第253話 受難の幕開け
「あの……ジェスタさん、ありがとうって……何です?」
「コウ殿がこの話題を振ってくれたお陰で、ようやく二人に話す事が出来たのです。良い機会もらったと思いまして……」
そこまで話すとジェスタはフッと自虐的に笑い「全く情けない話ですね」と呟く様に小さく言った。
「王位争奪戦は間違いなく内乱となります。では内乱とは
バツが悪そうに、そしてどこか申し訳なさそうに話すジェスタ。内乱を戦い抜く為に非情な指示も出すと、ついさっき彼が語ったらしくない返答。そこに至るまでにはきっと長い
「あるに決まっています!」
ジェスタの
「私にはヴォーガン殿下の
「ミゼッタ……」
「ご自身に価値がないなどと、どうかそんな事は仰らないで下さい。ジェスタ様はただお命じを、敵を
ミゼッタは覚悟を決めた。その強い意志が乗った言葉は、卑屈に硬くなっていたジェスタの心の殻にぶつかり打ち砕いた。同時にフッと、ジェスタはどこか身が軽くなった様な感じがした。
「……済まない、ミゼッタ。感謝する」
ジェスタは右手を左胸に当てる。ミゼッタへ最上級の敬意を払ったのだ。ミゼッタは「そんな、
そんな二人のやり取りを複雑な心境で見ていたロナ。表情を曇らせながら「ジェスタ様……私は……」と口を開くが、その先の言葉がどうしても出て来ない。家と戦うのだと、ミゼッタの様にすんなりと決断が出来ないのだ。ではいざそうなったら、ハートバーグ家がヴォーガンについたらジェスタの
(やっぱり……お姉ちゃんは凄い……)
どうしてこんなにも強いのか。家と、父とも戦えるなどと……果たして迷いはないのだろうか。
「…………」
ロナはただ無言で奥歯を噛み締める。優柔不断な自身への苛立ち。
そんなロナの心の内に気付いたジェスタは「ロナ、そんな顔をするな。今この場で決める必要はないんだ」と声を掛ける。
「今すぐどうこうという話ではない。ゆっくりと考えてくれれば良い、後悔のない様に」
笑顔でそう話すジェスタを見てロナは思う。あぁ、何てお優しい御方なのかと。いずれ敵対するかも知れない
「姉妹だからと言って、必ずしも同じ道を進まなければならないなんて事はないでしょう? ロナにはロナの道がある。そして幸いにも、ジェスタ様はそれをお許し下さると仰っている。良い? 例えどんな道を進む事になろうとも、あなたが私の妹である事に変わりはないわ」
ミゼッタの言葉がロナの胸を打つ。その目には自然と
想いを伝え合った三人。互いを理解し、互いを尊重している。素晴らしい光景だ、よりその絆が強くなった事だろう。しかしまぁ、何と言うか……
「何か……ゴメンねぇ……」
俺は思わず謝った。申し訳なっ! 何これ申し訳なっ! ジェスタとミゼッタが大人で、そしてロナが素直だったから何か最後いい風にまとまったけど、ちょっと間違ったらこれえらい事になってたでしょ! バッチバチのドロッドロになってたでしょ! 危うく人間関係クラッシュさせるとこだったでしょ!! 必要な事とは言えちょっと空気を読まずに質問してしまった事を後悔し、そしたらとにかく申し訳なくなってしまった。
「コウ殿は何も……!」
「コウは悪くないわ!」
「何でコウが謝るの?」
しかし有り難い事に三人は共に俺を
「先程話した通りです、コウ殿には感謝している。これは決して
そう話しニッコリと微笑むジェスタ。相変わらずの男前だ。いや、今に至っては何かもう仏の様にも思える。
「そう言ってもらえるのは有り難いんですが、さすがにちょっと無神経だったなと……」
「良いんです、何の問題もない。今後も気になった事は遠慮せずどんどん発言してもらいたい」
「はぁ……まぁそれで良いのなら……」
俺がそう答えるとジェスタは「あぁ、良かった」と再びニッコリと笑った。しかしすぐにその表情は引き締まる。
「私は城の中しか知らない。つまり経験も知識もまるで不足している。それを指摘してくれる存在というのは貴重です」
ジェスタは静かにそう言った。そしてその瞬間理解した。
(……あ、そっか。何か似てるんだ……)
俺とジェスタは似ている。立っているその環境が似ているのだ。ヴォーガンの目に留まらぬ様に、ジェスタはずっと城で目立たぬ様に過ごしてきた。
(そうだ。だからここにいるんだ……)
