謀を巡らす嗣

 何事も静止することはないのだ。代々受け継いできたものをふやすか失うか、より大きくなるか小さくなるか、前進するか後退するか、しかない

 ──ジョージ・オーウェル


 われわれが常に心しておかねばならないことは、どうすればより実害が少なくてすむか、ということである。そして、とりうる方策のうち、より害の少ない方策を選んで実行すべきなのだ。なぜなら、この世の中に、完全無欠なことなど一つとしてありえないからである

 ──ニッコロ・マキャヴェッリ





 ドクドクと血流の音が聞こえる、閉塞した環境。

 それをストレスと感じるのか、時折抗議するようにぴくぴく、ぶるり震える青の、黄の、緑の、ピンクの、白の、紫の、肉壁。そしてたまに……膨らむ。

 まるで内臓のよう。


 そんな場所で、男と女が言葉を交わす。

 音の比率は男が8割といったところか。その内容は……







「──というように、我らディアドコイ後継者が記す史書の中で登場する最古の記述が紀元前342年のマケドニア王国だ。首都ペラから離れた『ミエザの学園』という場所でアレクサンドロス3世アレキサンダー大王の学友の1人として接触し……」


 歴史、その授業であった。

 講師役の上将じょうしょうはその後30分にわたって講義を続ける。その中身はもしこの場に歴史学者がいたとしたらひっくり返るような、隠された本当の、未加工の、歴史。


「──もちろんこの事実はどれも表にはないものだ。故にもし中央大藩国ちゅうおうだいはんこくに潜入する事があった場合、決して口外しないように」

「はいっ!」


 ハキハキとした女性の声が答える。


「この時のディアドコイ後継者って今と全然違う形だったんですねぇ。、ワタシびっくりです」

「うむ。元々は長命なたった1人の集団から始まったのだからな。『オリジナル』も偶にそのことを思い出しているよ。『いやぁだいぶ賑やかになりましたねぇ』、と」

「へぇー『オリジナル』さんも昔話するんですね、なんか意外です」

「なに、いくら万年以上生きる者とはいえ立派な生物……なのだからそんな時もあるものだ」

「そういえば『オリジナル』さんってずっとリーダーである訳じゃないんですね」

「ああ。見ればわかる通りディアドコイは少数精鋭かつ本拠地を持たない流浪の組織だ。同じ者がリーダーの座に留まり続けることの弊害を『オリジナル』はよくわかっている。仮に大きな敗北を期するとたちどころに崩壊の危機が付きまとう。それを防ぐための方策の1つが──」

「ある程度の一定期間ごとにリーダーの頭を替える、ですよね! ワタシ今思い出しましたっ!」

「ん。その部分は失われていなかったか。では我らの戦闘に関する基本方針は?」

「それはもちろん『我らは常にとなる故、なるべく決戦を避けよ』です!」


 その答えに頷く。それはまさしくディアドコイ後継者の歴史そのもであった。常に、人類史に寄生、少しづつ創り変える好きなように操る。彼らはそうやって組織を繋いできたのだ。



 ──全ては世界の後継者となるために。そのためならば手段は、問わぬ。



「……そろそろ来るな。メラ、今日はこの辺で終わるとしよう」

「はい、わかりましたっ!」


 メラ、と呼ばれた少女は先程よりも元気よく答えた。思わず苦笑して目の前の人物を見つめる。


 フランス領サルデーニャ島出身である彼女のフルネームはMelanostigmaメラノスティグマ。種族的には「ヒト」ではなく深殻人アビス・テスタ、その亜種にあたる磯環人アネリダ・ショアである。

 見かけの上では直径7センチ程の単眼モノアイ、所々膨らみがあるカーネーションうすピンク色の髪を羽根ぼうきのような髪型としている。首は粘液を固めたやや不定形の棲管せいかんとなっていて、それより下は紺色のウェットスーツに包まれている。

 唯一露出している肌である顔部分は何とも言えぬ病的な脆さを醸し出しており、「ヒト」とは根本的に違う存在であることがよくわかる。


 なおディアドコイ後継者に外見上の差別は一切ない。何せ現在ゲノム情報の観点から見て「ヒト」ことホモ・サピエンスと分類される人物は片手で数えるほどしかいないのだ。

 少なくともこの「ハイドラ」内にはとテセラクトだけである。






 2人が部屋を出ようと席を立った、その直後。

 部屋、いや、艦が激しく揺れる。仮に地上であれば震度6強とか、そう呼ばれるレベルの激しい揺れだ。縦に、横に、斜めに。凄まじい音響と共にあらゆる方向から揺れが襲う。まるで安全面を考慮しないアトラクション施設の中にいるように。


 予め予測していたはともかく、華奢なメラは思いっきりバランスを崩し転倒しかけて……内臓のような床が独りでに盛り上がり彼女を支える。少しばかり粘液が付着するぴちゃり、という生理的嫌悪感を催すような水音が響く。

 が、メラは気にする様子もなく「ありがとね、球根水星人さんたち」と盛り上がった床を撫でている。


「これは……今までで最も激しいな。なるべく引き延ばしてきたつもりだが、もう決戦は避けられそうにないな。メラ、急いで上層の艦橋オリーブに行くぞ。Sherdenシャデンの巫女としての力を貸してもらうから、栄養補給食事しながらで構わない」

