第47話 ナブル葉

「お久しぶりですわね、お姉様」


「待っていたわよ、レジーカ、本当に久しぶりだわ。さぁ、入って……あら、そちらの方は?」


「半年ほど前から働いてくれている執事ですわ。やはりベテランは違いますわね、完璧な仕事をしてくれるのよ。最近はどこへ行くにも、ついてきてもらってるわ」


「そうなの。さぁ、どうぞ」


「お義兄にい様はいらっしゃるの?」


「ええ。あなたが会いたいというから、登城とうじょうの時間をずらしてもらったわ」


「まぁ、嬉しいわ。お義兄様とはずうっとお会いしていなかったもの、二年振り? かしら……」


「レジーカ、久しいな!」


「お義兄様! お久しぶりですわ!」


「元気そうで何よりだ。さぁ、中に入ってくれ」


「お義兄様、執事も一緒にいいかしら?」


 義兄あにと呼ばれた男は、姉と呼ばれた女を見る。女は笑顔でうなずく。


「ああ、構わんよ」




 とある屋敷に入る貴族の女と執事。その様子を遠くから監視する者達がいた。


「どうだ?」


「ああ……今、中に入った」


「よし、あとは任せるしかないな。しかし、こんな面倒くさいことになるとは。本来なら直接ベリムスか、その奥方に接触するばずなんだが……」


「しょうがないさ。ベリムス邸のセキュリティがあそこまで厳重とは思わないだろ? 信を置いた使用人しか、側に置かないって言うんだから。下っ端や新参は、ベリムスに近付くことさえできないしな。おかげで潜入したアリーは、ただただメイドとして働く日々だ」


「あいつは元メイドだからな、仕事は完璧だろ。しかし何だな、全てを他人に委ねなければならないというのは、落ち着かないな」


「せいぜい妹君いもうとぎみに頑張ってもらおう。ボスも大丈夫だと言っていた訳だし。何か、アレがあるから問題ない、とか何とか……」


「アレかぁ……気の毒な話だ」



 ◇◇◇



 ぜいを凝らした内装と調度品の数々。豪華な応接室の中央、見るからに高そうなテーブルには、細かな装飾が入ったティーポットと、様々な菓子が並べられている。


「時にお義兄様、聞きましたわよ」


 レジーカはティーカップを置き話し出す。


「ん? 何をだ?」


「国王様が、エリノスをご所望だと……」


「!! バカな……どこからそんな話を……」


「ご存知ありませんか? すでに結構な噂になっておりますわ。それと、軍部のトップの役職を新たに設けるとか。大将軍……でしたわね?」


 いびつな軍部の形を整えようとする動きがあることは、常に噂レベルで人々の耳に届いている。


「何を言い出すかと思えば……そんなものはただの噂に過ぎないぞ?」


「火のない所に煙は立ちませんわ、お義兄様。議論はされているのでしょう? 差し出がましいとは思いますが、お義兄様こそ、ベリムス・アーカンバルドこそ、大将軍のくらいに相応しいと思います」


「レジーカ……」


「しかし今のままでは、あの男が……ファルがその場所に収まってしまいます。そんなの……耐えられません! あんなポッと出の田舎者が……お義兄様をアゴで使う立場になるなど……」


 レジーカは下を向き、目頭を押さえる。後ろに控えていた彼女の執事は、彼女に真っ白いハンカチを手渡す。


「……そんな言い方をするものではないぞ、レジーカ。ファル殿はクーデターを鎮圧したという、輝かしい武功をお持ちだ。それに……」


「武功などと! ……たまたま南部で演習を行っていた所に、クーデターの報が入ったに過ぎません。お義兄様が南部にいれば、それはお義兄様の武功になっていたはず……あの男は、運が良かったに過ぎませんわ!」


