邪神ト書キ、魔王ト読ム。

 彼の考えは純粋で陽気。(中略)彼の魂には野心というものがなかったからです。朝日と共に目覚め、ハスターの礼拝堂に行って祈りを捧げました。

 ──『羊飼いハイタ』より アンブローズ・グウィネット・ビアス


 そこから汽車の音が聞えてきました。

 ──『銀河鉄道の夜』より 宮沢賢治


 

 カチ、コ、チ……カ、チコチ……カチ、コチ……

 大きな古時計が時を音色でもって刻む。本来ならば規則正しいその周期は、残酷な時の流れと手入れを怠った結果、今にも停止し重力により果てようとしていた。

 その横にはこれまた古い、日めくり式カレンダーがかけられている。古時計と同じく時の流れに身を任せた結果、色は元がなんであったかわからないほど変色している。中央には大きく「25」の文字があった。

 彼らは愚直にも主がいないにも関わらず、数百年もの間己が役割を果たしていた。

                                  

                                     蟲


 それも終わりを告げようとしていた。

 数キロ先で断続的に。振動。それは彼らの最後の灯を断ち切る。

 古時計は己の役目を全うしたガラガラガラ……、と崩れ落ちた。その際に生じた風がカレンダーをはためかせる。お疲れ様、とでも言うように。

 …………やがて「25」も力尽き、万有引力に身を任せひらひらと舞う。

 現れる「26」。

 これもまた、17世紀の木に成ったリンゴのように、

 バサッ。

 生涯を終えた。                             蟲




 金浦要塞防衛戦が集結し、半日と少し。鈍色にびいろの雲海によりほとんど見えない中。影薄く、朝日がおずおずと出勤する。

 10月26日。

 翠玉国はこの地よりの完全撤退を始めた。               蟲


 計一万と少し、の兵を載せた軍艦が次々と京畿湾キョンギわんから黄海こうかいに乗り出してゆく。    

 全て16ノット以上の速力を出す艦で構成された、その艦隊はまるで各国海軍による観艦式の様相を呈していた。

 なぜかというと顔触れは以下の通りの、国際色豊かであったためだ。


 先導するはアメリカ海軍駆逐艦「ラルフ・タルボット」、「ブルー」の2隻。

 その後を少し離れて続くは、

 フランス海軍練習巡洋艦「ジャンヌ・ダルク」、スウェーデン海軍航空巡洋艦「ゴトランド」、米海軍給油艦「ネオショー」、スペイン海軍フリゲート「フアン・デ・アウストリア」、ドイツ海軍防護巡洋艦「エムデン」、アルゼンチン海軍空母「ベインティシンコ・デ・マヨ」、米海軍重巡洋艦「プリンツ・ユージン」、旧日本海軍空母「葛城」、旧日本海軍戦艦「長門」、米海軍給油艦「ミシシネワ」。空母の周りを複数の巡洋艦らが半円を描くように展開している。

 そして米海軍戦艦「アーカンソー」、「ネバダ」、「ニュヨーク」、「ペンシルベニア」ら4隻が後方にて扇形に展開、半円の後ろに蓋をするような状態で続く。

 彼女らの殿を務めるのはとでも言うべき旧日本海軍駆逐艦「雪風」、中華民国海軍駆逐艦「丹陽タンヤン」の2隻。


 簡単に言うと、やや歪な輪形陣りんけいじん(防御に重点を置いた艦隊陣形のこと。主に航空機から身を守る時に利用される)を駆逐艦ピケット艦2隻ずつで左右よりサンドイッチしたような陣形だ。


 計18隻の、本来であれば出会うはずのない淑女艦船たち。

 彼女達は母鳥が己がタマゴを守るかのような、ピリつく警戒心を醸し出していた。  各艦の砲塔はそれぞれ別々の方向を向いており、どこから敵が来ても対応できるようになっている。

 彼らが目指すは杭州湾こうしゅうわんに浮かぶ、翠玉国の海聚府ハイジューフー。約34時間の船旅であった。  

            

