共に歩む

10/31、午前02:38

あと、約15時間と17分。


戦艦「信濃」甲板上



 翡紅フェイホンの告白を聞きながら、連絡船ガレー船「アルゴー号」は定められた目標へと進む。その先にあるのは翠玉すいぎょく国の軍艦の中で最大の火力を持つ彼女。

 存在しないはずの、大和型戦艦「信濃」の元へ。


 本来であればその威容は昼夜を問わずして、頼もしく見えたはずである。だが、真実を知った今となれば……俺には幽霊にしか見えない。

 ラッタルを上がる時、そう翡紅フェイホンに漏らすと、


「そう。私には……墓標に見えるわ。私のせいで変わってしまった幾多もの歴史。その犠牲者のね」


 という答えがきた。涙ぐむ声と共に。



「で、なんでまた。普通にエレベーター使った方がいいじゃないか」

「さっきも言ったでしょ。エレベーターより直に登った方が早いわ!」


 いや、その理屈はおかしいだろ。そう心の中でツッコミを入れつつ、俺と翡紅フェイホンは信濃の塔状艦橋を

 あれだ、フリーランニングパルクールとかいうやつで。

 あちこちに細かな突起があり、例によってそれを足掛かりとし翡紅フェイホンはスルスルと、流れるように登っていく。

 なんども同じことをした経験があるのか、そりゃぁもうスムーズに。思わず別生物の特質を発現してやろうかと考えたぐらいだ。


 まぁ、この趾下薄板しかはくばんを使えば何の問題もないわけだが。

 これはである分子間力ファンデルワールス力を利用する器官で、無数の細かい剛毛からなっている。

 これらナノメートル(1メートルの10億分の1の大きさ)サイズの毛があらゆるものの凹凸にピタリと噛み合うことで、極めて弱いが強力な吸着力を生み出す。今回のような壁のぼりにはぴったりだ。


 ……正直それなしであの機動力を発揮する翡紅フェイホンの方がヤバいと思います。いやホントに。


 結果として10分弱だろうか。何のハプニングもなく俺達はほぼてっぺんとも言える防空指揮所へと辿り着く。見上げると特徴的な形、薄く伸ばした「T」状の射撃指揮所が。


 ここからは、杭州こうしゅう湾一帯を一望できる。信濃を正面から見て左側、湾の奥には四角形をした南沙人工岛天空/海军基地が。

 右側には巨大な円を描く海聚府ハイジューフーが。


 

 今までであれば美しく見えたはずの、その光景は。

 全くの別物に見えた。

 今まで見てきた光景を、言葉を、戦場を、思い返し、再構成する。

 出来上がるは、歪な


 その光景は、腐肉の額縁に、肉汁と体液により真っ赤に、黄色く、紫色に彩られる。そして新しく絵を描く召喚するたびに激しい嘔吐音と喘鳴ぜんめいが筆先より流れ出るのだ。

 絵具はただ3つの材料。

 1人の人間の寿命と、吐き出される内臓と、つまり産み出す苦しみの声。

 


 この国は……大地、それらを動かす燃料、民を養う食料、民を守るための兵器・弾薬。その全てが――


「この国の全ては、翡紅フェイホン。君が、担っているのか」

「その通りよ。ま、あの光景をみれば普通気づくわよね」

「あのを、知っている者はどのくらいいるんだ?」

「寿命と副作用について知っているのはほんの数人よ。きみを入れて5人ぐらいかな。歴史改編のことは、誰も。気づくどころか違和感を感じる人は、いなかった」

「それであんなに……取り乱したのか」

「しかもきみは具体的に間違っているところを指摘したでしょ? 私はあくまで違和感しかなかったから……おかげで本当に変わっていたということがわかって、助かったわ」

「……どうして」

「え?」


 心の中を、形容し難いモノが渦巻き始める。


「どうして、そこまでして、身を削り続ける? 所詮は他人なのに」

「それは――っ、じかんも、おそいし、続き、は……室内で、しましょ、う?」

「? あ、ああ」


 立っているのも辛そうな状態で、そう翡紅フェイホンは言った。なんだ? 突然、調子が悪くなったような。



10/31、午前03:01

あと、約14時間と4分。


戦艦信濃、艦長室


「では、陛下。朝食は――」

「何でも、あるものでいいわ。ごめんなさいね、ロジェストヴェンナ大将ジーノチカ。夜分に突然押し掛けちゃって」

「いえ、私もこれから寝るところでしたのでお構いなく。それでは翡紅フェイホン陛下、そしてヒロシ様。おやすみなさい」


 そう言い残し、退室するジーノチカ。先程まで書類仕事をしていたようだ。こんなに夜遅いのに。

 と、翡紅フェイホンの体がぐらりと――危ない! 俺は慌てて彼女を抱き留める。即座に感じる、軽さ。

 おかしい。こんなに、やせ細っていたか?


