第184話 魔導師殺し

 走り出した途端、アイロウの魔弾に削られた右の脇腹がズキンと痛んだ。自分で放った炎に巻かれた右腕も、ヒリヒリビリビリとうずく様に痛み出す。治癒魔法の掛かりが浅くなっているのだ。何枚も連続でシールドを張り続けた弊害、疲労によるものだ。


 だがあと少し。あと少しだけ動ければ良い。


 アイロウは息を整えながら右手を前に突き出す。攻撃などさせない。俺は走りながら魔散弾まさんだんを放つ。出来る限り数多く、出来る限り小さく、出来る限り硬く、出来る限り高速で旋回させる。丁寧に丁寧に放たれ制御された最高の状態の、最高の魔散弾まさんだん。アイロウの様子はどうだ? 動きはない。対応が間に合わないのか、それとも諦めたのか。どちらにしても、この最高の魔散弾はアイロウに当てる為のものではない。


(割れろ!)


 無数の魔弾まだんの粒はアイロウを避ける様にバババッと左右へと散った。割けた弾幕の中央にはまるで無防備に立ち尽くすアイロウの姿が現れる。驚いた様な表情を浮かべるアイロウは、一体何が起きているのか状況をまるで把握出来ていない様子だ。それで良い、きょは突けた。次は完全にアイロウの動きを止める。ヒリヒリと痛む右手をグッと前に突き出す。



 パァァァァン!!



 轟音と共に右手の先から飛び出す青白い閃光。それはたちまち無数に分かれて、細く繊細でありながら力強く飛び散る何本もの光の線となる。向かう先はアイロウを避ける様に左右へと散った魔散弾の粒達。

 俺は今までいかに気付かれずにマーキングし雷撃を放つかと、それにばかり注力していた。いや、それに囚われていたのだ。だが相手を威圧したり、動きを止めるのが目的ならばもっとシンプルな考え方で良い。


 射出した魔弾に向けて雷撃を放てば良いのだ。


 目の前で轟音が鳴り激しい光が炸裂すれば、誰しも反射的に目をつむり、身を守ろうと身体をよじらせたりするだろう。そしてそれはアイロウとて例外ではないはず。この最高の魔散弾と雷撃は、アイロウの動きを止める為だけに放つ豪華な牽制けんせいだ。

 放射状に走る無数の雷光は、その中央に立つアイロウを包み込むかの様に広がる。それはまるでほんの一瞬、まばたき程の短い間だけ鮮烈に咲き誇る雷の花。すると思惑おもわく通りアイロウは「うっ……」と小さくうめきながら、ギュッと強く目をつむり顔をらした。


 そのあまりに激しい音と光は、周りで観戦していたギャラリー達をも飲み込む。皆揃って顔をしかめながら「うおっ!」、「ぐっ……」などと声を上げ身をすくめる中、ライエだけはその眩しさに若干目を細めながらも、一瞬だけ開いた雷の花に心を奪われる。儚くも美しく、そして恐ろしい花。


 花が散り、そこに残るのはアイロウ一人。後はいかにしてアイロウを殺さずに無力化するか。方法は一つしかない。命を奪う事なく、魔導師としてのアイロウを殺すのだ。



 ◇◇◇



「うぅ……気持ち悪……」


「ははは、可哀想だがこればっかりはどうしようもない。早いとこ魔力を認識しろ、としか言えんな」


 ソファーに横になり苦しむ俺に、レイシィは笑いながら木製のジョッキを差し出す。上体を起こして受け取ると、ジョッキの中には真っ赤な液体が揺れていた。


「これ、ワインだよね……信じられん……気持ち悪いって言ってる奴に酒勧めるかね……」


「やれやれ、何を言うかと思えば……」と呆れた様子のレイシィ。


生憎あいにくこの家には酒しかないぞ。そもそも人なんて滅多に来ないからな、お茶を出す習慣がない。というかお茶がない。大体ワインなんて水みたいなもんだろ?」


 だったら水を出せ。


 オルスニア王国南東の街、ラスカ。そしてここはレイシィの家。この世界に飛ばされレイシィに弟子入りしてすぐ、最初の修行は自分の中に眠る魔力を認識する、という作業だった。レイシィが俺の身体に魔力を流し込むと、俺の中に眠る魔力が騒ぎ出す。そしてレイシィの魔力を異物と判断し、排除しようと動き出すのだ。それを繰り返す事で魔力というものが確かに自分の中に存在すると、そう認識出来る様になる。

