共に歩む
10/31、午前02:38
あと、約15時間と17分。
戦艦「信濃」甲板上
存在しないはずの、大和型戦艦「信濃」の元へ。
本来であればその威容は昼夜を問わずして、頼もしく見えたはずである。だが、真実を知った今となれば……俺には幽霊にしか見えない。
ラッタルを上がる時、そう
「そう。私には……墓標に見えるわ。私のせいで変わってしまった幾多もの歴史。その犠牲者のね」
という答えがきた。涙ぐむ声と共に。
「で、なんでまたこんなことを。普通にエレベーター使った方がいいじゃないか」
「さっきも言ったでしょ。エレベーターより直に登った方が早いわ!」
いや、その理屈はおかしいだろ。そう心の中でツッコミを入れつつ、俺と
あれだ、
あちこちに細かな突起があり、例によってそれを足掛かりとし
なんども同じことをした経験があるのか、そりゃぁもうスムーズに。思わず別生物の特質を発現してやろうかと考えたぐらいだ。
まぁ、この
これは最も弱い化学結合である
これらナノメートル(1メートルの10億分の1の大きさ)サイズの毛があらゆるものの凹凸にピタリと噛み合うことで、極めて弱いが強力な吸着力を生み出す。今回のような壁のぼりにはぴったりだ。
……正直それなしであの機動力を発揮する
結果として10分弱だろうか。何のハプニングもなく俺達はほぼてっぺんとも言える防空指揮所へと辿り着く。見上げると特徴的な形、薄く伸ばした「T」状の射撃指揮所が。
ここからは、
右側には巨大な円を描く
今までであれば美しく見えたはずの、その光景は。
全くの別物に見えた。
今まで見てきた光景を、言葉を、戦場を、思い返し、再構成する。
出来上がるは、歪な絵。
その
絵具はただ3つの材料。
1人の人間の寿命と、吐き出される内臓と、つまり産み出す苦しみの声。
この国は……
「この国の全ては、
「その通りよ。ま、あの光景をみれば普通気づくわよね」
「あの代償を、知っている者はどのくらいいるんだ?」
「寿命と副作用について知っているのはほんの数人よ。きみを入れて5人ぐらいかな。歴史改編のことは、誰も。気づくどころか違和感を感じる人は、いなかった」
「それであんなに……取り乱したのか」
「しかもきみは具体的に間違っているところを指摘したでしょ? 私はあくまで違和感しかなかったから……おかげで本当に変わっていたということがわかって、助かったわ」
「……どうして」
「え?」
心の中を、形容し難いモノが渦巻き始める。
「どうして、そこまでして、身を削り続ける? 所詮は他人なのに」
「それは――っ、じかんも、おそいし、続き、は……室内で、しましょ、う?」
「? あ、ああ」
立っているのも辛そうな状態で、そう
10/31、午前03:01
あと、約14時間と4分。
戦艦信濃、艦長室
「では、陛下。朝食は――」
「何でも、あるものでいいわ。ごめんなさいね、
「いえ、私もこれから寝るところでしたのでお構いなく。それでは
そう言い残し、退室するジーノチカ。先程まで書類仕事をしていたようだ。こんなに夜遅いのに。
と、
おかしい。こんなに、やせ細っていたか?
部屋内のベッドに、とりあえず寝かせる。そこで気づいたのだが、
「そういえば、知ってる? ジーノチカの民族、旧ロシア連邦の末裔ってね、もう3000人程しかいないの。信じられ、る? か、つては世界を二分する大国を率いて」
「んなことは今はいい! それよりも、一体どうしたというんだ!」
「コレね、半年ぐらい前かな。突然疲れが表れるようになったのよ。ひょっとして、死期が近いのかもね」
それだけ疲労が濃いということか。
そのまま、10分ほど経過した。少し調子が良くなったのか、上体を起こし、再び口を開く。
「死期……召喚の代償のせいか」
「そうね。前に
それを聞いて26日深夜の我が国には、強いリーダーが必要なのです。「この様な軟弱な指導者など居てはならないのです」、という
それと同時に
「まぁ毎日
「なぁ、その『遷移計劃』って何なんだ? 俺はそのことを詳しく知らないんだけど」
「
「陸は異形生命体がうじゃうじゃいるし、空はごく少人数しか運べない。だから海か。そのために、船で国家ごと輸送させようと」
「察しがいいわね」
「何て途方もない計画なんだ……」
「すごいでしょ。私の案なのよ」
力なく、ではあるが胸を張る
その一方で、俺の心中ではある種の衝動が段々と強まってきた。なんだ、これは?
