第188話 繋がり

「ふあぁぁぁ…………わふぅ……おぉ、涼し……」


 大あくびをしながら三番隊宿舎の外へ出る。起きたばかりでまだ半分眠っているぼんやりとした頭の中を、優しく刺激するかの様にふぅぅ……と心地好ここちよい風がほおをかすめた。夏が近いのか、日中は少し動くと軽く汗ばむくらいに暑くなるのだが、さすがに日が落ちると気温が下がり途端に過ごしやすくなる。


 そう。起きたばかりで、と言いながらすでに日は落ちている。夜だ。しかしまだ深い時間ではない。宿舎も含め、本部棟にはまだ明かりが灯っており、三番隊の面々も武器の手入れをしたり賭カードをしたりと、宿舎内で各々好きに過ごしている。


 何故なぜこんな時間に起きてしまったのか。それは当然、おかしな時間に眠ってしまったからであって、ではそもそも何故なぜそんなおかしな時間に眠ってしまったのかというと、答えは簡単、単純である。軽く昼寝のつもりがしっかりと爆睡してしまっただけの事だ。

 今日は午前中から街をブラつき、旅立ちの準備の為諸々もろもろの買い物をした。出来るだけコンパクトに荷物をまとめる為、あちこちの店を回り念入りに品物を物色した結果、始まりの家へ戻る頃にはすっかり疲れ果ててしまっていたのだ。そこで夕食まで少し寝ようかと昼寝をしたところ起きたら真っ暗だった、という訳だ。


(風呂入るかな……いや、先に晩飯か。でも食堂はなぁ……)


 すでに皆夕食を食べ終えてしまっている時間だろう、食堂に行っても残り物しかなさそうだ。ならば街へ出てどこか店にでも入ろうか? などとぼんやり考えながら、宿舎の脇に置いてあるベンチに腰を掛ける。


(お、満月……じゃない。少し欠けてるか……)


 ふと夜空を見上げると月が出ていた。上側が少しだけ細く欠けている月、満月の様な月。月を見れば思い出すのだ。十五夜の夜、自宅マンションのベランダから家族皆で月を眺めた、という温かい記憶。そして同時にどうしても思い出してしまうのだ。壊れてしまった後の、バラバラになった家族の記憶も。


 平凡な家庭がとあるきっかけで壊れてしまう。なんて、映画やドラマにありがちなシチュエーションだが、それが実際に自分の家で起きてしまうとなどとは夢にも思わなかった。しかし誰かに愚痴ぐちりたいとか、共感してもらいたい、同情してもらいたいなどという気持ちは微塵みじんもない。ゆえに、必然的に家族の話を人にする事はない。この世界に飛ばされてからは尚更なおさらだ。この世界に来て家族の話をしたのは一度きり。レイシィただ一人だけだ。

 レイシィに弟子入りし彼女の家に住む様になり、元の世界の話を色々とした。その中には家族の話もあった。話を聞いたあと「そうか、済まなかったな」と、レイシィは静かにそう言った。辛い話をさせて済まなかった、という事なのだろう。しかしそれは的外れな謝罪だ。何故ならば、戦災孤児だったレイシィの方が余程大変な人生を過ごしてきたのであろう事が、それはもう容易に想像出来るからだ。エリテマ真教の大司教、ルビング老師に拾われていなければ、今頃は生きていたのかどうかも怪しいくらいだと、レイシィはそう話していた。

 そしてレイシィに限らず、この世界の人々が味わう人生にいての辛さというものは、俺が経験してきたそれとは比較にもならない程重い。突然降って湧いた様に訪れる特大の不幸に、この世界の人々はす術なくじ伏せられる。常に死がその身のかたわらにある世界、俺の抱えている不幸程度と比較するなんて申し訳ないと、そう思ってしまうくらいだ。だと言うのに……


(何をいつまでも……未練がましく……)


 思わず月を睨んでしまう。今更だ。今となってはもうどうする事も出来ない。この世界に飛ばされてしまった今となっては、何をどうする事も出来ないのだ。にもかかわらず、それでも厄介な事に月を見るとどうしても思い出してしまう。まだ壊れる前の温かかった頃の家族の記憶と、同時に壊れたあとの殺伐とした家族の記憶を。


(ん……?)


