第248話 凍刃

「二、三歩……ですか…………」


 そう呟いたきり険しい表情で黙り込むロナ。対してノグノは実に穏やかな様子で「おう。良い治癒師がおらねば中々出来んからな」と答える。そしてくるりと振り向き「ヤリス、魔法はまだ使えるな?」とヤリスに確認する。


「はい……問題ございませんが……」


 少しばかり戸惑いながらヤリスがそう答えると、ノグノはロナに視線を戻し「だ、そうだが?」と相変わらず穏やかな口調で問い掛ける。


「…………」


 しかしロナは無言だ。躊躇ためら逡巡しゅんじゅんしている、そんな様子がうかがえる。


「ふむ……コウには随分と強気に振る舞っとったが……そうか、怖いか」


「!?」


 あからさまとも思えるノグノの挑発。しかしこれでロナは引き下がれなくなった。ギリッと奥歯を噛み、手にした木剣の切っ先をノグノに向ける。


「良いでしょう………………ってやる!!」


「ホッ……やる・・の字が違って聞こえるが……気のせいか……?」


 それぞれ木剣を構え睨み合う二人。どうやら手合わせを始めるようなのだが、しかしそれにしては様子がおかしい。重過ぎるのだ。二人の表情が、雰囲気が、場を包む空気が。ヤリスは自分の名を出された事もあってか困惑した様子で二人を注視している。そして同じく二人を見つめるラベン。元々表情の固い男ではあるが、いつにも増して険しいその顔が状況の深刻さを物語っている。


「なぁラベン。何かヤバそうな雰囲気なんだけど……二、三歩って……何?」


「本気の二、三歩手前だ」


 木剣を構え向かい合う二人から一瞬たりとも視線を外せない。ラベンはそんな様子でこちらを見る事なく答える。そしてその理由を呟く様にぼそりと言った。


「本気の…………殺し合いのな」


「…………はぁ!?」


 俺は驚いて声を上げた。そしてあたかもその声が合図であったかの様に、突如ロナが動く。


「ハァァァッ!!」


 猛烈な勢いで飛び出したロナ。雄叫びを上げながら速く鋭い強烈な突きを放つ。瞬間ノグノもそれに合わせる様に動く。身を低くして踏み込むと、握った木剣でロナの突きを下から跳ね上げる様に弾いた。更に勢いのまま右に回転しながら木剣を振り回す。「クッ……」と小さく声を漏らしたロナ。咄嗟とっさに後ろへ跳び退けノグノの攻撃をかわすと、すぐに前へ詰めて斜めに斬り付ける。


「ホッ……」


 良い反応だ、とでも言わんばかりに小さく笑うノグノ。ブゥンと音を鳴らす重そうなロナの攻撃を、しかしノグノは事も無げに防いですかさず前蹴りを繰り出す。身をよじってかわしたロナ、今度は横ぎ。しかしこれもノグノは防ぐ……


 目まぐるしく展開される激しい攻防。ふと、それを唖然あぜんとして見ている自分に気が付いた。目を奪われるとはこういう事を言うのだろう。


(さっきのあれ、加減してくれてたんだ……)


 俺と立ち合った時のそれとは比べ物にならないくらいロナの攻撃は速く、そして重そうだ。どうやらさっきは本当にロナなりに加減してくれていたらしい。加減を知らない脳筋ドワーフなんて思っていたが……ロナ、ごめん。

 しかし驚くべきはノグノだろう。かすりでもしたら瞬間弾け飛んでしまうのではないかと、そんな錯覚を覚えそうな程強烈なロナの攻撃。ノグノはそれをいとも容易たやすく防いで更には反撃しているのだ。素人目に見ても普通じゃないのは良く分かる。本当この人何者なんだ?


