第203話 魔女の実験
(んおっ!?)
口へと運んだその肉は見た目とは裏腹に驚く程柔らかい。ジュワッと染み出る肉汁がスパイスと共に口の中へ広がる。
(柔らか……うまっ)
ふと隣を見るとラベンは黙々とその肉を頬張り、向かいに座るロナは「ん~!」と至福の声を上げている。
「美味しい、このアッシュボア! やっぱりお城の料理は違うね」
(アッシュボア……)
たまに口にするんだが、そもそもアッシュボアって何なんだ……?
「なぁロナ、アッシュボアって……」
ガチャ、と俺の声をかき消す様に部屋の扉が開く。「おう、皆おるな?」と部屋に入ってきたのはノグノとミゼッタだ。
「あ、ノグノ様。お昼頂いてました。二人の分も……」
「いや、いらんよ。打ち合わせ終わりでそのまま外務
レクリア城に到着した翌日昼。
「ジェスタ様はもう行かれたか?」とロナに問い掛けるノグノ。ロナはカチャカチャとナイフで肉を切りながら「はい、先程……」と答える。ジェスタは婚約者であるベルカ殿下に誘われ昼食会に出席していた。
「よし、食いながらで良い、聞いてくれい」
そう言いながらノグノは席に着く。ミゼッタはティーポットからお茶を注ぐとカップをノグノの前に置き、自身もその隣に座った。
「ふぅ。ま、案の定予想通りっちゅう所なんだが……」
ノグノはミゼッタの注いだお茶をすすると、ダグベ側との打ち合わせの内容を説明し始める。
~~~
「――そういう訳でなノグノ殿。今朝方陛下にもご相談申し上げたのだが、やはりこのまま挙式という訳には参らんだろうと。延期が妥当と思われるが……」
「それはそうでしょうな、ムシーク殿。当然の判断かと。昨夜ジェスタ様と少し話しましたが、ジェスタ様も同様にお考えです」
「ふむ、左様か……いやいや、お考えが一致していて
ニコリと軽く微笑みムシークはワインが注がれたグラスをクッと傾ける。夜に予定されているダグベ国王マベットとの晩餐会。それに先駆け双方の意見をざっくりと
「昨日の今日であるからな、お互い細かな所はこれから
「ホッ、これは格段のご
「そうか。うむ、良かった。デルカル将軍、警備は最上級にて頼む。人員を出し惜しむなよ?」
ムシークは笑いながら同席しているデルカルに声を掛ける。デルカルは「は。仰せの通りに」と静かに答えた。
「そう言えば、最初に襲撃を受けた際に生き残った貴国の兵であるが、西の我が軍の駐屯地にて保護しておるぞ」
「おお、左様ですか! これはお手数をお掛け致しましたな。して、どれくらい生き残っておりましたか?」
「ふむ、三十名程であったかな?」
ムシークはデルカルに問い掛ける。デルカルは「は。三十三名にございます」と答えた。するとミゼッタはため息をつきながら「三百居た部隊が三十……」と呟いた。
「相当激しい戦闘であった様であるな。落ち着いたら兵らを王都へ呼び寄せると良い。さて……では少し、踏み入った話を
そう話すと途端にムシークの表情は険しくなる。まるでこれから聞きづらい事を聞くぞ、と宣言する様な顔だ。対してノグノは緩やかな笑みを絶やさぬまま「はい、何なりと……」と答える。
「うむ……
「……はい。確証なぞありませぬが……恐らくは、という人物が……」
「ふむ……そうか。ふむ……」
そう呟くとムシークは無言になる。どことなく話しづらそうなムシークの様子を見たノグノは、その腹の内を察して言葉を掛けた。
「よろしゅうございますぞ、ムシーク殿。イムザン神に誓って貴殿が誰の名を挙げられようと、わしらには何も思う所はございませぬ」
「……ご
ムシークはチラリと隣のデルカルに視線を送る。デルカルはその意図を理解し「では私から……」と話し出した。
「二ヶ月程前、ダグベ軍第二軍団の
