第153話 首狩り王の真実

「ラーテルム、ニリック殿がお見えだ」


「何? 早いな。あと二日は掛かると思っていたんだが……」


「ゾーダが帰るまで別室でお待ち頂いている」


「そうか。ゾーダはもう帰ったな? お通ししてくれ」



 ◇◇◇



 ゾーダとの会談が終わりゾーダが帰った直後、ラーテルムは次なる客人を迎え入れた。


「お待たせ致しまして申し訳ございません、ニリック殿」


「いやいや、構いませんよ、ラーテルム殿」


(相変わらず、張り付けた様な笑顔だな)


 ニリックの顔を見たラーテルムは少しだけ不快な感覚に見舞われた。平均的な身長、中肉中背で少し猫背。外見的な特徴は薄い。いて上げればいつも笑った様な顔をしている所か。だがこれは自然にそうなったと言うよりは、恐らく意図してそうしているのだろうという印象を受ける。まるで顔の表情筋がその形で凝り固まってしまった様な感じだ。ゆえにラーテルムにはこの男の笑顔がまるでペタッと張り付けたかの様な、偽りの冷たい笑顔に見えるのだ。

 しかしこの特徴のなさ、印象の薄さも彼の仕事には大いに役立っている。いや、逆だ。彼はこの仕事をスムーズに行う為に特徴や印象を消したのだ。恐らくそういうたぐいの訓練を長年続けてきたのだろう。結果、彼は人混みに紛れてしまえば絶対に見つけられであろう今の自分を作り上げたのだ。


 彼はニリック・サーレイ。ジャビーノ王国情報局の幹部である。


「聞けば先客がったとか?」


 テーブルに着くなりニリックは気になっていた疑問をラーテルムにぶつけた。


「ええ、すでに帰りました」


「待たせて頂いていた部屋の窓から、遠目にその客人の姿が見えたのですが……」


 ニリックの言葉に一瞬顔をしかめたラーテルム。


(チッ……何をやっている、何故なぜもっと離れた部屋へ案内しない……)


「その御仁ごじん、ジョーカー二番隊のマスターではないかと……部下がそう申しておりました。それは、事実ですかな?」


 柔和にゅうわな笑みを浮かべながら問い掛けるニリック。だがラーテルムは気付いている、その目の奥は笑っていない事に。


(ふぅ……変に隠し立てしても面倒事が大きくなるか……)


「はい、まさしく。あの男は二番隊マスター、ゾーダ・ビネールです」


「ほぅ、やはり……で、話したのですかな?」


 先程よりも更ににこやかなニリック。そしてそれに反比例する目の奥の光。それはもはや深く暗い闇そのものだ。


(まぁそう思うよな。さて……どうする?)


 ほんの少しの逡巡しゅんじゅん。ラーテルムは意を決した。


「ええ、話しました」とニリック以上の笑みを浮かべるラーテルム。ニリックのほおがピクリと動く。


「そうですか。問題は?」


「ハハハ、ありませんよ。経緯けいいをご説明しましょう。二番隊は諜報の為に南で活動していたようです。そして我がリロングを探っていた、そしてそれを私の部下が発見した。どうしようかと考えたのですが、会って話す事にしたのです。そしてこちらの事情を全て話した上で、取引を提案しました」


「取引?」


「ええ。ゾーダにはこの南でさなければならない目的があります。それに手を貸してやる引き換えに、こちらの事は黙っていろ、と」


「そういう事でしたか。あの御仁は……信頼出来るので?」


「はい、信頼出来る男です。ただしそれは、契約を忠実に履行りこうする、という意味ですがね。いいヤツだから信頼出来る、などというフワッとした理由ではありませんよ」


「なるほど……」と呟いた直後、パッとニリックの表情が変わる。


「問題がないのであれば、こちらとしては何も言う事はありません」と満面の笑みを浮かべるニリック。この笑みは先程の様な上辺だけの笑みではない、心からの笑みだ。何度か会って話す内にラーテルムはニリックの表情から、その心の内を読み取る事が徐々に出来る様になっていた。


