ゆめのせかいへようこそ・入場

あと、73時間と35分。



だ。故に、君の中に潜むものはその行動から察するにだろう。そしてもう1つ。君は多分、人間ホモ・サピエンスではない」


 その獼猴じこうさんの一言に僕は固まってしまう。僕が、人間じゃないって? 思わず両手をジッと見つめてしまう。僕は、違うのか? みんなと。

 いや、それよりも。


「反射神経って?」

「む、知らないのかい? ……ふぅん? そうだね、例えば何か熱いものとかに誤って触れてしまったときに勝手に手が引っ込んでしまったりしたことはあるかい?」

「うーん、僕はそんな経験ないですけど。姉さんがたまにそんなことしていたような気が……」

「その現象のことを『反射』と呼ぶんだ。簡単に言うと身の危険を感じた時に脊髄という臓器の中にある反射神経が脳の代わりに指令を出すんだ『その熱い危険なものから手を引っ込めろ』って。反射神経の速度は脳のそれと比べて伝達速度が速い。だから危険からとりあえず逃げるため、に体が動いたりするわけさ。」


 ……勝手に体が動く? その言い方に奇妙な既視感デジャブを抱く。


「ひょっとしたら気づいたかな? 通常の反射は今言った通り危険より逃げる、要はなんだ。でも……君のはどうもの要素を持っているようだ。つまり……。その危険を察知するトリガーが、恐らく『明確な敵意』なんだろう」

「それじゃあ今まで僕が制御できなかったというのは」

「間違いなく周囲の誤解だね。だって、非戦闘時に敵意なんて向けられないだろう?  だから、発動しなかった。回避目的だろうと攻撃目的だろうと、反射の本質は『受け身』だ。受け身をするには攻撃敵意を受けないと、だろう?」


 そして獼猴じこうさんのはそう考えた根拠を3つ話してくれた。


 1つ目。君がその力を発現しているのは、常に戦場であるということ。戦場ほど明確な敵意に溢れる場所は他にはない故に。


 2つ目。金浦キンポ要塞にて呂玲ロィレンが攻撃しても無反応だった。呂玲は事前にヒロシ君が邪悪な存在でないことを知っていた。だから、あの時の攻撃は恐らく明確な敵意がなかった。ほんの小手調べのような気持ちだったと推測される。  

 ただ、余りにも君が無防備──敵意を感じなかったから受け身を取りようがなかった──だったんで寸止めし損ねた結果引き起こされたのが、ついうっかり君の首を刎ねてしまった。という出来事アクシデント


 3つ目。同じく金浦キンポ要塞にて「誰もいないようだし、俺は潜らないと」という言葉。この誰も、というのは多分「敵意ある者」ということだろう。

 あの時点で戦闘は終結していたのだから、当然そんな感情を向ける者は存在しない。従って「反射」をする対象がいないから……力を解除した。


「で、でも僕は神国日本でいつも大勢の人から敵意を向けられていたと思うのですが……細川大臣とか。今までの説明が正しいとすると、どうして」

「ああ、最後まで言わなくても大丈夫。そうだね、これは大人でも、私みたいに長く生きてきた生物にとっても、大変わかりにくいから。まだまだ生まれたての、子供である君が理解できないのも仕方ないと思う。今まで君が受けてきた数々の酷い言動、態度、境遇はね」


 獼猴じこうさん仮面の奥が一瞬光る。下から上まで一瞬で見定められた気がした。


「未知のものに対する恐怖、怯えだ。人類が知能を獲得してから事あるごとに顕現した、どうしようもなく愚かな、原始的な恐怖だよ。たとえその対象が我々にとって益ばかりもたらす存在だったとしても、ね」

「恐怖、怯えですか」

「うん。その感情の本質は敵意ではない。だから反応しなかったのだろうね」


 そう獼猴じこうさんは締めくくった。何というか、凄い人だな。ほんの僅かな時間でここまでわかってしまうなんて。その内容も最初は「わけがわからないよ」と思ってしまったけど。腑に落ちる点ばかりで納得してしまう。

