第279話 極まる混乱

 ドン!


 大きな音が壁から響く。セムリナはビクリとし、咄嗟とっさに両腕で胸を隠す。


「ご安心下さい殿下、ここは安全でございます」


 ファイミーは静かにそう言うと、セムリナの後ろに回って背中のファスナーを閉める。


如何いかがでございましょうか」


 セムリナは姿見すがたみの前に立つ。そして横を向いたり、背中を見ようとグッと身体をよじったりと、しばしの間鏡の中の自分の姿と向き合った。華やかで可愛らしい淡いピンク。しかし甘過ぎずしとやかさもかもし出す上品な色合い。自分なら絶対に選ばないだろう。ピンクなんて似合わない。


(でも……まぁ……)


 意外と悪くない。というか、これはむしろ……


「お似合いでございますよ」


 ファイミーにそう言われ、セムリナは取りつくろう様に「コホン」と咳払いを一つ。そして「そうね……良い色ね、サイズもピッタリ。これに……しようかしら……」と答えた。


 客間の奥、ドレッシングルームに入ったセムリナは、世話係のファイミーとリーナの手により瞬く間に丸裸にされた。リーナは濡れたセムリナの身体を丁寧に拭き、ファイミーはセムリナに似合いそうなドレスをいくつかチョイス。順に試着をし、きっとお似合いになります、と最後に勧められたのがこのピンクのドレスだった。


 ファイミーは自分が見立てたドレスをセムリナが気に入ってくれた事を嬉しく思い、しかしそんな素振りは極力見せない様「かしこまりました」と澄ました感じで返答した。と、そこでセムリナは気付いた。


「……ファイミー。リーナはどうしたの?」


 ついさっきまでいたはずのリーナの姿が消えていた。


「はい。少し外の様子を探りに」


「外って……何を言ってるの!? 危険だわ!」


 セムリナが慌てるのも当然だ。先程から壁の向こう、廊下がやけに騒がしい。怒声が響き、剣戟けんげきらしき金属が鳴る音も聞こえてくる。それら緊迫感をあおる騒音を耳にして、セムリナはこの客間のドレッシングルームの中でビクビクしながら着替えをしていた。しかしファイミーは至極落ち着いた口調で「ご心配には及びません、殿下」と答える。


「さすがに廊下にまでは出ません。隣の客間で様子をうかがっております」


 客間にはズマーが控えている。仮に何かあったとしてもズマーが何とかしてくれるはず。セムリナは「そう……まぁそれなら……」と渋々納得した。長年仕えてくれた侍女二人を失ったばかりで、その上この達にまで何かあったらと考えたら……とてもじゃないが耐えられそうにない。


(でも……いつの間に……)


 リーナことリンがドレッシングルームを出たのは、セムリナが鏡の中の自分に夢中になっている最中だった。ドレスをチェックするセムリナの脇でリンはファイミーに目配せをした。ファイミーは小さくうなずく。そしてリンは静かにドレッシングルームをあとにしたのだ。


 客間へ入るとリンは緊張感に包まれた。客間に残っていたズマーが部屋の扉の前で廊下の様子をうかがっていた。すでに剣を抜いている。いつ何が起きてもおかしくないという事だ。


(セムリナ様のご様子は?)


 スルスルと静かに近付くリン。気付いたズマーは小声であるじの様子を尋ねた。リンもまた小声で(これから御髪おぐしを整えメイクです)と答える。


(外はどうですか?)


 リンの問い掛けにズマーは首を横に振った。とうとう来たか、とリンは思った。


(交戦中です。ですが……)


(何か?)


(いえ、いささか様子がおかしいのです。どうも双方混乱している様で……)


(混乱……ですか)


 乱戦ならば多少の混乱もあるだろう。ひょっとしたら双方が互いの強さに面食らったとか? 騎士達はシャーベルを傭兵ごときとあなどり、シャーベルは騎士達を守備兵ごときとあなどり、しかしいざ剣を交えたら互いに、こいつらやるぞ、と……


 リンなりに混乱しているという廊下の状況を推測する。そんなリンを見てズマーは(慣れていますね)と呟いた。


(…………は?)


