331分経過。あと2時間4分。

 わたしはすぐに、単なる巨大な石にすぎないと自分にいい聞かせて、気を静めようとした。

 しかし形といい、位置といい、自然の作用によるものではないというはっきりした印象を、意識からぬぐい去ることはできなかった。

(中略)

 この不思議な物体が紛れもなく形のととのえられた独立石で、その重量感あふれる巨体が、思考能力のある生物の技量と、おそらくは崇拝を知っていたにちがいないことが、疑いようもなかったからだ。

 ――H・P・ラヴクラフト(1890~1937、怪奇小説・幻想小説作家)『ダゴン』より

(大瀧啓介訳『ラヴクラフト全集3』より引用)







「……何もいない、だと」


 若干の拍子抜けと共に辺りを見渡しながら前進。響く音は足元のぱちゃぱちゃ、という水音のみだ。

 その水も今までのような潮臭いものではなく、おそらく真水。微生物はおろか余計な栄養素が存在しないのでは、と思えるほど透明なもの。

 空気も清らかで浸かっている全身アバターがなんだが心地よい。

 信じがたいほどの清浄だ。

 それは今までの光景が死につつある生物を想起させるのに対し、今広がるはその現象が既に歴史となった、というような塩梅だ。


 見渡す限り、大部屋の高さは15メートル近く。形状はアリーナのような円形でその直径は余裕で100メートルはあるだろう。

 はて、こんな施設なんか存在しなかったと思うのだが。


護鍵存在プロテキィセルが部屋を改装したのかもしれませんわね、天井に無数の柱の跡が見えますわ。地面のほうも様々な機材を引っこ抜いたような形跡が、ほら」


 IRINAイリーナの指さす先には明らかに人工物を思える凹んだ無数の四角形が。元の主は例えば……長方形デスクとかかな?

 

 大部屋は中心に向かうにつれてゆっくりと盛り上がっていき、その中心に小さな小島のようなものが出来上がっていた。いまおれがいる場所――入り口付近はさながら浅瀬だ。


「引っこ抜かれた機材は……みんなの材料となったのかな?」

「表面を見ると明らかにプレス圧縮加工した跡がありますし、アダン様の推測通りだと思いますわ」


 コンコン、と軽く叩く。

 その物体は「チェコの針鼠」と呼ばれる。Xを立体にしたような、それともでっかい撒菱まきびしと表現すればイメージがしやすいか。他にも周囲には四角錐の防御用障害物「竜の歯」やオーソドックスな有刺鉄線(無数の電線か何かで構成されているようだ)等々が明らかな工夫――つまりキルゾーンを形成する目的で配置されていた。

 推理するまでもなく、その理由はただ一つ。

 中心を守るためだ。

 つまり――



「これが……『黄色遺鍵イエロの鍵』、か」


 どれほど障害物があろうとも、襲ってくるエネミーが皆無なのでは何の意味のない。それでも奇襲を警戒し、可能な限りゆっくりと進み、小島に上陸。

 そうして目の前に現れたのが、中央にそびえる一本の氷柱モノリス

 未知の象形文字で表面を飾られているその中央に、ひび割れ、穿った結果誕生した穴がある。そしてその奥に――鍵があった。


『イエロの鍵』挿絵

(うまく表示されなかった場合はコメントにて報告をお願いします)

URL: https://x.com/reoparutK/status/1746820195006759038?s=20


 黄色遺鍵イエロの鍵はその名の通り、黄色に輝く鍵だ。持ち手には何故か数値を指定するダイヤルがついており、現在そこには「17」とある。


「この数字……何だ?」

「カウントダウン、とか?」

「そのわりには動かないな。それでどう再封印すればいいんだ」


 氷柱モノリスに触れてみる。当然だが冷たい。だがそれだけで、何か異常が起きたり、エネミーが湧き出たり、そんなことは一切ない。

 悪手だと自分でも思うが数分間、その状態を維持してみる。


 やはり、何も、起きない。


「うーん? どうすればいいんだ。いっそ普通に取り出すか?」

「流石にそれはちょっと……危険なのでは」

「そういわれてもな、他にとれるアクションはないぞ?」

「水をぶっかけて、それを冷やして穴を塞いでみるのはどうでしょう」

「おれにその機能アビリティはないぞ」

「アダン様のケチ」

「えぇ……」

<即席ですけど、作ってみましょうか?>

<いや、いい。そもそもこの氷柱モノリス、尋常な物質ではなさそうだ>


 根拠はある。

 HUDには現在地の気温が表示されている。その数値は24度。それにも関わらずこの氷柱モノリス、溶けていないのだ。表面にしずく一滴もありゃしない。明らかのおれが知っている氷ではないのだ。


「だからおれが普通に氷を生成したとして、再封印とはならないと思う――カギは恐らく持ち手にある数字だろうな」

「鍵だけに、ですわね」

「やかましいわ」


 (いたとすればの話だが)何かを刺激しないようにそっと右手を穴の中に潜り込ませる。そして鍵を握り――ガリッという付着した氷がはがれる音と共に――ゆっくりと引き抜いた。

 手の中には当然、鍵が収まっている。長さは10センチほどだ。これが本当にパンドラを開ける事ができるものなのだろうか。


 あまりのあっけなさに首を捻っていると。


 バコン!バコン!バコン!バコン!「なにっ」「何事ですの⁉」バコン!バコン!バコン!バコン!バコン!バコン!


