激戦を語る
2299年1月8日。
宙に浮かぶ球が自ら回る。
慣性がない故に、止まることなく、誕生した時から、ひたすらに。
今、その地は暗がりへと入り、ゆっくりと冷えていく。
ちょうどそんな時だ。怒号が響いたのは。
「話には聞いていましたけど、どうしてそんなに
物凄い剣幕でつかつかと少女はメイド服へと近づき、その胸倉に掴み掛かった。
ここは王の間。国家としての富を示すべく豪華絢爛な内装で仕立てられているこの場は、基本的に大王が部下よりの報告を直接聞く場である。
短く言うと「謁見の場」となるか。
今、この場に存在する微細な空気中の分子を震わせる大音量、それに伴う光景と行動は全てを──俗に言う面倒な作法と言うやつ──を無視し、置き去りにしていた。
「まさか言葉の意味がわからなかった、とかいう言い訳をするつもりじゃないでしょうね出来の悪い
「……」
「何よその態度。本当にわからないとでも言いたいの? なら代わりに教えてあげるわ、いい? 本来貴方が身を通して守り通さなければならないキュロス様が殺される様を黙ってただ見ていた木偶の坊だと貴方は言った──」
「やめるんだ、シーファ」
場には影が6つ。
まず、片膝を付き事の詳細を報告する≪黄金≫ラルヴァンダード。
ラルヴァンダードに掴み掛る
それを少し離れた場所で見守るニネヴェのミカとその配下たる《乳香》ホルミスダス と≪
そして玉座に座り、シーファの蛮行を制止した若き新大王・ヤズデギルド4世である。
「えっ、で、でも陛下この人は」
まさか彼に制止されると思わなかったのだろう、シーファは明らかに狼狽した様子で声を詰まらせる。
「まず悲しみを他人に強制してはならないよ、シーファ。仮に感情を強制したとして、一体何になるんだい?」
「それはっ……でも、私は!」
「いいんだ、シーファ。僕の為に怒らなくても」
「──!!」
ヤズデギルドの言葉は図星であった。怒りは居場所のない深い後悔へと変わり、シーファは泣き崩れる。体は震え、
それを見たヤズデギルドは玉座より離れ、2人の元まで歩く。そしてシーファの肩をそっと抱きしめ、自分の胸へと寄せた。「大丈夫。そう、僕は大丈夫だから……」と囁きながら。
次いでラルヴァンダードの方へ向き直る。無表情が彼を見つめ返す。
「この度はつらい役目を君1人に押し付けてしまう形となってしまって、本当に申し訳ない」
「……」
「あ、そっか。今の君は命令がないと何もできないんだよね。僕には命令権はないし、えっと」
「ヤズデギルド様に前の主、キュロス様からの遺言があります」
「まずはこの2つを」
「これって、父上の……」
「先に申した通り遺言が
「──この中に
「奴らは信じられないほど身近にも、あらゆる時代、あらゆる地域、あらゆる組織に、存在しているのだから」
「そして聞け、
「──以上となります」
「最後に
「あ、ちょっ……」
ヤズデギルドが何かを言いかけるも、その言葉を待たずしてラルヴァンダードの体が砂のように崩れ、砂は独りでに集まり2分ほどで小さな小石となった。その色は黄金である。
ラルヴァンダードは
黄金はそれ単体では価値がない。黄金は
故にその名を冠するラルヴァンダードは、他者の命令がない限り何もできない。
息を吸うことも、食べることも、排泄することも、話すことも、笑うことも、泣くことも、感情を生じさせることも、暴言により傷つくことも、できない。
前の主の遺命に「我の死を嘆き悲しめ」という
4つの遺命とは、以下の通り。
・次の主は
・我らと
・我の遺言を息子に伝えよ。口頭で伝えるものは一度だけ伝えよ。
・自身の
これらを無事果たしたため、正確にはこれ以上この場にいる理由がないため、彼女は待機
ラルヴァンダードの報告を聞き終えたヤズデギルドは再び玉座へと戻っていた。その膝上には床に膝を立て、頭を預けた状態の泣き疲れたシーファが眠っている。
少なくとも今の状態の彼女は大王の臣下として相応しくない行動であることは一目瞭然だ。まだその年齢が成人してないことを考慮しても。
が、この場にわざわざ指摘する者はいない。
現在の時間が
そしてラルヴァンダードが去った今、シーファの態度に口を出すことができる人物はニネヴェのミカただ1人。
