第171話 巡る因果

「はぁ……呆気あっけないものね。散々悪名あくみょうを撒き散らし、世からうとまれまくっていたこの男も、こうなってはただの肉の塊……」


 両手でテーブルに頬杖を付くシャナ。興奮の余韻に浸るがごとく、しっとりとした目でエクスウェルを見つめる。彼女にとってそれは不思議な光景だった。憎くて憎くて堪らなかった男、殺したくて殺したくて堪らなかった男が目の前で事切れている。椅子の背にもたれたまま首をかくりと下に垂らし、真っ赤な血をしたたらせているのだ。エクスウェルは間違いなく死んだ。しかしどこか、まるで夢でも見ているのではないかと、そんなふわふわとした感覚に包まれていた。


「希望通りだ、これで半分……」


 と、エクスウェルを刺した男は静かに口を開いた。


「そうね……」


 と、シャナも静かに返す。


 やがてシャナのふわふわとした感覚が現実に追い付いて行く。徐々に焦点が合って行くかの様に、少しずつ、少しずつ……そしてこれは現実なのだと目の前の光景を飲み込む事が出来ると、今度はじわじわと怒りの感情が湧いてきた。


「こんな肉の為にどれだけの人間が……一体どれだけの人間が犠牲になったと……どうしてお父さんが……お母さんも……こんな……! コイツのせいで!!」


 シャナはギッ、とエクスウェルを睨む。そして目の前にある飲み掛けのワイングラスを手に取るとビジャッ、とエクスウェルの頭目掛けてぶちまけた。しかしそれだけでは気が収まらず、おもむろに席を立つとツカツカとエクスウェルの横へ進む。そして両手でスカートを摘まみ軽くたくし上げる。


 ドガッ!


 シャナは思い切りエクスウェルを右足で蹴り飛ばした。椅子から床へ崩れ落ちるエクスウェル。しかし寸前、男はエクスウェルの身体を掴まえる。そして静かにその身体を床へ転がした。


「音を立てるな、バレるぞ」


「そう……そうよね……済まなかったわ、つい腹が立って……」


 ふぅぅ……と息を吐くと目をつむり気を落ち着かせるシャナ。


「本当はね、焼き殺してやりたかったのよ。私の家族が、街の人達がそうされた様に……でもここで火を放つ訳にはいかないものね。知ってるかしら、この肉のせいで丸ごと灰になった街の話……」


「エミンか?」


「ええ。エミンの大虐殺……私、エミンの出身なの」


「…………」


 エミンの大虐殺。エクスウェルがジョーカー団長に就任してすぐに起こした大事件だ。この事件を切っ掛けに、ジョーカーは危険な集団だと世間に認識される様になる。


「私の家はエミンで裁縫店を営んでいてね、お母さんだけじゃなくお父さんも職人だったの。男のくせに裁縫なんて……って言う人もいたけれど、お父さんは腕が良いって評判だったのよ。エミンだけじゃなく他所よその街からも注文があったくらいでね、店は繁盛していたわ。当時まだ子供だった私はあの虐殺の前日、隣街のおばあちゃんの家に遊びに行っていたの。ちょうどおばあちゃんに頼まれていたキルトの膝掛けが完成したから、それを届けるついでにね。翌日、エミンに戻って呆然としたわ。街全体がね、まるでかまど・・・の中みたいにホウボウと燃えていた……私は家が心配で街の中に入ろうとしたの。そうしたらエミンまで運んでくれた乗り合い馬車の御者ぎょしゃさんが私の腕を掴んだわ。お嬢ちゃん、街に入ったら死ぬぞ! って……」


「…………」


「結局私は何も出来ず、街の外で泣きながら一夜を明かした。私と同じ様に街に入れず外に居た人も沢山……翌日、異変を聞き付けたおばあちゃんがエミンまでやって来て私を見つけてくれたの。そのまま二人でおばあちゃんの家に戻ったわ。いつ街に入れる様になるか分からないから」


「…………」


「それから四日経って街の火が鎮火したって話を聞いたの。そしておばあちゃんと二人、エミンに向かったわ。私はね、確信してたの。お父さんもお母さんもお姉ちゃんも、皆絶対生きてるって。根拠なんてないわ、子供が考える事だもの。でもね、そんな訳がなかった。エミンに着いて、家に向かって、私は愕然がくぜんとした……もうね、何が何だか……全部が真っ黒。目に映る物全てが真っ黒なの。どれがお父さんで、どれがお母さんか……黒い塊だらけで全然分からない……」