蟲                                  蟲蟲蟲


 その一方で上空にはB29の編隊と(補給のため戦闘終了後、仁川インチョン国際空港に着陸していた)未だ意識を取り戻さぬヒロシとその一行を載せたUS―2 9905が先行して海聚府に向かう。

 その速度差は圧倒的でありあっという間に上空の機影はなくなった。

 灰色の海をかき分けながら淑女は進む。本来ならとっくに海底に身を委ねるか、あるいはヒトの都合で解体・売却される運命より救ってくださった召喚してくれた新たな翡紅に報いるために。






蟲蟲                                 蟲蟲蟲 

 ブブブブヴヴヴヴ、ブブブブヴヴヴヴ…… 

 ささやくような、うそぶくような羽音が空気をざわつかせる。  


 その光景を観察する者がいたのだ。蟲。蟲。蟲。そして蟲。そう。蟲である。


 ところで、世界には二種類の人間がいることをご存じだろうか? 

 男と女?

 子供と大人?

 弱者と強者?

 平社員と取締役?

 貧乏人と富裕層?

 物書きカク読み専ヨム


 違う。

 虫が好きな人と蟲が嫌いな人、である。


 さて、この蟲はそのどちら側からも忌避されるようなユニークおぞましい姿をしていた。

 その蟲達を上から見ると奇妙なことに「蟲」の字とそっくりな形をしている。漢字でいうところの、下の「虫」2つから「はね」が生えている格好だ。

 問題は下から見た場合である。一見すると揺らめく「乳白色」のみが瞳に映る。

 近づいてみよう。

  

 みちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃみちゃねちゃ


 耳が裸足で逃げ出す役目を放棄したくなるような、その蠢く音は蟲の下部より聞こえた。蟲の下部は大量の蛆のようなもので覆われていたのだ! よく見るとそれは蛆ではなく、縦に細長いであった。

 全体が泡立つ粘液に覆われていたので、きょろきょろと動くたびに「蠢く音」が聞こえるのだ。それは水棲昆虫が己のたまごを大事そうに抱えているようにも見えた。


 蟲達は一心に真下に展開する艦隊を観察し続ける。あるじに情報を献上する為に。



翅翅翅翅翅翅翅                        翅翅翅翅翅翅翅

蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲                        蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲

眼眼眼眼眼眼眼                        眼眼眼眼眼眼眼


        駆        巡     戦     駆

            巡     空  補   戦    

                フ   戦        

            巡  補  空      戦   

        駆        巡     戦     駆



 











 金浦要塞より北へ約340km離れた、               

 とある国の最高主権機関がある議事堂にて。


 ばりばり。

 ボキッ……ベギャッ……ガリッ。

 くちゅ、グチュ……ジュルルル……ゴクン。

 カタン、と何か固いもの髑髏が地面に落ちる音が辺り一面に響く。

 その足元には既に髑髏しゃれこうべがおずおずと転がっている。

 


「…………Was it halfway with that level of force」


 王はそう呟いた。触手でもって太陽アルデバランを模した仮面をかぶり直しながら。


 王は戦場へと舞い戻った。

 王は戦場を見渡した。

 王は全て理解した。

 臣下を通して。


 残念ながら今回の戦は敗北となったが、王にとってその結果は予想通りであった。   

 幸いにも臣下墓守はその役目を果たした。最後のひと時まで。

 というのも、王にとっては「魔人」の力がどれ程のものか、今回の闘いで最も知りたいことを得ることができたので大満足であった。


 王は仮初の王宮を這いずり回る。次にどう動くか熟考しているのだ。一時間ほど経過し、王は決断したようだ。ずり、ずりと王は不快極まる音と粘液を残しながら大議会場へと向かう。


 長き時に曝された結果、朽ちかけ、その役目を放棄しつつあるをそっとどかして、王は入室する。


 中には異形がひしめいていた。


 王が極彩色のローブヒアデスの外套をはためかせながら中央を通り議場最奥部にある演壇にたどり着くと、異形は一斉にそれぞれの方法で最上位の敬意を示した。


 それを見届けると王はその懐よりを取り出す。

 直径30cm程のその珠は緑と青で彩られており、その表面には無数の文字が刻まれている。それは15世紀に創られた一つの文字で、音素または音節を表す文字である。かつてここの主であったホモサピエンス達が使っていたものだ。


