第236話 イェンゼンの魔女

「魔女の実験以前、ダグべで魔女と言えばイェンゼンの魔女と呼ばれる女の事だった。七十年程前、マンヴェントより北東にあるイェンゼンという街で連続殺人事件が起きた。被害者は皆絞殺された後、胸を切開され心臓を取り出されていた」


 おぅぅ……王様普通に話してるけど、中々の猟奇殺人じゃないか……


「街の衛兵隊はすぐに捜査を開始したが、犯人の特定すら出来ずに四年が経過した。その間も犯行は途切れる事なく行われ、被害者の数は六十三名にも及んだ」


「六十……! ですか?」


 驚いて声を上げた俺に対し、マベットは静かに「我が国最大、最悪の犯罪だ」と答えた。


「しかしとうとう犯人は捕まった。名はメリナ。メリナはイムザン教の神官だった。国の官吏かんりである神官がよもや殺人者とは、衛兵隊らの頭の中にもなかったのであろうな。実はメリナにはもう一つ裏の顔があった。メリナはイムザン教の神官にして、魔神崇拝すうはい者だったのだ」


「魔神崇拝すうはい……最近ではあまり聞きませんね」


 ジェスタがそう言うとマベットは「イェンゼン周辺ではその風習が根強く残っていた様だ」と答える。


「魔神って……邪悪な神とか……って事ですか?」


 そう問い掛ける俺に対しジェスタは「強大な力を持つ魔人や魔獣を神としてあがめる、この北方では古くからその様な風習が残っている地域があるんです」と説明する。するとマベットも「イムザン教が広まりその信徒が増えるに従い、徐々にすたれては行ったのだがな」と加える。


 魔人と魔獣。確か肉体を手に入れたをそう呼ぶんだと、前にジョーカーのゼルが話していた。


「メリナは取り調べでこう語っている。北方の神々には珍しく、しんイムザンは豊穣ほうじょうつかさどる穏やかな素晴らしい神。しかし強さが足りない。ゆえにその強さを氷の魔人に求めた。魔人にこの北方の守護者になってもらうべく、その代価として心臓を捧げたのだ、と。メリナは教会に礼拝で訪れた人々を襲っていたのだ」


「氷の魔人……てのがいるんですか?」


「うむ。一千年以上前……大陸を襲った大地震、大変動以前よりこの北方を縄張りとしていた魔人だ。冷気を操るその魔人はビルデ山脈の深くに住んでいると言われており、その力は強力にして絶大、天候すらも意のままに操る程だとか。氷の魔人との遭遇はすなわち死を意味する。最後に姿を見せたのは六百年程前……であったな、ジェスタよ」


「はい。六百年前、我らイオンザとビルデ山脈を挟む北の国、旧ボルナム王国との戦争の時です。我が国の遠征隊はビルデ山脈を越え旧ボルナム王国に攻め入ったのです。しかし敵は強く返り討ちにいました。その撤退戦の最中さなか、突如氷の魔人が現れボルナム軍を氷漬けにしてしまったとか。そしてそれのみならず、魔人は旧ボルナム王国の国土をまるごと雪と氷で覆ってしまったのです。それ以降、ビルデ山脈より北は人の住めぬ極寒の地になりました」


 何だそれ!? 国を丸ごとって……そんな事出来るのか? 何かおとぎ話みたいな話だが……


「それって……その魔人、イオンザ軍を助けたって事ですか?」


「さぁ、そこまでは……イオンザの公式文書にもそれ以上詳しい事は書かれておらず……何せ六百年も昔の事ですしね。棲家すみかとされていたビルデ山脈の側での戦争ですから、騒がしくてかんさわったのかも知れません。我が軍が的にされなかったのは偶々たまたまではないかと……そう伝えられています」


(魔人とか、本当にいるんだ……)