 部屋内のベッドに、とりあえず寝かせる。そこで気づいたのだが、翡紅フェイホンの両目にはドス黒いくまが。何日も寝てないような、疲労の色を前面にだしたような。


「そういえば、知ってる? ジーノチカの民族、旧ロシア連邦の末裔ってね、もう3000人程しかいないの。信じられ、る? か、つては世界を二分する大国を率いて」

「んなことは今はいい! それよりも、一体どうしたというんだ!」

「コレね、半年ぐらい前かな。突然疲れがようになったのよ。ひょっとして、死期が近いのかもね」


 翡紅フェイホンは無理に笑おうとして、失敗した。僅かに頬が引き攣っただけで。少しばかり奇妙な表情となっただけ。

 それだけ疲労が濃いということか。

 そのまま、10分ほど経過した。少し調子が良くなったのか、上体を起こし、再び口を開く。


「死期……召喚の代償のせいか」

「そうね。前に獼猴じこうに診断してもらったことがあるんだけど。私ね、あと8年ほどしか生きられないらしいわ。この事、誰にも言わないでね? この時代の指導者はね、強くないといけないから。民の希望となるために、大国間の交渉で少しでも有利に立つために」


 それを聞いて26日深夜の我が国には、強いリーダーが必要なのです。「のです」、という無形ウーシンのセリフを思い出す。

 それと同時に金浦キンポ要塞での「私の命はそう長くないもの」という翡紅フェイホンのセリフも思い出す。あれはこうゆう事だったんだな。


「まぁ毎日テロメア寿命を削り続けたから、当然よね。そしてこれからも削り続けるから、人生のタイムリミットは加速度的に早まっていく。だから、早く『遷移計劃』を実行しないと、いけないのよ」

「なぁ、その『遷移計劃』って何なんだ? 俺はそのことを詳しく知らないんだけど」

あの子無形ったら、説明してなかったのね……簡単に言うと今いるアジア圏から脱出して地球上で最も強く、安全な国である中央大藩国へ避難する計画ね」

「陸は異形生命体がうじゃうじゃいるし、空はごく少人数しか運べない。だから海か。そのために、船で国家ごと輸送させようと」

「察しがいいわね」

「何て途方もない計画なんだ……」

「すごいでしょ。私の案なのよ」


 力なく、ではあるが胸を張る翡紅フェイホン。心の底から誇っていると、その動作は物語っていた。

 その一方で、俺の心中ではある種の衝動が段々と強まってきた。なんだ、これは?


「計画を急ぐのはね、何も私の寿命が迫っているからじゃないわ。きみも見たわよね? 人語……かどうか怪しいけど、喋る異形を」

「ああ。あの十字架に足を生やしたようなやつか。よく出現するのか?」

「まさか。あんなの

「えっ」

「あの時の『ドラゴン』もそうだけど。私達は初めてあれほどの個体を直に見た。でもそれはある程度予想していたの。というのもね、彼らは戦いを通じて学習するのよ。初めてきみとコミュニケーションした時みたいに」

「学習……? 進化、ではなく」

「ええ。私の祖父の代とかは、それこそ単なる獣の群れだった。時たま『混沌の颱風ケイオス・ハリケーン』と共にやってくる害獣。そんな認識だった」


 でも、と苦い過去を思い出すような所作で彼女は続ける。


「段々と、奴らは学習した。私達の気が緩んだ時、例えば移動中、渡河中、陣地を張っている最中……一度に襲う数も少数から多数、無数に。個別撃破は不可能になり、数で押され、遂には陸から追い出された。別に私が考え着かなくても、自ずと船上でしか生活できなくなっていたでしょうね」