 王は文字を読むことはできない。だが、その意味を推測することはできる。王はその珠をクルクルと回し……ピタリと止める。

 そうして触手でもってある一点を指す。それは細長く緩やかな弧を描く緑だ。更によく見るとその弧は


「L'obiettivo è qui」

「这次远比敌人弱」

「لكن لا تخذل حذرك」

「quern vide. Id solum」


 様々なこえで王はそう言った。その後、臣下たちを1人1人見て、その名を呼ぶ。

 今の言葉が分かったな、と念を押すように。


「Pednampyra、Cutetorouxryu、Ithaqua、Shotggoouthh、Atlannato-Nachia、 Xintahlozzs、Calar aut af flesh」


その言葉王の意志を受けて異形が一斉に身動ぎをした。


 死人のように青く輝く霊体が、

 赤と金の輝く九つのくびを持つ神仙が、 

 枯れ木のような四肢をもつ緑の岩石が、

 5文字の言葉しか話せない玉虫色の粘液が、

 なまめかしい黒で覆われた16の脚を持つ蟲が、

 角張ったくらき骨と螺旋めいたあかるき影の不浄なる十一脚獣が、

 数多のきらめく305の色と206のしたたり落ちる肉片でかたどられる水晶が、

 それぞれの作法で一礼し拝命したことをその態度で表す。


 王は満足そうに頷き、全身をぶるぶると震わせた。

 そして触手を5本、懐より繰り出し中央で五本に分岐した星The Elder Signをあやとりのように形取る。

 そして、その紋章の真ん中に自らの頭を持っていき祈りの文言を捧げた。


「……Dacci le tue benedizioni e benedizioni……」


 その姿は誠に異形なれど敬虔であった。

 一通り祈りを捧げると、王は一旦触手を引っ込め、懐から小さな鈴を取り出す。そのままチリン、チリンと静かに鳴らし始める。この場に相応しくない清浄な音色が穏やかな清流のように大議会場をあまねく支配し始める。

 王はそっと呟く。


「好啦好啦」

「مطيعة الحشرات」

「Custodi nos in terra sua」


 そして邪神は上を見上げはっきりとそのしもべ告げる呼び出す


「悪菌道、ミ魅彌=!!!」


 どこからともなくが聞こえ始め、次いで振動が強まりながらどんどんこちらへと近づいて来る。まるで駅のホームに近づいてくる列車のように。


 そして。

 議事堂の天井が突如押しつぶされるように粉々に砕け散り膨大な量の蟲が入り込んできた! 蟲の大群はあっという間に大議会場を満たす。

 それから何秒もたたないうちに潮の満ち欠けを高速再生したかのような素早さで蟲の大群は空へと昇っていく。

 その後には残っていなかった。


 倒壊した議事堂の上空には膨大な量の蟲が乱舞している。やがて蟲は一列になり、とぐろを巻きながら宇宙そらへと昇っていく。まるで竜のように。

 穢れし成層圏まで雲海を突き破り一気に踊りでたはその進路を南東へと向けた。


 果たしてその先には一体何が──


                               第4章 END


 読者の皆様、こんにちは。ラジオ・Kです。

 ルビとして登場したとある単語の解説をすべく参上しました。


 「ピケット艦」について(輪形陣の解説辺りにちらっと登場)。

 正式名称は「レーダーピケット艦」といいまして、正確には海軍艦艇に与えられた任務のひとつのことです。ピケット (picket) とは哨兵、前哨という意味。文字通りレーダーを用いて索敵・警戒をします。

 わが国では特攻隊対策として米軍が二次大戦末期に多くの艦(駆逐艦)がこの任務に就いた、ということで少し知られています(……たぶん)。

 

 解説は以上です。お読みいただきありがとうございました!

 


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