第206話 異物

「ジェスタルゲイル殿下!」


 マベットの部屋に通された男はジェスタの姿を見るや声を上げ、そのかたわらまで進むとひざまずいた。


「よくぞ……よくぞご無事で……」


 男は震える様な声で安堵あんどの言葉を漏らす。「ああ、心配を掛けた様だな」と返すジェスタ。しかしジェスタにはこの男がどこの誰なのか心当たりがなかった。


「で、そなたは?」


「は、申し遅れました。私はあるじ、グレバン・デルンの近衛このえ隊所属、ヤリスと申します」


 グレバン・デルン侯爵。ジェスタとベルカの婚姻を取りまとめたイオンザ王国の貴族である。その名を聞いたジェスタは「おぉ、グレバンの手の者か!」と声を上げた。


「もしや私を探しに?」


「は。殿下のご一行が襲撃を受けたとの報はすでに王都へも伝わっております。その報を聞き、グレバン様はすぐさま各地へ殿下捜索の為に人を出しました、私もその内の一人です」


「そうか。で、グレバンは……どちらだ?」


 どちらだ。それはあまりに真っ直ぐな質問だった。真っ直ぐ過ぎたがゆえにその質問の意味が分からず、一瞬ヤリスの思考が止まった。しかしすぐにその意味を理解し、慌てる様に答える。


「無論殿下のお味方にございます! 誓って……誓ってグレバン様は……いえ、我らは全力で殿下をお助け致します!」


「……分かった。感謝する」


(信じて……頂けた……のか?)


 ヤリスは困惑した。あるじグレバンの言葉ではない。その部下のいち護衛兵にしか過ぎない男の言葉だ。そんな男の言葉をすんなりと受け入れたというのか? ヤリスは困惑し、しかし同時にジェスタルゲイルという王子のふところの深さを理解した。この御方は信頼にる人物である、お支えする価値があると。そこでハッと気付いた。何を黙っているのだ、何か答えねば。


「と、とんでもございません! 有り難きお言葉に……」


 戸惑いながら答えるヤリスだったが、ジェスタはヤリスが話し終わるのを待たずに「構わん、座ってくれ」とソファーに座る様うながす。


「話を聞きたい。今回の件、国にはどの様に伝わっている? 兄上はどうされている?」


「は……では恐れながら……」と言いながらヤリスはソファーに腰を下ろす。


「ヴォーガン殿下は評議会の開催要求しました」


「何? 評議会を……」


 評議会。イオンザ王国では重要案件を決める際、評議会と呼ばれる会議をり行う。宰相さいしょうを始め国の役職者や貴族家の代表など、評議員は総勢十一名。しかしその中に王族が含まれる事はない。つまり時の王や王家の暴走を許さない為のストッパーの役割があるのだ。ちなみに評議会の決定は絶対であり、例え王であろうとその決定を覆す事は出来ない。しかし議論をコントロールする事は可能だ。評議員を自身の味方につければ良い。方法は……色々あるだろう。


「評議会を求めた理由は?」


「は……それは……」


 ちらりとマベットに目をやり言いよどむヤリス。マベットを意識したその話しづらそうな様子から、ダグベ王国に対して何らかの後ろめたさがある様だ。「構わぬ、申せ」とジェスタが言うと「は。実は……」とヤリスはようやくその重そうな口を開いた。


「ヴォーガン殿下は此度こたびのジェスタルゲイル殿下への襲撃は、ダグベ王国が引き起こしたものであると疑っておいでで……ゆえにダグベ王国に対し正式に非難声明をはっしたのち、申し開きの為速やかに使者を送るよう、そうダグベに要求すると……その決を取る為に評議会を……」


 再びちらりとマベットを見るヤリス。ジェスタ襲撃の首謀者はダグベ王国であると決めてかかる様な発言である。隣国の王の怒りを買うのは必然だと、ヤリスはそう思った。そして案の定、マベットの顔は見る見る怒りに歪んでゆく。


「ふざけおってヴォーガンめがぁ!」


 マベットの怒りに当てられヤリスの身体はグッと固くなった。そして「も、申し訳ございません陛下! 勿論もちろんの事、決してその様な事実があったなどと信じている者は……」と慌てて謝罪し否定する。しかし直後「フ……ハッハハハハ!」とマベットは大笑いする。何事が起きたのかと、理解の追い付かないヤリスは呆気あっけにとられた。


「この場面ではこんな感じで怒鳴った方がさまになるであろう?」


「おたわむれを……ヤリスが驚いております」


「ハハハハッ、済まぬなヤリス。怒ってなぞおらぬ、ほんのたわむれぞ。しかし申し開きなどと……まるで宗主国そうしゅこくごとき物言いではないか。使者を送った所で首だけになって帰ってくるのは目に見えておるわ。我らダグベを糾弾きゅうだんしようという事は、すでに例の証拠は手にした様だな」


