ひそむものと観察スル者タチ

[1] 

 アダンが鈴鹿峠より撤退して数分後。

 

 ヒロシと呼ばれた男ソレは未だぼうっと突っ立っていた。つい5分ほど前まで死闘を繰り広げていたとは思えないほど無防備な姿だ。

 やがて頭を2,3回ほど左右に激しく振った。

 「ソレ」にとって頭部を再生することは初めてのことだったので、その新しい感覚に慣れていなかったのだ。

 ……まだ慣れていないのか、今度は首をぐり、ぐりと270度ほど回転させる。

 梟のように首の骨の数が14個もあるのだろうかこのは。いずれにせよ、かなりリラックスしているようにも見えた。


 実のところ「ソレ」にとって先ほどのアダンとかという塊はもう眼中になかった。

 確かに、最初は一度殺されたことへの怒りでイライラしていたのだが、械人の要素を取り入れたこの新しい形態なら問題なく倒すことが出来たのでその感情は無事に消え失せていた。

 「ソレ」は少し反省する。自分の弱点を知るために敢えて殺されてみたのだが、一時的とはいえ仮死状態になるのは想像以上に不愉快な出来事であった。

 もうこんなことはやめよう。「ソレ」は決意した。

 それにしても、、と「ソレ」はしみじみと思う。もしこの人格を創っていなかったら永遠に受け身主体の行動しかとれなかったであろう。「ソレ」の元となった存在と同じように。


 そこまで考えた時、気づく。何者かがずっと遠くにいる。そして最初からこの戦いを観察していた、ということに。

 丁度よいことに頭部は完全に再生し終わっており、違和感も消えた。いまなら問題なく「力」を行使できる!

 彼は早速自身のとある器官に指令を出した。結果、体内の血流に乗って膨大な量の情報が伝達され、指令書を受け取り、設計図を書き換えられた細胞群が蠢き始める。その甘美な感覚に「ソレ」はしばしの間酔いしれた。


 新しい変態の時間だ!


 それから1分もしないうちにピキ、ピキキ、と異音を立てながら頭部から何か灰色のぬめりとしたしわだらけの角が生えてきた。角の表面には無数の細かい毛が生えている。

 この毛はゴキブリや直翅目ちょくしもくに属するコオロギなどが持っている気流感覚器「尾葉びよう」に生えている感覚毛かんかくもうと同じものであった。この感覚毛及び尾葉の精度は非常に高く、一説によれば分子ひとつひとつの動きまでわかるという(常温の場合)。

 それをまるで触角のように「ソレ」は動かす。その行為は触角を持つ数多の生物が辺りの様子を探る様に非常によく似ていた。


 更に「ソレ」の額や両肩の辺りがやや盛り上がりを形成した。そのこぶは柔らかいのかぷるぷると少し揺れている。揺れはやがて規則正しい、波長を紡ぎ始める。この時、半径10キロ圏内で微かなキーン、という音が響いていた。最もヒトの可聴域かちょういきギリギリなので聞こえないも同然であるのだが。

 このこぶ、動物学ではこう呼ばれている。メロン体、と。これはクジラやイルカの頭部にある脂肪組織のことで反響定位エコーロケーションの際に音波を集中する役割を担っているとされる器官だ。

 

 それらによる偵察の結果、こちらを観察しているに敵意がないことがわかった。ならばもう自身が表に出る必要などない。後はヒロシに任せて自分は潜るとしよう。

 ……「ソレ」はどうして自分がそんな思考になるのか全く理解できなかった。だが、兎に角そう思ったのだ。そう、強く、思った。実際のところその思考は本能的なものであり理性でどうこうできる問題ではなかった。


 最後に「ソレ」は置き土産を残すことにした。この場を観察しているイキモノに対し警告の意味を込めて。

 勢いよく咆哮する。


――ゥゥゥウウォォォォオオオォガ、ガガガガァァァ──!!


