生を彊いる者

 愛は愚者の知恵、そして賢者の狂気

 ──サミュエル・ジョンソン


 愛には狂気がつきもの。だが、狂気にもまた、つねになんらかの理由がある

 ──フリードリヒ・ニーチェ







 ドクドクと血流の音が聞こえる、閉塞した環境。

 それをストレスと感じるのか、時折抗議するようにぴくぴく、ぶるり震える青の、黄の、緑の、ピンクの、白の、紫の、肉壁。そしてたまに……膨らむ。

 まるで内臓のよう。


 そんな場所で、臓器が発するような水音が響いていた。

 ぷっくりとした肉同士が絡み合い一方的に蹂躙する淫靡かつ背徳的な水音である。



「ぅ、んむぅ~~~っ────ぱ、はぁっ……はぁっ……」

「どう、だった? 気持ち、良かったかな。ちゃん?」

「そんなワケ、ないでしょう、が!」


 文字とは裏腹に弱々しく、息も絶え絶えに答えるテセラクト。それは意識が戻る前からの、永い強制的な口づけキスによる酸欠だけではなく負傷によるものも大きい。

 蠢く感触を頼りとし、少し視線を下に動かせばわかる真実。


 答えは下半身にあった。今、テセラクトの下半身というものはであった。そしてみちみちと音を立てながら膝が生えてくる。

 知識として頭でわかっているということと、現実として我が身に現象として降りかかるというのは、全く違う。


 彼女は己の再生を嫌悪感むき出しの目で眺めていた。澎湖ぼうこ諸島でつい先日に負った傷が、なかったことにされていく。『死』という希望が『生』という絶望に置き換わりつつある。


「うんうん。ちゃんと回復しつつあるようね。よかったわぁ、これでまだ生き利用し続けることができるよね!」

「!」


 それを聞いて瞬間的に自殺しようとテセラクトは己の首を絞めようとして……不可能であることに気づいた。別に拘束されているということではなく。両手がなかったのだ。

 というより再生途中というべきか。その速度は下半身のそれと比べ、圧倒的に遅い。体感的に1/10ほどのスピードであると感じた。

 呆然として目の前の女を見るテセラクト。緑の薄いワンピースと薄緑から白へと変化グラデーションする髪、蒼色の瞳が見返す。ヒロシが何度も話していた、故に非常に聞き覚えのある容姿。


「ダメだよしちゃ。おとうさんから君を殺してはならん、って言明されているからね。暫くは両手、不自由すると思うけど困ったことがあったら何でも言ってね。お姉さんが手伝ってあげるから」


 ニッコリと慈悲すら感じる優しい笑みを浮かべて──七癒なないだった人物は手を差し伸べた。


「くだらん茶番だな」


 一見すると尊ささえ感じる場面。そこに第三者の声が唐突に響く。部屋の一部が蜃気楼のように揺らめぎ、中から魔素マギジェンボンベを装着した魔術師が現れた。両手には銀のアタッシュケースを提げている。

 彼の皮膚は黒く、ヤマアラシのように反り返った赤髪、引き締まった肉体には4色の複雑な紋様があった。その目は、傲慢で冷たい色をたたえていた。

 そんな彼は今奇妙な色と臭いの粘液が少しばかりへばりついており、不快なのかしきりに拭っている。


「もうザグウェさんったら。相変わらずの冷たい反応ですねー。不機嫌そうなのは球根水星人のシャワーを浴びてきたからですか? それはそうとのっけから空気を読まない発言をして……つまらない人ってよく言われない?」

「余計なお世話だ。っておい本気ガチの心配顔をするんじゃない、というか相変わらずって何だ、俺とお前は初対面だろうが」

「えへへ、それは私の本来の能力のおかげなんですよー」


 その言葉にザグウェは何かを言いかけて────部屋の扉が開く。途端に響き渡る大音声。


「おいこらこのクソ医者‼ いつまでイツマデこの状態で放置する気だもっと丁寧に治療できねぇのかよ麻酔かけるとかさぁ! というかそこのねーちゃんの加護を受けたいんだが!?」

「ふん、今回の負傷は自業自得じゃろうがこの馬鹿鳥が。偵察任務をほっぽり出して三つ巴を四つ巴に事態をややこしくした挙句に敗北したのだからな、暫くそこで猛省してるがいい」


 そう突き放しながら六つの目玉を輝かせて博士が入ってくる。雑な手術であったのか彼の白衣は血まみれであった。


「あ、おとうさんだ!」


 そんな彼に対し笑顔で駆け寄る七癒なないだった人物。彼女の目には博士の狂気的な側面など映っていないようである。

 方や博士はそんな彼女を両手を広げ、抱きとめる。まるで親子のように確かに愛はそこにある。そしてテセラクトの方を向き、少し観察して、喜びの声を上げた。

 

「おお、愛しのむすめよ! ちゃんと癒人の力をコントロールできているようだね」

「うん、ちゃんと癒人の力、強弱をつける使いこなすことができたのよ! それに私本来の力も使えるわ。──ほら」

「ほう、ほう! よしよし。仮設通り脳幹移植手術は無事に成功したようだ、流石私の最高傑作いれもの、私の愛しのむすめだ!」


 まるで子供のようにはしゃぐ博士。

 それを見ていたザグウェは思わず口を挟む。コミュニケーションに夢中の彼を気づかせるべく何度も声を上げて。


「博士。……博士、エドワード・Kカディール・四朗博士! 少し聴きたいことがあるんだが」

「うん? どうしたのかねザグウェくん?」

「先程の最高傑作いれもの、とは一体何だ?」

「ああ、癒人いびとのことかね? むすめの体はね、大英雄・なぎの体を使って私が創った7世代目の癒人いびとなのだよ。まぁこのことに気づいたのは毛利くんがプレゼントしてくれた死体を利用した手術中だったのだが。後で彼に聞いてみたら『渡したとき兵器って言ったじゃないですか』と返されてしまってね。もっとはっきり言えと」