 ふと見ると、少し先にこちらを向いてたたずんでいる人影がある。俺がそれに気付くと、その人影はゆっくりとこちらに近付いて来た。そして月明かりに照らされたその人物はいつもの様に「はっはっは」と笑った。


「やれやれ、ようやく捕まえたぜ。最近お前、外出歩いてたろ? 姿が見えねぇから探すのに苦労したぜぇ」


「ゼルか。どした?」


「おいおい、どしたってなこっちのセリフだぜ。なんか月に恨みでもあんのかぁ? 見たこともねぇ面で睨んでたからよ、声掛けんの躊躇ちゅうちょしちまった。お月さんもお前にうとまれる理由が分かんねぇと困っちまうだろうよ」


「ああ……いや、何でもないよ。そっちは忙しそうじゃない?」


「まぁな。あれやこれやとやる事が多い。そのくせどんだけ仕事をこなしても全然その量が減らねぇ。全くどうなってんだか……でもま、ようやく一段落ついたんでな、明日からしばらく地方回りに行ってくる」


「地方?」


「おう、各支部の視察だ。状況確認して、各街の偉いさんにも挨拶しとかねぇとな」


「そっか。じゃあアレだ、ようやくシスカーナさんと会える訳だ」


「ああ。アルマドに戻ってからすぐにシスカーナから書簡が届いてな。今すぐ自分を始まりの家へ呼び戻せ、出来なきゃ早く北に来い、っつってよ……」


「あ~はいはい、ノロケノロケ……」


「はっはっは。まぁそんなんだからよ、今日の内にお前と話しときたかったんだ」


 そう言うとゼルは俺の隣に腰掛け、持っていた革袋をグッと俺の前に突き出す。「何これ?」と言いながらその革袋を受け取ると、見た目とは釣り合わないズシッとしたその重さに思わず「うおっ!」と驚きの声が漏れた。そんな俺の様子を見ながらニヤリと笑うゼル。革袋の口を開けると、中には月明かりで鈍く光る金貨がみっちりと詰まっていた。


「お前……これ……」


「約束の報酬だ。文字通り命を張った対価としてはこの程度しか渡せねぇのが申し訳ねぇが……これが今出せるジョーカーの限界だ、勘弁してくれ」


「いや……いやいやいや、これお前……多すぎるだろ!?」


 多すぎる。その言葉を聞いたゼルは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、そしてすぐに「はっはっは」と笑う。


「欲がねぇな。俺がお前の立場だったらその倍は要求するぜぇ? 前々から思ってはいたがお前はちっと大人しすぎる。もっと自分ってもんを出してもいいんじゃねぇか? でもまぁ、この額に納得してくれるんならこちらとしてはありがてぇ」


 そう話すとゼルはスッと姿勢を正す。そして普段のあまり見せる事のない真剣な目で俺を見つめる。


「コウ。お前には本っ当に世話になった。お前が居たからこそ今の俺がある。間違いなく、そう断言出来る。改めて礼を言う」


 そんなゼルの真っ直ぐな謝意しゃいに気恥ずかしさを感じた俺は、「いいよ、そんなの……」と金貨を眺める振りをしながらそう呟き、そしてすぐに話題を変える。


「出会いから殺し合いした相手に、そんなしっかりと礼を言われる様になるとは思わなかったよ」


「はっはっは、全くだな。でもお前、ありゃ殺し合いってより一方的にこっちが殺されかけたんだぜぇ?」


「何言ってんだ、そっちが悪かったんだから……」


 そうしてしばし、昔話と言うにはそこまで古くはない、少しだけ昔の話で盛り上がった。



 ◇◇◇



「さて……お前、行くのか?」


 ひとしきり話した後、ゼルは突然核心を突いてきた。恐らくゼルはこれを聞きたかったのだ。そして俺もこれを話さなければいけないと、そう考えていた。


「…………」


 が、言葉がすぐに出てこない。


 報酬は貰った。貰ってしまった。これでこれ以上、始まりの家に留まる理由がなくなった。そして何より、これは最初から決めていた事だ。

 とは言え、せっかく生まれた繋がりを自分の手で切らなければならないという、そんなひど勿体もったいない事をしなければいけない事に躊躇ちゅうちょしている自分がいる。バラバラになった家族の事を思い出したからという事もあるのだろう。しかし、これはもっと単純な話なのだ。単純にこの悪名高き傭兵団、ジョーカーの居心地が良かったからに他ならない。このままここに残り、外から見ただけでは絶対に分からなかったであろう気の良い仲間達と、様々な仕事をこなしながら生きてゆくという選択肢も当然ある。だがここを終着と定めるには早すぎる。そう思うくらい俺はあまりにこの世界の事を知らない。