「フッ!!」


 ロナは大きく踏み込むと右下辺りから斬り上げようと木剣を振るう。が、ノグノはまるでそれを待っていたかの様に前へ飛び出す。そして安全圏であるロナのふところに飛び込むのと同時に木剣の柄頭つかがしらでロナの脇腹に打撃を入れる。


「グッ……」


 顔をしかめて小さくうめいたロナはたまらず距離を取ろうと後方へ跳ぶ。しかしノグノはロナが跳ぶのと全く同じタイミングで前方へと飛び出しロナの後を追い掛けた。方や逃げ、方や追う。シンクロした様にピッタリとそろった二人の動き。激しい打ち合いの中にあってその瞬間だけは、まるでダンスでもしているかの様な奇妙な光景に思えた。

 そして着地と同時にノグノの突き。何とかかわしたロナだったが体勢を崩し、再び距離を取るべく後方へ跳ぼうとする。だがノグノはそれを許さない。ロナの蹴り足である左の足の甲をグッと踏み付けロナの移動を封じたのだ。「わっ!?」と声を上げ思わず片膝を付いたロナ。ノグノは踏み付けたロナの左脚、その太腿に思い切り木剣を叩き付ける。更に胸の辺りに突き。苦悶の表情を浮かべるロナは大きく身をよじり辛うじて突きをかわした。だが次の瞬間にはグイッと頭を前に引っ張られた。見上げたロナの目の前には左手で自身の髪を掴み、右手に握った木剣の切っ先を首元に向けるノグノの姿があった。


「髪は後ろで縛っとった方が良かったな」


 ノグノはそう言うとパッと掴んでいた髪を放す。ロナはふぅぅと息を吐き仰向けに地面に倒れ込みながら「……参りました」と呟き顔をしかめた。


「すげ〜……」


 思わず口から溢れた。実にありきたりで何ならアホっぽいが、しかしそれが率直な感想だった。うなりを上げるロナの攻撃を子供でもあしらうかのごとさばいて圧倒したノグノ。あの歳であれだけ動けるって……どんな爺さんだ?


「凄まじい……これが凍刃とうじん……」


 隣で見ていたヤリスが呆然とした様子でぼそりと言った。


(とう……じん?)


「ヤリス、それって……」


 ヤリスが呟いた言葉。その意味を聞こうと声を掛けたその時、「おぅいかん、ヤリス! 頼む!」とノグノが声を上げた。ノグノに呼ばれハッと我に返ったヤリスは「あ……はっ!」と返事をすると二人に駆け寄る。どうやらロナが怪我をした様だ。まぁそりゃするだろう。太腿、思い切りぶっ叩かれてたし。あれが真剣だったら左脚は切断されていた。


「なぁラベン。ノグノさんて……何者? 今ヤリスが……とうじん? とか何とか……」


 そう問い掛ける俺に「何だ、知らなかったのか?」と若干呆れ気味のラベン。「凍刃とうじん、凍るやいばだ。ノグノ様はこのあだ名で五剣ごけんの一人に数えられている」と説明する。


五剣ごけん…………て何?」


「何だ、それも知らないか。遠く南方、内海沿いでは特に優れた五人の剣豪の事を、尊敬と畏怖いふの念を込めて五剣と呼んでいる」


「へぇ~……でも内海って相当南でしょ? そんなとこで?」


「ノグノ様は若い頃、剣の腕を磨く為に国を出て各地を巡ったそうだ。そして内海に辿り着いた。あの辺は小国がひしめき合いいくさが絶えぬ不安定な地。ノグノ様はそこを気に入り、各国を転々としながら傭兵として数々の戦に参加し数え切れぬ武功を挙げた」


「それで五剣に……んで凍刃ってのは?」


「ノグノ様の剣には決まった型がない。流派を持ったり道場を開いたりしている五剣がいる中、ノグノ様にはそういったものがない。無論、基本に忠実なその立ち回り方に学ぶべき所は沢山あるが、真に注目すべきは振るう剣そのものよりも読みの深さと鋭さにある」


「読み……」


「分かり易いのは……そうだな、ロナと同時に跳んでいた場面があっただろう?」


「あぁ、跳んでた。そろったみたいにピッタリと」


「あの瞬間、ノグノ様はロナの行動を読んだのだ。次は距離を取るだろう、横ではなく後ろに跳ぶ、などとな。だが別にその場面に限った話ではない。ノグノ様は打ち合いの最中、常にロナの行動を読んで立ち回っていた。当然の事だが読みは攻撃と防御にきる。相手が何をしたいのかが分かれば、立ち回りが容易になるのは言うまでもない」


