TIME-OFF

 人生は苦痛と退屈のあいだを、振り子のように揺れ動く。

 ――アルトゥル・ショーペンハウアー(1788~1860)、哲学者


 被収容者はショックの第一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死んでいったのだ。 感情の消滅や鈍磨、内面の冷淡さと無関心。

 これら、被収容者の心理的反応の第二段階の特徴は、ほどなく毎日毎時殴られることにたいしても、なにも感じなくさせた。

 この不感無感は、被収容者の心をとっさに囲う、なくてはならない盾なのだ。

 ――『夜と霧』より ヴィクトール・フランクル(1905~1997)、医師







 ――――ピッ


(個人用チャットが本人の意思を無視した形で開かれる)


 :ブレイン が入室しました。

 :NLP分離体 が入室しました。


(本人――アダンは気づいていないようだ)


ブレイン

<よよ、どうしたのこんな時間に>


NLP分離体アセビ

<うん……   のことで>


ブレイン

<ご主人様のこと? あー、今の状態>


NLP分離体アセビ

<ほら、ブカレストから帰ってきてからもう2週間は経ったでしょ。酷い戦いだったみたいだけど生き残れたんだし、スグに直ってくれると思ってたんだけど……最近〔日課任務デイリー〕も〔週課任務ウィクリー〕もやっプレイしてないし>


ブレイン

<うん……とても、酷かったよ。共有できたら少しは理解わかりやすいと思うんだけど。――やっぱダメかぁ。なんでチャットだけできるんだろうねキミ>


NLP分離体アセビ

<妻ですから( •̀∀•́ )>


ブレイン

<( ˙-˙ )。ってこんな事している場合じゃなくて。わざわざこうして連絡してきたってことは、何か策があるの?>


NLP分離体アセビ

<ハイヾ(。˃ ᵕ ˂ )ノ゙! 記憶喪失の身ですけど、なんか昔似たような事態に遭遇したことあるんです>


ブレイン

<ふむふむ>


NLP分離体アセビ

<で! こんな時はのが一番なんです――>





 その次の日――2301年7月14日。

 第四帝国 西獲得領域 主要第7番ノード『イル=ド=パリ』 中心部にて。


[💿Johann Strauss II、1825~1899、作品314『美しく青きドナウ』]



――ゴーン、ゴーン、ゴーン……ゴーン……

――ピーンポーンパーンポーン♪


――本日は我らTKG西旅客鉄道のハイパーループ便をご利用頂き誠にありがとうございます。乗車予定のお客様にお知らせします。今より後15分後に当駅『イル=ド=パリ』発、終点『エトナ=カタ――


 オイちょっと待て。何西旅客……だって?


ブレイン

<TKG西旅客鉄道、だよご主人様>


「……ふざけてんのかその名前は」


NLP分離体アセビ

<そんなにおかしいのあなた?>


「いやだってよ、TKGだぞ!? TKGっていったら――あっ」


 やばい、つい大声を出してしまった。不審な目で見てくる他の連中キャラを適当な仕草で誤魔化して。


アダン

だろうが! どんなふざけたネーミングセンスしてやがるんだ中のヤツは!>


 おれは慌てて個人用チャットにそう書きツッこんだ。





アダン

<そんな馬鹿な、おかしいと思っているのはおれだけだと……>


ブレイン

<そーみたいだよ>


アダン

<でもよ、会社アライアンスの名前が料理の略ってどうも気になるっていうか>


ブレイン

<多分それ連想するのご主人様だけだよ?>


NLP分離体アセビ

<周り見ても特段気にしている人いないですしね。考えすぎですよあなた>


アダン

<ハァ、わかったよ>


 若干落ち込みながらおれはループ便に乗り込んだ。

 何をしているのかって? 旅行だ旅行。ブカレストでの戦いで実質何もできず意気消沈していたおれを見かねてか、アセビが昨日そんな提案をしてきたのだ。


「ブラックな職場から脱出するのは文字通りが一番ですよ」[😊👉👜🚍‼]


 という感じで。

 な職場……直喩そのまんまな言い様につい思わず吹いてしまって、気が付いたら旅行に行く……という流れになっていた。

 正直おれ自身もこのままではいけないと思っていたから、こういったノリはありがたく感じる……ちなみに行き先はヒ・ミ・ツだそう。


「席は……自由席。じゃあ、ここにするか」


 先頭は円錐状、そして円柱となっていくループ便に乗車、適当な場所に腰掛ける。2人席が向かい合う、1ブロック4人掛けのタイプ。アセビが窓際に、おれは通路側に。必要な荷物は全て現地にて3D生産されるというので、煩わしさはどこにもない。