「自分の作品もわからないのか? 俺はアンタのことを優秀な科学者と……」

「皆まで言うな、というか中々辛辣だね君。で日本列島を観察していた時からなんか似ているなぁとは思っていたのだよ。ただ、未完成品が自然発生的に自我を獲得しているとは思わなくてねぇ。やはり現地調査フィールドワークは大切だよ」

「そうかい」

「ああ。あと幸運にも助けられたよ。この娘、元は七癒なないというらしいんだけど。その力を封じ込めるために械国かいこくによってナノマシン弾を受けたそうなんだけどね、運よく状態まで持っていってくれてね。そのおかげで脳幹移植手術がやりやすくなった」

「それのどこが幸運なんだ?」

「いい質問だねザグウェくん。脳が完全に死んだことにより人格の混合が起こらないということもあるが、やはりウヴォ=szhqlaヒロシが勘違いしたことだな。七癒なないが死んでしまった、とね」

「脳死ってことは、心臓とかは動いていたんだろう? 微弱かもしれんが。それを感知できなかったのか? ウヴォ=szhqlaとやらは」

「それはねー、感情のせいだと思うなぁ。ザグウェくんには難しいかも、だけど」


 七癒なないだった人物はエドワード博士とザグウェの会話に割り込む。自分のことが話題のためか、若干嬉しそうだ。


「なんか俺だけ辛辣じゃないか……?」

「あはは、まさかぁ。それで話を戻すけど、ウヴォ=szhqlaはね、まともになった時に人と同じ感情を宿したんだよ。そのおかげで親しい人が死んだという状況に遭遇した時、冷静を保つことができなくなったの」






 なに、これは。彼らの表情はまともに見えるのに、どこかが決定的にずれている、そんな気がする──一連の会話をずっと聞いていたテセラクトは無意識のうちに身震いをしていた。

 それはひょっとしたら、人の尊厳であるとか、そういったものを一切考慮していないからかもしれない。

 そんなことを考えている内に、彼らの会話も終わりへと近づく。






「時にザグウェくん、君何用でここにいるのかね?」

「おつかいを頼んでおいて酷い言い草だな。アンタが頼んでいた超能力者たちの遺体、その一部だ」

「ああ、その件か! いやぁそれはご苦労、ご苦労。大変だったろう、こっそりと削り取るのは」

「全くだ、もう少し感謝してもらいたいね。こちとら危うく魔素マギジェン切れで死ぬところだったんだぞ。で……それ、どうするんだ?」

「決まっているだろう。彼らの遺体の破片から脳幹部分を培養して……むすめに移植するのだよ」

「? それでどうなるというのだ」

「簡単な話、遺体の主の能力を使えるようになる。要は人為的に複数能力所持者となるんだよこの娘は!」

俺達魔術師でいうところのマルチタイプ複数属性持ちといった感じか」

「ほう、そちらではそう表現するのか……同じ名称で呼んでもよいかね?」

「断る」

「それは残念。であればマルチ・アビリティーラーとでも名付けるとするか」


 その微妙なセンスにこれまた微妙な顔をするザグウェ。何を言っても無駄であると悟ったのか、珍しくスルーすることにしたようだ。


「用も済んだことだし、俺は一端帰るとするぜ。お前らのせいで亡国となった残骸どものところにな」

「ああ、タナ湖の辺りだったかね?」

「そうだ。民を率いるのがどれ程大変か、最近少しわかった気がするよ」


 そう言い残し、彼は魔法により部屋の一部に揺らめく蜃気楼のようなものを作り出す。これはある一点を繋ぐ亜空間ゲートのようなものだ。

 そしてゲートを抜けようとして、ザグウェは振り返る。


「そうだ、そこの緑ワンピースの女」

「ん? わたしのこと?」

「お前以外にいないだろ。で、お前は少し前まで七癒なないという名前の女だったんだよな?」

「うん、そうだよ」

「じゃぁ今の名前は?」

「そっか。まだ名乗っていなかったね。わたしは」


 答えようとした直後。

 部屋、いや、艦が激しく揺れる。仮に地上であれば震度6強とか、そう呼ばれるレベルの激しい揺れだ。その場にいたものは無様にもひっくり返ってしまう。縦に、横に、斜めに。凄まじい音響と共にあらゆる方向から揺れが襲う。まるで安全面を考慮しないアトラクション施設の中にいるように。

 たまらず、エドワード博士は艦橋へと己の罵声、もとい抗議の声をぶつける。


欺喉起ギコウキ! 何ヘタクソな操縦をしておるのだ、愛しのむすめが転んでしまったではないか! ちゃんと安全操縦をせんか手綱を握らんかこらっ!」

<うワわわっ、チョ、エドワードのダンナ、それは無理ってもんデス! コッチがどんだけ苦労しているト思ってるんデ?>

「知らん!」

<オ願いだから知って!? あの馬鹿デカ単細胞異形との追いかけっこ、モウ一ヶ月もずーっと続いているッテことを!>


 再び艦が揺れる。何か巨大な魚とぶつかったような響きと共に。

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