第258話 ラッキーガドイン

「何としても踏みとどまれ! じきに外縁がいえん部隊が背後より突入する! それまで……それまで時を稼ぐのが我らの役割だ!!」


「「「 おうぅっ!! 」」」


 大声量で部下を鼓舞こぶする。返事こそ返ってきたが、きっと部下達はこう思っている事だろう。具体策を示せ、と。


(分かってる、言いたい事は良〜く分かっている。だがどうしろと……)


 レクリア城北門前広場。広場から伸びる五本の通りから続々と向かってくる巨体。その数は優に百を超えているだろう。対してこちらはその倍以上で相対あいたいしている。更に城壁からは次々と矢が放たれた、魔導兵による支援もある。普通の防衛戦であればうれう事など何もない、負けなど考えられない戦力差だ。しかし相手は普通ではない。そこかしこで繰り広げられる一方的な惨劇さんげき。軽々と兵が吹き飛ばされるそのさまは目を疑う光景であり、まさに悪夢の呼ぶに相応ふさわしい。


「クソッ……しばし! もうしばし耐えろ!! ここで稼ぐ一時が万金の価値を生む!!」


 言いながらも思う、そんなものは気休めだと。その程度のげきしか飛ばせず歯噛みする様な思いを押し殺している指揮官の男。つい先日五階位に昇進し上級将官の仲間入りを果たしたばかりのガドインという将軍だ。

 平民の出ながら着実に功を積み上げ、三十に満たぬ若さで遂に将軍を名乗るに至った。それはまさに異例のスピード出世である。若い兵達からは憧れと尊敬の眼差しを向けられているが、しかし彼に近しい同僚達は皆口を揃えて言うのだ。アイツは運でのし上がったツイてる男、ラッキーガドインだと。


 例えば非番の夜の街。とある男が近付いて来てガドインに意味不明な言葉を投げ掛けた。不審に思ったガドインはすぐにそれが何らかの合い言葉だと気付く。そしてその場で男を拘束。調べを行うと案の定、男は違法薬物をさばく売人だった。ガドインを客と勘違いしたのだ。

 例えば手配中の賊を捜索中の事。たまたま分け入った森の中で狼の群れに追い掛けられ逃げ惑う賊を発見。狼を追い払ったガドインは労せず賊の身柄を確保した。ちなみに森へは用を足しに入っただけだった。

 例えば路地裏の飲み屋にて。隣の席の男と意気投合し楽しい時間を過ごす。しかしこの男、どこかで見た顔だ。そして思い出す。男は情報局がずっと追っていたセンドベルの工作員だと。情報局が作成した似顔絵を覚えていたのだ。こっそりと店のマスターに衛兵隊へ通報するよう指示すると、駆け付けた衛兵隊が見事工作員を捕縛した。等々……


 例を挙げれば枚挙まいきょいとまがないが、立て続けてきた功の裏には追い風のごとくガドインの背を押す数々の幸運があった。始めの頃はガドインも喜んでいたのだ。自分はなんてツイているのかと。周りの者達も単純にうらやましがっていたのだ。アイツはなんてツイているのかと。だがそれが続けばどうなるのか。気味が悪くなるだろう、不安になるだろう、ねたましく思うだろう、苦々しく思うだろう。

 そうして本来ポジティブな意味合いだったはずのラッキーガドインという言葉は、いつしか彼の心をむしばむある種の呪いの言葉となってしまった。


 そんな中、ガドインの五階位昇進の話が持ち上がる。ガドインはデルカルに相談した。昇進は勿論光栄な話だ。しかし運だけで将軍となる者に果たして誰が従うのか。昇進を辞退させて欲しいと。ガドインは精神的に追い詰められていた。ラッキーガドインと呼ばれる事に心底嫌気が差し、その忌々しいあだ名から逃れたいと思っていたのだ。しかしデルカルは冷静にこう答える。


「運が良いという理由だけでお前の昇進を決める程、私と軍人事部は愚かではない」


 確かにガドインは運が良いという話は良く耳にする。しかしそれは悪いよりも良い方が良いだろうという程度の事でしかなく、そんな些末さまつな事で軍の人事が左右される訳がない。デルカルはガドインという軍人を良く見ていた。機転がき、何事にも真面目に取り組み、部下の管理もしっかりと出来ている。国への忠誠が厚く、鍛錬を怠らず、向上心もある。そんな男を下級将官のまま置いておくなど勿体ない話だ。いくら運が味方したからだと言ってもだ、薬物の売人だと気付けなければ、狼を追い払う力がなければ、工作員の似顔絵を覚えていなければ、つまりはそもそもの実力がなければそれらの事態を収める事など出来なかった。運など関係なく、デルカルはガドインの実力を評価し人事部に昇進を提案したのだ。


