灯りの魔法石は必須アイテムだろう。もし仮に街道を移動する他の者がいたのなら、その者からすると暗闇から突然目の前に猛スピードの馬や馬車が現れるという事になるのだ。そんなものとの遭遇など迷惑以外の何でもないだろう。
ドドド、ドドド……
しかしこの月のない夜の街道をひた走る騎馬の一団は、そのどれをも無視して爆走、いや、もはや暴走していた。極力
ドドド、ドドド、ドドドド……ザシュ……!
このペースでどれだけ走って来たのだろうか。彼らの乗る馬はどれも疲弊していた。そして
「ロナ!?」
すぐ横を走っていた男が女の名を叫ぶ。その声で異変に気付いた前を走る他の者達は一斉に後ろを振り返った。そこには今まさに地面に崩れ落ち様かという馬と、宙を舞う女の姿。この速度で地面に叩きつけられたら無事では済まないだろう。
しかしロナは「くっ……」と小さく声を出すと、なんと空中でくるりとその身を
「ロナ!! 無事か!?」
男はそう叫びながら馬から飛び降りると、地面に転がるロナに駆け寄る。他の者達も馬の脚を止め
「ほら見ろ、どこをやった?」
「大丈夫です、セーバ。打撲と……
すると二人の背後から「大事ないなら何よりだ」と声が聞こえる。声の主は老人の隣を走っていた男。
「その馬では走れまい、後ろに乗れ」
男は馬上からロナに手を差し出す。しかしロナは「お気遣いに感謝を……ですが、ここに残り食い止めます」と言いながら腰の剣を抜いた。「馬鹿な!? 早く乗れ!」と男は引かない。
「二人乗っては馬の脚が落ちます、それでは追い付かれてしまう……ジェスタ様、お行き下さい」
そう話すとロナはスタスタと来た道を戻る様に歩き出す。「おいロナ!」と叫ぶジェスタ。すると細身の老人は「……参りましょう、ジェスタ様」と静かに口にする。
「馬鹿な!? ノグノまで……何を言うか!」
「ロナの覚悟を
「しかし……」
素直には聞き入れられないジェスタ。先頭を走っていた男も「行きましょう、時が惜しい」と進言する。「だがラベン……」と
「二人いりゃあ何とかなりますよ。大丈夫です、必ず
セーバはニコリと笑うと剣を抜く。ジェスタは「……分かった。絶対に追い付け、死ぬのは許さん」と、とうとう先を急ぐ決意をし馬の向きを変える。一団の先頭を走っていた女は「ロナ」と声を掛けた。
「しっかりと……」
「うん、お姉ちゃんも……
短い姉妹の会話が終わるとロナとセーバ、二人を残し他の四騎は走り去る。と、
「さてと、何人道連れに出来るか……」
そう呟くセーバに「全員です」と答えるロナ。セーバは小さく呟いた。
「そうだな……そうだ、全員だ」
◇◇◇
(すぐ、すぐ着く……すぐ……? すぐってそもそも何? どれくらい? すぐなんじゃないの?)
真っ暗な街道、ひたすらに進む。しかし一向に街が見えてこない。すぐ近くと言われてどれくらい進んだろうか……
(これはアレだな、テレビでよく見るヤツだな……)
アルマドを出発して二週間程経った頃、俺はようやく大陸北方と呼ばれる地方に辿り着いた。今は暗闇の中、目的地であるイオンザ王国へは少しばかり遠回りになるこの西寄りの街道を進んでいる。
事実この街道を通る者は多い。明るいうちは随分と多くの商人や旅人とすれ違ったものだ。が、日が落ち夜になるとパッタリと人の気配が消えた。月もないこんな夜に移動しようなどと考えるのはあまりに無茶だ。
では
夕方、立ち寄った小さな村の衛兵に次の街はどれくらいで着くのかと尋ねたところ「すぐだよ、近いから」との返答が返ってきた。すぐ近くに街がある、そう判断した俺は移動を強行。しかし行けども行けどもその街は姿を現さない。海外に行ったタレントが現地の人に目的地までどれくらい掛かるのか聞く。現地の人は二十分くらい歩けば着くよ、と言う。しかし実際は一時間歩いてもまだ着かない。と、そんなのをテレビで見た事がある。これはきっとそんな感じのヤツなのだろう。現地人の体感時間と距離感壊れている問題だ。そして気付けばこんな真っ暗になってしまった、という訳である。
(こんな事ならあの村で泊まってたのに……)
後悔はいつだって先には立たない。無茶、ダメ、絶対。
「ごめんなユーロ、お前も疲れたろ?」
俺は乗っている馬、ユーロの首を
もっとも今は夜、しかも月が出ておらず辺りは真っ暗だ。とてもじゃないがそんな速度では移動出来ない。と、思っていたのだが、それは突然現れた。
ドドド、ドドド……
(……ん?)