 氷柱モノリスの付近が突然炸裂。地面に敷設されていたと思われる罠が一斉に起動したのだろう。舞い落ちる天蓋と共に何かが――


「……」

「……」


 ――何かが…………何も、現れない。ただ空いた穴から時折思い出したかのように黒い液体がびゅっ、と噴き出て虚しく落下するのみ。

 ナニコレ? 結局何も起きないのかよ。


「というかこの液体、なんだ? どっかで見覚えが……」


 水たまりに近づいて観察する。厳密には液体に何か小さな破片が混じっているようだ。手で掬い取ってみる。


「これ……肉片だ……護鍵存在プロテキィセルの……」


 覚えがあるわけだ。何故って、逃走中にたっぷりと目撃したではないか。つまりこの水は奴らの体液。ではその主はどこに行った? 姿を一切見せず、ただ体液のみが噴出する現象にどんな意味がある?

 ――考えられる可能性は一つだけ。


 られたのだ。おれ以外の何かに。

 悪寒と共にカンが告げる。

 状況はまだ始まってすらいないのでは――









 ガンガン、ガンガンッ、ガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンガンッ!


「「!」」


 突然扉を叩く音が響き渡る。それはノックと表現するにはあまりにも、乱暴で。あっという間に扉が轟音と共に消し飛ぶ。埃が舞う中で怪しく眼光が光り輝く……


「本番はここからというわけか、下がっていろIRINAイリーナ。」

「ご武運を、ですわ」


 埃の中から侵入者が姿を現した。

 そいつの頭部は軽石やスポンジのように無数の孔が開いていて、そこに目も鼻も耳も、本来ある場所の口さえ……



A,mYgda

    -l

      A……


 そう言い残して護鍵存在プロテキィセルは息絶えた。

 千切れた頭部からは体液が滝のように流れ出て、その勢いと同期するかのように頭部は縮小していった。


「いヤぁ楽勝ゥな狩りだッたな♪」


 なんだ――こいつは。

 予想外すぎるその見た目におれは絶句してしまう。


 身長は180センチ程だ。やや前かがみの姿勢で、全身黒づくめ。頭部にはペストマスク。肩には鴉羽、首回りと頭部は灰色のファーで飾り付けられていた。

 その印象に何故か――旧時代に極東列島にて伝わる仮面を装着しバイクを駆る改造人間ライダー――が想起される。もっといえばどこか昆虫のようなイメージ。


 べちゃっ、べちゃっ、と「彼」は水たまりを踏み鳴らし歩いてくる。その出所はもちろん頭部で、縮んだ末に今は頭陀袋ずだぶくろのようだ。

 少し周囲を見渡しつつ、「彼」は――直観的に解る、こいつは生物かつオスであると――は空間中央部に到着。興味をなくしたように頭部を放り投げる。くるくると空中にて回転しながら水中に沈んだ。


「――!」


 次の瞬間、「彼」はおれの横にいた。

 おれは慌てて距離を取る。

 一方で「彼」はおれについて何の反応も示さずに


「ン。ありゃりゃリャ、オイラが探してるのが、見当たらないなァ」


 と、頭部をカリカリと掻きつつ氷柱モノリスをのぞき込んでい――


「オ前が、持っているノカ? イエロの鍵。……オお、それそれ。流石将来の同志ダ。ごサン」


 殆ど予備動作もなしに急にこちらへと顔を向けてそう言ってきた。

 被るマスクが親しげに湾曲した笑った


「同志だと? おれはてめぇみたいなとお友達になった記憶はないんだが」

「怪人ン? オイラはンじゃない――あア、そうかくん異義語ってコとね、アハハハハハハハハ! ぶつと違っテ人類言語はおもしろーいアハハハハハッ!」


 何がツボにはまったのか知らないが高笑いを続ける「彼」。口元のマスクも微妙に変化していてなにか本能的な気持ち悪さを感じる。


「どゥどぅオイラの言語使いっプりは! コの3年間異形と追いかけっこしながら必死にきよしたんだ! ゼパルと一緒ニーネ、じょしょには感謝しィてルよ、おかげでエドワードのダンナとかトモエに馬鹿にされズニなツた! 『英語も喋れないのー? ざぁこざーこ』ってねェ」


 こっちが知りようもない事をぺらぺらと喋る。挙げた名前に聞き覚えが一切ないんだが……どこかの組織に属しているの? 中央大藩国……ではなさそうだ。何しろ纏う気配が「悪」そのものだからだ。


「ん? ( ,,●>●,)ンンン……オマエ、まだ寄生されてテないな」

「なに?」


 「彼」の眼光が一気に鋭くなる。


「イや、六被獼猴ろくびじこうは機械には寄生できないンだよな……多勢潜入中のろれーの姉御は肉だから……うン、やっぱり寄生はできナイ。じゃーなんだ? リーダーは『仕込んだ』って……オマエ、何か知らないカ?」

「知るか」

「そウ。…………ってオイラ馬鹿じゃんwアハハハハハハハハ!さっき、さっき『将来の同志』ってじぶで言ってたのニアハハハハハッ!」


 また笑い転げている。

 その姿だけみていると微笑ましいかもしれないが、実際は今、おれは恐怖を味わっていた。なぜなら――


「じゃあ」


 膨れ上がる――


「ちょっとぐらいじゃれてモ、いいよね」


 殺気――


「トモエが『先輩は後輩を虐めて教育するのよ』ってさっき言ってタし、ネ」


 「彼」の左腕が鞭のように一本となり、さらに蛇腹状へと変形していく。右手からは刃渡り30センチはあろうかという緑色に輝く鉤爪クローが生えてきた。

 そして両目が赫赤かくせきと――輝く。


「改めテ。オイラはディアドコイの非戦闘員、調教師テイマー欺喉起ギコウキだ! じゃれるついでニ黄色遺鍵イエロの鍵を渡してもらおうカ!」



 北海はドッカーバンクにて、械人かいじんVS怪人の死闘がこうして始まった。

 一方でアダンは気づいていなかった。本当の戦いは実のところ、であることを……


 

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