先日のダグべ国王マベットとの会談の
「何だ、そうか……フフ……」
思わず小さく笑ってしまった。俺がジェスタに肩入れする理由が分かり、何だかとてもスッキリした気分になった。
「なに笑ってんの?」
涙が引いたロナがキョトンとしながら尋ねる。「ん? いやいや、こっちの話で……」などと話していると、コンコンと広間の扉をノックする音が響いた。「どうぞ〜」とミゼッタが答えるとゆっくりと扉が開く。広間にやって来たのはメイドだった。
「失礼致します」
静かな落ち着いた声。軽く前で手を組み、優雅に
(やっぱいるよね。そうだよね……)
リンは心の中で大きなため息を吐く。ここ数日、第二王子は一日中城で過ごしていた。食事の時間もだ。それは
(城の方が警備が厳重な訳だし、もうずっと城で寝泊まりすりゃいいのに……)
などと心の中で愚痴っているなど微塵も感じさせない完璧な澄まし顔のリン。そんなリンに向かいロナは「リーナァ!」と笑顔で手を振る。しかし絶賛仕事モード中のリンは完璧な澄まし顔を崩さない。が、無視されていると思われるのもまずい。そこでリンは前に手を組んだまま、下の方で小さくパタパタと手を振り返した。リンはハートバーグ姉妹と仲が良かった。真の仕事をスムーズにこなす為には、第二王子の側近に近付くというのは必要
「お寛ぎの所失礼致します、ジェスタルゲイン殿下。お目通りを求めている方が参っております」
「目通り? 誰かな……お通ししてくれ」
リンはスッと脇に避けると扉の奥に向かい「どうぞ」と声を掛ける。すると「は! 失礼致します!」と大きな声と共に一人の男が入室する。その男を見るやロナは「げ……」と声を漏らした。そりゃそんな反応にもなるだろう、俺も内心思ったし。男はロナを
「ご歓談中申し訳ございません、ジェスタルゲイン殿下!」
「ああ、構わないよ。イベール殿……だったな?」
「は! 名を覚えて頂いていたとは光栄に存じます!」
宮殿を訪れたのは弱々バカ軍人、イベール・ザガーだった。ジェスタは軽く右手を前に出す。イベールは「は! 失礼致します!」と声を上げるとスッスッと前へ進み出てテーブルの少し手前でビッと立ち止まる。
「本日はこちらにいらっしゃると伺いまして、
「ああ。で、何用かな?」
「は! 実は……」と、イベールはチラリと俺を見る。何か嫌な予感……
「……実はこちらの魔導師殿を少しお借りしたく存じ……!」
「お断りします」
食い気味に断ってやった。イベールは驚いた様子で俺を見ながら「な……」と絶句している。
「だって殴り合いとか普通にイヤだし」
そう答えるとイベールは「……は? 貴様何を言っている?」と眉をひそめる。
「どうせアレだろ? 軍の訓練場辺りに連れてって、そんでお前の仲間が待ってて、お前気に食わないんだよとか言って、仲間使ってボコッちまおうとか、そんな感じだろ」
「な!? 貴様ァ……俺を何だと思ってやがる!」
「そういう事しそうなヤツ」
「そんなくだらん事するか!」
怒鳴るイベールをジトリと見ながら「ハッ、疑わしいね」と吐き捨てるロナ。
「だってアンタすこぶる評判悪いじゃん。するねこれ、間違いなくするね」
「貴様には話してない! 黙ってろ脳筋ドワーフ!」
すると黙って皆のやり取りを聞いていたミゼッタが突然「プッ……」と吹き出す。
「なぁにロナ、マンヴェントに来てそんなに経ってないのに……もうバレちゃったの?」
「な! バレたって……失礼だよお姉ちゃん! てか脳筋じゃないし!」
にわかに場がガチャガチャとしてきた。俺は話を戻そうと「で、俺をどうしようと?」とイベールに尋ねる。するとイベールはモゴモゴと歯切れ悪く答える。
「別に……まぁ何だ、貴様に
「
「知らぬ事とは言え、貴様の師を侮辱した。その……その詫びだ」
「へぇ〜……」と答えつつ、俺は少し驚いた。こいつにそんな素直な所があるとは思わなかったからだ。「コホン……」とイベールは取り
「と言う事でございます、ジェスタルゲイン殿下。彼をその……夕食に招待したいと思い……その……ご許可を頂きたく!」
ジェスタは「なるほど、そういう事か……」とクスリと笑う。そして「ならば私の許可など不要だよ。コウ殿にお任せする」と右手を俺の方へ向けニッコリと微笑む。「えぇ〜、面倒臭い……」と俺は思わず心の声を漏らした。
