第286話 獅子身中

「じゃあ、さっきの部屋にいた衛兵はそういう……」


「そうだ。敵だからな、縛り上げた」


 三階へ向かう途中、ダグべ軍内部に敵がいるとバッサムに告げられた。俺が奥の部屋に行っている間に、リンと呼んでいた給仕に聞いたそうだ。ちなみにそのリンはバッサムの仲間だとか。


(確かに気にはなっていたけど……)


 あの縛り上げられた衛兵は何なのか。大方おおかた傭兵の内通者だろう、くらいにしか考えていなかった。


「問題は、果たして衛兵だけなのかって話だ」


 バッサムの言葉にハッとする。そうだ、騎士はどうなのか。騎士団の中に敵がいないとも限らない。


(クソッ……)


 敵だらけだ。傭兵、暗殺者、そして味方であるはずのダグべ軍。ジェスタルゲインという王子はあまりに過酷な状況を生きているのだと、改めて思い知る。



 ◇◇◇



「止まれ!」


 ジェスタのいる部屋に一番近い南東の階段。その階段前で俺達は数人の騎士に剣を向けられた。


「ジェスタさ……ジェスタルゲイン殿下の従士だ。上に上がりたい」


「名は?」


「コウ・サエグサ」


「待ってろ、照会して……」


「コウ!」


 階段の上から声がした。ラベンだ。その状況からラベンは全てを理解した。「仲間だ」と言いながらトトトンと階段を駆け下りる。

 と、ラベンの目がデンバとバッサムに向いた。するりと腰の剣に手が伸びる。


「味方だ、心配ない」


 ラベンが口を開くより先にそう告げた。ラベンは二人を見ながら「……そうか。分かった」と言って手を降ろす。


(へぇ……)


 その様子を見てバッサムは感心した。迅雷は随分と第二王子陣営に信頼されているらしい。じゃなければ、味方だという一言だけで警戒を解くなど愚かな話だ。


「助かったよ。どうしてここに?」


「様子を探っていた。外は?」


「南門は何とか。東がマズいらしい。ロナが向かった。ジェスタさんは?」


「いつもの部屋だ。ジェスタ様の姉君一行が到着している」


「セムリナ殿下だな、会った。今は二階の部屋だ」


 階段を上りながら互いの状況を確認する。三階に上がると廊下の少し先に数人の騎士が見えた。言うならここだ。俺はラベンの腕を掴み立ち止まらせる。「耳を……」と言って身を寄せた。


(ダグべ軍内部に敵がいる)


 そうささやくと、ラベンは細く鋭い目をカッと大きく見開き俺を見た。そして無言でうなずく俺に、小さく「馬鹿な……」と呟く。


(下で衛兵が一人捕らえられた。セムリナ殿下を狙っていた。騎士がどう・・かは……分からない)


 ラベンはクッと前方に見える騎士達に目を向けた。そして再び俺を見る。その目はいつもの細く鋭い目だった。


(セムリナ殿下は?)


(無事だ。護衛もいる)


 ラベンは小さく息を吐いた。


(ジェスタ様にお伝えする)


 そうささやいて進もうとするラベンの腕を、俺はもう一度掴んだ。


(もう一つ。アルアゴスが動いてる)


 一瞬の間。直後、「なっ……!?」とラベンは思わず声を上げそうになり、慌てる様に口を閉じた。先程よりも更に大きく見開いた目。その反応で分かる。ジェスタ達はアルアゴスを知っている。どんな組織で、何をしてきたのかを。


(多分ヴォーガンが雇った。黒いローブだ。下でやり合ったけど、逃げられた)


(……確かか?)


(……ジェスタさんの側を離れない方が良い)


 俺の顔をじっと見るラベン。そしてスッと前を向いた。


「北……北東側が騒がしい。恐らく乗り込まれた」


「分かった。俺が行く」


 そう答えると、ラベンはすぐに走り出した。「こっちだ」と、俺は後ろの二人を先導する。



 ◇◇◇



 ギ……と重そうな扉が開く。扉の両側に立つ騎士に、ラベンはチラリと視線を向ける。

 部屋に戻ったラベンの顔にジェスタは違和感を覚えた。いつもと変わらない、ついさっき部屋を出る時と変わらない表情……よりもほんの少しだけ強張こわばっている。きっとグレバンらでは気付かないだろう。長く共にいるからこそ分かる変化だ。


「ラベン、どうだ?」


 カツカツとこちらに向かい歩くラベン。何かあったのは間違いない。そしてそれは十中八九好ましく事だ。ジェスタはラベンの表情からそう推し量る。

 ラベンはジェスタのかたわらまで近付くと「失礼します」と身をかがめる。耳打ちされたその内容にジェスタは衝撃を受けた。


「……そうか。他には?」


 が、ジェスタは平静を装う。


「コウが戻りました」


「無事か? 外はどうだ?」


「は。南門は問題なく。東は……」


 などと報告を聞きながら、ジェスタはふところから紙切れとペンを取り出し何やら走り書きする。幸いな事に向かいに座るベルカには、何を書いているかは分からないだろう。書き終えると隣に座るグレバンにスッと差し出した。内容を確認したグレバンは無言で紙切れを裏返す。