 そうこうするうちに空席が次々と埋まっていく。と、シートの背や肘掛けアームレストからゲル状のものが湧き出してくる。それはあっという間におれの義体アバター――肩から下まで――を梱包保護した。完全な無色なのでパッと見で判別することは難しいだろう。

 対衝撃吸収分散型優弾性ゲル、というやつだ。

 今乗っている車両……ハイパーループはその初速から時速400キロ、最高時速1500キロにも達する乗り物で、これは人類史上地上最速クラスの数値もの。当然だがこのスピードは積載物に何十Gもの圧力が瞬時にかかるから容易に人体を破壊してしまう……そう、なら。


ブレイン

<ぶっちゃけコレさー、いらないよね>


NLP分離体アセビ

<その程度じゃ壊れないからってこと? ならなんでこうするの>


アダン

<短く言うとというやつだな>


 実際、人体ボディならぬ義体アバターである我らが械人かいじんはその程度で破損ケガしたりはしない。というより仮にそうなったとしても壊れた部分を取り換えればいいだけだし、それ以前に械人かいじんに痛みと死の概念は存在していないことになっている……から保護用ゲルなんていらないのだ。


NLP分離体アセビ

<つまりコレって無駄なの?>


アダン

<そういうことになる>


ブレイン

<アセビ奥様はここに来てからだいぶ日が浅いので相当奇妙に思えるかもしれませんけど……第四帝国臣民プレイヤーキャラは自分たちのことをだと考えている、という暗黙の概念があるんですよ>


アダン

<まるで現実リアルだと錯覚させるほどリアリティが高いMMORPGゲーム、という触れ込みだからな。だからこうした要素はわざと残してある。例えば食事もその一つ。無駄を娯楽とする……そんな感じか?>


――只今よりチューブ内各ブロックの封鎖を開始します……「ブロックイチ」、封鎖完了……「ブロックニ」、封鎖完了……「ブロックサン」、封鎖完了……「ブロックヨン」、封鎖完了――


――全ブロックの封鎖完了を確認、これより沈下を開始します。場合によっては揺れますのでお客様各位、お気をつけください――


――『イル=ド=パリ』から『エトナ=カターニア』までの全チューブの沈下を完了しました。次いで減圧処理を開始します――


――減圧処理を完了しました。ブロック封鎖解除、全隔壁開放。現在チューブ内の標準気圧は10マイナス4パスカルとなっています。真空列車ハイパーループの磁気浮上を開始……完了。発車までもうしばらくお待ちください――



 流れるアナウンスを聞き流しながらそんな会話をしていた、その時。





「前、空いているかしら」

「座っても、座ってもいい?? いい??」


 声が、した。

 どうしてかわからないが、おれは反射的にこう感じた――違う。だ、他の械人かいじんとは全く本質がことなる――と。


 顔を声の方向に向ける。カメラアイに入り込んだその第一印象は、しいな、だった。色が。その色は――


 最初に声をかけた落ち着いた方。女性らしさという概念を張り付けたようなすらりとした体躯、波打つ艶やかな曲線は肩までかかっていて、クールさを表現する整った顔の下はレディース・スリーピースが胴体と四肢を飾り付け、それらの上には一回り大きいサイズの白衣が不要な空調に合わせはためく。


 次に声をかけた元気な方。こちらは幼児らしさを体で表すような細身小柄な体躯、頭上の巨大なリボンから生えていると錯覚しそうなしゃきりとしたツインテールと愛らしい顔、その下はダボダボのゴスロリ・ワンピースが主張を続ける。


 とにかく、彼女らの全体的な色合いは白であり、そうでない部分は銀や灰などで差別化を図っていた。

 第四帝国にとってこの様な色合い――WHITE-COLLAR、は大変珍しい。というかこうして見たのは初めてだ、実質白一色の義体アバターは。

 

「あ、ああ。空いてるぞ」

「ありがとう、失礼するわね」

「感謝‼ 感謝するね‼」


 幼児が窓側に、スリーピースが通路側に座る。


「ふうん。似ているけど違うのね」

「何?」

「何でもないわ――」


 女は素早く視線を動かし、反対側おれたちを一望した。


「わたしね、JOCASTA。‼ JOCASTA。っていうのよ‼」

「私はSHYLOCK。SHYLOCK。という識別名よ。これからよろしく」


 女――SHYLOCKはそう言って、微笑しながら右手を差し出した。きらきらと光を反射する、右手を――


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