「な……面倒臭いとは何だ! ここは分かったと言う流れだろうが! この
真っ赤になって怒鳴るイベール。そんなイベールが
「う〜ん……」
あんまり気が乗らないが、まぁ……詫たいと言ってる訳だし、ここでゴネても……などと考えながら俺はテーブルに両手をついて立ち上がる。
「「 しょうがないなぁ…… 」」
と、
「脳筋、何故貴様も立ち上がる?」
「なぜって、一緒に行くからに決まってんでしょ」
「はぁ!? 何を勝手に決めてるか! 貴様なぞ誘っておらん!」
「アンタみたいのとコウを二人っきりにさせる訳ないでしょ!」
「チッ……今日といいこの間といい……貴様は一体何なのだ! コイツの女か何かか!」
「はぁ!? アンタ何言って……!」
「そうよ」
「「 …………はぁぁぁ!? 」」
俺とロナは揃って驚きの声を上げながら声の主を見た。そうよと答えたミゼッタは澄ました顔でお茶を飲んでいる。「ちょっとお姉ちゃん! 何言って……!」とロナはミゼッタを問い詰める。するとイベールはまるで呆れた様な顔で俺を見て「……人の趣味にケチを付ける気はないがな……もっと他にまともな女はいくらでも……」などと説教し始める。「いや待て、そもそもロナとはそういう関係じゃ……」と当然俺も反論するが、イベールの言葉を聞いたロナはビッとイベールを指差し「おいバカ軍人! 失礼! お前失礼!!」と怒鳴る。と、ジェスタはジェスタで「そ……そうだったのか……知らなかった……いや、それならそうと言ってもらえれば……」などと呟きながら衝撃の事実(嘘)に困惑した様子。ロナはグッと身を乗り出し「ちょ……ジェスタ様! 違います! 違いますよぉぉぉ!」と叫び、ミゼッタは肩を揺らしながら含み笑いを……
もはや収拾がつかん。
◇◇◇
三人が出掛けて先程までの
「ミゼッタ、
ジェスタに
「ですが私はロナの姉として、そうなってくれれば一番良いと思っています。コウはどうか分かりませんが、ロナは満更でもなさそうですし」
「何? そうなのか?」
「
「言われてみれば確かに……ロナがあれ程早く異性と打ち解けた姿は見た事がないな。ラベンやセーバの時でももっと時間が掛かった」
「私はあの
と言いかけたままミゼッタは黙ってしまった。ミゼッタが話し出すのを待っていたジェスタだったが、その沈黙があまりに長く感じた為「……それに?」と待ち切れず問い掛けた。
「いえ……ジェスタ様の治めるイオンザには彼が必要かと。全てが終わったらコウは南へ戻ってしまいますわよ? コウがロナと一緒になれば……」
そこまで聞くとジェスタにはミゼッタが急に黙ってしまった理由が分かった。ミゼッタは国益を考えたのだ。そして見方よってはほんの少しだけ卑劣なのではないかと、そう思えてしまう様な策を頭の中で巡らせた。自身の妹を
「……まぁ言いたい事は分かる。もしそうなれば、コウ殿は北に残るだろうな。そして勿論そうなれば良いとも思うが……しかし本人達の意志が何より重要。それに……出来る限り彼に対しては誠実でありたいと思う」
ジェスタの返答にミゼッタは少し驚いた。妹だけではなく仰ぐべき
「フフ……
笑顔でそう話すミゼッタにジェスタは苦笑いするしかなかった。久々にミゼッタの
「男女の仲などどうなるか分からないか……だがまぁ、程々にな」
◇◇◇
「香草で育ったアッシュボアの肩肉、包み焼きでございます」
ウエイターはそう言いながら俺の前に皿を置く。俺は思った。
(出たな、謎のアッシュボア……)
イベールに連れられて訪れたのは王都の南大通り沿いにあるレストラン。南ダグべの伝統料理を現代風にアレンジした創作料理を出す店だそうだ。
そしてこのアッシュボア。何の肉かさっぱり分からないがとにかく美味い。あちこちで食べてきたがハズレがない。屋台の串焼きですら相当美味いのだ、ここまでしっかりと調理されたものが不味い訳がない。
「この店の出すアッシュボアの肉は国内でも最高ランクのものだ。広い牧場でストレスなく育ち、香草を混ぜた飼料を与える事により肉そのものが非常に香り高く……」
頼んでもいないのにドヤ顔でベラベラとうんちくを語り出すイベール。お前が育てた訳ではないだろに。取り敢えず無視して一切れ口へと運ぶ。
(うぉ……うま!)
