第244話 脱出劇 1

「状況はどうです? 抑えられますか?」


 セムリナの側近筆頭であるズマーは皆が待っている会議室に入るや白壁はくへき騎士団団長ベリックオに問い掛ける。ベリックオは「無論! 抑える!」と大声で返答するが、すぐにチラリと扉の方に目をやった。部屋の外から響いてくる怒声が少しずつ近付いているのがやはり気になる様だ。しかしすぐに視線を戻すと「セムリナ様は?」とズマーに問い返す。


「間もなくお見えに」


 そう答えるとズマーは視線を移し「外はどうですか?」とベリックオの後ろに立つ青年に聞く。


「ルートはすでに我らが……」


 青年が説明を始めたその時、「待たせたわね、行きましょう」とセムリナが二人の侍女じじょを引き連れやってきた。


「良し、では開けますぞ」


 ベリックオはそう言うと壁際の大きな本棚の横に立つ。そして力を込めて本棚の側面をグググッと押した。ズズ、ズズズ、と本棚は少しずつ横に移動する。


「良いぞ!」


 ベリックオにうながされズマーはき出しになった部屋の石壁に手をかざす。するとその石壁にスゥ〜と古びた木製の扉が現れた。扉を押し開けたズマーは灯りの魔法石を取り出し、更に腰の短剣を抜くと「参りましょう」と扉の奥に口を開けている階段を下り始める。

 ズマーに次いでセムリナが、そのあとに二人の侍女じじょが階段に向かうのを見届けると、ベリックオは青年の肩に手を置き「良し行け小僧! 頼むぞ!」と青年を扉の奥へと押し出した。が、青年はグッと踏み止まり「何言ってんだおっさん、あんたも行くんだよ」とベリックオの腕を掴む。


「駄目だ、俺は残って食い止める」


 そう言いながら扉に背を向けるベリックオ。青年はそんなベリックオの腕を引っ張り「道中姫さんになんかあったらどうすんだ? あんたの居場所はいつだって姫さんの前だ」とさとす様に話す。


「むぅぅ……しかし……」


 ベリックオは再び部屋の扉に目をやった。自分が残って指揮をった方が長く食い止められるのではないか。長く時間を稼げるのではないか。逡巡しゅんじゅんするベリックオの背に、青年はガチンと拳をぶつける。


「あんたが鍛えた騎士団はそんなヤワじゃねぇだろ!」


「……えぇい! クソッ!」


 青年の言葉に背を押されベリックオは階段へと飛び込んだ。青年はナイフを抜くと「それで良いんだよ! ケツは俺が見てやる!」と言いながらベリックオのあとに続いた。



 ◇◇◇



 人二人が横に並べば一杯だろう。そんな狭く暗い石造りの地下通路にせわしなく響く靴音。唯一の光は先頭を歩くズマーの持つ魔法石の灯りだけ。上下に細かく揺れるその灯りは闇のみならず、己の心の奥まで照らし出してしまうのではないか。セムリナはそんな錯覚を覚え焦燥しょうそう感に駆られる。と同時に、靴音だけが響くこの無機質な空間に耐えられなくなり思わず口を開いた。


「それにしても驚いたわ。いつから準備を?」


 不安に支配されそうな心の内をさらけ出す訳にはいかない。しかし気丈に振る舞っているとも思われたくはない。声は上擦うわずっていないか? 震えてはいないか? 大丈夫、大丈夫だ……

 事実、ベリックオや侍女達はそんなセムリナの思惑には全く気付いていなかった。こんな状況下でも泰然たいぜんとしている王女殿下はさすがであると、改めて尊敬の念を抱いた程だ。しかしズマーには分かっていた。彼にはそんなセムリナの気持ちが手に取る様に理解出来た。長く側に仕えているズマーだからこそ、である。その上でズマーは極々自然に、いつも通りに答えた。


「セムリナ様がヴォーガン殿下に不信感を抱き始めた、その頃からです。いつかこの様な日が来るのではないかと」


 いずれセムリナとヴォーガンは衝突する。二人の性格を考えるとそれは火を見るよりも明らかだ。そう考えていたズマーは有事にける際の対応、つまり如何いかに素早く城からの脱出を図るか、その方策を相当早い段階から用意していたのだ。


「この抜け道を発見したのは偶然でした。扉を隠していた本棚の修繕しゅうぜんを行う際、本棚をどかして初めて気付いたのです」


「そう。で、これはどこに繋がってるの?」


「城下のとある倉庫です。調べました所、元はかつて存在した貴族家が保有していました」


「かつて……という事は……」


「はい、今現在は途絶えております。王家に忠誠を誓い、そして戦いの末敗れた……この抜け道はイオンザが三つに割れた数百年前の内乱、分国ぶんこく戦争の頃より忘れ去られてしまっていたのです。抜け道の発見時、倉庫の所有者は王都で商いをする商家でした。そこでとある者達にその倉庫を買い取ってもらったのです」


