第256話 過去

「うおっ!?」


 思わず声が出た。ドォン、ドォンと鳴り続ける低く鈍い音。直後、ドドドと部屋が揺れた。ミストンはすぐさま窓へ駆け寄り外を確認する。そして再び「うぉ……」と唸った。


「すぐ向かいじゃねぇか……」


 見ると土煙つちけむりの中、通りを挟んだ向かいの建物が崩れていた。その脇には大鎚ハンマーを肩に担いだオークの姿。オークはゆっくりと前を向くとガチャン、ガタガタンと通りを塞ぐ建物の瓦礫がれきを蹴飛ばしながら悠々と歩いてゆく。三階の窓から見ても、オークのその巨体は際立って見えた。


「すげぇ力だな……初めて見たぜ、オークってヤツ……」


 傭兵団ブロン・ダ・バセルの特務部隊シャーベルはダグベ王国王都マンヴェントに潜伏していた。目的はイオンザ王国第二王子ジェスタルゲインの抹殺。しかしジェスタルゲインのいるデバンノ宮殿の守りは固く彼らは足止めを余儀よぎなくされていた。そんな最中さなか、オークの集団による王都への襲撃に遭遇したのだ。


「早いとこ指示出してもらいてぇもんだ、ここも崩れっちまう」


 ミストンはそう話しながらかたわらに立つバッサムに笑う。しかしバッサムは無言だった。無言でミストンを見ている。


「何か……言いたそうだな?」


 そう問い掛けるミストンに、バッサムは静かに「……聞いていいのなら」と答える。ジッとバッサムを見るミストン。少し間を空け「答えられる範囲なら」と返した。


何故なぜ……ナイシスタはダッケインの下にいる? ダッケインごときは二流のまがい物。ナイシスタの方が数段上だと下っ端の俺の目にすらそう映る。なのに何故なぜ……」


 ミストンは笑いながら「待て待て」とバッサムの話をさえぎる。そして「こんな場面で聞く事か?」と呆れる様に笑った。しかしバッサムの表情は変わらない。


「ずっと不思議に思っていた、カーン隊にいた頃から。ナイシスタだけの話じゃない、何故幹部連中は黙ってダッケインに従っているのかと」


 ミストンは窓の外へ目をやる。ドォンドンドンと相変わらず低い音が響く。あちこちで火の手が上がり、なかばパニックおちいった人々が叫びながら逃げ惑う姿が見て取れる。街は騒然としていた。そんな街の様子を眺めながらミストンは静かに答える。


「ま、時間はありそうだし別に良いが……他の連中の事は知らねぇ。だが隊長のあれは……復讐だそうだ」


「復讐……誰に対して?」


「これ以上は言えねぇよ。知りたきゃ隊長にじかに……」


「ダッケインだよ」


 突如響く声。驚いた二人は振り返る。見ると部屋の扉が開いており、そこにはナイシスタが立っていた。外の喧騒に扉の開く音がき消されたのだ。


「何だいお前ら、随分と仲良しじゃないか。コソコソと、あたしの噂話かい?」


 そう言いながら扉を閉めると、ナイシスタは壁際のベッドの一つに腰を下ろして足を組む。ミストンは「済まない、隊長。だが俺は……」と弁明しようとするが、ナイシスタは笑いながら「分かってるさミストン、聞こえていた。お前は不義理を働いちゃあいない」と返した。そしてバッサムを見ると「不思議かい、あたしがダッケインに従っているのが」と問い掛ける。バッサムは無言でうなずいた。


「そうかい。ナッカらが街の様子を探ってる。戻ってくるには少し掛かりそうだ。丁度良い、昔話でもしようじゃないか。バッサム、お前の疑問に答えてやろう」


「良いのかよ、隊長?」


 心配そうに声を掛けるミストンをチラリと見ると、ナイシスタは「構わないさ」と笑う。


「それに、バッサムにも全く関係のない話って訳じゃあないしねぇ」


「……俺に何の関係が?」


「良く聞きなよバッサム。関係があるとは言っていない、関係がない話って訳じゃあないと、そう言った。その程度のもんさ」


 ナイシスタはゆっくりと足を組み替える。そして話し始める。


「なぁに、簡単な話だよ。難しい事は何もない。あたしはダッケインに……売られたのさ」


「売られた……?」


「そうさ。昔々、あたしとダッケインは恋仲だった。全く、あの頃のあたしはどうにかなっていたとしか思えないねぇ。どういう訳か、あのダッケインがキラキラとして見えていたのさ。他の幹部連中は誰も知らない、隠していたからねぇ。秘事ひめごとってやつさ。当時軍人だったダッケインは退役して傭兵稼業を始めようと考えた。何でも国が資金を提供してくれるとかでねぇ、団の設立は実にスムーズに行ったのさ。ある夜、あたしとダッケインは軍務卿の屋敷に招待された。当時の軍務卿はそりゃもうイヤなジジィでねぇ、でも金を出してくれた訳だから礼の一つも言わなきゃならないだろ? だから嫌々ながら……屋敷に行こうと決めたのさ」


 ナイシスタがそこまで話すと、ミストンはグラスにワインを注ぎナイシスタに手渡した。受け取ったナイシスタは「良く分かってるじゃないか、ミストン。そうだ、これは酒でも飲まなきゃ出来ない話だ」と言ってグッとワインを口に含む。


「ふぅ……さて、軍務卿の屋敷に行く当日。ダッケインはヤボ用があるから少し遅れると、あたしに先に屋敷に行っていてくれと、そう言ってねぇ。あたしは軍務卿のしゃくをしながらダッケインを待った。だが一向にダッケインは現れない。そうこうしている内に、軍務卿の態度が変わった。奴はあたしの服の下に手を滑り込ませてきた。当然あたしは拒否したさ。だが軍務卿は言った。拒めば団を潰すと……」