 ガドインはデルカルの言葉に救われた様な心地になった。運の良い悪いなど関係なく、自分の仕事振りを正しく評価してくれている存在がいる事を嬉しく思った。果たしてその期待に応えるべくガドインは将軍となり、突如起こった王都の急変に対応すべくデルカルから城門の守備を任されたのだ。が……


(ふぅ……いよいよこのあだ名も返上の時か……)


 一言で言えば劣勢。極めて劣勢だ。このままでは外縁がいえん警備隊が到着する前に崩されてしまう。ここから状況を覆す様な幸運が起こるなど考えられない。最悪この身を盾にしてでも……などと悲観的な考えばかりが頭に浮かぶ。


(しかし……昇進したばかりの若造にこんな重要拠点を任せるとは……)


 ガドインは呆れる様に小さく笑った。全くもって無茶な人員配置だ。と、デルカルの真意を知らぬ者ならそう思うだろう。だがガドインは知っている。デルカルは何も幸運を当てにしている訳ではない。問われているのは己の力量。お前ならば出来ると、軍の全てをべる総司令がそう判断したのだ。


 ならばやる。


 ガドインは「ふぅっ!」と強く息を吐く。そして改めて戦場を見回した。そもそも訪れるかどうかも分からない幸運を頼りに戦うつもりなど毛頭ない。そしてこれは忌まわしいあだ名から解放されるチャンスでもあるのだ。己の力のみで劣勢極めるこの事態を切り拓く、何と心おとる状況か。自然とガドインの顔には笑みが浮かんだ。不敵な笑みだ。


 しかしそんな彼の覚悟とは裏腹に、幸運は変わらず彼にまとわりつく。



 ◇◇◇



「ホッ、おるわおるわ……り取り見取りだな」


 ノグノは被っているローブのフードの端を摘み、クイッと上へ持ち上げ視界を確保する。そしてダラダラと流れ落ちる雨垂れに若干顔をしかめながらなかば呆れる様な口調で言った。視線の先は戦場。わらわらとうごめく巨体の群れが見える。ミゼッタはクスリと笑い「南にいた頃を思い出しますか?」と聞く。ノグノはフードから手を離すと「ふむ、そうさなぁ……」と呟いた。


「北へ戻ってからはデカい戦はなかったからなぁ。この感じは確かに……懐かしいと言えるわな」


 デバンノ宮殿を出たノグノとミゼッタはレクリア城の城壕しろぼりに沿って北側へと移動。途中出くわしたオークの集団を交戦中だった衛兵達と共に退け、そして北門前広場を目視出来る位置までやって来ていた。広場の奥、ちょうど跳ね橋の手前辺りには拠点となる陣が敷かれており、兵達はその陣を守る様に横に広く展開している。


(たがこれは……)


 ノグノは思わず渋い顔を見せた。数では勝っているが旗色が悪いのは明らかだ。ダグベ兵達に組織立った動きは見えず、てんでばらばらに戦っている混戦状態。これはオークへの知識がいちじるしく欠けており、その対処法を知らないからに他ならない。そもそもオークのいないこの北方では無理もない話だろう。


(まぁオークなんぞ初めて見たっちゅう兵が大半だろうからなぁ……)


 次いでノグノは城壁の上を見て、視線を下げると城壕しろぼりを見た。城壁の上からは兵達がオークへ向け次々と矢を放ち、雨粒に打たれた城壕の水面には大小様々な波紋が描かれては消えてゆく。


「どう致しましょうか、ノグノ様」


 あちらこちらに視線を向けて、周辺を観察している様子のノグノ。ミゼッタの問い掛けに「ふむ……」と唸る様に声を漏らすと「では少し……急ごうか」と返答した。


「あれではすぐにでも破られよう。城壕も恐らく……良いかロナ。わしは前線で斬り回るゆえ、そなたは……」



 〜〜〜



 ブゥン……!