 興奮するレジーカをなだめるようにベリムスは話す。


「どうしたというのだ、レジーカ? お前らしくもない。一体何が……?」


「お義兄様、エリノスをおり下さい」


 ベリムスは困惑した。今だかつて、こんなレジーカは見たことがない。


「……確かに、王はそのようなことを仰られた。だが、それは酒の席でのごとだ。それを真に受けてどうするのだ? 仮に出陣の準備をしたところで、王がそのような下知げちくだすはずがなかろう?」


 レジーカは意を決したように、キッとベリムスを見つめる。


「……無礼を承知で申し上げます。

 お義兄様、右将軍の席にお座りになられたことで、抜けてしまわれたのではありませんか?」


「レジーカ! あなた何という……!」


「ごめんなさい、お姉様。過ぎた物言いだということは、重々承知しております。ですが、私はお義兄様をずっと見てきました。一度ひとたび軍を率いれば、それだけで敵は敗けを覚悟し、撤退し、城を明け渡す。そんなお義兄様の勇姿を、ずっと見てきたのです。その稀代きだいの英雄に、実の姉が嫁いだのですよ? こんなにも嬉しくて、こんなにも誇らしいことは、そうそうありません。なのに……

 お義兄様、国王様が出陣のお下知げちをおくだしにならないのなら、独断で侵攻すれば良いだけのお話です」


「!! レジーカ! お前、何を言っているのか……!」


「もちろん! 良く分かっておりますわ! ファルだってそうだったのでしょう? 国王様のご栽可さいか無しに、南部で戦ったのでしょう? 一刻を争う事態だったというのは分かりますわ。でも、だったら如何いかようにも、口実をお作りになればよろしいでしょう?」


「理由をでっち上げて、エリノスを攻めろと言うのか!?」


「戦のお強かった先王様が、とうとう攻め落とせなかったエリノスとイゼロン。お義兄様が尖兵せんぺいとしてこれを落とせば、国王様は先王様さえ成し得なかった、偉業を達成することになりますわ。この破格の武功をもってすれば、独断専行の罪など一体誰が問いましょう? そしてこの破格の武功の前には、クーデター鎮圧などという小さな武功など、風にあおられた落ち葉の如く、吹き飛んでしまいますわ。必然的に大将軍への道は、お義兄様の前に輝くことになりますわね」