そこまで聞くとノグノは両手をテーブルの上に置きグッと身を乗り出す。そして「ほう、軍人が姿を消したと……それが、今回の襲撃にどう関係を?」と興味深そうに問う。
「この二人の行方が知れないとの話が広がると、軍情報局はすぐにとある報告を上げてきました。第七独立歩兵大隊のナルフと士官学校のフッズは、いずれも
「ふむ、多忙な将軍に気を使ったのでしょうなぁ、良くある事でございましょう。して、それからどうなりました?」
「まずはその日の内に、ナルフとフッズはかつて同じ部隊に所属し仲が良かったという事が判明しました。彼らは共に野心家で、
「傭兵共と……」
「はい。そしてナルフ。彼は……」
言いかけてデルカルはちらりとムシークを見る。ムシークは無言で小さく
「ナルフは北の国境付近で貴国の
「
ミゼッタはその名を呟くと顔をしかめた。
「その後二人は北西の国境近くの小さな街レアイアで合流、そこに数日間滞在していた様です」
「北西……わしらの入国ルートですな。なるほど、色々と繋がった。ムシーク殿、確証こそのうございますが、恐らくわしらの予想は当たっておりますぞ。雪風騎士団の名が出るという事は、つまりはそういう事にございます。あれはあの御方の親衛隊、手駒にございます
ノグノが呼び掛けるとミゼッタはトン、トン……と三本のナイフをテーブルの上に置いた。「それは……?」と
「はい。最初の襲撃の際、
ミゼッタの返答にも「ほう……それが何か?」と相変わらず事態を飲み込めていない様子のムシーク。しかしデルカルの反応は違っていた。そのナイフに思い当たる所があったのだ。「まさか!?」と驚いて声を上げるデルカル。「さすが、将軍はすぐにお分かりになりますね」とミゼッタはニコリと微笑む。
「これは違う! 断じて違いますぞノグノ殿!!」
必死の
~~~
「――という訳でな、ジェスタ様の挙式は延期となるだろう。中止ではなく延期ぞ。これの意味する所は分かるな?」
「意味するって……ベルカ殿下のご意向という事ですよね?」
「もう、鈍いわねロナ。ベルカ殿下の
「あ、そういう事か……」
「そうだ。
「では、ダグベ側は我らイオンザ宮廷内のあの噂も承知していると?」
ラベンの問い掛けに「当然ぞ」と答えるノグノ。
「ベルカ殿下の嫁ぎ先がどの様な事になっておるのか、常に情報は集めておるだろうて。ジェスタ様に王位継承の可能性が出てきた事も知っておって当然。そしてその上で出てきた雪風騎士団の名、
ノグノはグイッとお茶を飲み干すと、タンッと勢い良く音を立てカップをテーブルに置く。そして静かに口を開いた。
「確実な裏こそ取れてはおらぬが断定して良いだろう。此度のジェスタ様襲撃事件、やはりヴォーガン殿下の差し金ぞ」
「やはりか……」と呟くラベン。ロナとミゼッタは険しい表情。「ま、予想はしていたがな。先程ムシーク殿らにも話したが、筋書きは……」とノグノこの襲撃事件の裏を推測し説明する。
「ヴォーガン殿下がジェスタ様を亡き者にしようと
「アレって? 何かあるの?」
「おう、そうだな。コウには詳しく話しておらんかったな。ミゼッタ、見せてやれ」
「はい。コウ、これよ」
ミゼッタが取り出したのはナイフだ。見た所普通のナイフだが……
「これはね、一番最初に襲撃を受けた際に傭兵共が装備していたナイフなの。ここを見て。
ミゼッタはナイフの
「ここにはね、本来とある紋章がはめ込まれているのよ。何の紋章か分かる?」
「紋章……王太子はこのナイフでダグベに責任を被せるつもりだったってんでしょ? て事は……」
「フフ、もう分かるわよね。本来ここにはめ込まれているのはダグベの紋章よ。このナイフはダグベ軍の正式装備の一つなの」