 言いたいことを言い終わると「ソレ」はヒロシの中へと潜った。次はいつするのだろうか。

 「ソレ」、もといヒロシの体はおもちゃのロボットの電源が切れたように崩れ落ち、深い眠りに落ちた。その体から変態した部位が次々と細胞の自殺機能アポトーシスにより剥がれ落ちていく。


 

 やがて鈴鹿峠にポツポツと小雨が降り始めた。そして小雨はあっという間にザーザーという音と共に大雨に変わる。

 血が、機械油が、両者の死体が、瞬く間に極彩色の水に飲みこまれ、泥の中へと消えていく。

 それはまるで大地がこの戦闘の証拠隠滅を図っているように見えた。



[2]

「ありゃ、怒られちゃいましたか。まあ、覗きは趣味が悪いですしねぇ。とはいえ……ほほう。これはなかなか興味深い」


 鈴鹿峠よりおおよそ10km離れた所にある霊山の頂きにその男はいた。男はその特徴的な三白眼を輝かせ、ギザギザとした歯を嬉しそうに動かす。「ソレ」が看過したように男は一連の戦闘をずっと観察していた。

 この場から一歩たりとも動かずに。


「んー。これは、彼が、そうゆうことでよろしいのですかねぇ? 五月女さおとめ博士の実験はようやく成功したと。いや……念のためにもう少し泳がせてみましょうかな? なにせ偉大なるリーダーの数百年越しの計画ですから、万が一間違えたらちと面倒ですし、ねぇ。……おや?」


 男は戦闘発生地域より少し後ろ──具体的には那須ケ原山の方角へと目を向ける。その地点にある「混沌の颱風ケイオス・ハリケーン」用簡易セーフティーハウスより1人の少女が飛び出し、雨でびしょびしょになりながら真っ直ぐ鈴鹿峠へと向かうのが見えた。

 その少女は宙を飛んでいた。

 その様子に男はついフフッと笑う。透き通るような青い髪と黒い眼帯で有名なその少女は普段、そのようなをしないからだ。


「余程慌ててると見えますねぇ。も持たないとは。まあ、それもそうか。非常時ですしねぇ」


 あっという間に峠に到着した少女はその凄惨な光景に困惑しているようだ。しきりに辺りをキョロキョロと見渡している。その光景を作り出した張本人を見つけると驚きの声を上げてフワフワと近づいていった。

 そこまで見届けた所で男は呟く。


「最強戦力の一角である彼女にとってはさぞ、屈辱でしょうねぇ。あれほどバカにしていた相手に救われたのですから。いや、あれは照れ隠し、というやつでしたか? まあ、どうでもいいですかねぇ。さて、そろそろ戻りましょうかね。いい加減戻らないと皆に怪しまれますし──イィス殿はどうされますか?」


 いつの間にか男の横には全くもって奇妙なが直立していた。その物体は円錐の形をなしており、表面はぬるりとして鱗で覆われている。ナメクジの表面のように。が、その表面は緑色の血管に覆われておりピクピクと動いていた。

 その円錐の頂点からは何本か触手のようなものが生えている。その触手にはいくつか器官のようなものが生えており、その内の2本にははさみが付いていた。

 物体はそれをと鳴らす。

 奇妙なことにその音は


【わわぁぁぁつしぃぃぃうぉみょょうずぅぅぐぉぉぅしぃくわぁΩくぁぁぁぞぐ>どぅるるこぉぉぢょごうごうちぃぃぃよよょょよばぁ! あーすがるず?!】


「ええ。ええ。集合場所はそこで合ってますよ、イィス殿。では私はこれにて失礼しますかねぇ」


 そう言い残し男は消える。そして霊山の山頂には妙な物体のみが残った。鋏をカチ、カチ、カチと鳴らし物体は呟く。


【いあ? いあ? ゆぅぅをぐ:=xy≒? いぃぃす<むぅいーぬぁんふぅぅ? ふんぐるいいぃぃす:=xyうぉもどす?】



                                断章 END

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