第50話 いつも通り

 兵達は動揺していた。


 北部での軍事演習ということで召集され、王都セットレーを出発して七日。しかし一向に演習は行われず、日が沈み、月が顔を出したつい先ほど、とうとう国境を超えた。もう少し進むと、イゼロン山のふもと、エリノスが見えてくる。


「ベリムス様」


 副官の一人がベリムスの元へやって来た。


「兵達が異変を感じ始めました。そろそろご説明を……士気にも影響しますゆえ」


「そうか、そうだな。全軍停止、整列させろ」


 整列した兵達を前にベリムスは大声で話す。


「諸君! 先ずはここまでの行軍、大義である! すでに気付いている者もいるとは思うが、此度こたびの行軍の目的は演習にあらず、実戦である! 狙うはこの先、イゼロンのふもとに広がるエリノス! 諸君らも我が国の現況は当然把握しておろう。かつて大国と言われたハイガルド王国も、今では困窮の極みである。この苦しみを、子や孫の代まで押し付けて良いはずがない! 我らには明確な成果が必要だ、それがエリノスである! 先王も、隣国も、とうとう落とすことができなかったエリノスを、今宵我らが落とすのだ! この偉業は、我が国が浮上するためのきっかけであり、試金石であると理解せよ! 理解したら気持ちを入れ替えろ!入れ替えたら前を向け! エリノスを落としたその先に待つのは、栄光ある我らがハイガルド王国の輝かしい未来である!!」


「う……」


「「 うう…… 」」


「「「 うおーーーーー!! 」」」


 ベリムスの演説を、始めこそ戸惑いながら聞いていた兵達だったが、演説が終わる頃には皆、顔つきが変わっていた。士気は跳ね上がり、雰囲気は一変した。戦う集団、まさに軍へと変化したのだ。


「進軍する!!」


 ベリムスの号令に、雄叫びを上げながら兵達は歩き出す。



 ◇◇◇



「よっしゃ、大体集まったようじゃの、説明するぞい」


 エス・エリテ、神殿内。修道士達が集まった。デンバに、レグの姿もある。


「ついさっき、エリノスから急変を知らせる連絡があった。エリノスに向け、南より軍勢が迫っとる。数はおよそ五千。その内一千はやたらがたい・・・がデカいらしい。オークじゃないか、ちゅうとる。この辺じゃあまり見かけんがの。連中、そろそろ城壁に取り付く頃合いじゃ。わしらも下に降りて迎撃するぞい、すぐに準備せい!」


 オーク……当然、引っ掛かる。俺は前に出る。


「老師!」


「ん? 何じゃ、コウか。お主戻っとったんか。どした?」


「オークの色は?」


「は? 色ぉ?」


「オークの皮膚の色です、何色ですか?」


「……いんや、確認しとらんが?」


「東の国を襲撃したオークは皮膚の色が赤黒かったんです。魔力の干渉を受けて、さらには操られていたと……」


 ルビングは慌てたように話し出す。


「待て待て、そりゃあエルバーナのオーク襲撃事件のことじゃな。操られてって……どういうこっちゃ? 魔力の過干渉状態は暴れまわるんじゃろ?」


「お師匠……レイシィが言ってました。自我を失った者が転移の魔法石なんて使えないって」


「転移ぃ? 何じゃそりゃ?」


「東ではオークの襲撃で王都が半分焼失した国があります。何でそんなに大きな被害になったと思います? 気付かなかったんですよ、オークの進軍を。そんな事あると思いますか? どんな国だって領内に砦や城がある、巡回している兵だっているだろうし、商人や旅人だって歩き回ってるでしょう? ましてや王都ですよ、周辺に警備網が敷かれているはずです。絶対どこかで誰かが見てるはずなんです。でも、それが一切なかった」


 ルビングは怪訝けげんそうな表情を浮かべる。


「転移して、飛んで来たっちゅうんか?」


「お師匠は、これは誰かが仕組んだ事だと……オークを操り、転移の魔法石を使ってオークを送り込んで、襲わせたんだ、と……それを調べるために、お師匠は城に戻ったんです」