「そうか、このナイフは裏切ったダグベの軍人が用意した物って事だね。つまりヴォーガン殿下は、ダグベ側がジェスタさん殺害を傭兵に依頼して、その協力として装備を提供していたんだろうって、そう突っ込むつもりだったと……でも、さすがにこれを根拠にってのは弱くない? ちょっと無理があるっていうか……そもそもダグベにジェスタさんを殺害する理由がないでしょ?」
俺の思った疑問にノグノは同意する。
「おう、コウの言う通りだな。この程度の根拠じゃあ弱い、いくらでも反論出来ようぞ。更にその理由も
「切っ掛け?」
「良いも悪いも、理屈も道理も関係ない。ヴォーガン殿下が欲しておるのは戦争の火種ぞ」
「ああ……ヴォーガン殿下は覇権主義者だったっけ。ダグベが欲しい訳か……」
「そうだ。即位の邪魔となるジェスタ様を
「センドベルって、過去にイオンザから割れたもう一つの国だよね? ブロン・ダ・バセルの後ろ楯だっていう……」
「似た様なもんだが意味合いが少し違う。民間組織を
なるほど。ようやく全貌が理解出来た。イオンザの王位継承問題、ヴォーガンの野心、ダグベの思惑、ブロン・ダ・バセルの立ち位置。
(しかし……)
改めてジェスタさんの置かれている状況が厳しいものであるという事が良く分かる。国を追われている今のこの状況下で、果たしてどんな手を打てるのか。ダグベの希望通りイオンザの王位を狙う……どうやってヴォーガン殿下に対抗する? このままダグベに亡命……それじゃあまりに肩身が狭い……
「これは何やるにしても相当難しいんじゃ……」
色々と考えていたら思わず口から
「その通り。道はいくつかあるだろうがな、どの道を進むにしての困難は必至。全てはジェスタ様のお考え次第だが、わしらのやる事は決まっておる。ジェスタ様をお支えする、それ一点のみよ!」
ノグノは皆の顔を見回す。ロナ、ミゼッタ、ラベンは無言で
ジェスタさんについてきて後悔しているか。
「とことん付き合うよ」
「ホッ! 良う言うた! ならば一先ずジェスタ様お戻りを待つ。そして今後の方策のご相談だ。夜にはマベット陛下主催の晩餐会がある。そこでダグベ側の思惑もはっきりとするだろう。まぁどうするにしても
「負い目とは、ダグベの軍人が絡んでいたという事ですよね?」
ロナの問いに頷きながら「そうだ」と答えるノグノ。
「向こうとしても、今回の襲撃によもや自分の所の軍人が絡んでいるとは思わんかったのだろう。デルカル殿が謝罪しておった。消えた軍人二人は必ずや見つけ出し処罰するとな。捜索隊を編成し、どうやら王都の下水まで漁っておるらしいぞ」
「下水って……それはさすがにポーズでしょう?」
ロナは少しばかり呆れながら笑う。
「この
「まぁ普通に考えればな。だがポーズだとしても、それだけこちらに気を使っているっちゅうこった。デルカル殿はこうも言っておった。
魔女の実験。その言葉を聞いたラベンは「ほう……」と低く唸った。
「魔女の実験を引き合いに出すとは……これは本当にダグベ側は責任を感じている様ですね」
「そうだラベン。あの騒動は先代のダグベ国王リドー公をして国の
ふむ、魔女の実験ね。何だそれ? 全貌が理解出来たと言いながら、早速分からない言葉が出てきた。
「あの、魔女の実験って何?」
と、一同は驚いた様子で
「そうか、コウは知らんか。こっちでは有名な事件だからな、知っていて当然と思っとったが……ふむ。他の地域ではさほど知られとらんのかもな。よし、説明する」
ノグノは椅子の背にもたれると腕を組み、魔女の実験の詳細を説明し始める。
「十年程前か、ダグベと西のセンドベルが戦争に突入した。まぁ大きな
何か、聞いた事が……
「味方までをも巻き込んでの攻撃に当時は国中から相当な批判が集まったもんだ。その魔導師は狂乱などと呼ばれ非難されてな。そんな中、その事件で命を落とした兵の遺族らが集まりレクリア城へ押し寄せる事態にまでなった。その騒ぎを収めるべく遺族らの前に立った当時の王であるリドー公は、更に強い非難の意味を込めてその魔導師を魔女と呼んで断罪し、国主としてその責任を取るべく退位する事を発表した」
