第247話 手合わせ

(浮遊……落下?)


 全編古代語のこの魔導書。古代語の文字を理解していない俺には当然の事ながら全く読めない。しかしいくつかのページは現代語に訳されている。これはその内の一つ、古代魔法、浮遊落下が記されているページだ。


(浮遊したあとストンと落下……それとも浮遊しながらゆっくり落下……か?)


 果たしてどちらなのか。前者と後者では意味合いが全然違う。まぁ普通に考えたら後者だと思うが。


(え〜と……羽……の様にゆるりと……地面へ……地面……へ…………読めん!)


 そこから先は翻訳した文字がかすれて判読はんどく出来ない。羽の様にゆっくりふわりと地面へ下りる……落ちる? とにかくまぁ、予想通り後者だった様だ。しかし……


(う〜ん……?)


 使用する場面が相当限られそうな何とも地味な魔法である。が、覚えておいて損はないかも知れない。俺はその魔法の短く簡単な呪文を覚えるべく、しばしそのページとにらめっこする。そしてパタンと魔導書を閉じると、他に面白そうな本がないか物色しに席を立つ。


 ここはダグべ王国王都マンヴェントの王立図書館。レクリア城のすぐ隣という立地の為、最近は時間を持て余すと大抵ここに来ている。

 本来ならば魔法の練習や新しい魔法の開発などに時間をきたい所だが、如何いかんせんそれに適した場所がない。デルカル将軍より軍基地の敷地内にある訓練場を使用して良いと許可をもらってはいるのだが、こちらの放つ魔法はどれも極めて殺傷能力の高いものばかり。皆の利用する訓練場で山崩しの様な超攻撃魔法など練習出来るはずがない。


(アルマドは良かったなぁ……)


 傭兵団ジョーカーの本拠、始まりの家があるミラネル王国アルマド。始まりの家からすぐの場所に魔法の練習の為通っていた荒野がある。往復の移動は徒歩圏内、更に街道から外れており人なんて滅多に立ち寄らない。素晴らしい好立地である。あの場所では気兼ねなくバカスカ魔法を放てたものだ。だがまぁ、無い物ねだりした所でどうしようもない。


 適当に本を選んで席に戻る。そしてペラリと本をめくったその時「あぁ、いたいた」と背後から声がした。振り向くとそこに立っていたのはロナだ。


「お姉ちゃんがね、コウ多分ここにいるんじゃないかって。で何、お勉強中?」


「いや、そんな大したもんじゃないよ」


 そう答える俺の横からロナは開いている本を覗き込む。そして眉間にシワを寄せあからさまに嫌な顔を見せた。しかしこれは別にいかがわしい本ではない、実に真っ当な魔法関連の本だ。今開いているのは〈密集戦闘時にける効果的つ効率的な魔法の活用〉という項目。どうやら脳筋で鳴らす(?)ロナにとっては嫌悪の対象だったらしい。


「コウ暇でしょ? 付き合ってよ」


「どこに?」


「手合わせ」


「何の?」


「剣の」


「え〜と……どして?」


「コウ、剣使うでしょ?」


「いやでも、俺魔導師だしね。そんなゴリゴリ使う訳じゃ……」


「でも剣使うでしょ?」


「いやでも、あくまで護身用でさ。咄嗟とっさの時に身を守る程度で……」


「でも剣使うでしょ?」


「いや…………まぁ、使うけども…………」


「よし、じゃあ行こう!」


 先程のしかめっ面が嘘の様にパッと明るい笑顔を見せるロナ。グッと俺の腕を引っ張ると強引に席から立たせる。そして「いやちょっと……!」と声を上げる俺を無視してそのままグイグイ歩き出した。


(……このこんな話聞かないだったっけ?)



 ◇◇◇



 なかば引きずられる様にロナに連れてこられたのはデバンノ宮殿の裏庭。カンカンと高く乾いた音が響いている。音の正体は木剣。ラベンと最近仲間に加わったヤリスが木剣で打ち合いをし、それを見守るノグノの姿がそこにはあった。


「ノグノ様! 遅くなりました!」


 遅くなったと言う割に申し訳なさを微塵みじんも出さない元気一杯笑顔のロナ。ノグノはロナの後ろに立つ俺を見ると「ホッ、殊勝しゅしょうだな」と笑った。


「結構結構。魔導師と言えども剣をげとる以上は当然抜く事もある。鍛練はしっかり……」


 と、そこでノグノは俺がロナとは真反対の不満顔をしている事に気付いた様だ。そして全てを理解したのだろう。


「ホッ……まぁあれだ、損にはならんよ」


 何とも優しい笑顔を浮かべるノグノ。そこはかとなく憐れみの感情も伝わってくる。そしてノグノの後ろで汗をぬぐっているラベンとヤリス。二人に至っては明らかに可哀想な者を見る目で俺を見ている。うん、理解してもらえて嬉しい限り……しかしそんな微妙な空気もお構いなしにロナは脇に転がっている数本の木剣の内の一本を拾い上げ、シュッとこちらにその切っ先を向ける。


「よし!じゃあやろう、コウ!」


(え〜……)