「なるほど……」


 確かにその通りだ。相手のやろうとしている事が分かるのならば、こんなに楽な話はない。


「てかさ……それもう、無敵じゃない?」


「だから五剣の一人なのだ。想像してみろ。頭の中を覗かれるがごとく思考と行動を読み取られる。攻撃は全てさばかれ、逆に嫌な所ばかり攻められる。焦り、萎縮し、何をしても無駄なのだという意識を強烈に植え付けられるのだ。そして先に待っているのは己の死しかないと悟る。戦場で遭遇したのがそんな化け物だったらどうする? 背筋が凍る思いだろう?」


「あ……だから凍刃?」


「そうだ。相手の心を凍らせる、凍刃の所以ゆえんだ」


「ホッ、そんなもん、周りが勝手に言っとるだけだ」


 木剣で肩をトントンと叩きながらノグノがやって来た。そして「しかしロナの相手は骨が折れる……あやつの振りは強いからなぁ……」などと言いながら左腕をぐるぐると回す。


「何を仰っしゃいます、ニ、三歩手前と言いながら実際は十歩程も手前でしたが?」


 ラベンがそう指摘するとノグノは「まぁな。下手したら壊しかねん。如何いかにヤリスの腕が良くてもやり過ぎはいかんわ」と答える。そして俺に視線を移すと「どうだコウ、割られた額の仇は討ってやったぞ?」とニカッと笑った。


「知りませんでしたよ、凄い人だったんですねノグノさん。相手の行動を読めるって、敵無しでしょ?」


 そう話す俺にノグノは「ホッ、そんな大したもんじゃない」と笑う。


「いや、大したもんでしょ。先を読むって……具体的にどうやってるんですか? 表情なんかから……心理を探るとか?」


 これは別に剣士に限った話ではないない。先読みの力は当然魔導師にとっても有用だ。何かコツでも掴めないものか。しかしノグノの返答は渋かった。


「ふぅむ、これがなぁ……何と言うか、分かるとしか……言えんのだ」


「それは……説明が出来ないと?」


「今コウが言った通りな、相手の表情や動きなどからも読み取りはする。しかしそれが全てかと言うとそうではない。何か……別のもんの意志が介在かいざいしわしに先を読ませている……とでも言うか……」


「どういう事です?」


「剣を振るっている間はな、別のもんがわしの中に入り込みわしを動かしていると……だが同時に、間違いなく己の意志で動いているとも言える。何とも不思議な感覚でなぁ……ともかく、上手く言語化出来んもんを人には教えられんわな」


(なるほど……)


 上手く言語化出来ないもの。それは俺にも心当たりがある。例えば魔散弾まさんだんのコントロールどうやっているのかなんて、仮にそんな事を聞かれたとしてもろくな説明は出来ないだろう。ノグノの言う様に出来るとしか答えられない。何とも要領を得ないノグノの話もそう考えるとに落ちた。


 先読みの力はノグノだけが持ち得るある種の特殊能力なのかも知れない。


「そんな訳だ、済まんなコウ。教えられるもんなら教えてやりたいが……ラベンにも何度も説明したがな、結局教え切れんかった」


 申し訳無さそうに話すノグノ。ラベンは「お気になさらず、宜しいのです」と答えた。


「先を読む力はノグノ様だけのもの。だからこそ、五剣のお一人と呼ぶに相応ふさわしい。誰彼構わず習得出来ては、世が剣豪だらけになってしまう。可能性がありそうなのはロナくらいなものでしょう」


「ロナが?」


 俺は驚いて思わずロナに目をやった。ロナは地面に大の字に寝転がってヤリスの治療を受けている。何と言うか、男前な図だ。ノグノはそんなロナを見ながら「ホッ、そうかもなぁ」と呟く様に言った。


「さっきラベンが言っとったが、ロナの剣には理屈ってもんがない。あ奴は勘で生きとる剣士だ。だがその勘がすこぶる鋭い。このままその勘を磨いていく事が出来れば……あるいはわしが見とるもんを見られる様になるかも知れん」


「へぇ~……ロナにそんな可能性が……」


 俺は再びロナに目をやった。ロナは地面に大の字に寝転がってヤリスの治療を受けながら、そして何やら大笑いしてヤリスの腕をバンバンと叩いている。何と言うか、やっぱり男前な図である。


 そしてこれらの一部始終を宮殿の窓からこっそり見ていた者がいた事には、誰も気付いていなかった。

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