第278話 それ

 それ・・はふらふらと彷徨さまよっていた。


 ここはどこ?


 白いもやが掛かっている様な、夕闇の中にいる様な。輪郭がぼやけてはっきりとしない。そんなぼんやりとした視界の中、それはただ当てもなく彷徨さまよっていた。


「どっちだ!」

「祝宴の間の方だ!」

「おい! 向こう! あっちも交戦中だ!」


 壁際を歩くそれ・・は足を止めた。ガチャガチャと鎧を鳴らす兵士達は、それ・・がすぐそこにいる事になど全く気付かない様子で、大声で怒鳴りながらそれ・・のすぐ横を走り抜けて行った。


 どうして気付かない?


 どこからか聞こえてくるのは悲鳴、あるいは怒声か。静かな様でいてどこか騒がしい、そんな中を彷徨うそれ・・はすでに何組かの兵士達に遭遇していた。だが誰一人としてそれ・・に気付く者はいない。誰も彼もがああだこうだとわめきながら、ただ横を通り過ぎてゆくだけだった。


 自分はここにいる。だがここにいない。


 どこか寂しくて、しかしどこか心地良くて。矛盾を感じたそれ・・はどんな感情でいれば良いのか分からずに少し困惑した。だがそんな何とも表現のしようのない気持ちもすぐにすぅぅと消えてしまった。ぼんやりとしているのは視界だけじゃなく、頭の中もだ。


 どうでもいい。


 何もかもがどうでも良い。ここがどこで、どうしてここにいて、何をすれば良いのかなんて、心底どうでも良い。


 おもしろい事はないかな。


 ぼんやりとした視界の中、ぼんやりとした頭で、求めるのは激しく気がたかぶる様な面白い事。この欲求を満たせる面白い事。


 ……欲求? そもそもこの欲求は何? 何が欲しいの?


 ……あぁ、そうか。人の血が見たいんだ。この手で斬り裂き、えぐり、なぶる。


 そうだ、ずっとそうしてきた。そうやって生きてきた。そう考えるとなるほど、ここがどこなのかは分からないがとても懐かしい感じがする。こんな感じの建物の中を、こうやって誰にも気付かれずに歩いた記憶が……


 うん、殺せばいいんだ。


 それ・・が己の生業なりわいとも言うべき役割を思い出した頃、ちょうど手頃な獲物が目に止まった。皆がバタバタと走り回っているというのに、連中はどういう訳か部屋の前に固まっている。


 どれがいい? どれにする? そうだな……




 みんな殺っちゃおうか。




 □□□



(おいボマード、どうすんだ?)


 右手に見える扉を気にしながら、衛兵の一人が小声で話し掛ける。扉の前には城から来た騎士二人、そしてイオンザの貴族。


(やるにしたって、あいつらどうにかしなきゃなんねぇぞ?)


 もう一人の衛兵もボマードに近付きささやいた。ボマードはゆっくりと右へ左へ視線を動かしながら、さもしっかりと仕事をしている風な仕草を見せる。そして少し苛立ちながら小声で答えた。


(あまり動くな、勘繰かんぐられる……まだ様子見だ)


 セムリナは宮殿二階の客間に入った。ずぶ濡れでボロボロの身なりを整える為だ。給仕のファイミー、リーナことリンの二人がその手伝いをし、部屋の外ではテムと二人の騎士が警備に当っていた。そこをたまたま通り掛かったボマードら造反組の衛兵達は警備に手を貸すよう指示される。

 部屋の中にいる貴人の名を聞いてボマードは内心歓喜した。閉ざされかけていた道が再び拓けたのだ。第二王子の首を手土産にイオンザへと亡命する、その道はまだ生きていると。だが仲間の言う通り、その為にはまず騎士と貴族、そして部屋の中にいる王女の側近をどうにか始末しなければならない。


(これは最後のチャンスだ、絶対に逃せない……)


 確かにボマードらにとっては最後のチャンスだろう。しかしよしんば上手く邪魔者を排除し王女を捕らえたとして、果たして次はどうするのか。王女を盾にして三階へ。更にそのまま第二王子部屋まで突き進む……などとあまりに無謀。三階は城から来た騎士達が鉄壁とも言える布陣で守りを固めている。


 考えるまでもなく分かるはずだ、リスクが大き過ぎると。


 まともな判断が出来る者ならば迷う事などないだろう。先の見通しが立たないどころか、破滅の未来が待っているというのは明白。天秤に掛けるまでもない話なのだが……


(王女さえ手に入れれば……あとはどうとでもなる……!)


