第275話 値踏み
小さく舌打ちするとトラドは視線を下げて胸元を見た。ローブの端がほんの
「何だてめぇは……」
ナッカはトラドに剣を向けながら
ナッカがトラドにそういった印象を持ったのと同じく、トラドもまたナッカを警戒する。ローブの端とはいえ誰かに斬られたのはいつ振りか。
「厄介な……」
そう呟くや突如トラドが仕掛けた。シュッと残像を残すが
(な……!?)
一瞬で距離を詰められた。そのあまりの動きの早さにナッカは驚いた。しかしだからといって思考は止めない。ここまで深く飛び込んだという事は得物は長くはない。恐らくは短剣やナイフの
「クッ……!!」
ナッカはすかさず上体を斜め後ろに大きく反らす。果たしてナッカの推測通り、下から迫って来たのはナイフだった。ビュッと音を鳴らしながら突き上げられたナイフが、ナッカの
(
胸元を斬られたからやり返したのだと、ナッカはトラドの攻撃をそう受け取った。強気な奴だと思った。ほんの少し反応が遅れていたら胸を貫かれていた。それにしても今の異常な早さは一体何なのか。
(コイツ……!)
ナッカが驚いたのと同様、トラドまた驚いた。仕留めるつもりで放った攻撃をかわされたのだ。大抵の者は何が起きたか理解する間もなく息絶える。たまにいるのは反応を見せる者。しかし反応するだけで何か出来る訳ではない。しかしこの男は反応し、更にかわして見せた。勘が良いのか。いや、戦い慣れているのだ。間違いなく
突き出したナイフを引き戻しながらトラドは考える。二の矢はどこへ放つべきか。そしてすぐに行動する。ナイフと共に伸び切った上体を再び低く沈めると、くるりと身を
この剣士は大きく体勢を崩している。チャンスである事には違いないが、しかし確実とは言い
素早く回転しながらトラドはナッカの後ろにいるバッサムに向かう。仲間を攻撃されて、さてこいつはどう動くのか。仲間を守る為に動くのか、それとも対応しきれず
黒いローブの
(なっ!?)
ガキンと高い金属音が鳴る。トラドがバッサムの突きをナイフで
「うらぁ!!」
更にナッカが斬り付ける。トラドはナッカの剣をゆらりと揺れる様にかわすと、すかさず後ろへ跳んで距離を取った。
(チッ……迷いがねぇ。確かブロン・ダ・バセル……だったか)
作戦遂行の為には情報収集は欠かせない。その過程で聞こえてきたとある傭兵団の名。婚礼へと向かう第二王子を襲撃、その殺害に失敗したと噂されるブロン・ダ・バセル。宮殿が爆発した直後、衛兵達が騒ぎ立てた。敵襲、傭兵だと。
傭兵とはつまり、ブロン・ダ・バセルの事だ。
避難者の群れに紛れていた怪しい連中はこいつらの仲間で、当然爆発もこいつらの
(……しかも
一口に傭兵などと言ってもその実態はピンキリだ。ただ暴れ回る事しか能がない紛い物もいれば、確かな実力を持っている本物もいる。王子への襲撃を失敗したという話を聞き、
こいつらは後者だ。
後ろの剣士の突き。あのタイミングですでに放っていた所を見ると、最初から前の剣士の生死などまるで気にしていなかったというのは明白だ。例え仲間が犠牲になろうと目的を達成させる為ならそれも
ブロン・ダ・バセルとは我らアルアゴス並みに徹底された目的至上主義を掲げる厄介な組織だと。
しかしそれはトラドの思い違いだった。
(クソ……一挙両得って訳にはいかねぇか……)
バッサムは少し焦っていた。突如目の前に現れた黒ローブ。初めはダグベ所属の特殊部隊か何かかと思った。宮殿を守る為に城から送り込まれた裏の部隊などと……
だが違う。断じて違う。
黒ローブの
その存在を一言で言い表すならば邪悪。
こんな奴を生かしておけば絶対に任務に支障が出る。そんな事を考えていると、突然黒ローブはナッカに仕掛けた。絶好機だった。黒ローブがナッカを仕留め、自分が黒ローブを仕留める。これで面倒事が一度に片付くと、バッサムはそんな算段を付けていた。だが結果ナッカは生き延び黒ローブも仕留め損ねた。