はいやっぱり美味い、間違いない。俺の表情を見たイベールは「フン、美味いだろう、当然だ」と再びのドヤ顔。
「本来肩肉は筋肉質で固いのだがな、ベルトーの葉で包みじっくり火を入れる事で驚く程の柔らかさに……」
「うん! 確かに
イベールのうんちくを無視してロナが声を上げる。イベールは「チッ……」と舌打ちする。
「貴様の分は
「うわ……ケチくさ……器が知れるね」
「そもそも貴様は呼んでおらん! 何を図々しい……」
吐き捨てる様にそう言うとイベールは顔をしかめて再び「チッ……」と舌打ちする。
「おいイベール。アッシュボアって何の……」
何の肉なのか。そう聞こうとした所「おい……ちょっと待て!」とイベールは驚きながらロナに怒鳴る。
「貴様それ……そのワイン…………ベルマレットではないか! いつの間に!」
「いい料理にはいいワインが付きものでしょ。何を今更……」
「えぇい、どこまでも図々しい脳筋だ!」
「あ! また言った! 弱々嫌われ軍人のくせに偉そうに……!」
上品な空気が流れる高級店。美味い料理と美味いワインとギャーギャー騒ぐ二人……仲間だと思われたくないな……でも無理だろな、同じテーブルにいる訳だし……
俺は静かに肉を
◇◇◇
ビュウッと強い風が吹いた。イベールは思わず右手を顔の前にかざす。そして目を細め「風が出てきた……雨でも降るか……?」と呟いた。
「おい、早く城に……どうした?」
イベールは振り返り声を掛ける。しかし俺は無言で周りの様子を
騒がしい食事会が終わり南大通りを城へ向け歩いていると、何となくどこか街の様子がおかしい事に気が付いた。いや、様子と言うよりは空気が、と言う感じだろうか。明確にどこがとは説明出来ない。とにかく何となくなのだ。ロナも俺と同じ様に
「おい魔導師! どうしたと聞いている!」
返答がない事に苛立ったイベールは語気を強めて言う。
「いや……イベールお前、何か……」
お前は何か感じないか。そう聞こうと口を開いたその時、ビュゥゥゥッと
ゴォォ……ゴォォォォ……
風は通りや建物の隙間を抜け、
ドォォォン!!
背後から轟音。反射的に振り向くと少し先の通り沿いの建物が、ドドドと音を立て崩れる瞬間だった。
「うわぁぁぁ……!!」
そして運悪く丁度そこを通り掛かった一台の馬車が建物の崩落に巻き込まれた。雪崩の様に崩れたレンガが馬車を飲み込んでゆく。
「な、何だァ!?」
驚いたイベールは慌てて腰の剣に手を掛け、
「おい魔導師! 何をやっている!」
怒鳴りながら駆け寄って来たイベールは俺のローブの肩の辺りをグッと掴む。
「人がいるかも知れん! 何故魔法を……」
イベールがそう声を上げた瞬間「グゴアァァァ!!」とまるで猛獣の
赤黒い肌のオークだ。
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