狂乱。間違いない。ラスカで聞いた。ラムズが話していた。あの話、この国での出来事だったのか。
「リドー公が退き、遺族らに多額の賠償金が支払われる事でようやくこの事件は沈静化した。とまぁ、そんな感じだな」
話し終わるとノグノは軽く肩を
「今振り返っても酷い事件だわ。吹き飛ばされて兵達の身体、バラバラだったらしいわよ」
ミゼッタが言う。
「うん、味方までってちょっとあり得ないよね。まさに魔女の
ロナが言う。
「しかし魔女の実験とは上手く名付けたもんだ。だがあの事件には色々と不可思議な点もある。あれだけの事をしでかして、リドー公をも玉座から引きずり下ろし、それで国外追放だけとはな。何か国の弱みでも握って――」
皆の話は続く。卑劣で滅茶苦茶なこの魔女がいかに恐れられているか、いかに嫌われているか。親が子を
ガタン……
気付けば俺はその場に立ち上がっていた。立ち上がったがしかし、動くでも喋るでもない俺の様子を皆は不思議そうに見つめている。「どうした、コウ?」とラベンは皆の疑問を代弁する様に問い掛けた。
「……ごめん。分かっている、皆は悪くない。でも……本当ごめん、これ以上は無理だ……皆の言う魔女、俺にとっては大魔導師ドクトル・レイシィ……ドクトルは俺の……魔法の師だ」
「ちょ……コウ、師って……」
戸惑いながらミゼッタが口を開く。が、それ以上言葉が続かない。俺は気を落ち着かせながら
「師匠だよ。魔法のイロハはドクトルに教わった」
「え……? あ……ごめ…………ごめん、ごめんなさい! コウ、あの……知らなくて……そんなつもりじゃ……!」
ようやく状況を把握したロナは謝罪の声を上げた。しかし俺は言葉を返す事が出来なかった。きっと事情を知れば皆は俺に気を使い謝るだろう、そう思っていた。そして案の定そうなった。別に皆に対して怒りはない。ただ俺はそれを何だか申し訳ない事だと、皆に気を使わせる事に対して気まずさを感じてしまったのだ。そしてこの場から離れてしまいたいと、そう思った。
「ごめん……確認してくるよ」
そんな言葉が口から出るのと同時に、俺の足は部屋の扉へ向けて動き出していた。
「待ってコウ! 確認って……」
ミゼッタが呼び止める。俺は扉に手を掛け「デルカル将軍に聞いてくる」とそれだけ話すと扉を開けた。
「コウ! 私も!」とロナが席を立つ。「あ、ちょっと待って二人共!」とミゼッタも後を追う。
「待てコウ! 詳しく話を……!」
ノグノも立ち上がり声を上げる。しかしその呼び掛けにも
「何ちゅう偶然か…………イムザン神も
終始無言でやり取りの全てを聞いていたラベンは、
「ノグノ様……これはマズいのでは……?」
ノグノはキッとラベンを睨むと両手でドンとテーブルを叩きながら「マズい! マズ過ぎる!!」と怒鳴った。
「己の師を魔女だ何だと
「最悪……」
ラベンは静かに口を開く。
「最悪コウはここで離脱という事も……」
「あり
ガタンと慌てた様子で席を立つノグノ。そして「ラベン! 行くぞ!」と大声を上げる。しかしラベンは冷静だった。
「ノグノ様、お待ちを。少し落ち着きましょう。ここで我らまで追いかけたら、ジェスタ様がお戻りになった際に誰も居らずお困りになります。一先ず我らはジェスタ様のお帰りを待ち、事の次第をご説明差し上げましょう」
「むぅぅ、しかし……いや、そうか。その方が……いやしかし!」
ノグノはぶつぶつと言いながら、
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