「あ、はいっ!」


 2人は揺れも収まらないなか移動を開始する。バランスが崩れそうになったら適宜床……球根水星人が補助する形で。


「ワタシの力を使うのっていつぶり、ふぇでしたっけぇでしたっけ

「俺の前任者の時、1962年のキューバ危機の時だ。思い出せないか、62隻にもなる米ソ合同艦隊を全滅させたことを」


 メラの髪の毛、もとい触手が意思を持つように蠢き次々と壁にへばりつく球根水星人を削り取り、頭のつむじにある口で捕食していく。それとは別に渡されたエネルギーを多く含むENERGY IN!ゼリー状簡易栄養補充食を吸いながら「ううーん?」と唸る。


しょっとぉぶわぁけおむぅばしたよぅにちょっとだけ思い出したような


 両方の口をもにゅもにゅと動かしながらもう少し考える。

 一行はやや苦労しながらも上層へ繋がる出入り孔へ到着。中に入り胸の位置ほどにある白い骨を握る。

 そうすると孔がぶるりと蠢き、閉じる。そして耐え難い嘔吐音と共に床が跳ねとんだ。豪快な方法で一行はそのまま上層へとたどり着く。


  その際ようやっとゼリーを飲み干した彼女は頭を輝かせる。

 中々刺激的な運ばれ方のおかげか、メラは300年以上前のことを思い出すことに成功したようだ。


「でもあのときって百済くだらのコグンさん1人で、でしたよね。おんみょーしゅつ、のしきかみでかくげき、とかそんな感じの」

「……ふむ、ほぼ記録通りか。ちなみに陰陽術、式神、核撃、だ」

「そうそうそれそれ! あっ、でも……」

「何か引っかかることが?」

「あの戦いでワタシがしたことってただ敵を閉じ込めただけなんです」

「卑下することはない。絶対に殲滅させると決心した時に敵を逃げられなくするというのはとても大切な役割であるからな。『オリジナル』もメラの手腕に感激していたらしいぞ」


 その言葉に「えへへへへぇ……」とはにかむメラ。そんなやり取りをしているうちに艦橋オリーブにたどり着く。






 ここは「ハイドラ」の頭脳。いかなる態勢をとっても常に水平となるよう設計されているこの部屋セルは今────悲鳴の嵐であった。


「ウワ、なんだこレ、今まデと全然規模ガ違うぞ! こ、このォォぉ!」


 部屋セルの中央に陣取る男が喚く。全身を輝くエメラルド色の外套に身を包み、頭には茶色のペストマスクを装着している。ガラスに覆われた覗き穴からは赤い光が漏れていた。

 そして体のあちこちから黄色いコードのようなものが伸びており、部屋セルのあちこちにLANケーブルの如く接続されている。


「ええイクそ、こいつらうじゃうジャと来やがッテ、どうする、ここは一端深海まで潜リやり過ゴす? それとも……あァァ? なんだこんな時ニ電話だと? って、ゲゲェっ」

欺喉起ギコウキ! 何ヘタクソな操縦をしておるのだ、愛しのむすめが転んでしまったではないか! ちゃんと安全操縦をせんか手綱を握らんかこらっ!>

「うワわわっ、チョ、エドワードのダンナ、それは無理ってもんデス! コッチがどんだけ苦労しているト思ってるんデ?」

<知らん!>

「オ願いだから知って!? あの馬鹿デカ単細胞異形との追いかけっこ、モウ一ヶ月もずーっと続いているッテことを!」


 欺喉起ギコウキと呼ばれた男は拙い人間の言語で怒鳴り返す。その時、再び艦が揺れる。何か巨大な魚とぶつかったような響きと共に。

 全体がそれに抗議すかの如く軋み声を上げた。

 

「あ、グラくんだ!」


 そんな時、2人に駆け寄る青年が1人。それを見たメラがにこやかに手を振った。彼は手を短い時間ではあるが振り返し、現在の最高指揮官であると向き合う。


「これは、閣下。まともな応対もできず……」

「グラウか。いや、非常時だから問題ない。私のことより現状報告を」

「はっ」


 グラウと呼ばれた青年が居住まいを正す。心なしか髪の代わりに頭部を覆う青と白の触角もピシッとした動きを示す。


 彼の本名はGlaucusグラウクス。スペイン領マヨルカ島出身のグラウはメラとの幼なじみに相当する関係だ。もっとも種族微妙に異なり、彼の場合深殻人アビス・テスタ、の亜種の一種磯軟人アネリダ・モルクスである。

 …………深殻人アビス・テスタにはやたらと亜種が多いことで知られている…………


本艦ハイドラの現在位置はオーストラリア西海岸中央部のシャーク湾……」


 グラウの報告が10分ほど続く。

 その間にも艦は前後左右から攻撃を受け、その度に衝突音と欺喉起ギコウキの喚き声がBGMとして流れる。


 そして報告を聞き終えた時、は悟るのだった。


 この地がディアドコイ後継者の墓場となる可能性を。


 

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