第113話 開戦前

「ライエ、この辺だ」


 スティンジ砦の後方、王都エラグニウスへと続く通称北道ほくどうと呼ばれる街道。エラグニウスは山道を進んだ先にある盆地に広がる都市である。それゆえどの街道も登り坂が続いているのだが、とりわけこの北道ほくどうは傾斜がきつく、整備も行き届いていない為道幅も狭く荒れている。必然的に利用する者の数は他の街道より少ない。道の両側は木々と岩場が交互に現れるような荒涼こうりょうとした雰囲気がある。


 早朝、ライエはアルガンらバルファ支部所属の団員数人と、砦を出て少し進んだこの場所を訪れていた。夜明け前まで降っていた雨のせいで道はぬかるみ歩きにくい。だが日の出と共に雨は上がり今は晴天。数時間もすれば地面は乾き歩きやすくなるだろう。


「この辺から砦の少し後ろ側まで罠を仕掛けてもらう」


 アルガンは今立っているこの場所からすぅ~っと腕を動かし、少し下に見えるスティンジ砦までを指差す。


「結構範囲が広いが……大丈夫か?」


「問題ない」


 ライエは短く答える。


「規模はどのくらい?」


「敵を確実に仕留められるくらいだ。ライエの罠が発動したらここから少し上、あの森に伏した伏兵が突撃、生き残った敵兵を刈り取る。それで第一段階は終了だ。その後は砦の守備をエラグ兵に任せ、俺達ジョーカーは砦から出陣して南西へ、龍の背に向かう。そこでバルファを狙いに動いている敵部隊をテグザ達と挟撃だ。多分……敵はアイロウじゃねぇか、って話だ」


「そう。やっちゃっていいの?」


「ああ、構わねぇ。始めてくれ。ちなみみに……一度仕掛けたらどのくらい持つ?」


「一週間でも十日でも……それ以上持たせたいなら定期的に確認は必要。ちゃんと魔法が生きてる・・・・かどうか……」


「そうか、問題ねぇ。多分開戦まで一週間も掛からねぇよ。この作戦を上手くこなしたら、真の意味でテグザもお前を仲間と認めるだろう。そうしたら今よりもっと自由に動けるようになる。もう少しの辛抱だぜ?」


(……どうだか)


 ライエは無言で魔法の設置を始める。



 ◇◇◇



 その夜。暗闇の中、ライエが魔法を設置した街道に二人の人影があった。


「こっから上だ……なるべく手早く済ませな」


「本当に大丈夫なの……?」


「心配すんな。警備は薄くしてある、誰にも気付かれねぇよ」


「…………」



 ◇◇◇



「クライール将軍!」


 長い軍列の横を駆け抜け、叫びながら移動中の馬車に馬を寄せる兵。馬車の小窓が開く。


「何用か!」


 小窓から顔を覗かせたのはクライールの側近。騎馬の兵は腰に下げた革袋から丸めた書簡を取り出し、クライールの側近に見せる。


「エラグニウスより、至急クライール将軍にお渡しせよと!」


 側近は小窓から腕を伸ばす。


「受け取ろう!」


「はっ!」


 騎馬の兵は走りながら側近に書簡を手渡すと「しからば、ご武運を!」と叫び、馬の脚を緩めるときびすを返し王都方面へと土煙を上げながら走り去る。


 クライールは一万の兵を引き連れ王都エラグニウスを出立しゅったつ東道とうどう南道なんどうのそれぞれ先にあるエバール・ピネリ両砦へ向かう途上とじょうにあった。


「閣下、これに……」


 側近は馬車内の向かいに座るクライールに受け取ったばかりの書簡を差し出す。「うむ」とクライールは書簡を受け取り、封蝋ふうろうを割ると書簡を広げ中を確認する。そして小さく「おぉ……」とうなった。


「いかがされましたか?」


 側近の問いにかすかに笑うクライール。手にしていた書簡をスッと側近に手渡す。


「よろしいので?」


「構わん」


 側近は受け取った書簡に目を通す。そしてクライール同様「おお!」と声を上げた。


いくさの前に良き報せだ。まさに吉兆きっちょうであるな」


 クライールは満足そうに話す。


「なるほど、これでいくさを締めようと……」


「始めるは容易たやすいが終わらせるは難儀なんぎ、戦とはそういうものだ。相手が立ち上がれぬくらい叩きのめす、それこそ侵略戦争などそうそう成功はせぬ。大抵はそこまで至る前に和睦わぼくがなされる。双方利益と損害を充分に勘案かんあんしてな。この一報は戦を終わらせるきっかけとなろう」


 側近は書簡をクライールに返すと頭を下げる。


「さすがは閣下、感服致しました。よもやこのような手を打っておられたとは……」


 クライールは受け取った書簡を再び広げ、改めて中を確認しながら話す。


「とは言え矛を納めようにも、まずはその矛を交える必要があるがな」


しかり。一合も打ち合わずに和睦わぼくとはあいりませんな」


 すると馬車の外から「閣下!」と再びクライールを呼ぶ声が聞こえる。クライールが小窓を開けると、そこには自身が兵を預けた将が並走していた。


「閣下! この先すぐに南道なんどうへの分岐路です! 我らはこれにて!」


「うむ、しかと頼む! ピネリ砦は任せた! 決して無理に敵を押し止める必要はないぞ! 防衛線は二重三重にある、退いても構わん! 損害を抑える事を念頭に置けぃ!」


「御意! 南道防衛部隊! 続け!」


 そう叫ぶと並走していた将は馬車から離れる。そして彼の背後にはするすると軍列を離れた五千の兵が続く。クライールは東道とうどう南道なんどうにそれぞれ五千の兵を配置するつもりだった。当然残った五千は東道の先にあるエバール砦へ向かう。敵の本命と思われるこの砦を、クライール自らが率いて守る為である。



