第210話 王女の覚悟

 グレバンは若干肩をすくめ、そして少し笑いながら「殿下、何度も申し上げております通り、今宵こよいの会合はその様な議案ではございません。お聞き分け下さいませ」とまるで子供でもあしらうがごとく説明する。しかし当然セムリナは退かない。


「下手な嘘はおよしなさい、往生際が悪いわよ。このタイミングで急な会合の召集、ジェスタ絡みでなければかえって不自然というものよ」


 足を組み、右手をひらひらとさせながら呆れた様に話すセムリナ。この穏健おんけん派貴族達の会合は彼らが支持するジェスタの安否を確認する為のものだと、セムリナそう考えていた。そして恐らくジェスタは生きているとも。何故なぜならこの場にいる彼ら穏健おんけん派貴族達が随分と余裕のある様子を見せているからだ。仮にジェスタが死んでいたとしたら、さすがにこんなにも落ち着いてはいられないだろう。しかしそれはあくまで彼女の推測に過ぎない。彼らの口から直接真偽しんぎを聞く必要がある。そして一つ、セムリナには理解出来ない事があった。何故なぜ彼らはジェスタの事を隠そうとするのか、その意味が分からない。だがグレバンの返答がその答えへと導く切っ掛けとなる。


「例えそうであったとして、殿下にお話差し上げるとお思いになりますか?」


 笑顔のままそう答えるグレバン。対してセムリナの表情は変わる。グレバンのその言葉はまさに異様な一言であった。およそ臣下の者があるじたる王族の者に対し口にする様な言葉ではない。例え腹の中ではそう思っていたとしてもだ。セムリナは眉をひそめ、不快感をあらわにした。


「おかしな事を言うわね……王族が襲撃を受けて行方不明、その安否に関わる情報ならば最優先で国に上げられなければならない重要事項。デルン卿、貴方の行為はまさに重要情報隠蔽いんぺい……法に照らせば処刑もあり得る重罪だわ! ましてやジェスタは私の弟よ!」


 語気を強めるセムリナ。しかしグレバンは冷静だった。


「ご家族の安否をご心配なさるのは至極しごく当然の事ですな。しかしながら殿下、貴女様がジェスタ様のお味方であるという確証がない以上お話し出来ませぬ」


「確証? 一体何を言っているの!? 私がジェスタの敵で……ジェスタを害するとでも言いたいの!?」


「…………」


 セムリナは声を荒らげる。だがグレバンからの返答はない、無言だった。無言だがしかし、その目はしっかりと訴えていた。怒り、あわれみ、呆れ……そしてさげすみの感情を。何故王族の自分が臣下の侯爵ごときに、その様な侮蔑ぶべつに満ちた不快な視線を向けられなければならないのか。セムリナはいきどおりその怒りをグレバンにぶつける。


「その目は何! 何故貴方にそんな目で見られなければならないの! 味方かどうかなんて……弟をどうにかしようなんてそんな事…………!?」


 セムリナはハッとした。その瞬間、彼女の脳裏にはとある人物の姿が思い浮かんだ。心当たりがあったのだ。弟をどうにかしそうな、そんな人物がいるという事に。


「ちょっと待って…………いくら何でもそんな事……まさかあの男がジェスタを襲ったとでも!?」


「殿下の仰るあの男というのがどなたなのかは存じませんが……しかし恐らく、我らが警戒している御方と同じなのではないかと……」


「まどろっこしいわね!」


 そう怒鳴るとセムリナはスッとグレバンから視線を外す。そして小さく「ヴォーガンよ……」と呟いた。


「ふむ、その御方の名が出るという事は、殿下にも少なからずお心当たりがおありになるという事ですな。そしてあの御方の存在こそが、例えジェスタ様のご家族と言えども疑いの眼差しを向けなければならぬ理由に他なりませぬ」


 セムリナはグッと奥歯を噛む。グレバンが自分を警戒している理由が分かった。理由が分かれば確かに、納得せざるを得ない。セムリナの中にたぎっていたグレバンに対する怒りや不快感がすぅぅ、と消えてゆく。


