第269話 馬車を守れ

「ぬぅぅぅっ!!」


 ドーギンは前方へ駆け出すと身を低くしながら地面に滑り込む。ブゥンと頭の少し上を巨大な鉄の塊が通過した。オークが横に振り抜いた大鎚ハンマーかしらだ。


(っと……!)


 雨に濡れた石畳は良く滑る。想定していたよりも勢いが死なず、ドーギンは慌てる様に地面に手を付きながら立ち上がる。そして大鎚ハンマーを振り抜いた直後の、まるで無防備な背中を見せるオークへと距離を詰め、腰の装備の隙間を狙い思い切り剣を突き出す。が、狙いが少し粗かった。


 ガチッ……


 剣の切っ先が鎧の端に当たった。しかし弾かれる程でもなく、ドーギンはどうにかオークの背に剣をじ込んだ。地面に崩れるオークを一瞥いちべつすると、ドーギンの興味はすぐに剣へと移る。見ると切っ先が少し欠けていた。


(これではダメだ。ヤリス殿はもっとこう……正確でなめらかだった)


 ドーギンは先程路地内で見たヤリスの剣を思い出す。ヤリスの動きと操る剣には何の無駄も迷いもなかった様に見えた。ドーギンはゆっくりと剣を突き、そして払う。記憶とイメージの中のヤリスの剣を思い出しながら。



 ボン! ボンボン……



 突如背後から爆発音。思わず「うぉっ!?」と声を漏らした。職人街の方か、立ち昇る太い黒煙が見える。


(やはりかなりの数が入り込んでいるか……)


 爆発はオークの仕業しわざだろう。あのまま中にいてあれに巻き込まれでもしていたら……つくづく運が良かったと、ドーギンはヤリスとの出逢いに感謝した。


 西地区、西大通り。この先を道なりに進めばすぐにデバンノ宮殿が見えてくる。城と宮殿を守る最終防衛ライン、ここはその三つ程手前といった所か。他の地区に比べて西地区に出現した敵の足は遅かった。理由は大通りに面して広がる問屋街と職人街だ。オークはこれら迷路の様な狭い路地が続く区画に入り込み、その中を彷徨さまよいながら破壊活動を行っていた。それは言ってみれば、ダグベ建国当時の王都建設計画の成功を意味している。西側から街に侵入した敵軍は、要塞化させた街の造りで封じ込める事が出来ると、ここに示したのだ。

 そして敵の足が遅いという事は、相対する衛兵達に対処の為の時間的余裕を与える。中に入り込んだ敵をどう始末するべきか。逃げ遅れた住民もいるはずだ、捜索しない訳にはいかない。衛兵達は考えた末、時間は掛かるがより安全な方策を選択した。


「来るぞぉっ!!」


 そう叫びながら路地から大通りへ飛び出す衛兵。あとに続くのは赤黒い巨体。衛兵を追って大通りへと姿を現したオークは四方から放たれる魔法の洗礼を浴びる。そして衛兵達に取り囲まれ串刺しにされた。


 先程から西地区の衛兵隊は、細い路地が入り組む職人街や問屋街からオークを釣り出す作戦を展開していた。路地内での戦闘は控えるべきだと、その危険性を身を持って経験したドーギンがそう上に進言したのだ(どうして勝手に路地内に入ったのかと、こっぴどく叱られもしたが)。ドーギンの話も一理ある。だが路地内を捨て置く事も出来ない。助けを求めている住民も当然いるだろうし、何より放っておけばじわじわと染み出すがごとく、路地内から多数のオークが溢れ出てくるだろう。

 そこで各部隊長らは連携してオークを誘い出し始末しようと考えた。間もなく外縁がいえん警備隊も到着するらしい。そうなれば人手も増え作戦実行のスピードも増すだろう。


(ふぅ……)


 ドーギンは剣を収めると大通りをぐるりと見回した。相変わらず路地の各出入り口辺りでは怒号が飛び交っているが、どうやら敵の侵攻は少し落ち着いた様だ。ドーギンは大通りを広く見ながら手の足りない所へ助太刀に行く役目を与えられていた。路地の側へ置いておけばまた勝手に中へ入ってしまうかも知れないと、どうやら部隊長らにそう警戒されたらしい。


(……ん?)


 ドーギンの目は不審な者の姿をとらえた。その者はオーク釣りが行われている区画の反対、北地区側から大通りへ飛び出して来た。一人、そして二人。見慣れない兵装の男達。帯剣している。ドーギンは再び剣を抜くとその男達の下へ走り出す。


「見慣れない装備だ! ダグベの者ではないな! 何者か! ここで何をしている!!」


 男の一人に剣の切っ先を向けるとドーギンは詰問きつもんする様に怒鳴った。すると男は「衛兵か! 良かった!」と安堵あんどの言葉を口にしながらドーギンに近付き、まるですがる様にドーギンの両腕を掴んだ。


「おい! 一体何だ!?」


 困惑するドーギンを余所よそに男は「私達はイオンザの者だ! この奥で馬車が敵に囲まれ立往生している! 頼む! 手を貸してくれ!」と懇願こんがんした。


(イオンザに……馬車……?)