 もう一度両手を見て、今度は安心する。そっか。別に暴走していたわけじゃないんだ。突然周りの人を攻撃しだすとかそんなことは──待って。

 って? 僕は攻撃しろ、なんて判断体に命令したことは一度もない。そして獼猴じこうさんの仮説では判断命令したのは反射神経。

 この時、昨日ティマから聞いたある事が電撃的に思い出される。


「喋った? 僕の中に潜む者が……翡紅フェイホンとも会話をしていたし、何より彼女が言っていた。『中々頭いいのね』というのは」

「気づいたようだね? そう、君の中に潜むものは明確な知性がある。となると次に気になるのが……? ということさ」

「え?」

「だってそう思わないかい? 君の中に潜むものは知性がある、言い換えると人格がある。ならばどうして本人が出てこない? 今目の前で話している君は……だい?」


 何とか声を出そうとしたけど、口から漏れ出たのは擦れた息の音のみ。

 自然と顔が下に向く。

 漠然とした恐怖の手が心を、脳を、掴み揺さぶる。自分の存在が曖昧になった気がして、奈落の底へと落ちていく感じがした。

 ふと右手に感じる体温。蜘蛛の糸命綱によって一気に引き上げられて。

 自然と顔が上を向いた。

 右手に重ねられるはティマの両手。包み込まれる右手。じんわりとした温かみが広がっていく。

 恐怖の手は振り払われた。


 獼猴じこうさんは僕達の様子を興味深く見ていた。そして咳ばらいを1つ。


「何か怖がらせてしまったようだね、申し訳ない。その上で更に怖い話になってしまうかもだけど。残念なことに君の力についてどうしてもわからない点が1つあるんだ」

「そ、それって?」

「言葉にすると、とっても簡単な話。この話は、さっき君が人間ホモ・サピエンスではないと言った理由の1つでもある。話を聞く限り君の力は『既存のあらゆる生物種の力をカスタマイズした上で引き出すこと』だと思うんだ。でもそれは常識的には不可能だ。何故なら──。この点は、仮にさほど問題にはならないと思うんだけどね。翡紅フェイホンの『召喚』とか明らかに合ってないし」

 

 目の前に座っている彼女の目が仮面の奥で爛々と輝く。

 好奇心ハンターの光。


「原理は想像つかないけど、生物の力を引き出す。これはまあ、問題ないだろう。例えば再生力が異様に高い生物プラナリア、首を失っても暫く生存可能な生物ゴキブリいずれも存在するからね。力を引き出すことが可能な生物の種類が多岐に渡ること。これもまぁ、ギリギリ目を瞑ろう。問題は、能力を発現戦闘するたびに肉体の一部が明確に変形し、そして元に戻る」


 一息つく。ここからが本番だ、核心だ──とでも言うかのように。


「先日の戦いで君の右手は一旦抜け落ち、再生したと言ったね? 3~5秒ほどで。これはね、流石におかしい。そのレベルで再生する生物が、ということもあるけど、なにより? 引っ搔き傷を再生するのとは訳が違う。それには莫大な質量エネルギーが必要なはず」

「……ヒロシ君が摂取した食べ物カロリーから捻出したのではないでしょうか?」

「ティマドクネスさんの意見も尤もだ。でも、その可能性は限りなく低いだろう。あなたは今ヒロシ君とどうせ、じゃなくて共同生活を送っているんだよね?」

「……はい、おっしゃる通りですが……?」

「ならば何度も見たことあるはずだ。彼が、我々から見て些細な料理、味で非常に感動していたことを。こんなもの初めて食べた! というような感じで」

「……!!」

「それは神国日本での食生活がとんでもなく酷いことであったことの証だ。実際に彼が今まで口にしたのは冷たい缶詰、簡単なレーション食品、サプリメント。まともな鮮度のよい唯一の食材は、人の肉。そんな食生活で果たして即座に体の一部を生やすことが出来るほどの質量エネルギーを確保できるだろうか?」

「……そんな事って! …………ええ、確かに無理だと、思います」


 そう絞り出されたティマの声は悲壮の音色を紡ぎだす。紫のからは悲しみの証拠が溢れ出し、頬を濡らしていた。

 この時の僕はどうしてティマが泣いているかよくわからなかった。


「という理由から生物学的肉体的人間ホモ・サピエンスではないと思ったわけさ。無から有を創り出すことができるのは神様か邪神悪魔ぐらいだろうからね。そして最後に。今私と話している、ティマドクネスさんが愛を注いでいる──ヒロシ君は一体何なのか、という話だけど」