 追い詰められたボマードには今しか見えていなかった。だがそもそもこの臨戦態勢化にいて、城にはべる屈強な騎士と勇猛で鳴らすイオンザ南部貴族が隙など見せるはずもなく、背後の部屋に王女殿下がいるとなればそれは尚更だろう。


 しかしここで神はさいを振った。出目でめは吉にして凶。ある者には追い風、ある者には向かい風。そして等しく訪れる混乱。



 □□□



「ダン! 隊長はどしたぁ!」


「とっくにいねぇよ! それよかミシュー! 前に三!」


「数ばっかいやがんなクソッタレ!!」


 宮殿に突入したシャーベル。ナイシスタは「好きに暴れな」と言い残し早々にダンと別れた。二階へと上がったダンは仲間のミシューと合流。ミシューもまた一階で仲間とはぐれ一人戦っていた。


「最後ぉ!!」


 ダンの剣が守備兵をつらぬく。チラリと横を見るとミシューは床に転がる守備兵に剣を突き立てていた。


「やれやれ、分かっちゃいたがキツイな」


 ため息混じりに愚痴るミシューに「全くだ。だがしょうがねぇ」とダンは苦笑いする。彼らの役割は敵の目を引く事。暴れれば暴れる程、三階へと向かう仲間達の手助けとなる。


「はぁ……しゃあねぇ、気張るかぁ」


 そう言うとミシューはぐるりと大きく肩を回して走り出した。



 □□□



 シュ……とテムは剣を抜いた。同時に二人の騎士も抜剣する。右手奥、廊下の先が騒がしい。


「来たな……」


 テムがそう呟いた直後、廊下の先の角から何者かが飛び出してきた。数はニ。共に剣を握っている。焦げ茶のローブ、鎧ではない。という事は敵だ。


「いたぞダン! ありゃ衛兵じゃねぇ!」


 走りながらミシューが叫ぶ。「騎士だ! 強ぇぞ!」とダンは返す。と同時に不思議に思う。連中、こんな所に集まって何をしているのか。警備? にしては随分と中途半端な場所だ。巡回中だった? にしては数が多い。ざっと六人。騎士と守備兵に、もう一人……しかしそれ以上考える間もなく距離は縮まった。


「ハッハァ! こんにちわァ!! そして死ねェェェ!!」


 そう怒鳴るやミシューは騎士に斬り掛かる。騎士は背後にいる衛兵達に「扉を守れ!」と指示すると「むん!」とうなりながらミシューの振り下ろす剣に己の剣をぶつけた。ガチンと音が鳴って火花が散る。


「うおっ!?」


 思わずミシューは声を漏らした。剣は思い切り振り下ろした。にも関わらず押し返された。


(確かに強ぇ!)


 一合打ち合い理解する。さすがは騎士か、守備兵ごときとは違う。だが……


「そこが良い!!」


 ミシューは嬉々として再び斬り掛かる。ダンはやれやれ、とため息一つ。


(そう言やこいつ、隊長と同類だったか……)


 そして自身も別の騎士に斬り掛かろうとする。しかしミシューに「どけっ!!」と一喝された。ミシューは一人目に続き、ダンを押し退けもう一人の騎士にも斬り掛った。ガチンと打ち合うと「こいつも良い!!」と叫び、「お前はどうだ!!」と今度は騎士の後ろに立っている剣士に飛び掛かる。


「ミシューてめぇ! 食い散らかすんじゃねぇ!!」


 ダンの怒りはもっともだ。ミシューには一人で三人を相手にしようなどという気は更々なかった。あるのは単に騎士の強さを確かめたいという興味のみ。それはダンにとって全く迷惑な話であり、何故なぜなら彼がミシューの尻拭いをしなければならないからに他ならない。

 案の定、ミシューが最初に打ち合った騎士がダンに向かって剣を振り抜く。止むなくそちらの相手をしていると、今度は二番目に打ち合った騎士がミシューの背後に回り込もうとしているのが目に入る。


「あぁクソ!」


 そう吐き捨てるとダンはすぐさまミシューの背後に迫る騎士を牽制。しかし当のミシューは「良いなおい! お前もか!」と実に活き活き楽しそうに剣を振り回している。当然ダンの怒りは更に膨れ上がる。


