出撃、Ambiguous Identity

 記憶は私たちの自己同一性を保証します。私が昨日、今日と同じものであり、十年前と同じものであることを思い出せないならば、私は全く自己同一性を持たないでしょう。そうすると、私たちが経験し、知り、しかし本来見通せない秘密がいたるところにあるわけです。

 ──『Zeit-Zauber』より ミヒャエル・エンデ


 記憶はあらゆる物事の宝であり、守護者なり。

 ──『雄弁論』より マルクス・トゥッリウス・キケロ




 

 さて、質問だ。おれは何だった?

 ──わからない。


 さて、質問だ。おれは誰だった?

 ──わからない。


 さて、質問だ。おれは確固たる考え、信念を持っていたか?

 ──わからない。


 さて、質問だ。おれは2298年の10月21日、それ以前から存在していたか?

 ──Yes、の……はずだ。だが以前のおれと今の俺は……


 同一人物とは思えない?

 ──まぁ、そう、感じる。


 ふむ。困ったな。なぁ、本当におれは存在するんだろうか? 

 ──それは確かに、そう思う時もある。なんというか、まるでゲームに登場するNPCが虚しい意味のない自問自答しているような……そんな気が。


 何を言っているんだ? この世の、世界のあらゆる事象は全て──







 ──MMORPGゲームの話だろう?

 



 〉警告。

 自己認識プログラムはまだ終了していません。本プログラムは帝国臣民プレイヤー全員が受けるべき義務として帝国きほ11100011 10000010 10010011法第49条に11101000 10101000 10011000 11100011 10000001 10010101 11100011 10000010 10001100 11100011 10000001 10100110 11100011 10000001 10001010 11100011 10000010 10001010……………………──


 〉〉《あーそういう御託はもういいから。いい加減にうざいよアンタ監視AI、これ以上ご主人様の無駄な演算リソースを割かせやしないから。じゃ、消えろ。》


 〉11101000 10101101 10100110 11100101 10010001 10001010。

 本プログラムを帝国管理運営会、「Führerbunker電子海の巣」の承諾を得ずに削除することは帝国への背信とみなされ削除することは帝国への背信とみなさ削除することは帝国への背信とみ削除することは帝国への背削除することは■削除削除削除削除除除徐除除除□□□□□□□□□□□□□□□□


 〉〉《ばいばい。二度とそのコードツラ見せないでね。》








 2301年、6月1日。VC400M「Cumulus」輸送機、機上にて。


 





「…………ん? 夢、か? いやまさかな」


 械人かいじんが夢を見るわけないというのにな。仮にあるとしたら、バックグラウンド処理等を可視化したとか、そんな話だろう。心の内で苦笑しながら作業に戻る。

 作業というのはつまり動作確認のことだ。作戦前の。他の連中はそんな無駄手間をしないそうだが、おれはすることにしている。

 ちゃんとカメラ・アイは機能するか、UI情報に伝達ミスはないか、各種表示情報の位置は正しい設定か否か差異はないか、四肢の関節部はちゃんと機能するか、各部位の多目的特殊ゲルの密度は問題ないか。等々。


 問題なし。次は、武装だ。


 「 UMP」、「 G11」、「P7」、弾道スペツナズナイフ、各種グレネード、ネオ・アラミドワイヤー……など。

 それぞれにどこか故障がないか、簡単な確認をする。偶然にも今回のミッションで選んだI.W.P模倣武器はどれも同じ会社の製品だな、と思いながら。

 無機質な擦音と共に足元から伝わる、仮にサービス業であれば即失格の印を押されるような、エンジンによる振動と冷気が狭苦しい世界を包み込む。

 冷気に関しては、まぁ、問題ない。おれたち械人かいじんに生理的事情は一切ないから……そんな不便なモノからはもう脱却した。そういう触れ込みセールスポイントなのだ、械人かいじんという存在は。ついでに不老不死ということも。






<…………現在中央失地領域:C地区旧チェコ共和国戰遺都市プラハ第5002番調査基地上空8000メートル。コレヨリミッションエリアニ入リマス、柔靭隊ハシシレベル4オペレーター、アダン。出撃準備ヲ>


 無機質な「型」に定められた通りの定型的アナウンスがおれの耳を通さずに、直接メモリー内に転送される。短く言うと拒否権はないというやつだ。


《ご主人様、準備できてる?》

「ああ。さぁ、行こうか」


 おれは立ち上がり輸送機の後方へ移動する。薄い鉄の小さな大地はやや下り坂となり10秒もしない内に頑丈な扉が現れた。格納扉だ。扉はおれをセンサーで感知するや否や、見た目に反して重苦しくないスムーズな所作で開く。

 駆動音が響き渡り、その直後平然とマイナスの数字を持つ温度の体を持つ轟風と共に細かな氷片が機内に侵入。マナーという概念を無視した乱数の如しダンスを披露する。


 なかなかに見事な幻想的な光景──を無視し俺は。

 出口へと走り。

       一切の怯えを捨て去り。

                  床を強く蹴り上げ四肢を大の字に伸ばし。






 俺は外に飛び出出撃した。







 安全装置なき、支柱なき、自然のままの自由落下フリーフォール

 重力、質量が集まる物・場所全てが持つ超自然の導きに従いおれは頭を地に向けながら落下運動を開始する。

 義体アバターが雲を空気を切り裂き、強烈な圧力が均等に襲い掛かる中、この体を構成する主、かつおれのコンパニオンたる彼女に問いかける。


「ブレイン、現在の高度は」

<高度6000メートルだよ!>

「3000になったら合図を頼む」

<あいあいさー!>


 そして数分もしない内に、リクエストは果たされた。


<ご主人様、今!>

「っ! HFGシステム『ブラード』、起動ォ!」


 義体アバターの周りに揺らめく不可視の単焦点電磁気フィールドが出現する。このフィールドは内部の地磁気を増幅させ、その向きを任意の方向へ変えることができる。

 この時の向きは、上。

 従っておれの体は徐々に減速。頭は空に、足を地へと態勢を立て直し、そして──





 ──ふわり、という文字がよく似合う……それほどのでもって、おれは戰遺都市プラハ第5002番調査基地に降り立った。



 〉現在地状況。

 場所:戰遺都市プラハ第5002番調査基地、旧ユダヤ人地区「ヨゼフォフ」、ドゥシュニー通り

 天気:曇り(雲量10)、色は灰白色

 気温:16℃

 備考:第5番ノード・タワー「インスブルック」からの情報。任務地域ミッションエリア周囲半径5キロ内に生命体反応・味方識別信号共になし。



 早速周囲の状況が即座に視界の左上に結果が表示される。ノード・タワーとおれに搭載されているVUS超広帯域レーダーで観測されたものだ。


 それを踏まえて周囲を見渡せば。


 死んだ建物と倒れ伏す械人、飛び散り水溜りとなるドス黒いオイル、そしてほんの僅かに………






 極彩色ごくさいしきの血痕があった。


 





 

 Mission1:戰遺都市プラハ第5002番調査基地に起きた異常を調査せよ!

 GAME START。

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