「計画を急ぐのはね、何も私の寿命が迫っているからじゃないわ。きみも見たわよね? 人語……かどうか怪しいけど、喋る異形を」
「ああ。あの十字架に足を生やしたようなやつか。よく出現するのか?」
「まさか。あんなの初めて見たわ」
「えっ」
「あの時の『ドラゴン』もそうだけど。私達は初めてあれほどの個体を直に見た。でもそれはある程度予想していたの。というのもね、彼らは戦いを通じて学習するのよ。初めてきみとコミュニケーションした時みたいに」
「学習……? 進化、ではなく」
「ええ。私の祖父の代とかは、それこそ単なる獣の群れだった。時たま『
でも、と苦い過去を思い出すような所作で彼女は続ける。
「段々と、奴らは学習した。私達の気が緩んだ時、例えば移動中、渡河中、陣地を張っている最中……一度に襲う数も少数から多数、無数に。個別撃破は不可能になり、数で押され、遂には陸から追い出された。別に私が考え着かなくても、自ずと船上でしか生活できなくなっていたでしょうね」
「それは……陸の話だろう? 今あげたのはどれも偶々で片付けられるんじゃないのか?」
「ところが違うのよ。きみたち
「そんなこともあったな。なんか遠い昔の出来事のように感じる」
「ちょっと端末かしてくれる? ――はい、どうぞ」
「この地図は? あちこちに点がついているが」
「それはね、今までに
言われるがままに脳内で点を結んでみる。出現場所は南シナ海の香港とマニラを直線で結んだラインの上側と東シナ海が中心で……すべて結ぶと、まるで中国大陸におわんを被せるような配置になった。
まるで包囲しているみたいだ。
いや、待て。異形は大陸側からも押し寄せているんだよな? で、出口となる海には囲むように異形が。
まるで、じゃないぞこれは。
「
俺は思わず呻く。
「その単語を知ってるのなら、話が早いわ。これは
「あれだけ年代がバラバラな船だ。纏まっての外洋航行なんて不可能なんだろう?」
「その通りよ」
俺は地図を見つめる。中央大藩国の場所は、一番近くてもインドの辺りか。沿岸沿いに進むとすれば、自ずと道は限られる。
まさに逃げ道が限られるということか。本来なら自由に動けるはずの海が、俺達を束縛しているのだ。
対して異形は、いくらでも外洋に進出できるのだろう。つまりあらゆる方向から攻撃できるのだ。
「異形が戦略的に動いてるってマジかよ」
「だから、これ以上彼らが進化する前に逃げたいのよ。この地から」
「なぁ、さっきも聞いたけど」
「うん」
「どうして他人のためにそこまでできる? その気になれば、少しの仲間と共に脱出すればいいじゃないか。君がちまちまと
ある意味で無礼な問について、
「難しい理由はないわ。私がこの国の
「たった、それだけ?」
「そう。民を守り、繁栄へと導くのが、この
「それじゃぁ、君はどうなる? 君の人生は……」
「だからね、覚悟はもうできてるの。私が暗殺によって亡くなった父上の役目を、皇帝を継いだ10歳の時からね」
その答えに、俺は何も言えなかった。「僕」の代から疑問であった。誰かのために、己を投げ出す。周りはそんな人ばかりだった。
その誰かがどんなにクズでも、相対する敵がどんなに凶悪で、決して勝ち目がなくても。
目の前の女性も、同じだった。
逃げることは案外簡単にできるはずなのに。
自ら「死」に向かって、その苦しみを誰にも知られることなく、文字通り血を吐きながら、歩み続けていたんだ。
孤独に。
事実上、ひとりぼっちで。
ずっと、ずっと、誰に相談することもなく。
心の中で、衝動が暴れ、はじけ飛んだ。
「ちょ、ちょっと!? 突然どうしたの――」
「お、おれは、まだわからない、誰かのために、己を投げ出すなんてことが。でも、苦しみを理解して、少しでも背負うことはできると、思うんだ」
口が勝手に動いた。どもりながら、ヘタクソな言葉が、飛び出し、宙を舞う。
「具体的な、方法は、わかんないけど、よくわかんないけど、俺は」
数日前に、ティマが俺にしてくれたように、
少し口元がもにゅもにゅと動いていたが、やがて収まり、口が開かれる。
「その――ええと、なんというか」
「う、うん」
「ありがとね。そして改めて、よろしく!」
俺に向かって純粋な笑顔を向け、手を差し出す
その手を。か弱き、けれども熱い芯を持つその手を、俺は握った。
本当の仲間となった、認められた証であった。
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