 聞いた事もない程の凶悪な風切り音。直後、ドゴンと鈍く大きな音と共に石畳が割れる。足の裏から伝わってくる振動に兵は顔を青くした。


(なんて力だ……)


 オークが頭上から振り下ろした大鎚ハンマーかしらは、ずっぽりとの辺りまで地面にめり込んでしまっている。これが自分に当たったらどうなるか。ぞっとする兵を余所よそにオークはグフゥと唸り大鎚ハンマーを地面から引き抜こうと力を入れる。させる訳にはいかない。兵は慌てて声を上げた。


「今だ! やれ!!」


 合図と共に後方に控えていた二人の兵がオークの前へとおどり出る。一人は握った剣をオークの脇腹辺りに深々と突き立て、もう一人は跳び上がりながら精一杯に剣を伸ばし、オークの顔面に下から二の太刀を突き刺した。


「良し…………良し! 次だ!」


 膝から崩れ落ちる様に地面へ突っ伏すオークを見て、兵はすかさず視線を左右に動かし次に仕留めるべき敵を見定める。と、一瞬巨大な何かが視界に入った。剣だ。剣とは言っても自分達が振るうそれとはまるで違う。太く、長く、分厚い巨大な剣。およそ人では持ち上げる事さえままならないであろうその巨大な剣はどうやら刃が潰れている様で、あれでは素手で刃に触れた所で何の危険もないだろう。だがあれだけの大きさであれば刃があろうがなかろうが関係ない。叩き付けてしまえばそれだけで致命傷となる。

 ほんの一瞬視界に入った程度で、どうして兵は刃が潰れているなどという細かな所まで把握出来たのか。それはその巨大な剣が自身に向けて迫って来ており、今まさに危険に対峙しているその瞬間、周りがスローモーションの様に遅く見える体験をしているからだった。それゆえに兵は冷静に状況を分析出来た。


 これはとても避けられない。


 いくら刃が潰れていようが、あの鉄の塊が身体に当たれば無事で済むはずがない。兵は思う。敵の襲撃を受けた王都を守る為の戦死。軍人のほまれの様な死に様だ。後悔がないかと問われれば当然あるのだが、まぁ終わり方としては上々か。兵が諦めにも似た覚悟を決めたその時、それは起きた。


 ガチン! ガガガガ……ガン! ガンガン……


 一瞬何が起こったのか、兵には良く分からなかった。自身に向けて迫って来ていたはずの巨大な剣。その剣筋がすぐ目の前で軌道を変えて地面に落ちた。そして暴れる様に激しい音を立てて兵の横を転がってゆく。


「あ…………」


 兵は思わず小さく声を漏らす。状況を把握出来たのだ。自身の身体をぐしゃりと叩き折るはずの巨大な剣は地面に落ちた。いや、落とされた。巨大な剣はそれを振るう丸太の如く太い腕ごと斬り落とされたのだ。斬ったのは目の前に立つローブの男。男はシュッと剣を斜めに斬り上げる。その剣筋は両腕を失い前のめりに倒れ込もうとしていたオークの顎下あごした辺りを通過。プッと首から血を吹き出しオークが倒れた。


 美しい。


 兵はそう思った。男の振るった剣をだ。真っ直ぐに斬り上げられた剣は速く、しかし遅くも見える。そう見えるのは剣筋が綺麗だからだ。振られた剣の切っ先がまるで糸でも引いているかの様に、剣筋が一本の線に見えたのだ。


「ホッ、間一髪。良かったなぁ無事で」


 男はそう笑って見せた。こんな剣を振るえる者はこの国にはいない。なら誰だ? 心当たりは一人しかいない。


とう……じん……ノグノ様……?」


 兵が呆然としながらそう言うと、ノグノは再び「ホッ!」と笑う。


「わしを知っておったか。良い連携だな、これは……上からの指示か?」


「あ……はっ! 将軍からの指示にございます! バラバラにならず何人かでまとまって役割を決めろと……」


「ほう、それは結構。優秀な指揮官殿のようだ」


 ノグノは感心した。先程遠目から見た時と、兵の動きがまるで違ったのだ。


「ふむ、立ち回り方に間違いはない。一人が囮。相手の攻撃を誘ってのち、他の者が隙きを突いて仕留める。ただし、常に周りには気を配らんとな。こんな混戦状態ではどこから攻撃されるか分からんぞ?」


「はっ! ご教示きょうじ感謝致します!」


 礼を述べる兵にニコリと微笑んで見せるとノグノは周りを見回した。すぐに飲み込まれると思っていたこの守備部隊は、つたないながらも連携しオークから受けるはずだった一方的な殺戮にあらがい始めている。恐らくは初見であろうオークを前に、細かな所は至らぬまでもわずかの間に現状での最適解を出した。この戦場を取り仕切るのは本当に優秀な指揮官なのだろう。


(ホッ、これならわしが口を差し挟まなくても良いか)


 ノグノはまさにこの前線の兵達に、指揮官が指示した様な立ち回りをさせるつもりだったのだ。しかしどうやらその必要はなさそうだ。


(……あとはミゼッタ次第か)