荒事あらごとです。ここの前、過去には何を?)


 これがただの給仕ならば恐怖で身がすくんでしまっている事だろう。しかし彼女は落ち着いている。落ち着き過ぎている。彼女には何かあると、ズマーはリンの様子を見てそう感じた。やべ……と内心焦ったリン。慌てる様に茶番を始める。


(い、嫌ですわ、そんな……もうさっきから怖くて怖くて……ほら、手なんかこんなに……)


 とか何とか言いながらぷるぷると両手を震わせて見せる。が、ズマーの視線は冷めていた。


(……まぁ良いでしょう。多少は当てにさせてもらっても構いませんね?)


 どうやら通じなかった様だ。しかも当てにするとは……いくらかでも戦えると、そう見られているのだ。さすがに正体までは気付いていないだろう。だがそれも遅かれ早かれだ、どの道バレる。取りえずこの場では追及しないでくれるというのだから、ありがたい話であると受け取ろう。リンはふぅ……と息を吐くとエプロンのポケットから小さなナイフを取り出した。


(……ま、ご期待を裏切らない様努力しますよ……)



 □□□



 その音は交戦中のミシューと騎士達が、己の振るう剣を止めるには充分過ぎる程大きかった。


「何だそいつぁ?」


 スッと一歩下がり騎士から距離を取るミシュー。衛兵の首に剣を突き立てる黒ローブの女を睨んだ。騎士達もまたミシューを警戒しつつ、同時にその女にも目をやる。すかさずダンが叫んだ。


「ミシュー!! こいつぁダメだ!! ヤバ過ぎる!!」


 全身があわ立っていた。目の当たりにした異常な速さと膂力りょりょく。まともに太刀打ち出来るとは到底思えない。何よりあの顔、完全にイッてしまっている。触れるべき存在ではない。


 しかし、ならばどうする?


 叫んではみたものの、ダンにはその答えがない。放っておけば間違いなく任務に支障が出る。本来ならばここで仕留めるのが正解だ。だが危険過ぎる。


(あんなんとまともにやり合えるなんざ、隊長くらいしか…………チッ!)


 ここで女が動いた。衛兵の首から剣を引き抜くと、ドンと床を蹴りあの異常な速さをもってして飛び出した。そして首を刺された衛兵がドサリと床に崩れる頃には、女はすでにテムの左腕を斬り裂いていた。


(な……!?)


 左腕に衝撃。次いで襲う痛み。肘辺りから肩口まで、ざっくりと大きく裂けた。そして斬られたのだと、テムがそう理解出来た時には女はすでに後方にいた。ザザザ……と床を滑りながら止まり、こちらを見てその目を光らせている。


(こいつ……!)


 テムには女の動きが見えなかった。まるで棒立ちでその攻撃を受けた事になる。それはテムにとって途轍とてつもない屈辱だった。動きを目で追えなかったから、などとそんな単純な話ではない。何故なぜ腕を斬ったのかという事だ。その気になれば一撃で仕留められたはず。


 つまりは遊ばれている。それがたまらなく屈辱に感じた。


 テムは女を睨むと剣を構えた。遊ぶつもりならば二撃目がある。捉えられるか分からないが、しかし退く訳にはいかない。案の定、女は動いた。再び猛烈な飛び出し。だが狙いはテムではなかった。


(こっちかよ!!)


 真っ直ぐに飛んで来る女。ダンは反応する。辛うじて動きは見えていた。本当に、辛うじて。黒い影が迫って来る。そんな認識でしかない。何とか剣を合わせようとするが、正直防げる気もかわせる気もしない。そしてダンが剣を振り抜いた時には、すでに右足を斬られていた。


「グゥッ……!」


 太腿。深くえぐられた。ガクッと膝を床に付けながらも、ダンは女を警戒する。しかし振り向くとそこに女はいなかった。


(ヤロ……いつの間に……!)


