第245話 脱出劇 2

 トントン、トントトン。床下から響く音。白髪頭の老人が気付いた。


「おいパーチ、鳴っとりゃしねぇか?」


 しかしパーチと呼ばれた左目の潰れた老人には聞こえていない様子。


「へ? 鳴っとるか?」


 すると壁際の椅子に座っていた恰幅かっぷくの良い老人が立ち上がる。


「クーコンの言う通りだ、鳴っとるって。パーチおめぇ、つらだけじゃなく耳まで悪くなったか?」


 パーチは右目でジロリと恰幅かっぷくの良い老人を睨む。


「るっせいわい! てぶっちょルッチョめ! 鳴っとるんならほれ、開けっから手ぇ貸せ!」


 三人はのそのそと音のしている床の周りに集まると、おめぇがそっちを持て、いやおめぇはここを引っ張れと、わちゃわちゃしながらもようやく隠し扉を引っ張り開けた。


「おうズマー、待っとった」


 床下から顔を出したズマーを見てクーコンはニカッと笑う。「お手数をお掛けします」と言いながらセムリナの手を引き階段を上がるズマー。セムリナの姿を見たパーチはずずいっと前へ出る。そしてしわだらけの顔を更にしわくちゃにして「姫様! 良うご無事で!」と声を上げた。その横でルッチョは「暗い最中さなかに汚ぇつらお見せするんじゃねぇよ、姫様びっくりするだろがい」とパーチを皮肉る。パーチは負けじと「気取ってんじゃねぇぞ、でぶっちょルッチョめ!」と言い返す。


「クーコン、パーチにルッチョも……ありがとう」


 セムリナが礼を述べるとクーコンは「なぁに、何てこたありませんぜ」と笑う。そして「なぁボス!」と後ろを振り向き呼び掛けた。倉庫の入り口の横、そこにはいたのは王都ダン・ガルーの裏半分を牛耳るマフィア、ルナーズ・ファミリーを仕切るボス、イラインだ。セムリナは「……イライン!」と声を上げ駆け寄った。


「セムリナ様、ご無事で何よりでございます」


 セムリナの無事を喜ぶイライン。しかしすぐに「さてさて、時間がありませぬ。倉庫を出た先に馬車が待っておりますゆえ、ささ、お急ぎを」と倉庫の扉に手を掛ける。セムリナは「待って、イライン」とイラインの腕を掴んだ。


「皆は……どうするの? 一緒に行くんでしょう?」


 イラインは少し困った様な笑顔で「……わしらはわしらのすべき事を。さ、セムリナ様も……」と言って自身の腕を掴むセムリナの手をそっと離す。


「でも……」


 後ろ髪引かれる思いのセムリナ。すると見かねたズマーが倉庫の扉を開けた。


「参りましょう。ここで追い付かれては、彼らの思いが無になってしまいます」


「…………分かったわ」


 意を決したセムリナ。そしてイラインとクーコン達を見る。


「私は必ずここへ戻ってくる。だから……待っていて」


 セムリナの言葉にクーコン達は満面の笑みを浮かべ、イラインは「仰せのままに……」と優しく言った。


 飛び出す様に倉庫を出るズマーとセムリナ。二人の侍女じじょもそのあとに続く。ベリックオは扉の前まで来ると「礼を申す」とイラインに告げる。イラインは「何の……姫様をお頼み申す」と返す。「承知」と答えるとベリックオも倉庫を出た。最後に残ったリブスはイラインの前に立つ。


「なぁ親父……本当にここで……」


 悲痛な表情を浮かべるリブス。「なんてぇつらしてやがる」と笑うイライン。そして一言、静かに言った。


あたぁ任せた」


「…………」


 下を向きグッと拳を握るリブス。すると後ろで見ていたクーコンが「そんな顔しなさんな、若」と声を掛ける。パーチも「そうそ、笑って別れようや」と笑顔を見せる。


「ボスは俺らに任してくだせぇ、一人にゃさせねぇでさ」


 ルッチョがそう言うとリブスはようやく顔を上げる。そして「……行ってくる」と呟く様に言うと倉庫を出た。


「……数刻前たぁ別人だ。良いつらんなった」


 リブスを見送るとパーチは満足そうに言った。クーコンも笑いながら「これでうれいはねぇってなもんだ。なぁボス?」とイラインを見る。


「……全くだな。歳食ってから出来た子だ、どうしても甘くなっちまう。だが最後の最後、土壇場で一人前の男のつらんなった。俺ら年寄りも、舞台を降りるにゃ良い頃合いだ。ところで……」