 例の証拠。造反したダグベの軍人、ナルフとフッズが傭兵達に流したダグベ軍のナイフの事だ。


「そうでございましょう……ヤリス」


 ぽかんとした様子のヤリスはジェスタに名を呼ばれ「あ……は!」と我に返った様に慌てて返事をする。


「兄上は私が襲撃を受けた現場へ調査隊を送ったか?」


「は。何でもヴォーガン殿下麾下きか雪風せっぷう騎士団が丁度南部で演習を行っていたとかで、異変を聞き付けた騎士団がすぐさま国境付近へ向かったとの事です。しかし現場に残されていたのは護衛隊と傭兵のものと思われる死体のみで、ジェスタルゲイル殿下のお姿は発見出来なかったと」


 マベットは「ほう……」と声を漏らし呆れる様に笑いながら、そして皮肉を込めた言葉を続ける。


「随分と都合の良い場所で演習を行っていたものだな。しかもその騎士団はろくにジェスタの捜索をせず王都へ戻ったと見える。ヤリスよ、今この時点でそなたがその話を知っているという事は、そういう事であろう?」


「は……言われてみますると確かに……」


「ヤリス、評議会はどうなった?」


「は。ジェスタルゲイル殿下の安否が分からない内は時期尚早であると、評議会は見送られました」


「ふむ、いまだ評議会は押さえきれておらんか。やはり王位にかねば強権きょうけんを振るう事あたわぬと見える……」


 と、そこまで話すとマベットは下を向きしばし考え込む。ヴォーガンの思考、そして行動に違和感を感じるのだ。どこか、何かが引っ掛かる。ゆっくりと顔を上げるとマベットはジェスタを見る。


「ドゥバイル殿のお加減は如何いかがか?」


「……はい、思わしくないと聞いております」


「その言い方は……会うておらんのかね?」


「はい。実はここ半年程、父上とお会い出来ておりませぬ。私だけではなく他の者もです。唯一、兄上を除いて……各方面より見舞いをとの要望が上がっておりますが、兄上が全て断っている様なのです。いわく、お身体にさわるからと……近習きんじゅも全て兄上の息の掛かった者達に入れ替えられたとか……」


「ふむ……ヴォーガンだけが唯一ドゥバイル殿とお会い出来ると……」


 マベットは再び考え込む。やはりおかしい。どうにも回りくどく感じるのだ。


「そもそもだが……何故なにゆえヴォーガンは動かんのだ? ドゥバイル殿を囲い込み、もはやその声は外には届かん。なれば己の意のままに、如何様いかようにも事を運べるはずだ」


 マベットの言葉にジェスタは深くうなずいた。何故なぜならジェスタもマベットと同じ事を考えていたからだ。


「仰る通りに存じます、私も気になっていたのです。当初は王位継承の邪魔となる私を消そうというその行為に、何ら違和いわを感じる事はありませんでした。あの兄上です、それくらいの事はやるでしょう。しかし良く良く考えてみると、実は私が居ようと居まいと関係ないのではないかと、そう気付いたのです。兄上が即位を望めばすぐにでも叶うでしょう。例えば父上の筆跡を真似し、書面を偽造して評議会に即位を認めさせるなど容易たやすい事です。それを実行に移す力を持った者達も兄上の側に控えておりますので。なのにどうしてこんなにも慎重なのか……あまりに不自然なのです」


「むぅ……ヴォーガンは一体何を狙っておるのか。すぐに即位を出来ぬ理由でも……」


「あ、あの……お伺いしても……よろしゅうございますか?」


 ジェスタとマベット。二人の会話を静かに聞いていたヤリスはおずおずと問い掛けた。二人の会話に割って入るなど恐れ多い事だ。しかし聞かずにはいられない、ヤリスは意を決したのだ。


「良いぞ、何だ?」


 ジェスタの返答にゴクリと唾を飲み込み、ヤリスは己の疑問をぶつける。


「あの、お二方のお話を聞かせて頂いていたのですが……つまり……ジェスタルゲイル殿下の襲撃を画策かくさくしたのはヴォーガン殿下で……その……陛下をなか幽閉ゆうへいし、即位の機をうかがっていると……その様な理解でその、よろしゅうございますか……?」


「ああ、相違そういない。グレバンは何も申していなかったのか?」


「はい。特には何も……」


「ハッハハハハ、相変わらずデルン侯爵は慎重だな。憶測で物事は語らんか」


 マベットは大声で笑う。グレバン・デルンの叔母はマベットの父である前国王リドー公の弟に嫁いでいる。つまりマベットにとっても叔母なのだ。その様な繋がりゆえにマベットはグレバンの事を良く知っていた。