「でも、本当にそんな事が……証拠はあるのでしょうね……?」


「確証はございません。ですが恐らく間違いなかろうとの事で。何せ襲われたご本人がその様にお疑いでございます」


「という事は……ジェスタは生きているのね……?」


「はい、ご無事にございます。どちらにいらっしゃるかは、伏せさせて頂きますが」


「そう……無事なのね……」


 そう言うとセムリナはうつむき目を閉じる。そして「良かった……」と呟いた。そんなセムリナの安堵あんどした様子を見て、グレバンは胸に手を当て頭を下げる。


「何よ急に……」


 取って付けた様なグレバンの仕草しぐさを見てセムリナは眉をひそめる。グレバンは頭を下げたまま答えた。


「拝見致しまするに、どうやら殿下はあの御方とは繋がっておられないご様子……先程からの非礼に対しましてお詫びを申し上げまする」


「良いわよ別に。誤解の種をばらまいていた自覚はあるわ」


「は。寛容なお心に感謝を……何故なにゆえ、あの御方と頻繁ひんぱんにお会いになられていたのですか?」


「無論、お父様の様子を探る為よ」


「なるほど……左様でございましたか」


 グレバンがセムリナを警戒していた理由。それはセムリナが頻繁ひんぱんにヴォーガンと会っていたという事実にあった。二人は繋がっている、そしてジェスタをおとしいれた。グレバンはその可能性を考慮こうりょしていたのだ。


「でも駄目ね。何度聞いてもそのたびにはぐらかされたわ。新しい国はどう運営するべきかだの、仮想敵国はどことどこでだの、私の嫁ぎ先はどこが良いだの……そんな事を聞きたい訳じゃないわ。なのにあの男、すでに国王のつもりでいるのよ」


「それは……さぞご不快でありましたでしょうな」


「その内にあの男、何と言ったと思う? 私をこの国に置いたままにして……」


 セムリナは言葉を詰まらせる。「殿下……?」と呼び掛けるグレバン。ふぅぅ……と大きく深呼吸して気を落ち着かせるセムリナ。そして震える声で呟いた。




「自分の子を産ませても良いなんて……」




「……何と!?」


 グレバンは思わず声を上げた。


「何という事を……」

「バカな……正気か……?」

「あり得ぬ……あり得ぬぞ!!」


 部屋にいる貴族達もざわめき始める。当然だ、とてもじゃないが受け入れられる話ではない。セムリナはひきつる笑顔を見せる。そして呆れる様に「さすがに言葉を失ったわ。イカれてる……」と話す。グレバンは怒りに顔を歪ませる。


「近親婚なぞ……時代錯誤どころの話ではございませぬ!! 何百年歴史を巻き戻すつもりか……例え冗談としても度が過ぎておるわ!!」


「果たしてどこまで冗談なのかしらね……あの男は言っていたわ。お前の事は認めている、そのさかしさも、太い度胸も、うるわしい容姿も……そんなお前が私の子を産めば、次代のイオンザは安泰だ、なんて……」


 怒りに震えながらセムリナの話を聞くグレバン。その怒りは頂点を超し、ついには呆れ果てて笑ってしまった。


「ハ……ハハハッ! 狂っておる……ここまでとは思わなんだ。陛下はあの御方の異常性に気付かれておられんのか……」


「あの男、お父様の前では大人しくしていたから……でもさすがに気付いているでしょうよ。その上で目をつむったんだわ、邪悪さよりも能力の高さを取った……そんな所でしょうね」


「良くぞ耐えられましたな、殿下。ご立派にございます」


「立派などと……王族に産まれた女である以上、政争の道具として生きて行く覚悟はあるわ。でもどうして……どうして実の兄の子を産まねばならないの!? 気持ち悪い……本当に気持ちが悪い! 反吐へどが出るわ……」


 両腕で自らの身体を抱き締めながら、セムリナは必死に抑え込んでいた感情を吐き出した。不快感に嫌悪感、そして恐怖。グレバンはそんなセムリナの心情をおもんぱかり言葉を掛ける。


「……お察し致しまする。先程法を語っておいででしたが、法に照らさばまずはあの御方を断罪せねばなりますまい。陛下をなかば幽閉し、ジェスタ様を亡き者にしようと画策かくさく、更には貴女様を……侮辱ぶじょくなさった」


「全くだわね……その話があって以来、あの男とは面会していないわ。もはや話す事なんて何もない……あとは行動よ」


「行動とは……何を?」


「まずはお父様をお助けする。つい先日、あの男が入れ替えたお父様の近習きんじゅの中に私の手の者を潜り込ませたわ」


「何と!? では陛下のご様子がお分かりになったのですか!?」


「ええ。随分と衰弱なさっていたと……今日、その者からお父様が飲まされていた薬を入手したと報があったの。分析を始めたばかりなのでどんな薬なのかはまだ分からないけれど、でも多分病を癒す為の薬ではないわね。他の近習きんじゅ達も何の薬かは教えられていないそうよ」