 別にゼルの話を信用していなかった訳ではない。魔人になる前段階のを呼び出し使役する召魔師しょうましがいるくらいだ、そういう存在もどこかにいるんだろう。が、自分にはあまり関係のないものなのだと、どこかそういう風に考えていた所はある。しかしいざそういう話を聞くと何と言うか……リアリティが増すと言うか、急激なファンタジー感に戸惑うと言うか……改めてここは自分の知らない世界なのだと思い知る。


「これは完全にわしの言葉が原因だ……当初は狂乱した魔導師の凶行などとささやかれていたのだがな、手出し無用の国外追放……わしのこの指示がらぬ憶測を呼んだらしい。王の言葉とはまこと、重いわなぁ……」


 そう話すとリドー公は「ふぅ……」とため息をく。マベットはそんなリドー公をおもんぱかり「噂というものは如何様いかようにもその形を変えるものです」と言葉を掛ける。


「その魔導師の力は軍も太刀打ち出来ぬ程に強大であり、さながら魔人のごとき力を持っているのだ、などと……魔人という言葉からイェンゼンの魔女を連想させたのでしょう。そしていつしかレイシィは魔女と呼ばれる様になり、あの一件は魔女の実験と名付けられた……」


「おまけにいつの間にやら、わしが初めにレイシィを魔女と呼び断罪したという話になっとる……」


 憮然ぶぜんとしながらそう話したリドー公だったが「まぁわしの事は良いわい」と気持ちを切り替える。


「こんなもん本意ほんいではないと、一番そう訴えたいのはレイシィだろうて……て訳でな、コウよ」


「はい」


「今後レイシィに会う事があったらな、必要以上の汚名を着せてしまって申し訳ないと、老いぼれが謝っとったと伝えてはくれんか?」


 リドー公がそう話すと「私からもお願いする」とマベットも同調する。


「我らスマド家がいまだダグべをすべていられるのはレイシィのお陰だ。直接謝意しゃいと謝罪を伝えたいと、ずっとそう考えてはいるが……恐らくそれは叶わぬ。ならばコウ、せめてそなたの口から……」


「陛下、私からも一つよろしいでしょうか」


 マベットに続いてデルカルもその心の内を語り出す。


「レイシィをガントから連れ出し国境まで見送った際、彼女は実に晴れやかな笑顔で皆によろしく伝えてくれと、そう話していた。私は軍人であり命令が全て。そこに個人の感情は必要ない。だがさすがにその時は、押し潰されてしまいそうな罪悪感を感じたものだ。その後、軍では一つの改革が行われた。レイシィが参謀本部の者に話していた部隊展開案、それが実現した。各地方に展開している部隊を再編したのだ。これにより人員不足は大幅に解消された。お二人のみならず、私も彼女には大いに感謝している。出来得る事なら彼女と共に仕事を続けたかった……それが本音だ」


「では私からも一つ……」


 すると今度はベニバスが話し出す。


「あの一件のあと、私は軍を辞めました。納得したつもりではいたのですが、時間が経つ程にレイシィの立場を守れなかった後悔が段々と膨れ上がってきたのです。有り難い事に陛下には随分と慰留いりゅうして頂きましたが、やはりどうしても軍に残る気にはなれず……コウ君、レイシィに伝えて下さい。何かあったらいつでも頼って欲しい、力になると……」


 神妙しんみょうな面持ちの四人。その言葉とその様子から、この人達は心からお師匠に感謝し、同時に負い目を感じているのだという事が良く分かる。しかしそれはほとん杞憂きゆうではないかと、そう思った。


「お師匠が聞いたら喜びますよ。ですがそこまで気にする事もないかと思いますが……」


 俺がそう答えるとリドー公は身を乗り出し「何でだ?」と問い掛ける。


「お師匠はあまり細かい事を気にするタイプではありません。全てを受け入れた上での汚名でしょうし。それに魔女の実験の事を話さないのも、この国を大切に思っている証拠だと思います」