 ◇◇◇



 ベリムス邸、エントランス。外へ出る直前、レジーカは振り返る。


「お義兄様、お姉様、かさがさねの無礼をお許し下さい。けれども、今日お話したことは、紛れもなく私の本心です。

 お義兄様、誇り高きベリムス・アーカンバルドは、必ずや歴史に名を残す大将軍となる、私はそう確信しております。

 お姉様、私ごときに言われる筋合いではないと思われるでしょうが、どうかお義兄様を、お支え下さい。それでは、失礼致します」


 レジーカと執事は馬車に乗り、馬車は走り出した。見送ったベリムスの口から、思わず言葉がこぼれた。


「正直、驚いた。あのレジーカが、あのようなことを考えていたとは……」


「私もです。でも、口には出しませんでしたが、私もあの娘と同じ様なことを考えていました」


「お前……」


「あなただって、思うところがおありだったのでしょう? だからエリノスの情報を集められている……」


「! どうしてそれを……」


「何年の付き合いだと思ってらっしゃるの? それに……フフ、あなたは隠し事が下手すぎるわ」


 そんな妻の言葉を聞いて、ベリムスは決意を固める。


「腹をくくるべき時が来た、ということか……」



 ◇◇◇



 ガタガタと揺れる馬車の中、レジーカと、その向かいには執事が座っている。


「お疲れ様でございました、レジーカ様」


「あんな感じで、良かったのかしら?」


 レジーカは冷たく答える。


「はい、大変素晴らしゅうございました、ありがとうございます」


「礼など……それよりも、例の物を……」


「もちろんでございます。これに……」


 そう言って執事はバッグから小さな木箱を取り出す。

 と、レジーカはそれを奪い取るように受け取り、蓋を開く。


「あぁ……これよ、これ……」


 木箱の中には茶色い葉を紙で巻いたタバコのようなものが、二、三十本入っている。レジーカはその一本を取り出す。


「火を……」


「ここでやられるのですか?」


「早く!」


 執事は火の魔法石を取り出す。出力を上げると、石の角からポゥ、っと小さな火が浮かぶ。レジーカはそのタバコのようなものを咥え、先端に火をつける。

 すぅ~、っと吸い込むと煙が口の中に広がる。そして、それをゆっくりと肺の中に入れる。

 身体中に煙が行き渡るような感覚。そしてそれは、頭の中にも染み渡るように広がって行く。何とも言えない、も言われぬ快感が脳髄のうずいを刺激する。


「あぁ、最高……最高だわ……最高の気分。嫌なことなど、全て忘れられる……もう、これがないと生きて行けないわ」


「……それはようございました」


 レジーカはうっとりした表情で話し出す。


「最近入ったメイドのに教えてもらったのよ。気分が晴れる、って。でもその娘、ほんの少ししか持っていなかったの。とてもじゃないけど、足りないわ。でもこっちでは中々手に入らないって……あなたを紹介してもらえて良かったわ。これ、ナブル……だったかしら? 西側の物なんでしょう?」


「左様でございます。これを取引している商人は、あまりおりませんな」


「ふ~ん……ねぇ、あなた本当に商人?」


 ナブル葉の煙をくゆらせながら、レジーカは男を見る。


「これは異なことを……」


「ファルを失脚させたいクライアントがいるって言っていたけど、それ、どこの誰なのかしら?」


「こればかりはいかにレジーカ様と言えど、お答えはできません。守秘義務というものがございます」


 レジーカは煙がのぼるナブル葉を眺める。


「……ま、いいわ。私はこれが手に入れば、それで十分。あなたが何者であろうと、ね。ファルを引きずり下ろすのは、今は難しいでしょうね。でも、お義兄様が上にあがれば、とりあえずファルを押さえ込むことはできる。執事の真似事までして、私を監視しに付いてきた甲斐はあったのかしら?」


滅相めっそうも……おっと、止めて頂けますか? 私はここで……」


 レジーカが合図すると、馬車はゆっくりと止まる。


「あれで多分、お義兄様は動くと思うわ。私は役割を果たした、次はあなたの番。分かっているわね?」


「もちろんでございます。商人にとっては約定やくじょうこそ全て。ナブル葉、定期的にお届けに上がります」


 男は馬車を降りる。馬車はすぐに走り出した。


「さて……」


 男は大通りから、細い路地に入る。入り組んだ路地の先、とある建物の前。見張りとおぼしき男がドアの横に座っている。


「すでにお待ちになっています」


 そう言って見張りの男はドアを開ける。薄暗い室内を抜け、奥の部屋に入る。


「ルピス様、お待たせ致しました」


「ご苦労だったな、ふくろう。首尾は?」


 話ながら、ルピスはふくろうに座るよう促す。


「上々かと。妹君いもうとぎみは実に良い演技をしてくれました。恐らく、ベリムスは腹をくくったことでしょう」


「そうか。ナブル葉が効いたか?」


「あれの魔力に囚われては、従うしかないでしょう。定期的に届ける、との約束で協力させました。まぁ、私は商人ではありませんので、約束を守ってやる筋合いはありませんが……」


「気の毒な話だ。妹君いもうとぎみが依存から脱却し更正することを願おう、難しいとは思うがな。では、次はこちらの番だな。進めても良さそうか?」


「はい、存分に……良い場所が見つかったのですか?」


「ああ。ここから北に半日ほどの距離にある村の外れだ。良い感じの建物でな、土地ごと買い取った。あのお方から、出番はまだか、とせっつかれていてな。今、中をいじっているところだ」


「あぁ、それは申し訳ございません、我々がモタモタしていたせいですな」


「そんなことはない、いつものことだ、お前達のせいではないよ。むしろ、良くやってくれた。もっと時間が掛かると思っていたからな」


「ありがとうございます。ルピス様もあの扮装ふんそうを?」


「研究者か? 散々似合わんと言われたよ」


「ははは、ぜひ拝見したいですな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る