 ノグノはチラリと後方を見る。そしてすぐに兵達に向き直すと「さて、では参ろうか。我らで王都を守るぞ」と語り掛ける。ノグノの言葉を聞いた兵達は奮い立ち声を上げた。


「皆聞けぇ!! イオンザの凍刃とうじんノグノ様が助太刀下さるぞぉ!! これでもはや我らの負けはない!!」


 周りの兵達も戦いながら「おおぉっ!!」と歓喜の声を上げる。重苦しい戦場の雰囲気は一変した。が、ノグノはたまらず「待て待て」と苦笑いする。


「さすがにわし一人ではどうにもならん。皆でやるのだ、良いな?」



 ◇◇◇



 前線の空気が変わった。それは後方にいながらも良く分かる。士気が跳ね上がったのだ。不思議に思ったガドインは「何があった……?」と呟きながら前線の様子をうかがう。


「ガドイン将軍でいらっしゃいますわね?」


 と、不意に声を掛けられた。横を見るとそこには女が一人立っていた。女はフードの端を少しだけ持ち上げ笑顔を見せる。


「ジェスタルゲイン・イオンザ・エルドクラム麾下きか、ミゼッタ・ハートバーグと申します。主君の命により助太刀に参りました」


「おぉ、ジェスタルゲイン殿下の……では前線には……」


久方振ひさかたぶりの大きな戦との事で、凍刃が張り切っているのでしょう」


「何と!? ノグノ様が出張でばっておいでか! これはありがたい……」


 喜びの声を上げたガドインだったが、何故なぜかすぐにその表情が曇った。「将軍?」と呼び掛けるミゼッタに、ガドインは何とも歯切れ悪く答えた。


「あぁいや……何と言うか、これでまた続くのかと……」


 続く。一体何の事を指しているのか、本来ならその言葉だけでは意味が分からないだろう。だがミゼッタは理解していた。


「それは……ラッキーガドインと呼ばれる事ですか?」


 ミゼッタの返答に驚いた顔を見せるガドイン。しかしすぐに取りつくろう様に「フハハ……存じていらっしゃったか……」と自虐的に笑った。ミゼッタはマンヴェントに入って以降、城や軍の有力者達の把握に努めていた。外交面でもジェスタルゲインを支えるミゼッタにとって、相手国のキーマンを押さえておく事は必要不可欠である。そして当然の如く、つい最近幸運で将軍にまでのし上がった男などと、そんな陰口を叩かれている軍人の話も耳にしていた。


「あのノグノ様が北門においでになるとは……つくづく私は運が良い。あまりに良過ぎるので逆に呪われておるのではないかと……そんなバカな事まで考えてしまってね」


 力なく笑いながら話すガドイン。ミゼッタはガドインの前に一歩進み出ると「将軍、恐れながら……」とさとす様に話し出す。


「将軍にとっては幸運に思えるかも知れませんが、私達にとっては至極当然の事にございます。貴国には主君共々多大な恩義がございます。その恩義にむくいる為に働こうと思うのは自然な事。それに運が良いだけで将軍になどなれませんでしょう? 貴方様には確かなお力があると、そう認められた証です」


(運がどうこうなどと……もはやどうでも良い事だ)


 ミゼッタの言葉でスッと目の前のもやが晴れた様な気がしたガドイン。「……お気遣い感謝する」と謝意を述べる。ミゼッタは「お気になさらず」と答えパンと手を叩いた。


「さて、では仕事に掛かりましょう。凍刃より策を預かっております。先ずは弓兵を――」



 〜〜〜



「――と言った感じでしょうか。如何いかがでございますか?」


「理解した。やろう」


 そう言うやガドインは後ろを向く。そして城壕を挟む城壁の上にずらりと並ぶ弓兵に向かい「撃ち方止めろ!!」と大声で指示を出した。すんなりとこちらの提案を受け入れたガドインにミゼッタは少し驚いた。


(なるほど。デルカル将軍の目は確かという事ね……)


 昇進したばかりの新将軍。窮地きゅうちと言っても過言ではない現状。そんな最中さなか高名な剣士から策を授かった。ガドインにとってはわらをも掴む思いであるという事に間違いないはないだろう。しかしそれらを差し引いてもなおガドインの決断と行動には一切の迷いを感じない。将軍などと呼ばれる者は皆どこか我の強さがあるものだ。だがガドインにとっては見栄やプライドよりも結果が重要だという事なのだろう。そしてそんなガドインを上へ引き上げたデルカルの人を見る目は確かだという事だ。


「では将軍、私は前線へ参ります。その……少〜し地面がえぐれたりするかも知れませんが……ご容赦ようしゃ下さいませ?」


 ニコリと微笑むミゼッタに、ガドインは怪訝けげんそうな顔をして聞き返す。


「……地面……が?」

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