「ふむ……そうであれば有り難い話だな……わしらはいつでもそなたの事を想っていると……そう伝えてくれ」


 そう話すリドー公に俺は「はい、必ず伝えます」と答えた。きっとお師匠は喜ぶだろう。そして気分が良くなり、よし! 飲みに行くぞ! 付き合え! と、連れ出される事間違いない。目に浮かぶわ……


「さて、では話は変わるが……」


 そう言うとマベットはジェスタに視線を向ける。そして「例の件、皆には話したのか?」と問う。ジェスタが「いえ、まだです。今夜にも……と考えておりました」と答えると、マベットは右手を軽く広げながら「そうか、ならば良い機会だ。今この場にいる者らに、先に話してはどうか?」と勧める。


「そうですね……分かりました、そう致しましょう」


 ジェスタはスッと姿勢を正すと「先日、陛下ととある件について話をしました」と話を切り出した。


「話というのは他でもない、私の今後の事です。陛下からは、このままダグべに亡命し国政の手伝いをと、実に有り難いお言葉を掛けて頂きました。しかしやはり捨て置けません。イオンザの事を、父上の事を。そして我が兄、ヴォーガンの事を……それがどれ程険しい道なのか、これからどれだけの血が流れるのか……それは恐らく、想像もつかない程のものでしょう。ですが私は決意しました」


 ジェスタは静かに目を閉じる。そしてゆっくりと目を開け、落ち着いた、しかし力強い口調でこう言った。


「私はイオンザ王国の玉座に座るべく、ヴォーガンとの王位継承戦に名乗りを上げます」


 ジェスタの決意。それを聞いたリドー公は思わず身を乗り出し「そうか!!」と声を上げた。


「ジェスタよ、良くぞ決意した! 助力は惜しまぬ! そうであろう王よ?」


 興奮した様子のリドー公。マベットは苦笑いしながら「無論でございます」と答える。そして「ダグべは全面的にジェスタを支援すると、そう約束致しました」と続けた。


「うむ! 当然だ! デルカルよ、聞いたな? そなたらの出番もあるやも知れんぞ!」


 デルカルは「は」と答えたが、すぐにマベットが「お待ち下さい、父上。あくまで他国の王位継承問題です、大っぴらに軍など動かせません」と釘を刺す。


「とは言えデルカルよ、その心構えは持っておけ。どんな展開になるかは分からぬからな。我らがジェスタの後ろ盾になったと知ったら、ヴォーガンはもっと直接的な手段に――」




(王位継承……)


 それは間違いなく過酷な道だ。ジェスタを殺そうとまでしたヴォーガンが、すんなりと玉座をジェスタにゆずろうなんて……そんな事はあり得ない。仮に現国王がジェスタを後継者に指名したとしても、それでもヴォーガンは引かないだろう。ずは双方支持者集めのパワーゲームが始まり、しかしそれで決着とはならず最終的には実力行使……内戦へ……




「コウ殿」


 不意にジェスタに名を呼ばれ、慌てて「はい!」と返事をする。するとジェスタは何とも申し訳無さそうな顔で「斯様かような決断に……いたりました」と述べる。


(ん? 何でそんな顔……?)


 ジェスタの表情の意味が分からず、しかし何か言わなければいけないと、俺は「そうですね、これはこの先相当大変ですね……」などと誰もが分かりきった事を口にした。


(いや大変ですねって……何言ってんだ俺は……)


 しかしジェスタは相変わらず渋い表情のまま「そうです、大変なんです」と答える。そして「……コウ殿!」と強い口調で俺の名を呼んだ。


「貴殿とガントで出会った時は、とにかくこのマンヴェントへ辿り着こうと必死だった。それゆえそこから先の事など考える余裕がなかった。しかしこうして無事にマンヴェントへ辿り着き、進むべき道を決める事が出来た。それは貴殿の尽力あっての事……私には力が必要だと、ガントでそうお話ししたのは覚えておいでですか?」


