開幕

 目を覚ますと、別の体温にしがみつかれている感覚がした。


 視線を下にずらせば、穏やかな寝息を立てる翡紅フェイホンの頭が見えた。名前の由来となったのであろう翡翠色の髪の毛が肩を、首を、顎を撫でる。


 なんか、きれいだな――ふと、そう感じ、無意識のうちに手が伸び髪の毛、その一房を掴んだ。

 すると――



暫く後、

戦艦「信濃」、防空指揮所にて。




 翡紅フェイホンはおかんむりであった。

 勝手に髪の毛をいじられただけでなく、自身の恥ずかしい甘嚙み癖をまたもや見られた故に、である。


「で? 何か申し開きはある?」

「いや、その」

「次やったら不敬罪でシバくわよ」

「すみませんでした……」

「よろしい」


 彼女の肩の力が、ふっと抜けた。表情も穏やかなものになっている。

 と。


 べちん!


 思いっきり頭をはたかれた。


「これで許してあげる」

「あっ、はい……」


 その言葉は本当らしく、彼女は海風を浴びながら簡易なストレッチを始めた。肩が特につらいらしく念入りに。

 それを見て、ふと思う。

 以前の「俺」であれば先の折檻をかもしれない、と。だが今は違う。人の感情について少しは理解が進んだのか、末梢神経は何の反応もしなかった。これはきっとよい事、なのだろう。

 ちなみに敵意は一切、なかった。



 俺達2人は今、戦艦信濃の防空指揮所にいて朝日を浴びている。まぁ上空には分厚い鈍色の雲海が当然のように居座り続け日光の大半を遮断しているので、厳密には「浴びている」とは言わないかもしれないが。

 太陽おひさまの優しい光を浴びるなんて出来事は所詮フィクションでしかないのだ。


「それで、今日の予定は?」

「まずはあの艦に乗って、解体作業の監督からね。呂玲ロィレンがまたポカをやらかさないようにね」


 指差す先には一隻の空母と、その上は数機のB52戦略爆撃機「ストラトフォートレス」……を適当にスクラップ化したものが煩雑に載せられていた。

 アプリによると空母の名前はヨークタウン型「ホーネット」というらしい。


「一応、手元に3機ほど残す予定なのよ。残りは全て分解して、再利用ね」

「いいのか? 貴重な戦力なんじゃ」

「戦略爆撃機が戦力? まさかぁ。あんなデカブツ、空母から発艦させることはできないし、燃料喰うし、小さな目標には攻撃しずらいし、単なるお荷物よ」

金浦キンポ要塞では使っていたのに? 似たようなB29ってやつを」

「ああゆう大群の時だけよ。しかも陸戦の時のみでね。それに、あの基地があったから、どうにか使えていただけで、『遷移計劃』においては持っていかないから運用不可なのよ」


 彼女の視線の先には南沙人工岛天空/海军基地があった。


「あれ、放棄するのか? 持っていけたら有用に使えると思うんだが」

「ふふ。突然だけどクイズです! 杭州こうしゅう湾の深度は何メートルだと思う?」

「なんかテンション高くね……? うーんと」

「残念時間切れ! 正解は最大30メートルよ」

「早いよ! てか何の関係があるんだ」

「大ありよ。あの基地、下方向に何メートルあると思う?」


 俺はを選別する。どっかにあったなぁ、どっかに……確か、初めてあの基地に来た時、まだ翡紅フェイホンやティマと知り合う前、エレベーターの……思い出した!


「確か下10階、最下層/海抜下という表示があったな。きみの執務室へと向かう時だ。海抜下50メートルで湾の深度は30メートル……ああ、わかったぞ。あの基地は地下に突き刺さっているんだな?」

「正解。だから動かせないの。今更引っこ抜くことはできないし。覚えといて。私達遊民は、あらゆる物資が不足している。選り好みしている暇はない。だから、目的に沿わない物はたとえそれがどんなに高品質な物でも容赦なく捨てるのよ」

「合理的思考だな。何だかんだ言って精神論が中心の神国の連中に教えてやりたいよ」


 俺は苦笑する。それにしても今の翡紅フェイホンはとても元気に思える。


「本当に一晩寝たら元気になったな。例の『疲れ』た時が嘘みたいだ」

「そうなのよね……自分で言うのもアレだけど。なんか、という感覚ね」


 その表現に少しゾッとする。歴史改編もそうだが、明確な意図をもってこの世界を導く存在がいる。そんな馬鹿げた考えが浮かんだのだ。

 いや、まさか、な。


「あら、もうこんなね。じゃぁ早速出発するわ。ヒロシはティマの所に帰ってあげて。一晩もいなかったから、あの子多分しょげ返っているわ」

「そ、そうなのか? そんなタイプには思えないが」

「まぁまぁ。行けばわかるわ」


 その言葉に返事をしようとした、その瞬間。


 耳をつんざく、爆発音が響き渡った。

 杭州湾のある一点に、黒煙が立ち上る。

 まるで何かの狼煙合図のように。


「な、何だ!?」


 更に黒煙の中で、チカチカと光が瞬く。

 そして聞こえる、人の悲鳴。断末魔。


「おい、翡紅フェイホン、あそこには何があるんだ!」

「あそこは……嵊泗ションス列島ね、そこには多国間用対人転送装置ワープゲートが」

「それ、いるんだ!?」

「確か比叡山の中腹に、神国日本に」


 そこまで言ったとき、彼女の顔がサーッと青くなる。猛烈に嫌な予感が心を渦巻き始めたその時。


「失礼します! 陛下、一大事です!」


 ジーノチカが泡を食った、といった様子で防空指揮所転がり込んできた。


「報告します! 嵊泗ションス列島の洋山深水港ようざんしんすいこう跡の転送装置ワープゲート付近に、避難民とが現れました! ロボットの国籍は械国日本と思われます!」

「何ですって……まさか」


 その報告に呆然とする翡紅フェイホン

 神国日本の最後の出入り口から、敵である械国日本の軍勢が現れる。それが意味するのは――


 京都の陥落。即ち、神国日本が滅びたことを、示唆していた。



 現在時刻、10/31、午前09:00丁度。

 あと、8時間と5分であった。



                               第6章 END

                              次章、古都決戦。

                                お楽しみに!




○○○○○○○○

恐らく「いよいよ始まった」とか考えているのだろう?

それは違う、違うぞ。

歴史という1本の大河で起こる全ての事柄はな、既にのだよ。

その時が来たら大岩に当たり、飛沫が弾け、あたかも始まったかのように見えるだけなのさ。

それではいつは始まったのかって? 相変わらずアホなことばかり気にするねぇ。

それはね。

大河がおこった時から、つまり宇宙が始まった時138億年前からさ。

4次元しか知覚できない生物きみたちって、本当に不便だねぇ。

○○○


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