 ドーギンには心当たりがあった。「お前……ヤリス殿を知っているか?」と男に問い掛ける。男は「ヤリス!? 貴殿こそヤリスを知っているのか!?」と驚いた様子。するともう一人の男が「知っている! 勿論知っている!」と声を上げた。


「ヤリスは同僚だ! 私達とヤリスはイオンザ南部一帯を治めるグレバン・デルン侯爵の近衛隊所属だ! 馬車には王女殿下が乗られている!!」


 男の説明に驚きながら「そうか!」と答えるドーギン。その顔には笑みが浮かんだ。こんなにも早く恩を返す機が訪れるとは思ってもいなかった。ドーギンは剣を収めると「よし! すぐに……」と言い掛けてピタリと止まった。


「すぐに上に確認する。ついて来てくれ」


 すぐに行こう。そう言い掛けて踏み止まった。独断専行をこっぴどく叱られた後だ、さすがに勝手には動けない。



 ▽▽▽



「まずいな、すぐに救出を……いやだが……!」


 ドーギンの報告を聞いた部隊長はそう言うと苦悶くもんの表情を浮かべた。自分がここを離れてしまえばオーク釣りを指揮する者がいなくなる。「何故なぜです!? 急がねば大変な事に……!」と声を荒らげるドーギンに「分かっている!!」と部隊長は怒鳴った。


「……俺はここを離れられん。ドーギン、手の空いている者を連れて救出に向え、お前が指揮しろ」


 それはドーギンにとって予想だにしない指示だった。「……宜しいので?」と確認するドーギンを無視して、小隊長はイオンザの剣士に言葉を掛ける。


「イオンザの方々。この者は命令違反の常習で問題児だが、腕は確かで真っ直ぐな男だ。存分に使って頂きたい」


 部隊長の言葉に「感謝致します!」と剣士達は敬礼する。「よし、ではすぐに向かおう!」とその場を離れようとするドーギンを「待て!」言って呼び止める部隊長。そしてドーギンの腕をグッと掴んだ。


「何かあれば貴様の首が飛ぶだけでは済まん。俺を道連れにするなよ」


 嫌な事を言う。ドーギンは苦笑いしながら「……御意ぎょい」と答えた。



 ◇◇◇



(あんなに人が……)


 レクリア城南門を離れデバンノ宮殿の横を通る。宮殿の敷地内は避難者で溢れ返らんばかりだった。しかしどうやら、オークはまだ宮殿の周辺には押し寄せていない様だ。俺は少しほっとしながら宮殿の前を抜け西大通りへと入る。


 この通りは大きく曲がっているそうで、西大通りと言いつつも宮殿からは北西方向へ伸びている。そして通りの西側には多数のオークの死体が転がり、衛兵達が何人かでそのオークを引きずりながら脇へと片付けていた。


「何者だ!」


 大通りを少し進むと衛兵の一人に呼び止められた。俺は慌てて「ジェスタの……ジェスタルゲイン殿下の手の者だ、南門から来た」と返答する。


「南門か……向こうはどうだ?」


粗方あらかた始末した、南門は大丈夫だ。けど東側がヤバイらしい。南から増援が向かった。こっちは?」


 そう問い掛けると衛兵は軽く後ろを見ながら「見ての通りだ」と答えた。


「敵はこの奥の区画で足止めされている。この区画は細い路地が入り組んでいて中に入るのは危険だ。今はオークを外へ誘い出して……」



「うおぉぉぉ!!」



 説明を聞いている最中、突如大きな声が響いた。物凄い勢いで転がる様に路地から衛兵が飛びだして来たのだ。


「まずい! 多いぞ!!」


 周囲の衛兵がそう叫んだ直後、路地から次々とオークが姿を現した。その数十体程か。俺は反射的にオークへ向け走り出すと魔弾まだんを放って牽制する。「助太刀済まない!」と俺と話をしていた衛兵が叫んだ。が、往々おうおうにして悪い事は重なるものだ。大通りの少し先、北地区側から現れた衛兵が「オークが来るぞ! 馬車を守れ!!」と声を上げた。するとその直後北地区側から一台の馬車が、いでその馬車を守る様に次々と大勢の剣士が大通りへ飛び出して来る。そしてそのあとを追う様に現れた三十体程のオークの一団。大通りは瞬く間にオークで溢れた。


「クソッ! 前もか!」


 御者ぎょしゃ台に座る剣士はそう吐き捨てると馬の足を緩める。前方には路地から釣り出されたオーク、後方にはあとを追ってきたオーク。馬車は大通りで前後を挟まれた。


「方円だ! 馬車を囲め! 近付けさせるなぁ!!」


 剣士の一人がそう叫ぶと、彼らは足を止めた馬車の周りに集まりその周囲をぐるりと取り囲んだ。そして更にその周りをあとを追ってきたオーク達が取り囲む。


「ドーギン! その馬車か!!」


 路地の側にいた衛兵が叫ぶ。「はっ! そうです!!」と馬車の側にいる衛兵が返す。


「貴様ら!! 最低限の数を残し馬車へ向え!!」


 路地の側にいる衛兵はあらん限りの声で部下に指示を出した。



 ▽▽▽



「まずいな……」


 思わず言葉が漏れてしまった。窓から外の様子をうかがっていたズマーには現状が見えたのだ。


「……何? ねぇズマー! 何が起きてるの!?」


 セムリナに問い掛けられズマーはハッとした。あるじを不安にさせるなど従者失格だ。ズマーは取りつくろう様に笑顔を見せると「いえ、どうやら手が足りない様でして……私も出ますね」と言ってかたわらの剣を手にして立ち上がる。