 ルビングは腕を組み下を向く。


「……おい! すぐにエリノスに確認じゃ!」


 ルビングは側にいた若い修道士に命じる。エリノスとエス・エリテの間にはワイヤーが張られており、滑車を使って情報のやり取りができるようになっている。


「もし……」


 ルビングは静かに口を開く。


「もし、下に来とるオークどもが、お主の話すオークと同じ連中じゃとしたら……ここもマズイっちゅうこっちゃろ?」


「そうです、連中はどこにでも行ける。エリノスを無視して直接ここに来ることだって出来ます。守備隊は残しておくべきです」


 ルビングは眉間のシワをさらに増やす。


「しかし、にわかには信じられんのぅ……転移の魔法石なんぞ、聞いたこともない」


「間違いありませんよ、実際に体験した人間が、目の前にいるんですから」


「ああ、お主は東でオークとやり合ったんじゃったな」


 それだけではない。俺は転移して、この世界に来た……


 少しすると若い修道士が走ってきた。


「老師! エリノスから返答です! 通常のオークの色にあらず、もっと黒っぽいそうです」


「……夜じゃし、間近で見とらんから、赤黒いっちゅうよりは黒く見える、ってとこかのぅ……」


「充分あり得ますね」


 腕を組みルビングはしばし考える。


「ふむ……よっしゃ、最低限の守備は残す! 警備隊はここで待機じゃ! レグ! お主は警備隊率いろ!」


「了解だ」


「エクシア! お主も留守番じゃ。自室で待機しとる連中の様子を見て回ってくれ!」


「分かりましたわ」


「わしもここに残る! 他のもんらはエリノスに降りろ! コウ、当然お主もエリノス行きじゃ。下にいるオークどもがお主の見知ったオークと同じじゃとしたら、どデカい借りがあるっちゅうこっちゃろ? きっちり返さないかんのぅ?」


 俺は無言でうなずいた。


「ゼル、手ぇ貸してくるれるんじゃろな?」


 ルビングは俺の横に立っているゼルを見る。


「ああ、しょうがねぇから手伝ってやるぜぇ。しかしツイてるなぁ、老師。うちの連中がエリノスの外で野営しながら俺の帰りを待ってんだ。そのかず百人! 今頃あいつらも動いてるんじゃねぇか?」


「百人のジョーカーか、そりゃええのぅ。じゃが、何でそんな連れてきたんじゃ?」


 当然の疑問だ。傭兵が百人。何のために? 自慢?


「そりゃあコウに会わせるためだ」


「……はぁ?」


 何言ってんの、こいつ?


「これから行動を共にする仲間だからなぁ、紹介しとかにゃなんねぇだろ?」


「……いや、別にいいし」


「はっはっは、照れんなよ、一気に友達百人できちまうなぁ?」


 ……こいつどこまで本気なんだ?


「まぁええわい。準備できたもんから出発じゃ! 外に馬回してあるから乗ってけい! まぁ、三十頭しかおらんがな。後のもんらはラグーじゃ。走るよりゃ速いじゃろ」


 神殿の外に出ると修道士達が馬を用意していた。


「コウさん、乗るっすよ!」


 メチルだ。すでに騎乗し、隣の馬を指差している。


「メチル!」


「何すか!」


「俺、馬乗れない!」


「……は?」


「俺、馬、乗れない」


 はぁ……と、ため息をつくメチル。


「……締まんないっすね、コウさん……カタコトで言っても同じっすよ」


「しょうがねぇなぁ!」


 騎乗したゼルが後ろからやって来た。


「ほら、乗りな!」


 ゼルは自身の後ろをポンポンと叩いている。


「え、あ~、ちょっと……嫌かな~……」


「はぁ!? おま……はぁ!!」


「んじゃコウさん、こっち乗るっす」


 俺はすぐさまメチルの後ろに乗る。ゼルはすねる。


「……そりゃお前、俺だって後ろに乗せんなら、女の方がいいけどよぉ……にしたってお前……嫌って、お前……」


「いや、貸し作りたくないないな~、って……」


「ごちゃごちゃ言ってないで、行くっすよ!」


 俺を後ろに乗せてメチルは馬を走らせる。ぶつぶつ言いながら、ゼルもその後に続く。そのやり取りを、微妙な表情で眺めていたルビング。不意に、


「老師!」


 と、デンバに声を掛けられる。


「なんじゃい、デン……ばふぅ!」


 ルビングは思わず吹き出した。


「老師、デカい馬は、ないのか?」


 エス・エリテで飼育されている馬は、一般的な馬よりも小さな種だ。スピードよりも登り降りに適した、足腰の強い種である。

 しかし、ただでさえ大きなデンバがまたがっている馬は、他の馬より一際小さかった。その絶妙なアンバランスさに、周囲の修道士達はクスクス笑いながら馬を走らせて行く。


「ああ、うちで飼育しとるのは小さい種類じゃからのぅ。にしたってお主、何でそんな小っさいの選んだんじゃ……?」


「これしか、なかった」


 真顔のデンバに、込み上げてくる笑いを必死に抑えるルビング。その横で、レグは大笑いしている。


「じゃあ、しゃ~ないのぅ……」


「そうか」


 そう言って、デンバは出発する。後ろ姿のシルエットが、さらに笑いを誘う。


「ふぅ、何ちゅうか、緊張感のない連中じゃ……」


「いやぁ、気負ってガッチガチってよりも、いいんじゃないかぁ?」


 レグは腹を抱えている。


「いつも通り、ですわね」


 呆れ顔のエクシアは居住区に向かって歩き出す。


「じゃあ、こっちもやるかのぅ! 神殿から後ろ、居住区は絶対死守じゃ、その手前に防衛線張るぞい!」

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