 そこまで話すとイラインは三人を見回す。


「このあとん事、俺はまだ聞いちゃいねぇぜ。腰のひん曲がった老いぼれが何人いた所で、若くてデケェ鎧共にゃかなわねぇぞ?」


 イラインがそう話すとパーチは「何言ってやがる、 腰曲がってんのはあんただけだ」と自身の腰をポンポンと叩く。


「こいつを使うんでさ」


 ルッチョは壁際に置いてある小さな木箱の蓋を開ける。「何だぁ?」と言いながら近付き中を覗くイライン。箱の中には数個の魔法石が入っていた。


「石ぃ? 何だこりゃあ?」


 眉をひそめるイラインに、ルッチョはニヤリと笑い「爆裂の魔法石ってヤツでさ」と答えた。


「何でも南の偉い学者先生が考案して、こっちの職人がこさえた代物しろもんでさ。ちょいと魔力を込めて放ってやりゃあ……ボカンってなもんで」


「何だおいルッチョ、いつの間にこんな上等な物仕入れてやがったんだ?」


 イラインは興味深そうに魔法石を眺める。しかし「いや、ちょい待て」と顔をしかめる。


「こいつぁどの程度爆発しやがんだ?」


 イラインは周辺に与える影響を懸念けねんしたのだ。ルッチョは「心配いらねぇでさ。辺りの住民にゃ避難してもらってる」と答える。が、「ただまぁ……何つうか、問題がねぇ訳でもねぇんだが……」と急に歯切れが悪くなった。


「こいつぁまだ試作品だもんで、爆発するタイミングがいまいち掴めねぇ……放んのが早すぎりゃ爆発する前に床に落ちて割れちまうし、遅すぎりゃてめぇの腕が吹き飛んじまう……」


 頭をきながら言いにくそうに話すルッチョ。イラインは「何でぇ全く、締まんねえなおい……」と呆れた様子。しかしすかさずルッチョは「けどなボス」と反論。


「腹にでも抱えてりゃあ何の問題もねぇでさ」


「なるほど……合点がいった。おめぇらがここに残るってきかなかった理由が分かったぜ」


 イラインがそう言うと、パーチは「おうよ!」と声を上げる。


「家族、親族、そういった縁者は一人もいねぇ。ここで俺らがポンと消えちまっても、誰もなんにも困りゃしねぇってな。姫様と若ん為だ、老い先短ぇ命が役ん立つなら何も言うこたねぇ。けどよボス、あんたにゃ……」


 あんたにはリブスがいる。パーチが言いたいであろう事に気付いたイラインは「じゃあ俺ぁはこの一等デケェ石にするぜ」と箱に手を入れて一番大きな魔法石を掴む。


「……良いんですかい、ボス」


 ルッチョがそう問い掛けるとイラインは「良いんだよ」と言って笑う。


「おめぇらとは若ぇ時分から随分無茶ぁやってきたなぁ。このファミリーの創設メンバーだ。まぁ大分数ぁ減っちまったが……」


「そうだなぁ……ネルにヨストー、リンドも逝っちまった……」


 寂しそうに仲間の名を挙げるパーチ。「馬鹿野郎、リンドはまだ生きてる。辛うじてな」とクーコンが言うと、イラインは「ハハハハッ」と声を上げて笑った。


「俺もこの二年で五度せた。毎回覚悟は決めてたが、そんたびにセムリナ様は薬師くすしぃ連れて見舞いに来て下さった。国からすりゃあ俺達なんてな害虫みてぇなもんだ。それなのにあの御方は何の偏見もなくお付き合い下さる。必要だと言って下さる……」


「必要悪とも言われたがなぁ」


 そう言って笑うクーコン。皆もククク、と笑う。


「まぁ何にしてもだ。あの御方の為に出来るこたぁ何でもして差し上げてぇ。おめぇらも同じだろ? 人生最後のデケェ喧嘩、おめぇらと一緒ってのもおつなもんだ。いっちょ派手にやったろうじゃねぇか!」



 ◇◇◇



 倉庫を出て大通りへ向かうセムリナ達。すぐに二台の馬車が目に入った。「セムリナ様、あれです!」とリブスが指差す。セムリナが馬車へ近付くと、そこには思わぬ人物が待っていた。


「殿下! ご無事で!」


「……ワーダーきょう!?」


 セムリナ一行を待っていたのはダイナストン・ワーダー伯爵。グレバン・デルン侯爵らと共に穏健おんけん派貴族達の一人に数えられる人物だ。


「どうして貴方がここに……?」


 驚くセムリナ。ダイナストンは「理由は後程のちほど。お早くお乗り下さい」と一行を馬車へといざなう。「ワーダーきょう! 先頭車は俺が! あとについてきてくれ!」と叫びながらリブスは馬車の御者ぎょしゃ台に飛び乗る。街の中ではルナーズ・ファミリーの者達が各所に散っている。安全な逃亡ルートを指示してくれるのだ。


「良し、出るぞ!」


 一行が乗り込んだのを確認するとリブスはすぐに馬車を動かす。街の中はどこか騒がしい。人の多い王都、そしてまだ人々が寝入る様な時間ではない。当然店も開いていて通りには人も行き交う。しかしリブスが感じたのはそんないつもの騒がしさではない。何がどうとは説明出来ないが、どこか、何かがいつもと違うのだ。すでに追手が街に出ているのかも知れない。