「それともう一つ。アルアゴスの目が介入しております」


「「 何!? 」」


 ラベンの報告に一同は声を上げて驚く。しかしジェスタは変わらず落ち着いていた。いや、落ち着いていた振りを続けていた。


「……ヴォーガンか?」


 静かに問い掛け、そして気付いた。口の中が乾いている。ジェスタはグラスを手に取るとワインを一息に飲み干した。


「は、恐らく」


 短く答えるラベン。「しょ、少々お待ちを!」とダイナストンが口を開いた。二人のやり取りがそれを前提に進んでいる。真実か否か、その議論が先ではないか。そう思いたまらず割って入った。


「アルアゴスは……壊滅したと聞いておりますが?」


「だが復活したとも聞いている」


 ダイナストンの疑問。即座にグレバンが答えた。「現にあちこちで、不可解な死を遂げる者がいるとの報告がある」と続ける。


「しかしながらラベンよ、確証はあるのかね」


 更にそう話して、グレバンはスッとラベンに視線を向ける。混乱極まる現状で、不確かな情報に踊らされるなどもってのほかだ。が、同時にこうも思っていた。


 我が主は何の疑いもなくラベンの言を信じた。ならば恐らく、そう・・なのだろう。


 ラベンはアルアゴスが介入していると、そう断言した。我が主の側にはべる側近らは皆一流、信頼出来る者ばかりだ。不確かな情報を断言などするはずがない。根拠があるのだ。


「は。コウが下で交戦したとの事。逃げられたとも」


 ラベンの返答にグレバンは驚いた。「待て待て……迅雷がそう申したと?」と聞き返す。「左様に」とラベンは答える。


(第三者の言葉を……鵜呑みしたのか?)


 グレバンは強烈な違和感を感じた。自身で確認する事なく他者の言葉をそのまま伝えるなど、今までのラベンでは考えられない事だ。

 困惑の色を隠せないグレバンを見て、ジェスタは言った。


「グレバン、充分確証足り得る」


(なるほど……)


 グレバンは理解した。我が主にそう言わせる程、迅雷はすでに皆の中に溶け込んでいるのだ、と。


「承知致しました」


 そう答えると、グレバンは次の手を打つ。現状、ある意味暗殺者よりも厄介な問題。だがその暗殺者は利用出来る。グレバンはグッと身をよじり部屋の扉側を向く。


「隊長殿。お聞き頂いた通りに」


 扉の側には数人の騎士がいる。その中の一人、警備担当の責任者。彼はアルアゴスの名を聞き、グレバンら同様大いに驚いていた。


「は……いやしかし、にわかには信じ難きご報告かと……」


 当然の反応。だがそういう事ではない。


「事の真偽は重要。しかしながら、現状その懸念があるというだけでも、動く理由に不足はございますまい」


「確かに貴殿の仰る通りであるが……」


 そう。であるが、なのだ。グレバンが当初抱いた疑問、それと同じ事を彼は考えていた。信憑性は如何いかほどなのか。が、グレバンは仕掛ける。


「騎士団の皆様方には、部屋の外を見てもらいたい」


「は……は?」


 隊長の困惑はもっともだ。イオンザの王子と、何より自国の王女を守る為に宮殿に来たのだ。部屋の外に出るなど本末転倒。だがグレバンは更に仕掛ける。


「傭兵のみならず暗殺者も動いているとなれば、警備の難度は跳ね上がりましょう。まずは外を固める。定石じょうせきと考えますが?」


「ま……まぁ、確かに一理ありますが……」


 たまらず騎士はベルカに目をやった。はい、分かりましたなどと、安易に返答出来るはずがない。


「ここは大丈夫です」


 しかし騎士の思いとは裏腹に落ち着いた、そして良く通る澄んだ声が響いた。ベルカの言葉に騎士は「いえ殿下……それはさすがに……」と困り果てる。


「この部屋には皆様がいらっしゃいます。剣の扱いに長けている方々ばかり……何の心配がありましょうか?」


 にこりと微笑むベルカ。更に続ける。


「そもそも傭兵やら暗殺者やら、そんな不埒ふらちやからに良いようにされているなど我が国の沽券こけんに関わります。王国騎士団の力、その武威ぶいを、示す時ではありませんか?」


 にこにこっと微笑むベルカ。騎士は知っている。この御方のこの笑顔。これはそうせよと、お命じになっているのだ。


「分かり申した……しからば我らは外を守ります」


 この命に従っても、あるいは従わなくても、いずれにしてもどこかからか叱責を受けるだろう。ならば殿下の望むままに。騎士はため息混じりに「外を死守する……行くぞ」と部下らに命じぞろぞろと部屋を出た。


 重々しい鎧達が退室し、何となく部屋が軽くなった様な、広くなった様な。ベルカはふぅ、と息を吐くと「これで……宜しかったのですね?」とジェスタを見て、次いでグレバンらを見回す。