「しかしよくあの男がゾーダだと分かりましたね」


「それはもう……貴殿にこの話を持ち掛ける際に、ジョーカーに関しては随分ずいぶんと調査しましたからね」


「なるほど。で、本日はどの様なご用件で? ひょっとして、計画実行日が決まりましたか?」


 ラーテルムの問い掛けに、ニリックはばつが悪そうに答える。


「いえ、残念ながらその逆なのです。ラーテルム殿、貴殿に謝罪せねばならない」


「謝罪? 謝罪とは……?」


「計画がずれ込んでしまいそうで……いや、ずれ込んでしまうでしょう」


「何かトラブルが?」


「そうなんです、想定外のビッグトラブルに見舞われておりまして……」


「お伺いしても?」


「もちろん、そのつもりで来たのです。貴殿にお引き渡しするはずだったステローム領、ここの現領主リッツきょうが何とも……」


「リギンデル・リッツ男爵ですね」


「ええ。貴殿がそのご意志を固められたタイミングで、リッツきょうには陛下より他領への転封てんぽうめいが下されたのです。ステローム領よりも小さな土地ではありますが、経済的には豊かで潜在的な敵も少ない。充分リッツ卿に配慮した上でのめいだったのです。しかしリッツ卿はそれを固辞こじした。陛下の命に従わぬなどあり得ません。しかも首狩り王の命ですよ?」


 少し自虐的に話すニリック。ラーテルムはくすりとした。


「先祖伝来の土地でもなし、明確な理由もなくただただ受け入れられぬ、と。そこで我々情報局が調べました所、実に厄介な裏が見えてきました。なんとリッツ卿は南と通じていたのです」


「南とは、ゼダス王国ですか!?」


「そうです。事もあろうかリッツ卿、ゼダスにステローム領を売り払おうとしていたのですよ。当然陛下はお怒りに……そして軍を送りました。今頃はすでにステロームにて戦端せんたんが開かれているでしょう。そして恐らく、ゼダスの軍もステローム入りしていると思われます」


「そうですか、いくさに……それでは我らの出立しゅったつはかなり遅れそうですね」


「そうなんです。それにつきまして一つ陛下から……おい」


 ニリックが呼び掛けると部屋の扉が開く。そして彼の部下が二人掛かりで大きな木箱を運び入れた。


「それは?」と問い掛けるラーテルム。するとニリックは「中をお見せしろ」と部下に指示を出す。部下が木箱の蓋を開けると、中には箱一杯の金貨が入っていた。「な……これは一体!?」と驚くラーテルムにニリックは静かに説明する。


「本来貴殿には綺麗な状態でステローム領をお渡ししたかったのです。しかし予期せぬいくさとなってしまった、貴殿には戦後の立て直しにいて相当な負担をいてしまう事となる……これは陛下からの謝罪と受け取って頂いて結構です。まずは支度金としてこれを。そして貴殿の叙爵じょしゃく式のりには更にもう一箱、ご用意させて頂きます。そちらは戦後の復興資金としてお使い頂きたい」


「なんと……これ程のお心遣いをして頂けるとは……」


 ラーテルムは驚いた。首狩り王がここまでの気を回せる男だとは思っていなかったのだ。それも当然である。ラーテルムの中では首狩り王はあくまで首狩り王、幼い頃に自分の全てを奪った男だというイメージのままだったからだ。元より復讐などは考えていない。しかし王と折り合いを付けるのには苦労するだろうと考えていた。だが、これは考えを改めなければいけない。驚き戸惑っているラーテルムの様子を見たニリックはとある提案をする。


「ラーテルム殿。せっかくの機会です、一つ……本音で話しませんか?」


「は……本音……ですか?」


「そうです。貴殿は恐らく陛下の事を誤解して認識されている……いや、ある意味その通りとも言えるのですが……しかし、貴殿がお持ちのイメージとはまた少し違うお姿もあると……」