 どうしたもんか……正直全く乗り気じゃない。確かにエス・エリテで短剣術は習った。だがあくまで魔導師の補助武器としてだ。自慢じゃないがゴリゴリの剣士と真っ向打ち合いなんて出来る程の腕はない。


(…………魔法使っちゃったり……なんて……)


 ふと脳裏をよぎる禁断の思考。だが楽しそうにブンブンと木剣を素振りするロナを見て思いとどまる。剣の手合わせってんだからさすがにダメだろう、それくらいの空気は読める。

 助けを求めるべくチラリとノグノを見た。するとこちらの視線に何かを察してくれたのか「ちょい待て」とノグノはロナを呼び止める。そして自身が握っていた木剣をひょいと宙へ放り投げると、シュッと居合いの様に腰の剣を抜いた。さやから滑る様に飛び出した剣は宙を舞う木剣の剣身けんしんを打つ。木剣はカッと軽い音を立てると二つに別れ、それぞれが踊る様にクルクルと回転しながらカラカランと地面へ落ちた。


「ふむ。これくらいの長さのが慣れとるだろ?」


 ノグノは短くなった木剣を拾うと俺に手渡す。木剣の長さは丁度俺が腰にげている短剣、魔喰まくいと同じくらいの長さだった。放り投げた木剣を空中で丁度良い長さにカットする。ノグノは実に簡単そうにやって見せたが……これ凄い技量が必要なのではないか? 前々から思ってはいたが……この人一体何者だ?


(でも……止めてくれる訳じゃないんだね……)


 手渡された木剣を見ながら苦笑いする俺を見て、ノグノはスッと近付き「一回相手しときゃ満足するだろうて」と小声で言った。そして続けて「ヤリスは治癒魔法を使える、大事だいじにはならんよ」と笑う。是非ぜひそうあって欲しいものだ……


「さ、準備はいいね? 行くよ!」


 ロナはそう声を上げるとスッと木剣を構える。と同時にその顔から笑みが消えた。それはブロン・ダ・バセルとの戦闘のたぴに見せていた顔、剣士の顔だ。張り詰める空気、ビシビシと伝わってくる圧。はっきりと言おう、俺は完全に飲まれてしまっている。こんなの大事だいじになる予感しかしない。たまらず俺は「ちょ、ちょっと待って!」と左の手のひらを前に突き出した。


「あのねロナ。俺、魔導師。分かる? 剣士じゃない。剣なんて本当ふわっとしか習ってなくて……」


 必死に説明する俺を見てロナはフッと笑う。そして「やだなぁコウ。分かってるよ」と言いながら肩をすくめた。


「ちゃんと加減は……するって!!」


 言うや否やロナは猛烈な勢いで踏み込んできた。構えは上段、一切の躊躇ちゅうちょなく俺の頭目掛けて木剣が迫り来る。


「ちょ……おおおおぉい!!」


 叫びながら慌てて身をかわす。ブォンと風を切るというよりも、叩いたと表現した方が適切と思える様な、そんな分厚い風切り音が鳴った。こんなのまともに剣で受けようもんなら手首折れるわ。


「ハッ! ヤッ!」

「うおっ! ずぁっ!」


 掛け声と共にロナは木剣を振り続け、俺はそれを必死の思いでけ続ける。横ぎ、斬り上げ、回転斬り……そのたびにロナの木剣はブォン、ブォンと狂暴な音を鳴らし、そしてその音を聞く度に俺の背筋には冷たいものが流れる。かわすごとに速くなる剣、かわすごとに笑うロナ(目は笑ってない)。しかしあの華奢きゃしゃな身体でどうしてこんなに強く剣を振れるのか、全く理屈に合わない。


(でもこれ……マズいぞ……)


 ロナが息を整える隙を突いて急いで距離を取る。てっきり寸止めでもしてくれるのかと思っていたが、ロナは攻撃の全てをしっかりと振り抜いている。まともに食らったら間違いなく重傷、剣で受けても恐らく重傷。ヤリスがいるから大事にならない? それは違う。正しくは、大事にはなるがヤリスが治癒魔法で大事をなかった事にしてくれる、だ。つまりどうあっても一度は痛い思いをしなければならない。そんなの普通に嫌だ。

 しかしあのドワーフ、本当に加減て言葉の意味を知ってるのだろうか……


 すぅぅ、ふぅぅとロナは大きく深呼吸すると「やるねぇ、コウ」と笑顔を見せる。しかし「こんなに動けると思わなかったよ」と言葉を続けたその時には、すでに笑顔は消えており剣士の顔に戻っていた。


「でもね……逃げてばっかりじゃ終わらないし……終わらせないよ!!」


 ロナはそう声を上げると再び斬り込んでくる。確かに、このまま上手い事逃げ回って「もう、コウ全然打ち込んでこないじゃん、これじゃ鍛錬にならないよ。しょうがない、ラベンやろう?」なんてロナが諦めてくれれば良いなぁ、などと考えていた事は認めよう。だがどうやらこのままでは終わらないらしい。となるとロナの凶悪な攻撃をくぐり、一撃も食らう事なくこちらの攻撃でこの手合わせをくくらなければならない。つまりは無傷で勝たなければならないのだ。