「ミシューこの野郎! いい加減にしやがれ!!」


 ダンはミシューのローブのフードを掴むと、乱暴にグイッと引っ張った。「うぉっ!?」と驚いて声を上げたミシューは引っ張られるまま後ろに下がる。「何しやがる! せっかく楽しく……」などと怒鳴るミシュー。しかし「うるせぇ! 誰がてめぇのケツ拭いてやってっと思ってんだ!!」とダンに怒鳴り返された。


「……俺が言うのも何だが、貴様ら目茶苦茶だな」


 テムが呆れた様に言うと、ダンは「敵に言われちゃおしまいだ」と肩をすくませミシューを睨む。しかしミシューは何ら気にするでもなく「ごちゃごちゃ良いんだよ! 続きやろうぜぇ!!」と声を上げ再び騎士に飛び掛かった。


(全く……うちにゃ血の気が多い奴が多過ぎる……)


 ナイシスタしかりナッカしかり、何の抵抗もなく死地に飛び込む奴の気が知れない。ダンは大きくため息をくと改めてテムに目をやった。


「あんた何者なにもんだ? 随分と良い装備だが……騎士じゃあねぇな。その部屋には何がある?」


 ダンの目に付いたのはテムの上等な装備だった。ローブの下に身に着けている鎧、手にしている剣。いずれも良い物だ。パッと見ただけで分かる。

 そしてもう一つ気になる事。どうしてこんな場所で固まっていたのか。背後にいる守備兵は部屋の扉を塞ぐ様に立っている。ならばその部屋に何かあると考えるのは当然。しかしテムはダンの問いには答えない。軽く笑うと「なんだ傭兵、お喋りに来たのか? だったらお茶でも出さないとな」と挑発。


「しょうがねぇ、んじゃ力尽くで口割らせっかァ!!」


 怒鳴りながらダンはテムに斬り掛かる。「やってみろ!」と声を上げ、テムもまた迎え撃つ。両者共に剣を振り下ろし、まずは一合打ち合う構え。ガチンと激しく音が鳴る。両者の剣がぶつかった……訳ではなかった。


「なっ……!?」


 ダン、そしてテムも大いに驚いた。二人の目の前にいるのは黒い影。真っ黒なローブを羽織はおった何者かが、両手に握った短剣でダンとテムのそれぞれの剣を受け止めていた。


(何だ……どこから……?)


 テムが困惑するのも無理はない。傭兵と自分、その間には誰もいなかった。音もなく、風も起こさず、誰にはばかる事もなく、まるで初めからそこに立っていたかの様に、それ・・は突然現れたのだ。


(何だこいつ……ビクとも……!)


 ダンが戸惑うのも当然だ。ダンは自分の事を決して膂力りょりょくのある方とは思っていない。しかし片手で受け止められる程軽い剣を振るっているつもりもない。突然現れたそれ・・はまるで子供かと思う程の小さな身体だった。だがどんなに力を入れてもその小さな身体はビクともしない。ギチ……ギチギチ……と剣の刃がこすきしむ音だけが小さく響く。


 そんな二人を気にするでもなく、それ・・おもむろにすぅと上を向いた。真っ黒なローブ、そのフードから顔が覗く。


(女……!?)


 テムは驚いた。自身と傭兵の剣を軽々受け止めたそれ・・は女だった。しかも若い。成人しているのかどうか、と思うくらい若い。すると無表情だった女はゆっくりと口角を上げニタリと笑った。




「アハァァ……ァ……ァァァ……」




 不気味な声を漏らしながら笑う女。ダンの背筋に冷たいものが走る。


(こいつ……ヤバい!!)


 女の歪んだ笑みはナイシスタを彷彿ほうふつとさせた。我が敬愛すべき群れのボス、ナイシスタ・イエーリーが時折見せる狂気の笑み。それと同じだ。


「ハアァァァ!!」


 直後、女は笑い声とも雄叫びとも取れる声を上げ、受け止めていたテムとダンの剣を押し返した。二人は大きくけ反り体勢を崩す。女はトンと後方へ大きく跳ぶと空中で一回転しストンと着地。そして消えた。


(……!?)


 どこに消えた? などと、そんな疑問を感じる間もなかった。ドンと大きな音が鳴る。壁際、扉の横だ。体勢を戻した二人が視線を向ける。そこには壁に背を押し付けられた衛兵と、その首に短剣を突き立てる女の姿があった。


「か……かは……は……」


 衛兵は声にならない声を漏らし、女は目を血走らせうっすらと笑っていた。

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