「では、お命を奪う薬と?」


「分からないわ。でも、だとしたら回りくどいと思わない? お父様のお命はすでにあの男の手の中……事を起こそうと思えばすぐにでも実行出来るわ。なのにいまだあの男は王位を僭称せんしょうしていない……一体何を狙っているのか……」


「ふむ……して殿下、陛下を救出なさったとして……その次は如何いかに?」


「無論、次はあの男を追い落とす。お父様を説得し……王位継承を認めてもらうわ」


「な……!?」


 グレバンは驚き絶句した。それは全く予想外の言葉だったのだ。確かにセムリナは王位継承権を保有している。しかしそれは言わば飾りの様なもの。彼女が王位を継承する事は考えられない。しかしセムリナの顔はある種の覚悟に満ちていた。決して思い付きで発した言葉ではなさそうだ。


「それは……」


 言い掛けてグレバンは口をつぐむ。どう話せば良いのか、判断に迷ったのだ。しかしセムリナは理解していた。グレバンが言いたいであろう事も、そしてこちらに気を使いそれを上手く伝えられないでいる事も。セムリナは「それは……何? 遠慮は要らないわ、言いなさい」とグレバンに思っている事を話す様に伝える。


「いえ……それはあまり……現実的ではございませんな」


 しかしグレバンは言葉を選び遠慮がちに答える。セムリナは「ハッ……」と鼻で笑った。


「はっきりと言ったらどう? 小娘が玉座を狙うなど厚かましい、女が表舞台に出るなどもってのほかだ……って」


「まさに悪しき慣習かんしゅうでございますな。代々この国は女性の台頭に対して極めて不寛容である、それは間違いございませぬ。国を動かすのは男の仕事であるなどと……しかし殿下の聡明さはすでに皆が知る所にございます。国政に参加なさるくらいのお役目であれば誰も何も申しますまい。あるいはどなたか婿をもらい、そのお飾りの王を傀儡かいらいとして国家を運営する……しかし殿下ご自身が王にとなれば話は別。殿下、その道は障害が多いどころではございませぬ。障害しかない道……破っても破っても堅牢けんろうな砦がひたすらに立ちはだかる、まともに進める道ではございませぬ。そもそも王室法では……」


 セムリナはスッと左手を上げグレバンの言葉をさえぎる。


「王は男子から選ぶ、勿論知っているわ。必要ならば王室法の改訂も……」


僭越せんえつにございますが殿下……」と今度はグレバンがセムリナの話に口を挟む。


贔屓目ひいきめに見ても、貴女様が内乱に耐えうるとは思えませぬ」


「あら……言うじゃないの。良いわね、段々と遠慮がなくなってきたわ」


「殿下、私は至極しごく真面目にお答えしておるのです。仮に陛下がお認めになったとして、あの御方が黙ってはおりますまい。間違いなく殿下を排除しようと動くでしょう。まずは政治的に。効果がなければ次は軍事的に。つまりは内乱の勃発です。しかしながら殿下、どんなに足掻あがこうとも貴女様は勝てない……」


「言い切るわね……そんな事……やってみなければ分からないわ」


「分かるのです。実際の所は貴女様もご理解されているはず……殿下にお味方しようとする者はおりませぬ」


「それは……私が女であるからと……?」


「……私とて言いたくはありませぬ。ありませぬがしかし、先程申し上げた通りに……この国は女性の台頭に対して極めて……極めて不寛容なのです! ゆえに……貴女様は……」




「冗談じゃないわ!」




 ドン! とセムリナは怒りに任せテーブルを叩いた。そして目の前に居並ぶ貴族達を睨む。


「男だ女だと……そんな事の為に……そんな事の為にっ!!」


「お怒りはごもっともかと。そんな事で能力の有り無しや正当性を判断するなぞ馬鹿げた話です。しかし残念ながら今のこの国は……イオンザはこうなのです……」


「ではどうしろと……どうやってあの男の台頭を防げと……!」


「……ジェスタ様がいらっしゃいまする」


「……ジェスタ? ジェスタが何だと……?」


 ジェスタがいる。セムリナにはグレバンのその言葉はまるで的を射ていない妄言もうげんの様に聞こえた。

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