「ちょっとズマー! 何で貴方まで……!」


「ご心配なく。間もなく宮殿に着きます。しばしお待ちを」


 再びニコリと笑うズマー。そして扉を開けて馬車を降りた。扉が閉まるまでの一瞬、外の騒然とした様子を垣間見たセムリナはどうしようもない焦燥しょうそう感を覚えた。だがズマーは心配ないと言った。例えどんなに切羽せっぱ詰まった状況だったとしても、例えこちらを落ち着かせる為の方便ほうべんだったとしても、ズマーは心配ないと言ったのだ。ならばこちらはその言葉を信じて待つだけだ。



 ▽▽▽



「ズマー殿!? 行ける・・・のか?」


 ダイナストンは自身の横に立ち剣を構えるズマーに驚いた。王女殿下の最側近だ、剣の心得くらいはあるだろうが、しかしズマーが剣を握っている所を見たのは初めてだった。ズマーは「多少は……当てにはしないで下さい」と苦笑いを浮かべる。事実か、はたまた謙遜けんそんか。しかしダイナストンは「何の、手が増えるだけでも有難い!」と声を上げ目の前におどり出たオークに斬り掛かった。



 ▽▽▽



(クソッ! こんな所で……ここを死地にする訳にはいかん!!)


 馬車前方。ベリックオはオークの突き出す巨大な剣を半身になりながらかわすと、そのまま前へと踏み込み距離を詰める。そして腹の辺りに深く剣を突き刺した。


(次は……)


 ベリックオの視線は右に移る。次はあのオークだと狙いを定めたその時、ガツンと強烈な衝撃を感じた。不覚を取った。そう思ったベリックオの意識はそこで途切れる。


「ベリックオ!?」


 すぐ側にいたテムにはその一部始終が見えていた。腹を刺されながらも事切れる寸前、オークはベリックオの胸辺りに左拳を放ったのだ。吹き飛ばされ地面に倒れ、ピクリとも動かないベリックオにテムの心はざわついた。すぐさま駆け寄ろうとしたが、自身に向かってくるオークの姿を見てしまっては動くに動けない。


「ベリックオ! ベリックオ!!」


 テムはオークと戦いながら何度もベリックオの名を叫んだ。だがベリックオは動かない。



 ▽▽▽



「うらぁ!!」


 真上から斬り下ろした剣は右肘を裂いた。オークは握っていた大鎚をゴトリと地面へ落とす。しかし止めは刺さずにドーギンは隣のオークへ向かう。今度は側面に回って膝横を斬り付けた。一体ずつ仕留めるには数が多い。まずは動きを止め敵の攻撃の手を緩めようと、ドーギンはそう思い立ち回っていた。と同時にドーギンは焦ってもいた。何としても馬車を守らねば。しかし正直分が悪い。決定的に手が足りない。このままでは押し負ける。ドーギンは大通りを見回した。仲間達はいまだ路地の出口に張り付いている。路地内のオーク釣りは続行中、中断すれば更に路地から敵が現れる。分かっている、それは分かっている。しかし、今はこっちだ。ドーギンは大声で叫ぶ。


「手を貸せ!! 馬車を守れェェェ!!」



 ▽▽▽



「うぉっ!?」


 振り下ろされる大鎚はドゴンと地面を打った。遅れて身体を襲う風圧に背筋が冷たくなる。ほんの少し避けるのが遅れていたら叩き潰されていただろう。馬車後方。グレバンは大鎚を振り下ろしたオークを仕留めると視線を上げた。


「何と……」


 そして絶句した。少し先の北側の通りから、更に十体程のオークの群れが大通りに飛び出して来たのだ。と、


 ドン! ザザザ……


 グレバンの足元に吹き飛ばされた部下が地面を滑りながら転がって来た。「おい……!」と声を掛けたが返事はない。頭が半分潰れている。グレバンは辺りを見回した。皆懸命に戦っている。イオンザから同行してきた部下達も、馬車の警護に手を貸してくれたダグベの兵達も。そして一人、また一人と地面に倒れてゆく。


(クソ……ここまで来ながら……)


 グレバンは天を仰いだ。途中、馬車を一台切り捨てたのは英断だった。二台で走っていたらとっくに追い付かれていただろう。王女殿下さえご無事ならばあとの犠牲など微々びびたるものだ。そして宮殿は目と鼻の先。あと少し、あと一息。


 だがそれが遠い。


「馬車を……頼む!! 馬車を守ってくれ!! 中に御座おわすは……イオンザの王女殿下だ!!」


 グレバンは天に向けて叫んだ。

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