おべんきょーのじかん

 精神病になると、幻覚や妄想といった症状が現れる。精神病は発症したり、また治ったりするのです。そして、薬物療法で回復が可能です。

 (中略)サイコパスには発症も治癒もない。なのです。

 ──『サイコパスを探せ! 「狂気」をめぐる冒険』 ジョン・ロンソン ※




「名は、ない」


 なにかヒロシは、少し前の「名前、なんていうの?」という翡紅の質問にはっきりとした返答をした。その答えに目をパチクリさせる翡紅。予想外の返答であったらしい。

 その一方で呂玲は鼻をひくつかせながら凄みのある笑顔を浮かべていた。


「へぇ……アイツ、たった今したのか! 凄い奴だな」

「そうなのロィ姉ェ?」


「ああ、オレの勘がそうささやいているぜ! ……それよりも、翡紅! アイツから邪悪なニオイがぷんぷんするぜ! るぞ!」


 呂玲は睡蓮とちょっとした会話をした後、仮契約を結んだ翡紅に向かってそう宣言をしたお伺いを立てた

 そして翡紅が口を開く前に名無しヒロシに向け突撃する!

 この時両者の距離は10メール程離れていたが、呂玲はその|強靭な脚力で瞬時に2歩で距離を詰める! 既に大太刀は鞘より抜き放たれて、名無しヒロシ喉頸のどくびに向け空を切り裂き始めた。

 コンマ数秒後。

 刃は振り手の狙い通りに、するりと名無しヒロシを不揃いな2つのパーツに切り分けた。

 小さい方のパーツがコン、コン……コロロ……と己の存在を示すように転がる。


 その結果にティマは両手で口を覆い、

 睡蓮は「ヒロシ兄ィ!?」と叫び、

 力道と曲直瀬は目を見開き、

 兵士たちは騒ぎ立てる。

 翡紅は冷静にそれを観察し、

 無形は疑問で頭を一杯に浮かべ、

 だが最も驚いているのは呂玲だった。



「あ、あれ? マジで? こんなにあっさりと? あわわわわ……オレ、またっちまったのか!?」



 今更自身の行動に後悔しているのか慌てふためく呂玲。それに対し遣翠使けんすいしの団長たる曲直瀬が怒りの声を上げる!


「呂玲殿!? どうしてヒロシを突然攻撃したのですか!?」


「あっ、い、いや、その~邪悪なニオイが香ってきたから、つい……」

「おい」


「あなたのその特技のことは前から知っていましたが、それ以外に何か敵対する根拠はあったんですか!? 実際にヒロシはじゃなかったですか!」

「おい、そこの」  


「うう、確かにそうだったけど……って誰が大女だ!」

「該当するのはお前だけだろう。どう見ても」

「なんだと!?」


「呂玲殿、話をそらさ、ないでも……らえ、え?」

「識別名を覚えるのは慣れなくてな。それよりもだな、早く


「ん? ほら、これでいいか? ったく誰が大女だ、もっとマシな呼び名あるだろーが」


 呂玲はそうぶさくさ文句を垂れながら先程切り落としたこうべ名無しヒロシに返した。


「どうも」

「お安い御用だぜ! ……あれ? 今、オレ、?」


 彼女はようやくその異常さに気づいて、改めて話し相手をよく、確認する。

 相手は名無しヒロシであった。それだけならば特に問題はない。だがこの時、名無しヒロシのだ。誰がどう見ても異常である。


 そんなことをお構いなしに名無しヒロシは受け取った頭部を何の迷いもなく首の上に乗せる。ヘルメットを被る様な気軽さで。そして右手で頭を軽くはたく。

 キュルキュルッ。

 頭はそんな音を出しながら丁度1回転し、本来の然るべき方向正面に収まった。

 本人としては前回にも鈴鹿峠にて経験済みということもあり、特に問題もなくスムーズにその作業再生は終了した。

 そうして何事もなかったかのように翡紅を見つめ直した。

 呂玲はそんな彼におずおずと話しかける。それは大雑把な彼女にしては大変珍しい態度であった。


「お、おい? あーそのー、なんだ、ゴメンな悪かった

「……? 何のことだ?」

「んん? そりゃー、今お前を勢いでことに決まってるだろ?」

「? 何を言っているんだ大女。。なぜ謝る?」

「んんん? いや、確かにオレは攻撃しようと思ったわけじゃないが……まあ、本人がこう言ってることだし。これで一件落着だな!!」

「そんなわけないでしょ呂玲」


 1人で自己解決しようとした呂玲に対し翡紅の冷静なツッコミが入る。その時の目は大変な細目ジト目であった。


「ちょっと呂玲、こっち壁上に来なさい」

「おう……」


 彼女は眉をハの字にした、しょんぼりとした表情でジャンプ。ぴょん、という軽い擬音が似合う気軽な動作で翡紅の元へ馳せ参じる。

 この時曲直瀬や力道は彼女の驚異的な、人間離れしたその動き1つ1つに「尻尾」を効果的に使用していることに気づく。それはともかく閉話休題


「この、おバカっ!」

「あでっ!?」


 翡紅は呂玲の頭をそれなりの強さで、親が子を叱るような所作でぶっ叩く。この場合は折檻せっかんと言い換えるべきか。


「アンタね、前から言ってるでしょう? カンを否定はしないけどその勢いだけで動くなって。特に対象が味方の場合は! 今回はいいものを、そうじゃなかったら大変な事になっていたじゃない! そうね……今回の罰として……」