 獼猴じこうさんは宙をしばしの間仰ぎ見る。その様子はどう話そうか思案しているように見えた。


「多分私が見てきた物事の中で最も荒唐無稽だと思うけど。ヒロシという人格は元々敵意、言い換えるとその身に迫る危機を能動的に判断するために創られたんじゃないだろうか。短く言うと

「が、外部委託?」

「ここから先は完全な妄想に近い推測だけど……君の力である、そうだね『攻撃的反射』とでも呼ぼうか。はヒロシ君のであると思うんだ。その生物はコミュニケーションを取ることができることからわかるように知性がある。もちろん具体的な日時は不明だけど、ソイツはきっと悟ったんだろう。このままでは自身の将来はない、と」

「……どうしてそのような考えに?」

「その生物の本質が『反射』だからさ。外部からの刺激攻撃を受けないと、能動的に動けない。常に受動的な存在。そんな状態でを受けたらなすすべもない。例えば自然災害とかだね。この欠点を克服しないと、この先生存し続けられることは難しい。でも、自らの本質を変えることは非常に難しい。そこで苦肉の策として──」

「僕が、み出された?」

「と、私は思う。セルフ二重人格というべきかな。ただ……その試みはまだまだうまくいってないようだね。主に知識面で」

「知識面?」

「やっぱり、自覚ないんだね。君が持つ知識には妙ながあるということが。さっき『反射神経って?』聞いたよね」

「ええと、確かに聞きましたけど……?」

「結構常識的な単語だと思うんだけど、知らなかったんだよね? でもエネルギー保存の法則のことは知っているんだ? 決して万人が知っているような単語ではないと思うのだけど」

「そう、なんですか? でも……」

「ピンと来ないかい? まあそれも当然か。…………ここまで読んでくれた賢明なる11次元住人の皆様画面の向こうの読者の方々であれば、少しは納得するのではないかな?」

「ええと? 最後の方、何て?」


 最後の方の台詞は小声かつ早口だったのでほとんど聞こえなかった。獼猴じこうさんの首はやや上、何かを見上げているかのようだ。


「いや、何でもないよ。さてと、これで依頼のは終わりだ。ここから先は、君の意志を尊重しないとね」

「意志を尊重? それと今、前半部分って言いました?」

「そうだよ。だって私の話はあくまで仮設。これでは『自分の正体』を解明した! とは言えないだろう。そのままでお金を取って、返したら私の店の名が泣いてしまうよ。よろずの物事を知恵でもって解決する──『万解ばんかい屋』、がね。ただ、ここから先は君自身の意志が必要だ」

「ひょっとして、もうわかったんですか!? いや、でもつい今し方あくまで仮説って言ったし」

「そ。だからね、この先の君の疑問に対する解決法は極めてシンプルなものになる。つまりだね、




あと、72時間と42分。全ては予定通りさ。




 僕は、今ゆったりとしたソファーに座っている。両肩の上には獼猴じこうさんの儚げな丸みを帯びた柔らかい手がそれぞれ置かれていて、五指がゆっくりと蠢き回る。一頻ひとしきり這いずり終えると、つつつ、と首、顎、頬を伝ってこめかみに辿り着く。そしてゆっくりと再び蠢き始める。

 ちろちろと点火していく、弱火が中火に。快感という名の睡眠欲が熱を帯び始め、視床下部ししょうかぶから全身へ澄み渡るオレキシン。その蛇口がゆっくりと絞められていく。思考の流れは早瀬から淵へと。