彼女は
さて、ヤズデギルドは手元にある黄金色の小石を不思議そうに見つめる。
「確か陛下は待機
「うん。これが初めて。念のため聞きたいんだけどラルヴァンダードさんの
「その通りです陛下。ラルちゃんは最大2万8千人に分裂して活動することができます。分裂するごとに引き算の要領で個体ごとの出力は減ってしまいますが、これは逆に考えると……」
「分裂してないときは物凄い強い?」
その答えに頷くミカ。そして今陛下が持っているラルちゃんの重みは100。つまり最小100人分の、あるいは最大100倍の出力を持つラルちゃんとして利用できます、と補足した。
「ところで前みたいに砕けた話し方もうしてくれないのミカ姉?」
「それはできません。陛下はもうこの国の主、プライベートな場でもわきまえなければいけない最低限度というものがあります。それにこの子たちの目もありますし、家庭教師の頃とは違いますから」
優しく微笑むミカが両手を少しばかり揺らせば、手首に巻き付けられ固定されている鎖がちゃりちゃりと音を鳴らす。鎖の先を辿れば女性が2人。
右に修道服を着た《乳香》ホルミスダス 。
左に全て黒色の
彼女らはレディーススーツ着たミカによって拘束されているのだ。
ミカの手首より伸びる『鎖』はそれぞれの首に巻かれ、更には体全体を何重にも縛り付ける。両足以外は決して動かせないように。
グシュナサフの場合は更に両目の瞼が『ロボトミーの糸』によって縫い付けられている。決して両目が開かぬように、視殺させないように、厳重に。
というように彼女ら2人は極めて痛々しい姿なのだが、咎める声はどこにもない。実のところ、この措置は虐待ではなく保護の側面があるのだ。
彼女らもラルヴァンダードと同じく
仮にホルミスダスを解き放てば大地は血で染まり、果ては無人の国となるだろう。
仮にグシュナサフをば解き放てヒト種は絶滅し、文明は終焉の時を迎えるだろう。
そういった存在なのだ、曲がりくねり歪んだ言葉の概念に縛られた
ヤズデギルドは改めて
これまでは、父が存命の時であれば単なる感想で終わっていたのだが。
「これからは、その……彼女らも僕の配下となるんだよね」
「原則的には」
「それって、僕の一命で生死を決めることもできるということだよね」
「陛下のおっしゃる通りです」
「そっか」
若き大王は大きなため息をつく。彼の双肩には今や全知的生物の未来がかかっていると言っても過言ではない。人類史上初のモザイク的多種族国家である
それは途方もない重さの責任である。彼がまだ成人にすら達していないという事実を差し置いても、なお。
「陛下──いえ、ギルちゃんに最後のとても短い授業です」
「え?」
「王の役目については色々あるけど。一番重要なのはね、決断することなのあらゆる事柄を」
「決、断……」
「そう。それだけは王にしか、今の君にしかできないこと。そして私達が欲しているもの。でも心配しないで。今の君にはそこにいるシーファちゃんみたいに、支えてくれる人が、支えたいと思っている人が、大勢いる。だから、失敗を恐れて抱え込まないで。誰かを頼ることを恥ずかしいことだなんて思わないで。私たちは部下とかそういった関係以前に、仲間なのだから」
時間にして3分にも満たなかったが、これがヤスデギルドが幼少の時より教育係を任されていたニカが送る最後の授業であった。
「わかった、今までありがとう。ミカさん」
「──改めて、このニネヴェのミカ、我が身が滅ぶその時まで陛下に全てを奉げるとここに宣誓します」
ここに教師と教え子という関係は終わりを告げる。形式の上ではあるが、上と下の位置がくるりと回転し個人史において新たな時代が始まろうとしていた。
「ところでミカさん」
「何でしょう、陛下」
「今日はこんな夜遅くに何の用事でここに来たの?」
その問いに「そういえばすっかり忘れていました」みたいな愛嬌のある表情を見せるミカ。そして端末に標準搭載されている時計を確認。微笑む。
「時間ピッタリですね。陛下、バラク・マンデラ国家元帥より作戦名『
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