第110話 読み

 ベーゼント共和国北部の街セグメト。


 のどかな田舎街といった風情ふぜいを漂わせる小さな街。住人達は皆おおらかで優しく、時間の流れさえゆったりとしているような、そんな錯覚さえ覚える。しかし住人達は誰も気付いていない。りにもってこんな田舎街に悪名高き傭兵団ジョーカーの隠れ家があろうなどと。


 旧市街にあるアパート、その二階の部屋の窓から外を眺める。小さな街だが決して活気がない訳ではない。細い通りを荷馬車が行き交い、その間を縫うように人々も忙しなく歩いている。そろそろ夕刻だ、家路へ急ぐ人、夕飯の買い出し、様々な目的があるのだろう。


 平和で穏やかな街。だがそんな街の情景も、今はとても恨めしく感じ苛立ちを募らせる。やる事がない、いや、やれる事がない。ただただ時間が過ぎるのを待つのだ。苦痛とも言える無の時間が。


「なんてぇつらしてやがる……」


「……何の用だよ、ブロス」


「用なんてねぇよ。俺にも、てめぇにも、誰にも、だ。やる事がねぇんだから、用なんてある訳がねぇ。にしても……ひでぇつらだな」


「そうか?」


「今にもこの街丸ごと吹き飛ばしちまいそうな……そんな面だ」


「何をバカな……お前だって似たようなもんだろ。ここに来てからずっと眉間にシワが寄ってる。今にもザクッと人でも刺しそうな面だ」


「ハッ! 皆同じ様な面してるってか……まぁそりゃそうだ。全く、いつまで待ちゃあいいんだかな……」


 ライエに追い付く事が出来ずこの街に入って三日が経っていた。その間諜報部員達はライエの行方を追っている。が、今の所は何の報告もない。報告がないという事は動きようがないという事。皆やきもきしながらこの隠れ家での時間を過ごしている。と、不意に部屋のドアが開く。


「コウ、ブロス」


 ドアから顔を覗かせたのはゾーダだ。


「ユーノルが呼んでる。何か分かったようだ」


 呼ばれたのは諜報部員達がブリーフィングで使用している部屋。部屋に入ると中央の大きなテーブルにはこの辺り一帯の詳細な地図が置いてあり、その地図を囲むように他のメンバー達はすでに集まっていた。


「皆集合したな、始めよう。早速だがライエの足取りと、それを取り巻く様々な状況が見えてきた」


 ユーノルは地図を指差しながら説明を始める。


「俺達がルミー渓谷を迂回している間にバルファに入ったライエは、副支部長のキュールらと共に……ここ、トルムへ向かったようだ」


「トルムぅ? ここに何がある?」


「ライエの弟がいる学園がある。彼の安否を確認しに行ったのだろう」


 ブロスの問いに簡潔に答え、ユーノルは話を続ける。


「そしてすぐにまた移動を始めた。ライエ達はエラグに入国したようだ。ベーゼントとエラグを結ぶ西道せいどうから入り、その後更に北道ほくどうへ向け移動したのを確認している」


 エラグは山々に囲まれた山岳国家だ。平地へ抜ける道はいくつかあるが、東西南北にそれぞれ主要な街道がある。


「北道の先、エラグ国境にはスティンジ砦がある。恐らくここに配属されたのだろう」


 ユーノルは話ながら地図上のスティンジ砦がある場所をトントンと指で叩く。そしてその指をスッと横へ滑らせる。


「エラグ・エイレイの主戦場はこの辺り、間違いなく東側だ。すでにエクスウェルが陣を張り、エイレイ軍も集結中らしい。東道とうどうにあるエバール砦、ここはエラグが守る砦の中でも一番でかくて頑丈だ。ここを落とせばエラグに相当な心理的圧力を与える事が出来る。故にエクスウェルは是が非でもこのエバール砦を落としたいはずだ。よって必然的に、東道へは主力部隊をぶつける事になるだろう。とは言え、一点集中の力押しでは時間も掛かるし効率も悪い。定石じょうせきに照らせば複数箇所への同時攻撃が有効。東道とうどう南道なんどう、そして北道ほくどう。エラグは軍の規模が小さい。少ない兵を更に分散させるとなると、それだけでエラグにとっては結構な負担になる。