「とある者達とは?」


 セムリナの問い掛け、その返答は背後から聞こえてきた。


「我らルナーズ・ファミリーですよ」


 答えたのは一番後ろを歩く青年だった。セムリナは軽く後ろを見ながら「そういう事……リブス、だから貴方がここにいる訳ね」と青年に笑顔を向ける。


「はい。親父殿から間違いなくセムリナ様をお連れしろと、そう厳命げんめいされています。この先の倉庫でセムリナ様をお待ちしておりますよ」


「そうだったの……ではイラインにもお礼を言わなくてはね」


「むぅ……よもやお前らの手を借りる事になるとはな……」


 ベリックオはチラリと後ろのリブスを見て不満そうに愚痴を漏らす。リブスは「ハッ!」と笑い「そんなん今更だよ、おっさん」と呆れる様に話す。


「そりゃ俺達マフィアじゃなく、例えば教会の神官達のがずっと見栄えが良いだろうさ。でも連中に任してちゃ王都からは出られないぜ? 誰よりも街ん中に詳しい俺達だからこそ、安全なルートを見つけ出せるんだ」


 リブスの説明に「ふん」と声を上げるベリックオ。そして「そんなもん分かっとるよ、小僧」と続ける。ベリックオはイラインやリブスといったルナーズ・ファミリーの者達にあく感情は持っていない。もっと言えば、彼らの社会的な立場や評判にも何らこだわっていないのだ。ただし今は、と付け加えておく。とにかく彼らが何者であれ、セムリナのもとに集う同志である事に変わりはない。ベリックオが気に食わないと思うのは彼らマフィアの事ではなく、ただ自分達の不甲斐なさ一点のみ。本来ならば自分達王女殿下の側仕えだけでどうにかしなければならない事態。にもかかわらずそれ以外の者達に頼らざるを得ないという状況に、どうしようもない不甲斐なさを感じているだけなのだ。


(ふぅ……いかんな……)


 このままではどんどん自己嫌悪におちいってしまう。反省など後回しで良い、今は何よりも王女殿下のお命を最優先すべきだ。そう思ったベリックオは「それはそうと……小僧、追手はどうだ?」と取りつくろう様に話題を変えた。リブスは振り返るとわずかの間立ち止まる。そして暗闇の奥に意識を集中させる。耳に入ってくるのはこの一行の靴音だけ。異変は……感じない。リブスは早足でベリックオの背に追い付く。


「今んとこ静かだ。白壁はくへきの連中、頑張ってんじゃねぇか」


「ふん、当たり前だ。雪風せっぷうに遅れを取る様なヤワな鍛え方はしていない」


「の割には、城じゃ随分と心配してたじゃねぇの?」


「うるさいわマフィア小僧! しょっ引いたるぞ!」


「あんたらに捕まる様なヤワな鍛え方はしてねぇよ」


 後ろの二人のやり取りにクスリと笑うセムリナ。しかしすぐにその表情も曇る。


「ズマー、他の皆は……?」


 当然の事ながら、セムリナは他の仲間達の事が気になっていた。人材マニアとも言える彼女が見出みいだした、あらゆる分野でその才能を発揮する者達だ。彼らが自分と繋がっているという事がヴォーガンに知れれば一体どんな目にうか……しかしズマーに抜かりはなかった。


「はい。異変を察知後、皆にはすぐに通達を出しました。心してせよ、と」


 セムリナには城の至る所に協力者がいる。メイドやコック、庭師といった城の中で働く者達だ。彼女は廊下などで彼らとすれ違うと必ず声を掛け、時にはお茶に招いたりして親交を深めていた。その甲斐もあり、独善どくぜん的で暴力的、お世辞にも素行が良いとは言えないヴォーガンとは対照的に、セムリナの城内での評判はすこぶる良かった。心優しき王女殿下の力になりたいと、彼らがそう思うのは必然だろう。ゆえに城内で何かあればその情報はすぐさまセムリナ陣営に届けられるのだ。


「今頃は皆安全な場所へ……ルナーズ・ファミリーが手引きしてくれています。ただ……アジャーノとは直接連絡が取れませぬゆえ……」


「そう……ね。やはり今回の件、アジャーノから漏れたのかしら……」


 セムリナが自身の手の者にヴォーガンの行動を阻害そがいする様な指示を出したのは、最近では病にせっている国王ドゥバイルの近習きんじゅとして潜り込ませた薬師くすしのアジャーノしかいない。セムリナがアジャーノに出した指示は二つ。一つはドゥバイルの現在の様子を都度報告する事。もう一つは、ヴォーガンが何かしらの手段でドゥバイルに危害を及ぼそうとしている様なら、可能な限りそれを阻止せよというものだった。結果アジャーノはヴォーガンの指示で出されていた怪しげな薬が、ドゥバイルの体内に取り込まれるのを出来る限りの範囲で防いでいたのだった。


「私の責任ね……アジャーノの身に何かあったら……」


「セムリナ様がお気に病む必要はございません」


 自身を責める言葉を吐くセムリナ。そんな必要はないと、ズマーは毅然きぜんと言い放つ。


「お忘れですか? アジャーノは志願したのです、セムリナ様が指名した訳ではございません。己の身に何があろうと、アジャーノがセムリナ様をお恨み申し上げる事などございません。仮に指名していたとしても、仮にそれが我らの誰であろうと、同様の事にございます」


「でも……」


 そう。いくらそう話した所で、セムリナの罪悪感が消える事はないだろう。セムリナの優しい心はズマーも良く知っている。


「……間もなくこの通路を抜けます。セムリナ様、今はただご自身の身の安全、それだけをお考え下さい」

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