ドドド、ドドド……
(……これ……
ドドド、ドドド……
(後ろ? いや……前から? いやでも、どこに……ん?)
ドドド、ドドド、ドドドドド……
前方に何かいる。それに気付き、そしてそれが何なのか認識したのと同時に、それは目の前に現れた。暗闇の中から突然数騎の騎馬が現れたのだ。
「うおっ!?」
思わず声が出る。しかし声を上げた時にはすでに、騎馬達は左右に分かれ俺の両側を駆け抜けて行った。「済まない!」と後方から声が聞こえる。駆け抜けて行った騎馬の誰かが叫んだのだ。驚かせて済まないと、そういう事なんだろう。俺は後ろを振り返る。しかし騎馬達の姿はすでにない。闇に吸い込まれる様に消えてしまった。ドドド、ドドドという
「よくもまぁあんなスピードで……」
何を急いでいるのか知らないが、こんな暗闇の中で灯りも点けず爆走するなどまともじゃない。そして後ろを眺めながらハッとした。ユーロが今ので驚いていないだろうか。慌てて前を向きユーロの様子を確認するが、ユーロは実に静かにぽてぽてと歩いている。
「お前……すごいなユーロ……」
思わず感心した。速いばかりじゃなく
◇◇◇
(ん? 何だ……?)
爆走騎馬隊との遭遇後、少し進むと街道を
「兄ちゃん、こんな夜にどこ行くんだ?」
男はにこやかな笑みを浮かべながら尋ねてきた。あんたに言う必要があるのか、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。無用な争いは避けなければ。騒ぎを起こして良い事など何もない。
「街だよ。すぐ近くだって夕方くらいに通った村で聞いたんだけど……本当にある?」
すると男は「あ~……あんた道間違えてるぜ」とまさかの返答。「はぁ!? 間違えるも何も一本道だろ?」と答える俺に「ハハハッ、気付かなかったんだな」と男は笑う。
「その村から少し進むとな、東へ向かう脇道がある。その脇道に入ればすぐにガントって街が見えてくる。この街道から外れる事になるからな、気付かねぇ奴が多いんだよ。ちゃんと立て看板もあるんだが……ま、夜だしなぁ」
「マジか……」
絶句。そして
「今来た道を戻れ。少し行くと左に脇道がある。細い道だから分かりにくいが何とか見つけろ。そんでその脇道を
「本当か!?」
「おう。この街道進んで次の街に行くよりゃガントの方がずっと
おおお……絶望からの神
「そっか。いや、助かったよ。最悪そこらで野宿するつもりだったんだ。ありがとう」
「いいってこった。まぁ気を付けて行けや」
笑顔で見送る男。で、あんたはここで何してんの? と喉まで出かかった言葉を再び飲み込む。何をしていようが良いじゃないか、このおっさんは神なのだ。神様、ありがとう。
「――やぁ!
(……ん?)
川音に紛れて何か聞こえた。気がした、が……? しかし耳に入ってくるのはザーザーと川が流れる音だけ。ん、気のせい。
「――ろぅ!
……やっぱり聞こえる。声だ。男……?
「離せ! 止め……!」
聞こえた。もっとはっきりと。今度は女の声。俺は耳を澄ませながらどこから聞こえてくるのかと、キョロキョロと辺りを探り始める。
「どうした、兄ちゃん?」
男が声を掛けてくる。まぁ当然だろう。その顔には笑みが浮かんでいるが、先程の笑顔よりも少し固い。
「声がね……聞こえるんだけど」
「声? な~んにも聞こえねぇぜ、気のせいだろ」
「いや……」と言いながら俺は
「あんた、ここで何してんの?」
ついさっき飲み込んだ言葉が、今度はするりと口から出た。男は笑みを浮かべたまま、
「兄ちゃん、こりゃお互いの為だ。誰だって面倒事は避けてぇ、そうだろ? あんたは回れ右してガントへ向かい、フカフカのベッドで朝を迎える。そうすりゃ俺は上からドヤされないで済む訳だ。これでお互いハッピー、難しい事は何もねぇ。な? シンプルに行こうぜ?」
男が話しているその間にも「暴れんなコラァ!」などと怒鳴り声が聞こえてくる。これはもう、そういう事なのだろう。
「確かに面倒事は嫌だね。でもなぁ、聞こえちゃってるからなぁ……」
そう言いながら俺はゆっくりと男に近付く。どうやら声は男の背後、街道脇の林? 暗くて良く見えないが、その辺りから聞こえてくる様だ。
「止めようぜ、兄ちゃん」
そう話す男の顔からは笑みが消えた。
「これで最後だ、ガント行きな」
俺は無言で男に近付く。この状況でこの場を離れ、仮にそれをお師匠にでも知られたら、きっと俺は死ぬ程ボコられるだろう。俺はまさにこんな状況をお師匠に救われたのだ、無視出来るはずがない。
「あぁ、全く……仕事増やしやがって!!」
そう怒鳴ると男は右手で腰の剣を抜いた。と同時に左手を前に突き出す。この男、魔導師だ。
シュッ……バババ……!