 以上を踏まえると、エクスウェルが北道のスティンジ砦に送るのはエラグの兵力を散らす為の陽動部隊。陽動部隊ならば、大規模な編成にはならないだろう。と、エラグ側は見ているはずだ」


「なるほど……アーバンはエクスウェルの考えを見抜いている、と」


 腕組みをしながら呟くゾーダ。すぐさまユーノルが補足する。


「アーバンではなくテグザが、だろうな。テグザは元々エクスウェルの右腕だった男だ。エクスウェルのやり口は熟知している。ま、その逆もまたしかりだ。エクスウェルもまた、テグザを良く知っている。だから双方相手側の策の読み合いになっているんだ。そしてそれら全てを俺達が読み切る。さて、じゃあ小規模な陽動部隊に対しライエを配属した理由は?」


「そりゃあれだろ、こうやって……砦の内側に引き込んでから一網打尽にするつもりだ」


 ブロスは地図上を指でなぞりながら答える。


「ああ、多分そのつもりでライエを配属したんだろう。敢えて守備を緩めて砦を破らせ敵部隊を北道へ誘引ゆういん。ライエが仕掛けておいた設置型魔法で……ボン。狩猟蜘蛛の能力を十二分に引き出せる上手い手だ。これでスティンジ砦の守備兵の数を抑えられる。なるほど、良く考えたと感心するな。当初俺達はライエはここに配属されると予想していた」


 ユーノルはトン、と地図に指を置く。その場所は今いる街セグメトの北東、エラグ・ベーゼントの国境付近。エラグを囲う山脈のふもと辺りだ。


「山脈の切れ間、大陸東側と中央とを結ぶこの交易路。東から中央へと向かう途中、スティンジ砦を越えた辺りで南西方向へ進むとこの旧街道に入る。この道は東側からベーゼント共和国へ入る近道なんだが、何分なにぶん道が狭い上に荒れている事から、古くから龍の背なんて呼ばれている街道だ。少しばかり遠回りになるが、ここより西側に広く安全な街道が整備された為、今ではこの街道を利用する商人は少ない。せいぜい時間を惜しむ旅人が使うくらいだ」


「んで、この……龍の背ぇ? ここに配属されると思ってたって事は、エクスウェル側がこっからバルファに攻め込むって……諜報部はそう見てたって事か?」


「そうだ、ブロス。エラグを落とすというのはこの上なく大きな成果だ。しかしそれだけでは満足しないだろう。エクスウェルってのは貪欲どんよくな男だ。獲れるものは何でも獲る、そうやってジョーカーをでかくしてきた。エラグを攻める裏で別動隊を派遣しバルファを急襲する、そのくらいの事はするだろう。敵が構えている盾をボコボコ殴り付けて注意を引き、死角からそっと手を伸ばし急所を一突き。エクスウェルとラテールが良く使う策だ」


「しかしライエはここに配属されなかった。読みが外れたという事か?」


 ゾーダの問いにニヤリとしながら答えるユーノル。


「ところがそうとも言い切れない。テグザが手勢を引き連れバルファを出たとの報が入ってきた、しかも北東方面にだ。このタイミングでテグザはどこに向かうのか……?」


「ではやはりここ、龍の背か」


 ゾーダは人差し指で地図上に丸く円を描く。


「恐らくな。やはりテグザも敵の別動隊がある可能性を考慮している。ではテグザ自ら龍の背に向かう意味は?」


「ふぅ、そりゃあれだ、テグザじゃなきゃ抑えられねぇようなヤバい奴が来る可能性があるから……だろ」


 若干苛つきながら答えるブロス。回りくどい受け答えをするユーノルにイライラしだしている。しかしユーノルはそんなブロスの腹の内を無視して畳み掛けるように質問をぶつける。


「そのヤバい奴ってのは誰だ?」


「チッ……面倒臭ぇ、何でいちいち聞くんだよ……」


 ガシガシと頭をかき、苛立ちを隠せないブロス。皆が苦笑する中、面倒臭そうに答える。


「そりゃアイロウだろ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る