 ◇◇◇



「申し訳ございません、この様な馬車で殿下をお迎えするなど……」


 ガタン、ガガガガ……と勢い良く馬車が動き出すと、揺れに揺れる車内でダイナストンは開口一番セムリナに謝罪する。決して大きくはなく、決して綺麗でもない。一言で言えば、ボロい馬車。こんな馬車に王族を乗せるなど有り得ない。しかしセムリナは「構わないわ」と平然とした様子だ。


「逃亡するのに豪華な馬車なんて……見つけてくれと言っている様なものでしょう。むしろ礼を言います、ワーダー卿。貴方のお陰で下水を這い回る必要がなくなったのだもの」


 ニッコリと微笑むセムリナ。「礼など……勿体もったいのうございます」とダイナストンは頭を下げる。


「で、何故なぜ貴方がここに?」


「は。タイミングが良かったのでございます。先日殿下がいらっしゃった我ら穏健おんけん派の会合、実はその後も三回程行っており――」


 グレバン・デルン侯爵率いる穏健派貴族達は会合を重ねた。そして戴冠たいかんの意志を示したジェスタルゲインを迎え入れるべく、彼らの本領ほんりょうが集まるイオンザ南部へと活動の拠点を移す決断をする。彼らは諸々もろもろの準備をすみやかに終えると次々南部へと向け出立しゅったつした。


「――ゆえにヴォーガン殿下の目をあざむく為、王都を離れる名目は皆バラバラに。関わっている事業の視察であったり、やまいわずらった親類の見舞いであったりと様々です。ですが最終的には各々おのおのの領地がある南部で合流する手筈となっております。私の家の者も昨日までに王都を離れており、私も今夜つつもりでした」


「なるほど……私は置いてきぼりという事ね。先日お邪魔した会合でジェスタに会わせなさいと、そう話したと思っていたのだけれど……私の記憶違いだったのかしら?」


 ジロリとダイナストンを見るセムリナ。ダイナストンは慌てて「滅相めっそうもございません! その為の準備にございます!」と釈明しゃくめいする。


「南部で体制を整え、しかのちに改めてセムリナ殿下にお越し頂くつもりだったのです。そして皆でダグべへ……ジェスタ様にお会いするという段取りで……その……」


 ジトッ、とダイナストンを睨み続けるセムリナ。視線に耐えきれなくなったダイナストンは「なぁズマー殿、グレバン様から聞いていなかったか?」とセムリナの隣に座るズマーに助け舟を求める。するとズマーは「はい、うかがっておりました」とまし顔。セムリナは「なぁに貴方……知っていたの?」と今度はズマーに鋭い視線を向ける。


「はい。くだんの会合ののち、デルン卿とは密に連絡を取り合っておりました。この計画もうかがってはおりましたが、デルン卿より他の者には話さず留めておく様にと……」


「そう……噂通り、デルン卿は随分と慎重なのね。にしても……私にまで黙っている必要が?」


 横目でズマーを見ながら、セムリナはあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。それはそうだろうと、ダイナストンは思った。王女殿下の活発・・な性格を考えたら、蚊帳かやの外に置かれていた現状を知れば不満を持って当然だろう。怒気どきすらも感じるセムリナを前に、しかしズマーはおくするでも慌てるでもなく静かに言った。


「どこから漏れるか分かりませぬ故、用心に用心を重ねた結果にございます」


 それは、と思わず声を上げそうになったダイナストン。今のズマーの返答では、王女殿下は口が軽いと揶揄やゆする様にも聞こえてしまう。あんじょうセムリナはギッとズマーを睨んだ。しかし次の瞬間には「はぁ……」とため息をいて肩をすくめる。


失念しつねんしていたわ……貴方も相当慎重な性格だったわね。デルン卿と話が合うのではなくて?」


「はい。侯爵のお話は非常に面白うございます。時が経つのを忘れてしまいますね」


 呆れながら放ったセムリナの皮肉もズマーはさらりと受け流す。なるほどと、ダイナストンは二人の関係性を把握した。互いに何を言ったとしても、しっかりとした信頼関係があるが故に大した問題にはならないらしい。が、今回の件はセムリナにも思う所があった様だ。まるで愚痴とも取れる皮肉が続く。


「慎重なだけではないわ。なだめてすかしてアメとムチ……必要ならば平気で私を叱りつける。本当、貴方は調教師の様な人ね。有能な側近がいて全く、私は幸せだわ」


「何を仰います。セムリナ様を猛獣だなどと、考えた事もございません」


「ねぇズマー……私は調教師と言ったのよ? 猛獣使いとは言っていないわ」


「…………」


 しばしの沈黙の末、コホンと咳払いするズマー。


「……で、ヴォーガン殿下の動きを察知してすぐに、手の者をワーダー卿とイライン殿のもとへ走らせたのです」


 そして何と何事もなかったかの様に話を続けた。「ズマー殿、それはさすがに……」とダイナストンは苦笑いし、セムリナは呆れ果て「で、じゃないわよ全く……」と吐き捨てた。

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