 しかし、この作業には副作用が生じる。頭痛に吐き気、倦怠感。まるで二日酔いのそれと同じ様な症状に苦しめられる事となるのだ。そんな苦しむ弟子に迎え酒よろしくワインを差し出す我が師……大丈夫か、この女……?


「これさ、流し込んでる魔力ってほんの少しなんでしょ? 大量の魔力を流し込まれたらどうなんの? 死ぬ?」


「お、良い質問だ。まぁ当たらずも遠からず、ってとこだな。死にはしないが、ある意味死ぬ」


「何その謎かけ……考えんのしんどい。答え言って」


「何だ、つまんないヤツだな」


「あのね、体調悪いの、つらいの」


「しょうがない、じゃあ答えてやろう。どれだけ大量の魔力を体内に取り込んでも死ぬ事はない」


「死なないの? ほんの少しでもこんなつらいのに?」


「ああそうだ。例えば私が保有している魔力の全てをお前の身体に流し込んだとしても死にはしないさ。まぁ相当苦しむだろうがな」


「ああ、そうね。この辛さね……」


「今の辛さの非じゃないだろうよ」


「なるほど……それである意味死ぬと。確かに、そんななったら死ぬ程辛そうだ」


「それともう一つ理由がある。魔導師殺しって言ってな、大量の魔力を流し込まれる事で魔導師的に死ぬ。まぁ一時的にだがな」


「何それ、物騒な……どういう事?」


「外から入り込んだ自分以外の魔力は異物と見なされる。つまりは毒だ。そして自分の魔力はその毒を排除しようと働く。今やっている魔力を認識する作業は、まさにそれを利用したものだ。では、自分の魔力が毒の排除に失敗したらどうなると思う?」


「よくないと思う」


「お前……もうちょっと何かあるだろ、ちゃんと考えろ」


「だから辛いんだっての。考えんのしんどいの」


「全く、付き合いの悪い……そうなるとな、自分の身体は毒に、他人の魔力に汚染される事になる。汚染されるとどうなるか。他人の魔力に邪魔をされ、体内で魔力をスムーズに作り出せなくなる。つまりは魔力が足りなくなり魔法を使えなくなる。魔導師として死ぬ、という事だ」


「だから魔導師殺し……」


「まぁあれだ、大層な呼ばれ方をされている行為ではあるが、でもそれはあくまで一時的なものに過ぎない。人間の回復力ってのは大したものでな、例え時間が掛かろうとも体内の毒はいずれ浄化される。そうなれば魔力も通常通り作り出せる様になる」


「それ……一時的にでも相手を無力化出来るんだったら、攻撃方法の一つとして使えるんじゃないの?」


 俺がそう問い掛けるとレイシィはニマァ……と笑う。言うと思った、とでも言わんばかりだ。


「本当にそう思うか? 相手の体内に魔力を流し込むには触れられるくらい近付かなきゃならん。で、実際そこまで近付いたんなら、そんなまどろっこしい事せずに得物えものでザクッとやっちゃった方が早いだろ」


 と、レイシィは刃物を突き刺すゼスチャーをする。


「あ……そうか。確かに……」


「相手に触れられるくらいまで近付き、尚且なおかつ相手を殺さずに無力化しなければならない状況……そんなのそうそうあるとは思えんがな。殺らなきゃ殺られる、ここはそんな世界だ。それにもっと言えば私達は魔導師だ。大抵の場合、相手との距離をめる事なく魔法を放ってそれで終わり。尚更なおさらそんな場面に出くわす事は少ないと思うが?」