「はい。あらゆる力が必要で、そのどれもが足りないと」


「そうです、その通りです。そしてこうも話しました。コウ殿は私が求めるそれらの力の一つであると……そしてある程度の道筋がつくまで力を貸して欲しいと……」


「覚えています」


「ですが私の道はここより先に続いていた。この道の果てまで……私が本懐ほんかいげるその時まで! どうか……どうか貴殿の力をお貸し頂きたい!」


 真っ直ぐに俺を見るジェスタ。真剣な、とても強い目だ。その目を見て、ついさっきジェスタが見せた表情の意味をようやく理解した。


「そんな心配しなくても、途中で放り出したりしませんよ……」


 そう呟いた俺の言葉が聞こえたのだろう。ジェスタはグッと身を乗り出し「……! では、コウ殿……」と静かに問い掛ける。そのあまりに真っ直ぐなジェスタの視線に俺は少し照れ臭くなった。ジョーカーの時もそうだったが、あのまま元の世界に居たとしてここまで強く人に求められる事が果たしてあっただろうか。居ても居なくても良い存在、そう思われるよりも遥かに良い。奉仕の精神云々うんぬんなどと格好良い事を言うつもりはさらさらないが、しかしやはり求められるというのは悪くない。お師匠が周りに自分の力を貸してやろうと、そう考える理由も良く分かる。


「国王か……じゃあ報酬は期待出来ますね?」


 照れ臭さからそう答えた俺に対し、ジェスタは「……フフ」と小さく笑う。そして「私に用意出来る物なら何でも」と笑顔でそう返した。


「よっしゃ! 話はまとまったな?」


 俺とジェスタのやり取りを聞いていたリドー公は両膝にパンッと手をつく。そして「王よ、国の者らにはいつ伝えるか? 早いとこ体制を整えねば……」などとマベットと相談する。ジェスタが王位を目指す、その決断が余程嬉しかったのだろう。はやる気持ちを抑えられないといった様子だ。



 ◇◇◇



 ぐにゃり、と景色がゆがむ。


 夏の暑い日に道路の向こう側がゆらゆらもやもやと見える、それをもっと大きく激しくした感じだ。そしてそのゆがんだ空間の中にうっすらと人影が現れる。人影は徐々にはっきりとした輪郭を持ち始め、やがて一人の人となる。それは男だった。


(成功……ですねぇ)


 男は腕や足など自身の身体を見回し、どこかに何か異常がないかと確認をする。と、


「博士!?」


 誰かが呼んだ。男は声のした方を見る。そしてその細長い両手を広げながらにっこりと笑った。


「あぁ良かった、見知った顔がいましたねぇ。確か……ブレイ君……でしたかねぇ?」


「はい、そうです。しかしどうしたんですか? 急にいらっしゃるとは……」


 ブレイは話しながら渡り廊下を出て男に近付く。男は「いえ、将軍に少し話がありましたもので……」と周りをキョロキョロ見回しながら話す。そこは良く手入れされた草木に彩られた、城や屋敷の中庭といった感じの小さな庭園だった。


「そうでしたか。それでは博士、あちらへ」


 ブレイは自身が通っていた渡り廊下に右手を向ける。そして男を先導して歩き出した。


「で、ブレイ君。ここ、どこなんですかねぇ?」


「はい。ここはイオンザという国の城の中です。こちらでは北方と呼ばれている地方にあるドワーフ国家で……」


 ブレイの説明を聞いて男は足を止めた。そして改めて辺りを見回し空を見上げた。


(あぁ、道理で……)


 男が立ち止まっている事に気付いたブレイは振り返り「どうしましたか?」と声を掛ける。


「博士? ミーン博士?」


「あぁいえ、何でもありません。道理で見覚えのある空だと思いました」


 そう話すとミーンは再び歩き出す。そして再びちらりと空を見る。


寒々さむざむしい、嫌な空だ……」

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