「……行くよ。最初からそう言ってたろ?」


 俺がそう答えるとゼルは下を向き「はぁぁ……」と深くため息をついた。


「だよなぁ……分かってた、分かってたぜぇ? ま、しょうがねぇ。この上なく残念だがしょうがねぇ。最初はなっから出てくんだろうなとは思ってたからよ……」


 どこか自分に言い聞かせる様にぶつぶつと呟くゼル。そして再び顔を上げると「でもよ、返答にがあったって事は、ちっとは迷ったって事だろ? まぁ今回はそれで納得しといてやるよ」とニカッと笑った。そして更に「だがこれだけは覚えといてくれよ」と言葉を続ける。


「この先進む道を見失ったり、行く宛がなくなったりしたらよ、いつでもいい、アルマドに戻ってこい。始まりの家はいつだってお前を歓迎する。いいか、忘れんなよ?」



(あぁ……そうか……)



 ゼルの言葉を聞いて、俺はひどい勘違いをしている事に気が付いた。繋がりを切る訳ではない。そもそもその必要がない。ラスカもそう、エス・エリテもそう、そしてここ、始まりの家もそう。繋がったまま、俺は少しの間外へ出掛けるだけ。いつ、どこに帰っても良い。別に行ったっきりの旅ではないのだ。そう考えたらここを去る後ろめたさの様な、後ろ髪を引かれる様な、そんなもやっとした気持ちがスゥ~……と晴れてゆく気がした。


「分かった。覚えておくよ」


「はっはっは、それでいい。んで……イオンザだったか、目的地は?」


「ああ。ルビング老師にね、向こうの職人に武器でもあつらえて貰えって紹介状を渡されたんだ。でもここで良い短剣貰ったからどうしようかと思ったんだけど……ま、せっかくだし行ってこようと思ってね」


「そうか……北に行くならよ、ブロン・ダ・バセルにゃ気を付けろ」


「ぶろん……だ……何?」


「ブロン・ダ・バセル。北を縄張りにしてる傭兵共だ。俺が言うのも何だがな、連中はすこぶる評判がわりぃ」


「確かに、ジョーカーの団長が言うのも何だな」


「分かってんよ、悪名にまみれた俺達が言う筋合いじゃねぇってのはな。でもな、ジョーカーの名をおとしめたエクスウェルに唯一美徳びとくって呼べるもんがあったとすりゃあ、それは金にだけは正直だったってとこだ。貰う場合も払う場合も、そこだけはキッチリしてやがった。だが連中は違う。契約違反に騙し討ち、時には依頼者さえ襲って己の利益を追及する。筋も仁義もあったもんじゃねぇ。アイツらに比べりゃあ俺達は大分だいぶまともってもんだ」


「そんな滅茶苦茶な連中がどうして生き残ってる? 周りから支持を得られなきゃ存在なんて出来ないだろ?」


「噂ではな、とある国が後ろ楯になってるって話だ。民間組織ではあるが、実際の所はその国の尖兵せんぺいとしてあれやこれやと動き回ってるらしい。だからなくならねぇのさ。いいか、連中とは極力関わるな。万が一事を構える様な事態におちいったら、情けはかけず徹底的にやれ。それが自分の身を守る最良の手段だ。半端に動いたら付け込まれるぜ?」


 この男がそこまで他者を悪く言うのは珍しい。それだけ厄介な連中と言うことか……


「忠告、受け取っておくよ。さてと、んじゃ晩飯でも食べに行くかな」


 そう話ながら腰を上げる俺を不思議そうに見つめるゼル。


「晩飯って……こんな時間にか? てかまだ食ってないのかよ?」


「昼寝してたら寝過ぎちゃって、さっき起きたんだよ」


「はぁ!? 昼寝だぁ!? 何だそれ、優雅な生活しやがって。どこの貴族だよ!?」


「ははっ、一緒に行くか? 金はあるから酒でもおごるぞ?」


「いいや、止めとく。明日早ぇんだよ。次回に持ち越しだ」


「そっか、分かった。じゃな」


「おう、明日も暑くなりそうだからよ、まぁ気を付けろ」


(勘が良いな……)


 そう思いながら街へ出る為南門へ向かう。明日も暑くなる。ゼルが発したその言葉が全てを物語っていた。ゼルは気付いたのだ、俺がいつ出発するつもりなのか。


 明日早朝、北へ向かう。

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