 ◇◇◇



「失礼致します。ジョーカー団長エクスウェルこれに……」


「おお、よくぞ参った。さ、そちらへ」


「はい、失礼致します」


 エイレイ軍本陣の陣幕を訪れたエクスウェルは、軍議中の諸将が居並ぶその末席に座る。中央に腰を下ろすのはエイレイ軍大将グリー・スー将軍。長くエイレイ国王に仕える古参こさんの将であり、数多くの戦に参戦した猛将でもある。かつては対オルスニア戦線でもある東の国境に張り付いていたが、ジャーミンの会談後オルスニアとの関係が急激に改善。それをきっかけに東から王都へ戻り、そのまま王都周辺の警備についていた。今回エイレイ国王から直々にエラグ攻略軍の総大将に任命され、王都より精鋭を率いてこの西の国境までやって来たのだ。途上とじょうで通過した直轄ちょっかつ領や貴族の自治領にて当地の兵を吸収、七千で王都を出たエラグ攻略軍はその倍である一万四千に膨れ上がっていた。ルシーが率いてきた部隊とジョーカーの戦力を合わせると、実に一万七千という大軍である。


「では改めて、始めようか」


 グリーの言葉で軍議が再開される。歴戦の勇士たる威厳をまといつつ、穏やかつ柔らかなその話ぶりは、明らかにその場にいる誰よりも格上である雰囲気を漂わせている。


(なるほど、これは本物だ。ルシーのようなまがい・・・物とは訳が違う)


 そう感じたエクスウェルの斜め向かいには、そのルシーが偉そうにふんぞり返っていた。その姿が余りに滑稽こっけいでエクスウェルは込み上げる笑いを必死で抑え込んだ。





「――では南道ピネリ砦には五千を、東道エバール砦には九千を、それぞれぶつける。エバールの九千は私が指揮しよう。ルシーよ、そなたの二千は後方に控えよ。後詰ごづめである。状況に応じ前線へ派兵せよ、良いな?」


「はっ」


(ふ……脆弱ぜいじゃくな兵だとバレてるんじゃないのか? いや、案外前線に出なくてよかったと、腹の内では小躍こおどりしてるのかもな)


 後詰ごづめを言い渡されたルシーを眺めながら、そんな妄想をしバカにするエクスウェル。


「して北道ほくどう、スティンジ砦であるが……エクスウェル殿、貴殿の手勢だけで良いと聞いたが?」


「はい」


 突然話を振られ内心少しばかり慌てたエクスウェルだったが、そんな素振りは微塵みじんも見せずに静かに答える。


「グリー将軍のお考えでは、最初からスティンジ砦は捨て置くつもりだった、と伺いました。なればこそ、北道ほくどうは我らジョーカーにお任せいただきたい。将軍のお手を煩わせるような事は致しません」


「ふむ、貴殿がそれで良いのならば……お任せしよう。貴殿には別の目的も……あるのだろう?」


「これは……さすがは将軍、お見それ致しました」


 エクスウェルは驚いた。傭兵など、彼らからすれば取るに足りぬ存在だろう。そんな言ってみればどうでもいい者達の都合や思惑おもわくまで調べているとは。


(こいつ……油断出来ないな)


しからば各部隊、移動と準備を始めてくれ。作戦開始は明朝日の出と共に。エクスウェル殿、スティンジ砦に関しては貴殿らのタイミングで始めてくれて結構だ。北道までは少し距離があるからな。願わくばスティンジ砦を破り、エラグ国内に入り内から引っ掻き回してもらいたい。それだけで我らにとっては充分な援護になるゆえ……とは言え、貴殿はここに残るのであろう?」


「はい。北道は我が優秀な部下に任せます。必ずやご期待に沿えますでしょう」


「うむ、楽しみであるな。では諸君、エラグニウスにて祝杯を挙げようぞ」


「「「 はっ! 」」」



 ◇◇◇



 軍議が終わり自陣に戻ったエクスウェルはラテールと作戦をめていた。


「そうですか、それほどの御仁ごじんだと……」


「ああ。あのグリーってのは本物だ。伊達に第一線で戦い続けていた訳じゃないな。あんな大物が仕切るんだ、勝てるぞ、この戦」


(ほう……珍しい)


 若干高揚気味に話すエクスウェル。普段あまり見せない姿にラテールは少し驚いた。


「まぁ、希望があるのは何よりです。先程北道ほくどうの部隊を出発させましたが、よろしかったですか?」


「ああ、済まない。アイロウは何か言っていたか?」


「特には。いつも通りに」


「よしよし。で……ビー・レイの居場所は分かったか?」


「残念ながら……まだ情報が入ってきていません」


 一瞬表情が曇るエクスウェル。眉間にシワを寄せるが、すぐに元の表情に戻る。


「そうか……ま、王都にこもっているはずはない、前線のどこかにいるだろう。見つけ次第始末する、全部隊にそう通達しておけ。あいつだけは生かしておけないからな」


「そうですな、むくいは受けさせねばなりませんな」


「そういう事だ」

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