 ナイシスタはグイッとワインを飲み干す。そしてグラスを握り締める。


「何がなんだか分からなかった。ただ、ダッケインが心血を注いでいた団をあたしが潰す訳にはいかないと……今思うと本当に、どうかしていたよ。軍務卿のシワだらけの汚い手が、あたしの身体中をまさぐった。今思い返しても鳥肌が立つ……まさに悪夢の時間さ。夜中じゅう散々もてあそばれ、ようやく軍務卿が満足したのは明け方になってからだ。あたしはもう何も考えられずに、ただベッドの上で横になっていた。そんなあたしを見て軍務卿は笑いながらこう言ったのさ。全てはダッケインとの盟約だ、お前を自由にして良いと。お前はダッケインからの献上品だ、とねぇ」


「売られた……か」


 バッサムがそう呟くと「そうさ!!」とナイシスタは声を上げた。


「殺してやろうと思った……軍務卿も、ダッケインも……殺してやろうと思った!! だが止めた。それじゃあまるで足りない、釣り合わないだろう……惨めで恥ずかしくて悔しくて……あたしの味わった絶望と……殺す程度で釣り合う訳がない!!」


 怒鳴りながらナイシスタはグラスを床に投げ付ける。パリンと音を立てグラスは砕ける様に割れた。気を落ち着かせる様にナイシスタはふぅぅと大きく息を吐く。そして再び語り出した。


「それ以降度々たびたび軍務卿に呼ばれてねぇ、あたしは心を殺して相手をしてやったもんさ。程なくして、軍務卿は処刑された。国の金をちょろまかしてたってのが露見ろけんしてねぇ、家も取り潰された。あのジジィは文字通り全てを失ったのさ。簡単だったよ、実に簡単だった……あのジジィには敵が多かったからねぇ……フフフ……」


 ニタリと笑うナイシスタ。その美しい顔が不気味に歪む。


「残るはダッケインだ。どうすりゃ奴に絶望を味あわせる事が出来るのか……考えた末、結論が出た。あたしが団を乗っ取りゃ良いってねぇ」


 ミストンはナイシスタに新しいグラスを渡しワインを注ぐ。チラリとミストンを見たナイシスタ。注がれたワインを眺めながら「そんな顔するんじゃないよ、昔話さ」と小さく言った。


「あたしを売ってまで手に入れたんだ、ダッケインにとってブロン・ダ・バセルってのは、それはそれは大事なもんなんだろうねぇ。そんな宝物をあたしが奪って、その上で切り刻んで殺してやろうと考えたのさ。そしてあたしはシャーベルを結成し、面倒臭い汚れ仕事を引き受けた。全ては国に対しダッケインよりもあたしの方が金を稼げると、そう思わせる為さ。ダッケインの顔を見るたびに、斬り殺してやりたくなる衝動を必死に抑えながら、あたしはひたすらを待った。そしてとうとうこのデカい任務だ、しかも国から直接の依頼……もう良い頃合いさ。この任務を全うしたらあのヒゲ……軍務卿に直談判する。ブロン・ダ・バセルはあたしが率いた方が儲けを出せると……国からお墨付きをもらうのさ」


 ナイシスタはグラスのワインを飲み干す。そしてバッサムを見ると「……思えば随分と無茶をした」と呟く。


「人員確保計画、揺りかご。あれを思い付いたのも、全ては成果を出す為さ。効率良く団をデカくする為にねぇ。そこらの孤児院を買収し、子供らに傭兵として必要な教育を施す。そしてそのまま団員として雇い入れる。素直に買収に応じない孤児院は力尽くでじ伏せた。バッサム、お前の所もそうだった」


「なるほど……関係ない話って訳じゃないとは……そういう事か」


「そうさ。お前らはあたしのさ晴らしに付き合わされたのさ。あの神父も、素直に応じてりゃあ死ぬ事は……」


 ガチャ、と突然扉が開いた。ナッカが情報収集を終え戻ってきたのだ。


「街の様子はどうだい?」


 ナイシスタがそう問い掛けるとナッカは肩をすくめて「街中オークだらけだ」と答えた。


「連中、至る所で暴れてやがる。衛兵共が戦っちゃいるが、まるで相手になってねぇ。そんでオーク共だが、どうやら城へ向かってる様だ。北側じゃあすでに城門に取り付こうかって勢いらしいぜ」


 ナッカの報告を聞くとナイシスタは「そうかい、ご苦労だ」と言って立ち上がる。


「さて、丁度話の切りも良い。そろそろ動こうじゃないか、豚共のパレードに便乗だ。騒動の隙を突いて宮殿へ突入する! 全員に準備させな!」


 ナイシスタの指示を聞き部屋を出ようと扉に手を掛けるナッカ。しかし扉を開けずにくるりと振り返りバッサムを見る。


「おいバッサム。お前は俺の班だ、来い」


 するとミストンが「おいおい待てよ、こいつぁ俺の班だろ」と反論する。しかしナッカは譲らない。


「こいつは何をたくらんでやがるか分からねぇ。俺が見張っとくんだよ」


 二人のやり取りを聞いたナイシスタは「ククク……」と小さく笑い「何だいバッサム、お前モテモテじゃないか」とからかう。バッサムはナイシスタを睨む様に見ると「別に……どこでも良い」と吐き捨てた。ナイシスタはバッサムの肩を掴むとグッと引き寄せ小声で話す。


「分かってるさバッサム。あんな話をしたからと言って、別に情に訴えようなんて思っちゃいない。お前はあたしを恨んでいる、それで良いさ。だが少しでもあたしをあわれと思ってくれるんなら……今は手を貸しな」

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