 むぅ……かさがさね、確かに……


「仮にとんでもなくムカつく魔導師が現れたら、そいつにこっそりカマしてやれば良い。一度に取り出せるだけの魔力を一気にボスン、と流し込んでやるんだ。良い嫌がらせになるぞ?」


 レイシィはいたずらっぽく笑う。そこまで手間を掛けてまで嫌がらせをする様な人間にはなりたくない。


「さて、そろそろ夕飯の用意をしようか。今日は何の肉が良い?」


 ……気持ち悪いっつってんのに何で肉一択だ。もっと軽いもん食わせろ。



 ◇◇◇



 相手に触れられるくらいまで近付き、相手を殺す事なく無力化する。確かにそうそう無さそうな場面だが……


(その場面、案外早く来たぞ……お師匠!)


 チカチカと雷光の余韻が残る中、隠術いんじゅつの身体強化魔法を掛けた右足で思い切り地面を蹴り付ける。重力の鎖を引きちぎるかのごとくグン、と加速しながら宙に浮かぶ身体。滑る様に流れる景色。音が消える。そして目の前にはアイロウの姿。驚きの表情を浮かべるその顔がはっきりと見えた。すると静寂を破る様に突如響き渡る声。




「行けぇぇぇぇぇ!!」




 ブロスだ。思いがけないその声に思わずほおが緩む。


(言われなくても……これで終わりだぁ!!)


 ドン!! と一杯に開いた右の手の平をアイロウの胸に思い切り打ち付けた。火傷やけどで赤く腫れ上がった右手にガチンと激痛が走る。だがどうでも良い。今更そんな事はどうでも良い。


「ぬあぁぁぁぁぁぁ!!」


 勢いのままアイロウを地面へ押し倒す。そして仰向けに倒れているアイロウを右手で押さえ付けながらボスン、とその身体の中へ一気に魔力を流し込んだ。


 魔導師殺し。


「ぐぅぅ!」とうなりを上げるアイロウ。目を大きく見開き「そうきたか……」と呟いたかと思いきや、ビクンと跳ねる様に大きく全身を痙攣けいれんさせる。そして、




「ぐぅぅぅ……っあああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」




 アイロウは大声で叫びながら胸や腹をきむしる。地面を転げ回り、のたうち回り、四つん這いになって嘔吐おうとする。そのあまりに激しいさま呆気あっけに取られていると、急にズキズキと身体のあちこちが痛み出す。集中力が切れたのと同時に、治癒魔法が解けたのだ。


(やば……)


 瞬間、意識が飛びそうになる。フッと力が抜けその場に膝から崩れ落ちる。が、身体が地面に打ち付けられる事はなかった。地面へ倒れる寸前、何者かに身体を抱き抱えられたのだ。


「ライエ……」


 俺の身体を支えてくれたのはライエだった。ライエは静かに俺の身体を地面へ寝かせる。さすが同じ魔導師だ、俺がアイロウに何をしたのか分かったのだろう。そしてその瞬間、勝敗は付いたと判断し駆け寄ってくれたのだ。


「ありが……」


「バカッ!!」


「……へ?」


 ありがとう。そう言おうとしたが怒鳴られた。


「何であんな無茶……本当もう……バカなの!?」


「でも、前回よりマシでしょ? 腕がくっついてる」


 するとライエは両手で俺のほおをパチンと挟むとぐぐっと顔を近付ける。


「バカッ、今だって重症! もう喋んないで、治療する!」


 そう言うとライエは俺の身体に手をかざし治癒魔法で治療を始める。と、左腕に何かがポタリと落ちた感触。見るとライエは片手で目を拭っていた。


「本当……良かった……」


「……ごめん、ライエ。ありがとう」

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