 しかしほぼほぼ剣の素人であるこの俺がだ、暴風がごとく得物を振り回すロナを相手に一撃も食らわず完勝するなど有り得ない事だ。それをくつがえすには誰もが想像すら出来ない様な、トリッキーつ裏技的な奇襲でも繰り出すしかないだろう。だが幸いにして俺はそのすべを身に付けている。隠術いんじゅつだ。


「フッ!!」


 踏み込みながら木剣を右から横にぐロナ。相変わらずのフルスイングじゃないか、俺の身体を叩き折る気か? だが当たらないのだ。グッと地面を蹴り付ける左足に身体強化魔法を掛け、ロナの木剣が俺の身体を叩き折る前に右前方へと跳ぶ。高速で滑る視界の端に目を丸くするノグノの顔が一瞬見切れた。それはそうだろう。隠術いんじゅつはまだ皆の前では披露していない、まさにトリッキーな裏技だ。初見でこのスピードに対応出来る者などそうそういない。ちなみに魔法は使わないと言いつつこれも魔法の一つではある。だが相手にではなく自分に掛けているのでセーフとする……いや、これセーフだから。


 首尾しゅび良くロナの背後に回り込んだ俺はそこから更に前方へと跳ぶべく身体強化魔法を使う。狙うはまるで無防備なロナの背中。一気に間合いを詰めてガラ空きの背中にトンと木剣を当ててやればそれで終了。フフ、ロナよ。本気にさせた君が悪いのだよ!

 勝利を確信した俺は思い切り地面を蹴り付けた。が、その直後に驚くべき事が起こる。なんとロナは身をひるがえし後ろを向いたのだ。更に手にした木剣をスッと前に突き出したのである。


(剣!?)


 気付いた時にはすでに遅し。充分にスピードに乗った俺の身体は慣性かんせいに支配され、すべなくロナに向けて突き進む。


「ちょ待っ…………!!」




 ガチン!!




 途轍とてつもない衝撃が走った。瞬間視界が暗くなり音が消えた。辛うじて意識こそあるが、まるで頭が働かず一体何が起こったのか分からない。やがて無数の光がチカチカとまたたき、少しずつ視界と音が戻り始める。


「大丈夫コウ? もろ当たっちゃ……え…………ちょっとコウ!?」


 ロナの声だ。


「いかん! ヤリス! 頼むぞ!」


 ノグノの声だ。


「コウ殿! すぐに治して…………うわ……割れてる……」


 ヤリスの…………へ? 割れてるって……何だ? 頭がズキンと…………頭!?



 〜〜〜



「本当良かったぁ……死んだかと思ったよ」


 ロナよ、勝手に殺すな。


「ホッ、言った通りだろ? ヤリスがおれば大事だいじにはならんよ」


 ノグノさん、大事になってる。ヤリスがなかった事にしてくれただけ。


ひたいで良かったですよ。喉にでも突き刺さっていたらさすがに……」


 ヤリス、怖い事言わないで。


 ロナの突き出した木剣にみずから当たりその場に昏倒こんとう。そして見事パックリ割れた俺のひたいはすぐさまヤリスが治癒魔法で綺麗に治してくれた。まさかこんな結末を迎えるとは何とも情けない……しかし良い教訓になった。勝利目前、そんな時こそ油断せず、浮かれずおごらず冷静に。

 だが一つだけ引っ掛かる。ロナには高速で移動する俺の姿が見えていたのか? ロナに聞いてみた所、返ってきたその答えに俺は力が抜けた。


「え? そんなの勘だよ。コウが消えてね、でも本当には消える訳ないと思ってね、じゃあどこ行ったんだって考えたら……死角の背後に決まってるでしょって。で、取りえず剣を出したらそこにコウが頭からガツンて……」


 勘て…………メチルさん。折角せっかく教えてもらった暗殺術ですが、脳筋ドワーフの勘に敗れました……


 座り込み項垂うなだれる俺の肩にポンと手を置くラベン。そして静かに言った。


「ロナにとって勘とはすなわことわり。気にしたら負けだ」


 つまりロナの中では勘が論理を上回るという事なのだろう。何と言うか、経験者は語る的な説得力を感じる。


(ロナのこういう場面、きっと色々見てきたんだろうなぁ……)


 天才型の人間は世の理屈とは違うベクトルで生きてる節があったりする。そして凡人はそこに理不尽さを感じたりするものだ。ラベンが凡人とは言わないがしかし、彼が今まで経験してきたであろうロナに対する苦労・・を垣間見た気がして、何だか切なくなってきた。


「ホッ、しかし面白い技を身に付けとるな。常人ではあの動きはとらえきれんだろうて」


 微妙な表情を浮かべている俺にノグノはそう声を掛けた。何となく含みを感じる言い方だ。自分には見えていたが、と言葉が続いてもおかしくはない感じだが……


「仇は討ってやる、まぁ見とれ」


 そう言ってニカッと笑うノグノ。そして「ロナよ、久々に二、三歩手前でやるか?」とロナに問い掛けた。その言葉を聞いたロナは途端に険しい表情を見せる。

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