「…………」


「それから私はおばあちゃんと暮らす事になったわ。それでも私は待っていた、いつかお父さん達が帰って来る、そう信じて。けど、大きくなってくるとさすがに理解するわよね、皆はもう死んだんだって。同時に噂は嫌でも耳に入ってくる。あれは単なる火事じゃない、街の人達は皆殺しにされて、その上で火を放った者がいる、あの惨劇を引き起こした悪人がいる……エクスウェルっていう傭兵だ、って……」


「…………」


「その内におばあちゃんが亡くなって、私は色々考えたの。でもね、どう考えても他の答えが見つからなかった。私が生きているのは偶然じゃなくて生かされたんだ、私にはやるべき事があるんだって、そうとしか考えられなかったわ。そして一つの決意をするの。家族の、街の人達の……ううん、エミンの仇を討つ為に、私は生きている……エクスウェルを殺すんだ……ってね」


「…………」


「上手くジョーカーに潜り込んだ私は事務かたとして働く様になった。そして程なくしてエクスウェルの側付きなり、秘書の仕事を始めたわ。チャンスはね、いくらでもあったの。二人でいる時間が長い訳だしね。いつもふところにナイフを忍ばせていたわ。でもね、この男、強いって評判だったのよ。戦い方も知らない小娘が刃物を振り回して殺せる様な、そんな簡単な相手じゃないって悟ったわ。だったら次は毒でも盛ってやろうと考えた。でもすぐに思い直したの。そんな楽な死なせ方では駄目だって。追い詰められて、そんな中希望を見出だし、ふっと上を向いたその時に殺してやりたい。希望のあとの絶望、希望の後の死……フフ、最高でしょ?」


「…………」


「毎日毎日、毎日毎日、ただひたすらにその時を待ったわ。もうね、気が狂いそうになるくらい……目の前に殺したい相手がいる、でも手は出せない、出してはいけないの。舞台が整うその時までは……必死で耐えて、必死で待ったわ。そうしたらここに来て、ようやく思い描く展開になってきたの。この男を良く思わない者が声を上げ、兵を挙げた。東へ流れたこの男はクーデターに失敗し、いくさにも負けた。それでも団員を集めて数を揃え、抗争を収める算段を付けた。まさに今、その時……でしょ?」


「…………」


「フフフフ……」


 終始黙って自分の話を聞いている男の姿を見て、シャナは思わず笑ってしまった。


「どうした、話は終わりなのか?」


「あぁ、ごめんなさい。貴方優しいわね。こんな話、貴方にとってはどうでも良い話じゃない? なのに黙って聞いてくれるのね……」


「それ込みの、依頼だと受け取った」


「フフフ、そう。やっぱり優しいわ、来てくれたのが貴方で良かった……さて、折角せっかくいい気分だしこの気持ちのまま終わらせたいわね……」


 そう話すとシャナは軽く両手を広げて見せる。


「本当に、良いのか?」


「それ込みの依頼をしたつもりよ。いくら事務かたと言えども傭兵の仕事ですもの、人殺しの手伝いをしてきた事に変わりはないわ。むくいは受けるべきだと思わない? それに、これ以上……私に一体何があるの……」


「……苦しまぬ様、一突きで」


「フフ……やっぱり優しいわ」


 男は静かに腰のナイフを抜く。そのナイフを見たシャナは思わず「あぁ……」と声を漏らしうっとり見入ってしまった。恐らく本来は宮廷などでの儀式や祭事に使われる物なのであろう。さやつか剣身けんしんにまで細かく豪華な装飾が施されており、エクスウェルを刺したそれとは大違いの美しいナイフだった。


「綺麗……」


 そう呟き、シャナは静かに目を閉じる。そして男はシャナの胸の真ん中をトン……とナイフで突いた。瞬間、シャナは膝から崩れ落ちる。男はシャナを抱き抱えると静かに床に寝かせた。そしてふところから白い布を取り出すとナイフの刃を包むように当て、血を拭いながらすっ、とナイフを引き抜いた。

 使用するナイフを変えたのはこの男なりの気遣いだったのかも知れない。憎む相手と同じ死がシャナに訪れない様に、と。しかしそれを確かめるすべはないだろう。何故なぜなら男は恐らく、誰にも話さないだろうからだ。


 男は壁に掛けられている灯りの魔法石に順に手をかざして行く。部屋を照らしていた柔らかな光は次々と消え、包み込むのは暗闇と静寂。


 そして男は静かに窓を開ける。そしてふと部屋を振り返る。


「…………」


 床に転がるのは二つの亡骸なきぎら。男にとってはいつもと同じ、いつも通りの仕事だ。依頼人の心情に触れるのも珍しい事ではない。


 すっ、と男は窓の外に消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る