「それは……陸の話だろう? 今あげたのはどれも偶々で片付けられるんじゃないのか?」

「ところが違うのよ。きみたち遣翠使けんすいしがここに来るまでに、『首席ショゥシー』って化け物に襲われたでしょう?」

「そんなこともあったな。なんか遠い昔の出来事のように感じる」

「ちょっと端末かしてくれる? ――はい、どうぞ」

「この地図は? あちこちに点がついているが」

「それはね、今までに首席ショゥシーと遭遇した地点よ。ちょっと点でつないでみて」


 言われるがままに脳内で点を結んでみる。出現場所は南シナ海の香港とマニラを直線で結んだラインの上側と東シナ海が中心で……すべて結ぶと、まるでになった。

 まるで包囲しているみたいだ。

 いや、待て。異形は大陸側からも押し寄せているんだよな? で、出口となる海には囲むように異形が。

 まるで、じゃないぞこれは。


つち金床かなとこ、かこれは……」


 俺は思わず呻く。鉄床戦術かなとこせんじゅつと呼ばれるソレは、軍を二分し片方が敵をひきつけているうちに、もう一方が背後や側面に回りこみ本隊を包囲・挟撃し殲滅する複数兵科を使ったの一つだ。


「その単語を知ってるのなら、話が早いわ。これは鉄床戦術かなとこせんじゅつの変則版ね。陸が金床かなとこで、海がつち金床かなとこが私達を海へと押しやり、から攻撃できるつちでトドメをさす」

「あれだけ年代がバラバラな船だ。纏まっての外洋航行なんて不可能なんだろう?」

「その通りよ」


 俺は地図を見つめる。中央大藩国の場所は、一番近くてもインドの辺りか。沿岸沿いに進むとすれば、自ずと道は限られる。

 まさにということか。本来なら自由に動けるはずの海が、俺達を束縛しているのだ。

 対して異形は、いくらでも外洋に進出できるのだろう。つまりから攻撃できるのだ。


「異形が戦略的に動いてるってマジかよ」

「だから、これ以上彼らが進化する前に逃げたいのよ。この地から」

「なぁ、さっきも聞いたけど」

「うん」

「どうして他人のためにそこまでできる? その気になれば、少しの仲間と共に脱出すればいいじゃないか。君がちまちまと生贄として捧げられる寿命を削られる必要なんか、ないじゃないか」


 ある意味で無礼な問について、翡紅フェイホンはあっけらかんと答える。


「難しい理由はないわ。私がこの国の皇帝統治者だから。それだけよ」

「たった、それだけ?」

「そう。民を守り、繁栄へと導くのが、この私翡紅フェイホンとして生まれた時よりの務め定めを使っても、ね」

「それじゃぁ、君はどうなる? 君の人生は……」

「だからね、覚悟はもうできてるの。私が暗殺によって亡くなった父上の役目を、皇帝を継いだ10歳の時からね」


 その答えに、俺は何も言えなかった。「僕」の代から疑問であった。誰かのために、己を投げ出す。周りはそんな人ばかりだった。

 その誰かがどんなにクズでも、相対する敵がどんなに凶悪で、決して勝ち目がなくても。


 目の前の女性も、同じだった。

 逃げることは案外簡単にできるはずなのに。

 自ら「死」に向かって、その苦しみを誰にも知られることなく、文字通り血を吐きながら、歩み続けていたんだ。


 孤独に。

 事実上、ひとりぼっちで。

 ずっと、ずっと、誰に相談することもなく。


 心の中で、衝動が暴れ、はじけ飛んだ。



「ちょ、ちょっと!? 突然どうしたの――」

「お、おれは、まだわからない、誰かのために、己を投げ出すなんてことが。でも、苦しみを理解して、少しでも背負うことはできると、思うんだ」


 口が勝手に動いた。どもりながら、ヘタクソな言葉が、飛び出し、宙を舞う。


「具体的な、方法は、わかんないけど、よくわかんないけど、俺は」


 数日前に、ティマが俺にしてくれたように、翡紅フェイホンの上体を抱きしめていた体が、ゆっくりと引き離される。拒絶されたのかと思ったが、彼女の顔は真っ赤であったけれども、笑っていた。

 少し口元がもにゅもにゅと動いていたが、やがて収まり、口が開かれる。


「その――ええと、なんというか」

「う、うん」

「ありがとね。そして改めて、よろしく!」


 俺に向かって純粋な笑顔を向け、手を差し出す翡紅フェイホン

 その手を。か弱き、けれども熱い芯を持つその手を、俺は握った。


 本当の仲間となった、認められた証であった。









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