 僕は、今マッサージを受けているのだ。


 この場にティマはいない。このあとの施術は数時間かかるから、暫く外で時間をつぶすといい。退屈だろうからね。と獼猴じこうさんが言ったためだ。

 目の前の小机には蠟燭と輝く石、三脚、金網、そして線香。

 緩やかな紫煙を空に描きながら沈香精神白檀深部琥珀香記憶乳香祈りが部屋に、薫り満ちてしていく。

 マッサージを終えると獼猴じこうさんは三脚の上に金網を乗せ、更にキラキラと輝く紙アルミホイルを乗せる。

 その上から輝く石を擦り合わせる。

 更にいつの間にか手に持ったすり鉢で「LSD」と書いてあったパッケージより取り出した錠剤を磨り潰し、乗せる。

 三脚の下にアルコールランプを設置し「あ、お願いね」「ነይ እሳት」火を着ける。ついでに蠟燭にも。

 漂い始める琥珀の匂い。太古の樹脂の匂い。星の歴史の匂い。そして無臭。

 ストローを差し出され、これであぶりだされた煙を吸うように言われる。


「マヤ族の解釈ではね、琥珀は、星の記憶を内包する自然物なんだって。長い年月をかけて作られた化石だから。炎で内包された記憶知恵を溶かし取り込むことで、君の旅路を手伝ってくれるだろう。そして磨り潰した錠剤は、君に幻を見せてくれる。君の中に潜む者がいると思われる領域、無意識へといざなってくれるものだ。だいぶリラックスしてきたかな?」

「はい。とても、とても……」

「よしよし。怖がらなくてもいい。安心して。最後に君に暗示をかける。そして君は1時間前にティマドクネスさんも説明した通り、丸1日ほど眠りにつくだろう。その間、君は幻覚を見続け、そこで到着することになる。潜在意識の奥底海底にある無意識の領域へ。私の考えが正しければそこにいるはずだ。求める答えが。それじゃあ始めるよ。この蠟燭の火をよーく見て。これからこの火をゆっくりと近づけていくから…………」


 気がつい

 た

 時にh

 aもうまぶたは、とじ て くろめがぐるりとまわってを むき

 すべてのお とはなく な り がひびくは う り ん ぐ 

 旅立っていくいしきをて

 ばな す



あと、71時間と23分。全ては予定通りさ。





貨客船「万景峰マンギョンボン38号」 甲板上


 ティマはふと目線を下に向けた。何故か悪い予感がしたからだ。気がつけば口が動き疑念を紡ぎだす。


「……そういえば、どうして私は一旦あの場より立ち去ったのでしょう。『万解ばんかい屋』には沢山の漫画があったのに。暇つぶしには最適のはずなのに。どうして、どうして? それにどうして獼猴じこうさんは呂玲ロィレンが言った言葉を、すべて知っているのでしょう。。それに……」


 この時、もし傍に誰か親しいものが居れば、あるいは気づいたかもしれない。彼女の瞳は焦点を結んでいなかった。

 それは、まるで幻覚を見ているようだった。


 幾秒もしないうちに、ティマの瞳は朝日を受け反射する湖のような輝きを取り戻していた。先に口にした疑念はそよ風によって忘却へと運ばれて。

 ティマの頭は今、ヒロシが少しばかし長い眠りより目覚めた時に何の料理を作るか。そのことでいっぱいだった。


 ひさしぶりにちゃんと、いちからりょうりをつくってみるのもいいかもしれませんね。こんどはたまごをつかった……あまいたまごやきとか。ちょっとぜいたくですがあげものもいいかも! ふふっ。





商業利用目的払い下げリユース船・朝鮮人民軍 サンオ型潜水艦「鮫12」

旧発令所内 商店番号第13:26-27番

万解ばんかい屋・占い館 フクロウ&ヨタカちゃん」 


 目の前には穏やかな表情で懇々こんこんと眠りにつくヒロシ。

 それをじっと見つめるテセラクト。表情は穏やかで、口元には微笑。まるで成長した我が子を見るよう。

 そっと頬を撫でる。


「こうして会うのは……ええと、だいたい203年ぶりでしょうか。君を天野てんのくんとミスカトニックのアーカム大学で探し当てたのが初対面で。こんなにも立派に成長したのですね、ウヴォ=szh──」

「おい、勝手に動くな話すな考えるな。もう200年も経つのにまだ御しきれていないのか? よ」


 その後ろ。空間が蜃気楼のように揺らめぎ男の、魔術師魔人の厳格な声がする。



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