 見ると女は元の位置に戻っていた。そして再びあの不快な笑みを浮かべている。女はダンを斬り付けたあと、背後の壁を蹴って跳躍したのだ。


「馬鹿な……」


 騎士はそう呟くと絶句した。それはそうだろう。まさに目にも留まらぬ速さで動き、敵も味方も良い様にもてあそばれている。こんな馬鹿げた事態、理解出来る訳がない。


(チッ……どうすりゃ良いってんだ……)


 斬られた太腿を治癒魔法で治療するダン。この絶望的な状況に困惑しながら、しかしそれでも考える。あいつは何だ? どこから来た? 目的は……? そして一つの答えを出す。


(まぁ……敵だな……)


 そう、あの女は敵だ。この場にいる誰にとっても、共通の敵だ。ならば手立てはあるだろう。


「なぁ剣士殿。一つ提案なんだが……」


「ウグゥッ……!?」


 ダンがテムに声を掛けたその時、大きくうめく騎士の声が響いた。見ると騎士は背中から剣で貫かれていた。


「おいおい、余所見よそみたぁ寂しいじゃねぇかよ」


 騎士を刺したのはミシューだった。「貴様!!」と怒鳴りながらもう一人の騎士がミシューに斬り掛かる。ミシューはすかさず剣を引き抜きながら、騎士の攻撃をひらりとかわした。


「ぼけっとしてる方がわりぃんじゃねぇのか?」


 そう言って倒れた騎士を一瞥いちべつしミシューは「ハッ」と笑った。テムは笑うミシューを睨むとその視線をダンにぶつけた。


「共闘しようなどと言うつもりだったのなら、その提案は今潰れたぞ」


「……あぁそうだな! クソッタレ!!」


 ダンはミシューに激しい怒りを覚えた。良くも悪くも、どうしてあいつはいつもこうなのか。敵を始末した。勿論それは正しい。だがもっと状況を見るべきだ。優先順位というものを考えるべきだ。が、言っても仕方がない。良くも悪くも、あれがミシューだ。


 場は混乱していた。神が振ったさいの目は吉にして凶。攻めるシャーベル、そしてテムら守備側にとっては凶。各々の目的の邪魔をする最悪の乱入者が現れた。その乱入者たる黒ローブの女にとっては吉。己の欲求を満たせる獲物がり取り見取り。そしてもう一人、この出目でめを吉と捉える者がいた。


「ふん!」


 騎士はミシューに斬り掛かる。ミシューもまたそれを受け剣を振るう。今この時にいて、二人には黒ローブの女などどうでも良かった。騎士はただ仲間の仇を討つ為、ミシューはただ戦いを楽しむ為、目の前の敵を斬り伏せるのみだった。


 しかし、特に騎士はあまりに盲目的だった。


「グッ……ウウウ……貴様ァ……!!」


身体を貫く激しい痛み。仲間の騎士と同じく背を刺された。刺したのはさい出目でめを吉と捉えたもう一人。


「お前何をしている!?」


 テムは驚いて声を上げた。騎士を背後から刺したのはボマードだった。ボマードは仲間の衛兵に叫ぶ。


「扉を開けろ! こじ開けろ!!」


 この混乱はボマードにとって僥倖ぎょうこうだった。王女を手に入れる、その道が大きくひらけた。しかし騎士同様、ボマードもまた激しく盲目的だった。ひらけた様に見えるその道には先などあるはずがない。


「何だおい、仲間割れかぁ? しょうがねぇ奴らだな」


 ミシューは笑いながら肩をすくませる。そしてミシューと同じく笑う者がいた。混乱極まるこの狩り場を愛おしく思う黒ローブの女だ。

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