「ば、罰として?」

 

 呂玲は唾をゴクリと飲み込む。怯えと恐怖が顔に脱兎の如くとても早く迸る。


「次の褒美召喚、カットね」

「そ、そんなっ!? アレがなければオレ、どう癒しを得ればいいんだっ!」

「そ、れ、が、今回の罰よ。猛省しなさいな。さて、曲直瀬団長。この度は私の部下がしたわ。どうかこれで許してくれないかしら」


 そう言って翡紅は丁重に頭を下げる。


「わかりました、陛下」


 曲直瀬は悩むそぶりも見せず即座にそう返した。仲間をされかけた割に、その罰が、謝罪がすぎる? そう思う方もいるだろう。

 残念なことにこの場合、そう返すしかなかった、というのが実情だろう。それは両国の国力の差に由来するものだけではなく、受け入れる方と頼み込む方という明確なというものがあった。


 外交に、交渉に、正真正銘の平等などないのはこの崩壊した異形めいた世界でも同じである。特に命が、国の命運がかかっている場合には。



 さて、短い会話劇の中でもこういった複雑な政治的背景があったのだが、名無しヒロシはそんなことは露知らずというぼうっとした態度で観ていた。その4つ目の内2つは閉じかけており、非常に眠たそうだ。


「さて、邪魔が入っちゃったけど。名無しヒロシって中々頭いいのね」

「……どうしてそんな……無意味な事を聞く?」

「そうかしら? 初めてコンタクトする存在がどの程度頭が良いのか、知性があるのか知ることは大切だと思わよ、私は。あなたが噂に聞くようなでないことが分かったんだから」

「……邪獣? ……なんだ、それは」

名無しヒロシ祖国神国日本での呼び名よ。知らなかったの?」

「……知らん。ヒロシ本人は聞いてない……ようだからな」

「そう。ところで、金容姫をどうやって殺したのかちょっと考えたんだけど。よね? 菌類が生成するトリコテセン類毒素とか、マンチニールという樹に含まれるホルボール化合物とか……もしかするとそれ以外にも。キムの腕を喰いちぎったタイミングで注入したんでしょう? 更に私達に邪魔されない為にご丁寧にも幻覚成分を含む、微かなを散布して。あのしっとりとした甘いがそうなのよね? 私、全部見てたんだからね。最後の方はつい声が出ちゃったけど」


 その答えに周囲の者達は驚きと疑念をブレンドした表情を見せる。「あの現象は呪いとか、そういった類によるものではなかったのですか!?」と無形が驚きの声を上げた。その声はこの場にいる全員の疑問を集約しているようでもあった。

 

「私もその詳細について熟知しているわけじゃないから、断言はできないんだけど。この知識も『ねこVer.404』に残されていたXou Tubeの動画にあったものだし。で、どうなのよ」

「……知らん。俺はただ、ジャンク・バイブルごたまぜりれきの中から適当なものを……見つけ、アップロード上書き保存、変態しただけだ」


 そのあまりに予想外な答えに「あ、あれっ?」と気の抜けた返答をしてしまう翡紅。紅き双眸が困惑に染まっていく。


「……何を使ったなんてどうでもいいだろうに。結果が全て……なんだろうお前たちは? さて、もういいか? 、俺は潜らないと」

「潜る? ちょ、ちょっと待ちなさい! なら最後に──」


 名無しヒロシのただならぬ様子に翡紅は慌てて何かを言いかける。だが、口を開こうとした時、無情にもタイムミリットは訪れた。            

 名無しヒロシの肉体はまるで死んだように動きを停止した。

 ミチミチ……と肉が擦れ、膨らむような音。

 ポトポト……と頬にある2つの目と異形と化した右手が外れ、床に落ちる。

 グツグツ……と肉が盛り上がり、欠けた右手が一気に再生した。


 名無しはヒロシへと戻ったのだ。

 その体がぐらりと傾き、倒れかける──どうにか立てるまでに回復したティマが慌てて受け止め、そっと床に降ろす。

 その後直ぐに胸と鼻元に耳を寄せる。数秒後ティマは顔を上げ皆にこう伝えた。


「……大丈夫。気を失っているだけのようです」


 安堵の息がそこかしこから漏れ出た。

 一陣の風が優しく辺り一面を払う。

 それは此度の戦闘が終わった合図であった。


                                     


※傍点は筆者によるものです。

 引用文にはこの様な表現はありませんでしたが、とある意図の元追記しました。

 考察して頂けたら幸いです。

 ついでにコメントとかもね(笑)!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る