第239話 北を目指す者
「え〜とぉ、土地がこれで……
ミラネル王国北部の街、アルマド。傭兵団ジョーカー本部の始まりの家では、団長のゼルが自身の執務室でぶつぶつと文句を言っていた。すると不意にコンコンと扉ノックする音。ゼルは机に広げた書類を見ながら「いいぜぇ?」と答えた。
ギギィィィ……と嫌な音を立てる扉。顔をしかめながら部屋に入ってきたのは参謀部マスター、エイナ・プロコット。エイナは扉を閉めながら「いい加減油くらい差しなさいよ……」と呟き、「ゼル、お客よ」と呼び掛ける。しかしゼルは視線を上げるでもなく書類を見ながら、そして若干上の空な様子で「客ぅ? 誰だぁ?」と聞く。
「エス・エリテから来たって大きな修道士が……何その書類?」
一向にこちらを見ようとしないゼル。エイナは執務机にかじりついているゼルが睨む様に見ている書類が気になった。ゼルはようやく顔を上げると「ふぅ……」と息を吐き、睨んでいた書類をひらひらと揺らしながら「カディールが
「元あった場所はあんまり良くねぇからな、
「それはそうでしょうよ、アウスレイって決して小さな街ではないもの。でもこれで渋ったら……新団長の器の大きさが知れるわね」
「嫌な事言いやがる……クソぉ、恨むぜコウ……」
「何言ってるのよ。コウがアウスレイを吹き飛ばしたからこそバウカー兄弟を外に引きずり出せたのよ。結果、貴方はそこに座っている。筋違いもいい所ね」
正論で突き放すエイナ。「分かってんよ! んなこたよ!」と声を荒らげるゼル。「でもお前……見ろよこれ……」と見積書をエイナに差し出す。
「ふ〜ん……中々の額ね。まぁ良いじゃないの、スパッと払いなさい。時間ばかり掛けて支部の再建が遅れる方が余程問題でしょう? 依頼は大分戻って来てるんだもの、すぐにペイ出来るわ」
そう話しながらエイナはゼルに見積書を突き返す。「簡単に言いやがって、ちきしょう……」とゼルは
「んで、客だって?」
「あぁそうそう、エス・エリテから来た大きな修道士が応接室で待ってるわ」
「大きな修道士ぃ?」
エス・エリテの大きな修道士。その説明で思い当たる人物は一人しかいない。
◇◇◇
「はっはっは! やっぱりお前かデンバ!」
ゼルはエントランス奥にある応接室入る。するとそこにはゼルの予想通りの人物が待っていた。エリテマ
「久し振りだ、ゼル……団長か」
「おう、ゼル団長様だぜぇ。元気そうじゃねえか、まぁ座れよ。そっちはどうだ? エリノスはどうなった?」
「復興中だ。まだ元通りとは言えない」
「そうか。オーク共に結構燃やされちまったからなぁ……だがまぁあの程度どうって事ぁねぇ、エリノスは強ぇからな。そう言やうちのアイロウはどうだ? 治療、まだ終わんねぇか?」
「まだ掛かる。だが順調の様だ、六割程は戻ったと」
「ん、そうかい。面倒掛けるが、まぁ頼むぜ。んで、今日は急にどうしたよ?」
「うむ、実はな……」
◇◇◇
「いや……こっちにゃ来てねぇな。アルマドに来てんならここに顔出すとは思うが……そりゃいつの話だ?」
「一ヶ月前だ。エス・エリテにエリノス、その周辺も探した。だが、いない」
「黙って消えるってのは収まりの悪ぃ話だな。そんなタイプにゃ見えねぇし……ハンディルには依頼出したのか?」
「出した。だが返答はない。皆心配している。老師の指示で、手の空いている者が探しに出ている。お前かコウに、会いに行ったと思ったんだが……コウはどうした?」
「とっくにいねぇよ。北へ向かった、イオンザだ。老師から向こうの工房の紹介状もらってたんだろ?」
「そうか。ならばやはり、ここには来ていないか」
「いや待て……街でコウの話を聞いて……って線もあるな。街ん中はうちの連中が巡回してる。コウに会いに来て、街でそいつらに話聞いて……それでそのまま
「……なくはないな」
そう言うとデンバは立ち上がる。ゼルは「行く気か、遠いぜ?」と問い掛ける。デンバは「他に、当てがない」と答えた。
「そうか。うちの連中にも話しとく、本当に北に向かったかも分からねぇしな。それらしいの見かけたって報告があったらエス・エリテに知らせてやる」
「うむ、頼む」
「それと今日は泊まってけ。もう日が落ちる、久し振りに飲もうぜ?」
「……そうだな、そうしよう」
デンバが北へ向かう決断をしたのと同じく、北を目指そうとする者がもう一組いた。
◇◇◇
小さな街、その中央広場。この広場の前を西へ向かうと確か以前利用した宿があったはずだ。男は昔の記憶を頼りに足早に広場の前を歩く。丈の長い薄茶のローブ、そして胸元にはそのローブを留めている銀のブローチが鈍く光る。ローブの色は
しかし、こんな南の地にどうして北方のドワーフ達が
彼らドワーフ達の
(……ん?)