「加えて申せば、ヴォーガンはこのダグベの制圧を目論もくろんでおる」


「何と!? では……ヴォーガン殿下はジェスタルゲイル殿下への襲撃をダグベ王国の責任とし、それを開戦の口実にしよう……と?」


「ほう、理解が早いな。デルン侯爵は良き部下を抱えておる。まさにそれこそがヴォーガンが描いた絵図であろうよ」


「そんな事になっていたとは……」


 予想だにしなかった事実を突き付けられ、ヤリスは呆然としながら呟いた。どこの国家でも多かれ少なかれその様な所はあると思っていた。だがよもや、自分の国の中枢がそこまでドロドロとしたものだとは思っていなかったのだ。


「幻滅したか?」


 放心状態のヤリスにジェスタは声を掛ける。「は……あ、いえ……」と戸惑いながらヤリスは返答する。そしてジェスタを見つめると静かに問い掛けた。


「イオンザはどうなって……しまうのでしょうか……」


「…………」


 ヤリスの問いにジェスタは無言だった。腹は決めた、そのはずだった。しかし言葉が出てこない。


 何故言えない? どうして? この期に及んで何を躊躇ちゅうちょする?


 ジェスタは自問自答を繰り返す。その言葉を口にしてしまったらもはや後戻りは出来ないだろう。そして一体どれだけの血が流れるのか。


「どうにもならんよ。なってたまるものか」


 口を開いたのはマベットだった。


「イオンザがどうにかなってしまったらその影響はダグベにも及ぶ。いや、ダグベだけではない。周辺国家全てに……北方の国々全てにその余波よはが襲う。いくさが戦を呼び血の連鎖が始まる。我ら当代の王達が取り仕切るこの治世にて、暗黒の世の幕開けなぞ断じて容認せん!」


 暗黒の世の幕開け。それを先導するのはヴォーガンであると、マベットはあんにヴォーガンを非難した。その強い口調に誘われる様にヤリスも声を上げる。


「そこまで……そこまでヴォーガン殿下は悪なのですか! 覇権主義者である事は知っています。いずれ戦を起こすかも知れないという事も……ここまで強引に事を進める御方とは……その、思いませんでしたが……しかし……しかし王の器であると! 優秀な王になるであろうと、誰もがそう思っています!」


 イオンザでは誰もが次期国王はヴォーガンだと思っている。それで国は安泰だと、誰もがそう思っているのだ。しかしそんな話を聞いてしまっては、まるでヴォーガンはその邪悪さを巧みに包み隠し国民全てを騙しているのではないかなどと、そんな不信感さえ湧いてくる。


「そうだな、その通りだ……」


 声を張ったヤリスとは対照的に、ジェスタはつとめて冷静に説明を始める。


「正常なプロセスで王位継承が進められていたならば、兄上とてこんなにも性急に事を荒立てはしなかっただろう。異物がな、そのプロセスに誤作動を引き起こしたのだ」


「異物……とは……?」


「万人に望まれる形で戴冠たいかん式の日を迎えるのだと、兄上はきっとそう思い疑っていなかったはずだ。だがある時、小さな異物が放り込まれた。小石が如きその異物は、あろう事かまるで宝石であるかの如く価値ある物だとささやかれ始め、更には自身の戴冠たいかんはばむ邪魔な存在となりつつあった。許せぬのであろう、自分以外の者の名が上がるなど……その異物は兄上の自尊心を傷付け、その好戦こうせん性に火をつけたのだ」


「そんな……」


 ヤリスは言葉が出なかった。その異物が何者であるのか察したからだ。


「恐らく兄上は玉座に座るのと同時にダグベへの侵攻を始めるつもりだ。王位にいたその直後に他国を制圧するなど、歴代のどんな王とて成し得なかった破格の偉業だからな。その偉業をもって周りの雑音を抑え込み、そうしてイオンザの統治をスタートさせる気なのだ。全ては私という異物が引き起こした誤作動……」


「も……申し訳ございません! 殿下がご自身をその様にお考えとはつゆ知らず……要らぬ事を申しました……」


「構わんよヤリス、当然の疑問だ。そなたは何も悪くない」

 

 ジェスタは笑顔でヤリスを気遣った。しかしヤリスにはその笑顔が力なく、そして随分と切ない笑顔に見えた。無神経な質問をしてしまったと、ヤリスは己の言葉を後悔した。部屋にはにわかに重苦しい雰囲気が漂い始める。マベットは「全く……」と呆れる様に話し出した。


「相変わらずそなたはドワーフらしからぬ考え方をする。異物などと己を卑下ひげする必要はあるまいて。だがその異物こそ、ヴォーガンを止める存在にもなり得るのだ。ジェスタよ、そろそろそなたの腹の内をさらしてもらおう。そなたは一体何を望むのか……」


 マベットの問い。ジェスタはいよいよ覚悟を決めた。もはや他の道はないのだ。進まねば己の居場所は守れない。

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