おかえりなさい、あなた。
ブレインによって演出が切られた状態で、後ろを振り向く。
そこには真四角のモノリスがあった。
もちろん違う。
再び演出をオンにすると煌びやかに飾られたカフェが現れる。さっきまでエヴスといたカフェ、「
またもや演出を切る。すると、無表情、入口も出口も凹凸も色もないモノリスが出現した。
<慣れねぇものだな>
<ワタシはそう感じないけど、やっぱりヘン、なの?>
「(言葉にならぬ唸り声)」
実際この感覚を説明するのは中々に難しい。
でも強いてあげるなら――世界の根底が崩れた、とか。上っ面だけの存在が気味悪すぎる、とか。予期せぬ『啓蒙を得たこと』によりSAN値が削られた、とか。そんな風になるかもな。
ところで『啓蒙を得たこと』とかSAN値って何だ?
演出によってペイントされている水たまりがぴちゃぴちゃと効果音を放つ。
街のあちこちに設置されたスピーカーからは程よい音量のクラシックが流れ、建造物や行き交う
そういやここは二次大戦以前のフランスがデザインコンセプトだったな。
降る雨は唐突に雪に変わる。同時に環境BGMもそれに即した物に変わった。視界に表示されるHUDの左上に💿マークが。そして「💿Franz Liszt、1811-1886、超絶技巧練習曲第12曲」と曲名が右から左へと流れていく。ちなみにBGM履歴を確認するとさっきまでのは「💿Satie: Valse Ballet 、1885」だった。足元もぴちゃぴちゃ、からザクザクッ、とシームレスに移っていく。
行き交う
どいつもこいつも個性たっぷりな
なんてリアルな世界。
生き生きとした光景。
だが実際は……演出をオフにすると……
無表情、のっぺらぼうとなる。
レトロモダンは全て真四角の入口も出口も凹凸も色もないモノリスとなり、それは
あの時より前のおれも、こうだったのだろう。
演出……つまりテクスチャCGを貼り付けられただけの、無表情で空っぽな、動くだけのモノ。ただのマシンだ。
想像してみてくれ、画面の向こうのお前ら。
好きな人はいるか? 子供は? 家族は? 犬猫小鳥ハムスターとかのペットは? 行きつけの店は? 仕事帰りに見るお気に入りの夜景はあるか? いっつも食べてしまうバーガーは? やめられない止まらない駄菓子はあるか?
ソイツらが全部、全部単なるテクスチャCGかモノリスでスイッチを切ったら何もない――どうだ? 正気でいられるか?
おれは無理だ。だからこうして、演出をオンオフしながらこの数年間を暮らしている。幸いにもおれの
待て。待て待て。これは、さっきから、何処に向けて言っているんだおれは?
悶々としながら大通りを進み、市街の中央に躍り出る。そこには巨大な柱が2本、あった。
1つはヒレム。
もう1つはノードだ。一般には
目の前のノードは7番目で、街の名前を兼ねている。
なので現在位置は「第四帝国 西獲得領域 主要第7番ノード『イル=ド=パリ』」となる。
ノー、もともとそれは同じものだよ
――ウィリアム・ギブスン(アメリカのSF作家、サイバーパンク小説の第一人者)の、「人は機械と融合するのでしょうか?」という問いに対して
「💿Georges Bizet、1838-1875、『Carmen』第一幕 Habanera」が流れる中バスティユ住宅領域を進む。乱雑な色合いのメガ・ハウスビル。それぞれに番号が振られていて――あったあった、11番の「セーヌ」。
ここの14階におれは住んでいる。
基本的に帝国の建造物は入り口も出口もないのだが、
ちゃんと入り口があり、間取りがあり、家具がある。もちろん演出をオフにすると虚しい光景が広がるだけなのだが。
で、我が部屋に着くと。
手ごたえのないパスワード入力装置が出迎えた。これは……まさか。
<ご主人様、中に何かが……いるよ>
<やっぱりか。ブレイン、戦闘準備だ>
<あいあいさー!>
右腕に
その先にあったのはおかっぱ頭の……そう、つい最近発見したおかっぱ頭の……
「おかえりなさい、あなた。
「な ん で お前がここにいるんだよ⁉」
おれは思わず絶叫した。
9日前の
モノは自ら名乗りを上げる。わたしはアセビ、と。
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