(このまんまじゃリンにも余計な仕事をやらせちまうな……)
バッサムの真の目的は給仕として潜入しているリン同様、シャーベルが標的としている第二王子を守る事だ。その為に
今討てる、すぐに討てる。
手の届く範囲に憎むべき
それはフォージからの指示が宮殿内で仕留めろ、だったからだ。
フォージのプランは聞いた。実現の為には宮殿内でシャーベルの連中を仕留めなければならない。自分の忍耐力のなさでそれを台無しにする訳にはいかなかった。そしてとうとう
(放っておく訳にはいかねぇが……どうする……)
シャーベルの他に仕留めなければならない相手が増えた。しかも強い。脅威度で言えばナッカよりも上だと、バッサムはトラドをそう判断した。
トラドが、そしてバッサムが相手の値踏みをしながら睨み合う。そしてナッカもまたトラドに値を付けていた。だが二人に比べナッカの考え方は実にシンプルだった。手にした剣の切っ先をビッとトラドに向けると、ナッカは声を張り上げた。
「おい黒いの! 邪魔すんなら叩っ斬る!」
この騒ぎの中こんな真っ黒な
叩っ斬る。そう
「やって……」
「動くな貴様ら!!」
やってみろ。そう言い掛けたがトラドの言葉は
(そう言やこいつらもいたか……)
トラドは(ナッカもだが)宮殿守備兵の事などすっかり忘れてしまっていた。水を差されたトラドは冷めた視線を廊下の
「バッサム! 黒いの見張ってろ!」
そう叫びながらナッカは反対側の守備兵へ向け走り出した。申し合わせた訳ではないが、二人はそれぞれ別方向の守備兵を始末するべく走った。
▽▽▽
走りながらナッカは上体を起こして剣を振り上げる。上から剣を叩き付けるつもりか。そう判断した兵は対応しようと身構える。傭兵の剣が届く前にこちらから踏み込んで突き殺してやる。しかし間合いに入る直前、ナッカは振り上げた剣を下ろすと身を低くしながら滑り込んだ。そして剣を横に
「野郎!!」
怒鳴りながら右の兵が剣を振り下ろす。ナッカは立ち上がりながらその剣をガチンと弾き上げた。そして体勢を崩しまるで無防備な兵の胴を真っ直ぐに突く。剣は鎧を貫通し深々とその腹に突き刺さった。すかさず剣を抜くと今度は後ろ。振り向き
「ハッ、弱ぇ」
▽▽▽
「消えた!?」
守備兵は驚き、思わず声を上げた。無理もない。確かに彼にはそう見えた。こちらに向かって動き出した黒いローブの侵入者が消えたのだ。だが本当に消えた訳ではない。
「!?」
今度は声を上げる間もなかった。喉に感じた衝撃。熱い。そして力が抜けて、気付けばどうやら床に倒れている様だった。そこまでしか分からない。
トラドは守備兵の喉を
一体何が起こっているのか。守備兵達は
「敵襲ぅぅぅ!!」
兵の一人が叫んだ。黒ローブと目が合った。次は自分だ。
「祝宴の間横ぉ!! 侵入……むぐぅ……!?」
兵はそれ以上叫べなかった。「口を閉じろ」と黒ローブは静かに言う。
(さて、時間は掛けられねぇな)
さっさとこいつらを片付けて本来の任務に戻らなければならない。傭兵共はどうするか。やり合っても勝てるだろうがそれだと時間が掛かり過ぎる。隙を見て姿を消すのが最善か。傭兵共を囮に使いその間に王子の首を……
「!?」
ナイフを引き抜きながら先の展開を考えていたトラド。だが自身に向かい猛スピードで飛んで来る何かに気付いた。
(魔法……魔導兵か?)
自身を狙った魔法は廊下の
「迅雷殿!!」
次に仕留めようと考えていた兵が廊下の奥を見ながら叫んだ。安堵、そして歓喜。兵の声には明らかにそんな感情が乗っていた。気に食わない。トラドは眉をひそめる。
(迅雷……何だそりゃ……?)
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