男は振り返った。すぐ後ろに感じていた連れの気配が薄れたのだ。見ると広場前の屋台の前に自身と同じローブを
(チッ……何を止まってやがる……)
男は連れの側まで戻ると、連れが被っているローブのフードを
「誰が見てるか分からねぇ、フードは深く被っとけ」
しかし連れは全くの無反応。その目は屋台で焼かれている肉の串焼きから外れない。「……食いたいのか?」と男はそう尋ねるが、連れからは何の返答もない。
(やれやれ……)
男はローブのポケットを
(相変わらずうんともすんともねぇな……大丈夫かよこいつ……)
□□□
「はぁ!?」
男は驚きの声を上げ、テーブルを叩きながら立ち上がる。
「おいボス、そりゃマジで言ってんのか? あんな荷物抱えて仕事してこいと!?」
そして部屋の隅で床に
「チッ、術キマり過ぎてんじゃねぇか……大体何なんだ、あのガキはよ!」
「ガキではないよ、あの
答えたのはボスではなくその後方に座っている男だった。トラドはギッとその男を睨むと「あぁ!? てめぇにゃ聞いてねぇぞボージュ! 出しゃばんな!」と怒鳴る。するとボージュは笑いながら「おぉ、吠える吠える、怖いなぁ」と
「てめぇ……!」
当然の
「
トラドの肩を掴みながらボスは低く話す。更に「
「何だそれ……あのガキがあんたの後継ぎだと……? ジョークにしちゃあ出来が悪すぎるぜ! それともイカれちまったか? なぁボージュ! お前も言ってやれよ!」
ボージュはふぅ、と息を吐く。そして静かに口を開いた。
「トラド、ボスはジョークなんて言っていない。ましてや狂っているはずもない。お前は知らんだろうがな、あの
真顔でそう話すボージュに「おいボージュ……てめぇまで一体何だぁ?」とトラドは食って掛かる。
「てめぇの事はどうでも良いが……あのガキが俺より出来ると? しかも全盛期って……更にガキの頃って事じゃねぇか!!」
「確かに当時は子供だった。十歳……とかか? それが立派なレディに成長した。時が過ぎるのは速いな」
「んなこた聞いちゃいねぇ!! どこをどう見りゃあのガキが俺より上だって……!」
「
決して大きな声ではない。威圧的な訳でもない。しかしその声を聞いた瞬間トラドは口を閉じた。つぅぅ、と背筋に冷たいものが流れる。有無を言わさず死を連想させる。例えるならば、それはそんな不吉な声だった。
「ボス……」
「トラド、もう一度言う。これは必要な事だ。加えて言う、これは命令だ。
トラドはボスの目を見る。いつも通り、暗い目だ。ボージュに言われるまでもなく、ボスは冗談なんて言わないという事は分かっている。勿論狂ってなんていないという事も。
「戦力どころか……トラブルの種にしか見えねぇがなぁ……
「構わん。あんな状態だが、それくらい己で判断し行動出来る。いざという時には、放っておいて良い」
「……分かった、そうさせてもらう」
トラドはボスを睨み付けながらそう答える。それはトラドなりの精一杯の抵抗だった。不吉なボスの声を聞いて以降、トラドは抜き身のナイフの刃を首筋に突き付けられている様な、そんな不快な緊張感に囚われていた。
「トラド、
不意にボージュが話し掛ける。「はぁ? そんなもんいるかよ!」とトラドは吐き捨てた。「ふぅむ、寂しい人生を送っているな」とボージュは肩を
(チッ……余計な事を……)
ボージュが話し掛けた事により、ボスから受けていた不快な圧が
(どいつもこいつも……気に入らねぇ……!)
苛立ちながら部屋を出ようとするトラド。すると「待てトラド、もう一つ……」とボスはトラドを呼び止める。
「あん? まだ何かあんのかよ?」
「……
◇◇◇
(娘がいるって聞いてはいたが……)
トラドは串焼きの肉を
(手なんか出すかよ、こんなガキに……)
そしてポケットからハンカチ代わりに使っている布切れを取り出すと「ソースが付いてる……」と言いながら連れの女の口元を
「行くぞ」
トラドは宿を求めて歩き出す。連れの女は後ろをついてきている様だ、その気配がある。
トラドはドワーフである。北を目指すにはこの格好が一番面倒がないと知っている。しかしイムザン教徒ではない。だがかつてはそうだった。何年か前に
その神の名はアルアゴス。
千里を見通す目を持ち、その目が
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