「済まないベルカ。気を使わせた」


 ベルカは若干恐縮した様に「そんなもったいない……」とジェスタを見つめる。


「騎士団の者がいては不都合なその理由、お聞かせ下さいますか?」


(なんと……)


 そこまで見通しておられたとは。単に話を合わせて下さっただけだと思っていた。と、驚くグレバンを見てベルカはくすりと笑う。


「この部屋から騎士を排除しようなどと、さすがに無理がありますもの」


 フッと、思わず笑いが込み上げた。「確かに、その通りですなぁ」と、グレバンも笑みを浮かべる。

 笑顔を見せる二人とは対象的に、ジェスタの顔は固かった。


「ベルカにはいささか……伝えづらいのだが……」


 ジェスタの手が伸びたのはグレバンが裏返した紙切れ。そしてスッとベルカの前へ。かさりと、ベルカは紙をめくる。


「!?」


 声も出せずに固まってしまう程、ベルカの受けた衝撃は大きかった。ゆっくりと顔を上げ、恐る恐るジェスタを見る。すがる様な視線。ジェスタは小さくうなずいた。「そんな……」と呟き、ベルカは再び紙切れに視線を落とす。


 ダグべ軍内部に我らの敵がいる。


 ジェスタの字。綺麗なその文字が、決してあってはならない事実を記していた。


まことに……真にございますか……」


 下を向いたままベルカは問い掛ける。肩が、身体が、小刻みに震えていた。ジェスタはかたわらに立つラベンに視線を送る。「は」とラベンが口を開いた。


「二階で衛兵が一人捕らえられたとの事です。セムリナ殿下を狙っていたと……」


「そんな……!?」


 思わず顔を上げたベルカ。青ざめたその顔を見て、ジェスタは「ベルカ! 大丈夫だ! 姉上は……」とセムリナは無事であると伝えようとする。しかしベルカの耳には届いていない。


「申し訳ございません!! ジェスタ様! 皆様……! セムリナ様を……申し訳……本当に……」


 弾き出される様に飛び出した謝罪の言葉。しかし勢いは続かず、その声は消え入りそうな程小さく尻すぼみになる。居たたまれなさに押し潰されてしまいそうな錯覚を覚え、ベルカは再び俯いた。

 父である国王マベットが宣言した。ジェスタを支持する、力を貸すと。いまだ一般国民には知らされておらずとも、当然軍には周知されている。国王がそう言った以上、これは言わば国の方針なのだ。

 にも関わらず造反者がいて、あまつさえすでに行動に移しているなど……しかも婚約者の姉君を……


「ベルカが謝る事ではないよ。君に何のとががある? それに姉上はご無事だ、何も心配ない」


 ジェスタは改めて、今度はゆっくりと声を掛ける。すると「左様にございます!」とグレバンも続く。


「ベルカ殿下には一片のせきもございません! どうかお顔をお上げに」


「ですが……」


 それでもベルカは顔を上げられない。上げられる訳がない。窮地に立つジェスタの為に何か出来る事はないか、ただそれだけを考えていた。ところがこの有り様だ。国の沽券こけんがどうこうなどと、一体どの口が言っている。これ以上、どんな顔で釈明すれば良いのか。


「恐れながら……」


 と、口を開いたのはダイナストン。ジェスタはすかさず「何だ? 言ってくれ!」と反応する。重苦しいこの空気をどうにかしたかった。


「その件は一先ひとまず……今はここをどう乗り切るか、そこに集中すべきかと……」


しかり!」


 グレバンはパチンと手を叩きながら大きな声で応えた。ジェスタもまた「そうだ、その通りだ!」と賛同。

 ベルカは下を向いたまま「そう……ですわね……」と呟く。そして意を決した様に顔を上げた。


「セムリナ様は……ご無事なのですね?」


 ベルカの視線の先にはラベン。「は。護衛もおるとの事です」と答える。「テムとズマー殿であろう。任せられる」とグレバンが言った。


「……分かりました」


 ベルカはふぅぅ、と息を吐く。セムリナの無事を確認した安堵、自身の至らなさに対する呆れ、取り乱してしまった事への恥ずかしさ……もやもやとする気持ちを吐き出した。そして大きく息を吸う。


「ワーダー卿の仰る通りです、全ては事が終わってから……この件はわたくしの名に掛けて、徹底的に調査致します。将軍も大臣も、役職関係なく徹底的に……それまで、お待ち頂けますか?」


 ジェスタは小さくフフフと笑う。ベルカの目に光が戻った。見かけによらず、彼女は強い女性だ。そういう点では、彼女は姉セムリナに似ている。お飾りの様な王女ではない。もう心配はいらない。


「無論。必要ならばいくらでも私の名を使ってくれ」


 軍の反乱分子を炙り出す。大変な仕事だ。姉を襲われ婚約者の王子が怒っている。そう話すだけでも、引き締めの効果はいくらかあるだろう。


「はい。では存分に」


 そう言ってベルカはにこりと微笑んだ。その顔はいつものベルカだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る