「はぁ……分かりました、いいでしょう」


「ふむ。とは言え、そちらからどうぞ、と言うのも話しづらいでしょうからな。まずはこちらから……」


 そう言うとニリックはおもむろに姿勢を正し話し始める。


「我々の本音です。貴殿には南への備えとしての強固な門の役割を求めます。それは無論、今話したゼダス王国に対しての備えです」


「はい、それは理解しています。何せジョーカーの支部丸ごと引き受けようとの話しですからね、当然その様な役割だと……」


「おお、それは何より。ではもう少し突っ込んだ話をすると、南を攻める際の急先鋒としての立場も期待しているのです」


「な! 戦の予定があると!?」


 驚くラーテル。ニリックは軽く笑いながら否定する。


「ああ、いえいえ、そういう訳ではありません。現時点では南への侵攻は考えておりません。万が一そうなったら、という話です。今回の件ではっきりとした様に、南が我が国を狙っている事は明白。あまりにこの様な事が続けば、南征なんせいを考えなければいけない時も来ましょう。その時は、というお話しです」


 にこやかに話すニリック。これはどちらだ? どこまで信じていい? しかしラーテルムに出来る返答は限られている。


「そうですか……分かりました。我々はジャビーノ王国の一員となるのです、その時が来たならばもちろん全力を尽くすとお約束しましょう」


「おお! 頼もしい限りですね。では、今度は貴殿の思う所を……是非ぜひ!」


 ニリックの勢いに若干飲まれながらも「はぁ……そうですな。では一つだけ……」とラーテルムは自身の気持ちを語る。


「私は陛下に背くつもりはない、とだけお伝えします。二心ふたごころは持っておりません。忠誠を尽くすとお誓いします。もちろん過去には陛下を憎みました、恨みました。いずれこの手で殺してやろう、そう考えていました。しかし今は違う。我が父達が命を落としたのは、ひとえに保身に走ったからだと……今はそう考えています。領内の様々な問題に対しての自身の力不足を認めず、他者に知恵を借りる事を良しとせず、救いを求める事もしなかった。つまりは自業自得、起きるべくして起き、成るべくして成った……そういう事だと。フフ、年齢を重ねれば否応いやおうなしにも物事の本質が見えてくる、そんな所かと。まぁそもそも、こんな場で陛下にあだ成すつもりだと宣言する馬鹿もいないでしょうが」


 つい先程の話で、首狩り王は自分のイメージする所とは違うのかも知れないと感じたラーテルム。二心ふたごころはないというのは本心である。だがもう少しその気持ちに色を付けてやろう、首狩り王は自身のあがめるべき存在であると、より分かりやすく話してやろうと、ラーテルムはそう思いにこやかに自身の首狩り王に対する気持ちを話した。しかし対するニリックに笑みはない。


「ラーテルム殿、その事で一つ。陛下は……貴殿に二心があっても良いとお考えなのです」


「は!? あの……それはどういう……」


「それだけの事を貴殿にしてしまった、と……陛下なりに悔やんでおいでなのです。しかし、そのお気持ちの根本こんぽんの部分が一般の者達のそれとは違うというか……」


 急に歯切れが悪くなるニリック。ラーテルムは不思議に思う。


「どういう事でしょうか?」


「いえ、陛下が悔やんでおいでなのは、二十数年前のあの内乱の折り……貴殿だけを生かしてしまった事……それを悔やまれて……」


(何だ……それは? 俺を殺せなかった事を悔やんでいる……と!?)


 ラーテルムに緊張が走った。それではジャビーノに行ったら殺されるという事ではないか?