こちらはそれより早く
(さて……)
俺はユーロの
これは早くしないとマズイか……
「大人しくしろや!!」
男は地面に押さえ付けている女のローブを、その下に着ているブラウスごと引き裂いた。「嫌ぁ! 嫌だ! 止めろ!!」と叫びながら暴れる女。「しっかり押さえとけ!」と男は女の頭側からその両腕を押さえているもう一人の男に怒鳴る。その脇で腕を組み木に寄り掛かっている男が「
「本来そんな時間はねぇって事は分かってるんだろうな? さっさと連中追わなきゃならねぇってのに……」
「うるせぇ!! 今から追いかけた所で追いつけねぇ。こいつらが邪魔しやがったからな!」
バチン!
男は怒鳴りながら平手で女の
「んだぁ、その
バキン!
男は再び女を殴った。今度は拳を握って。
「連中のヤサはいくつか当たり付けてあんだよ。
「盛り上がってる所失礼……お姉さん大丈夫?」
男達は一斉に俺を見る。「何だてめぇ……!」と木に寄り掛かっていた男は腰の剣に手を掛けた。不意討ちしても良かったんだが、その前に確認しておかなければならない事がある。
「え~と、一応確認なんだけど……そういう特殊なプレイ中って事じゃ……ないよね?」
「…………」
沈黙。男達はきょとんとしながら顔を見合わせる。すると女が叫んだ。「そ……そんな訳ないでしょぉ!?」
だよね。分かってた、分かってたよ。でも世の中には色んな
「うおっ!? てめぇ!」
女は一瞬の隙を突いて男達の腕を振りほどくとこちらに向かって走り出した。木に寄り掛かっていた男は剣を抜くと、俺を睨みながら問い掛ける。
「おいてめぇ、街道にいた奴はどうした?」
「街道に? そんなんいたかな……? 寝てんじゃない、夜だし」
「チッ……フォージの野郎……見張りもろくに出来ねぇのかよ……おい! 女ぁ取り返すぞ! 貴重な人質だ!」
男が声を上げると、女に乱暴していた男達もそれぞれに剣を抜きこちらに向かってくる。女は「どなたか存じませんが……お願い!!」と叫びながら俺の背後に走り込んだ。
「あいつらは敵?」
「そうです!」
「殺して支障は?」
「ありません! ある訳ない!」
「分かった、下がって」
俺は右手を前に出す。その動作を見た男の一人が「こいつ……魔導師だぁ!」と叫んだ。警戒した男達の足が止まるのと同時に、まるで夜の闇を切り裂く様な激しい閃光が男達に向かって走る。そして鳴り響くパァーーーーンという乾いた炸裂音。女はその
「……何、これ……」
静かに目を開いた女。そこに広がる光景に
(今の……雷? この人……)
「お姉さん大丈夫?」
「え……あ、はい!」
俺が掛けた言葉にハッと我に返った様に反応する女。
「あ~……」
「え?」
「いや、取り
話しながら俺はローブを脱いで女に手渡す。
「あの……?」
「うん、ちょっとね、目のやり場にね……」
「え…………あ!」
女はそこで気付いた、男に衣服を破られていた事に。
「すいません! お見苦しいものを……」
女は慌ててローブを羽織る。
「いやいや、むしろゴチって感じで……」
「ゴチ?」
「いやいやいや! ね? あ~……少し顔
「いえ、そんな……大丈夫です、これくらい……あ、それよりあの、ありがとうございます! あの、本当に……」
「あ~、いいよいいよ。お姉さん一人?」
「いえ、連れがいました……」
(……いました、か。過去形……)
「彼はそこに……」
女の視線の先には地面に倒れている男。胸から血を流している。恐らくすでに……
「ごめんなさい、セーバ……私が足を引っ張って……」
「お気の毒に……恋人?」
「いえ、同僚です……あの、私はロナ……ロナ・ハートバーグと申します」
「ロナさんね。俺はコウ。コウ・サエグサ。で、あの男達は何者? 賊とか?」
「そう……ですか。知らなかったんですね、連中の事……ブロン・ダ・バセルです」
「…………へ? ぶろん……え? あの、ブロン・ダ……?」
「そうですよね……ごめんなさい、巻き込んでしまって……あの連中と事を構えるなんて、そんなの嫌に決まってる……あの、すぐに逃げて下さい! 私は大丈夫ですので……!」
アルマドを
「あ~、そう……ブロン・ダ、ね……こいつらが、ね……」
が、早速関わってしまった。
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