「あぁ、誤解されぬよう。貴殿に害を成そうという話ではありません。恐らく貴殿はここに至るまで相当な苦労をされてきたはず。その事を思うと、あの時家族と一緒に天へ送っておれば……かような苦労をさせずに済んだのではないかと……」


(それでは……俺の事を思って処刑しておけばよかったと? 馬鹿な! そんな変な理屈……)


 ラーテルムは混乱した。それはそうだろう。相手の事を思い殺しておけば良かったなどと普通の理屈ではない、まともではない。


「理解出来ぬのも無理からぬ事です。しかし、陛下はそういうお人なのです。世の人々のことわりからはほんの少し……いえ、かなりかけ離れているでしょう。ですがそれが陛下なのです、首狩り王なのです。慈悲の心がない訳ではない、むしろお優しい方であると、長くお側に仕える者は皆そういう認識でおります。あの内乱もそうです。貴殿の申す通り自領に不備不足があるならば、解決の難しい問題があるならば、何故なにゆえ陛下にご相談されなかったのか……相談さえすれば、陛下は必ずやお力添えをしてくれたでしょう。しかし貴族達は己のプライドからかその様な事はしなかった。それが最終的にあの悲劇に繋がったと、私はそう考えます」


 話を続けるニリックの顔からは完全に笑みが消えていた。ラーテルムは初めて見た、ニリックのこんな表情を。


「しかし貴殿は陛下へ忠誠を尽くすとお約束してくれた。陛下も必ずやそれにお応えになりましょう。貴殿を案じるお気持ちの根本こんぽんの部分は、他の者達の思うそれとは違うかも知れない。だが、貴殿を案じるそのお気持ちそのものは、嘘偽りのないものなのです。それだけは是非ぜひに……ご理解頂きたい」


 悲痛とも思える程の表情を浮かべながら、ニリックは真っ直ぐにラーテルムを見る。己を隠す事に長けたこの男がここまでの表情で必死になる、それだけの価値がある、首狩り王とはその様な王であると、つまりはそういう事なのだろう。ラーテルムは一言だけ述べた。


「これから、よろしくお願い申し上げます」



 ◇◇◇



 夜。月明かりが差し込む薄暗い部屋の中。窓際のテーブルで灯りも点けず、一人の男が酒を飲んでいる。すると奥の部屋からもう一人男が出てきた。白髪混じりでくたびれた様子のその男は、身支度を整え荷物を抱えている。


「あれぇ、ボス。さっき帰ってきたと思ったらまたお出かけ?」


 ボスと呼ばれた男はチラリと話し掛けてきた男を見る。


「依頼だ、現地で準備をする……」


「へぇ~、報酬いいの?」


然程さほどではない……が、その者をれば、我らアルアゴスの名が更に上がる。そういうターゲットだ……」


「ふぅ~ん、そりゃいいねぇ。もっと依頼が増えりゃあ、こんな暇する事ないしねぇ。あの頃みたいにさぁ」


 ニヤリと笑う男。ボスと呼ばれた男は表情を変えず、しかし話題は変えた。


「メイチエールの、情報は……?」


「ん? なんにも。そもそも……まだ生きてんの? もう死んでるんじゃ……」


 グラスを片手にそう話す男を、ボスと呼ばれた男はジロリと睨む。


「あ……あははは……は……冗談だよぉ……」


「お前も、出る準備をしろ……」


「は? 何で?」


「この隠れ家が、ハンディルどもに割れたからだ。すぐに連中、乗り込んでくるぞ……」


 ほんの少しの間。そして男の声が響き渡る。


「……はぁ!? なにそれ!? そんなの聞いてないよ!!」


「今、言った……他の連中には、伝えてある。ヤバい物は、すでに運び出した。お前は、身一つでいい……」


「ちょっと待ってよ……どこ行けばいいの!?」


「ここより北西、ジャビーノ王国南部にリブレインという小さな街がある。その街で、夕闇亭ゆうやみていという宿を探せ……他の者も、そこへ向かう。そこから先は、他の者に聞け……」


 そう言うとボスと呼ばれた男は部屋を出た。一人残された男はダンッ、とグラスをテーブルに叩き付けるように置く。


「何だよそれぇ~、早く言ってくれよぉ……」

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