モウ、先遣隊ハ潜マナクテヨイ、堂々ト、観察シヨウ。

 食する為に養っている動物と仲良くできる動物は人間だけだ。

 ──サミュエル・バトラー








2301年、6月1日。

東南失地領域:R地区ルーマニア戰遺都市ブカレスト第1459番前哨基地

北40キロの地点にある湖にて。



 ずり、ずり、ずり。

 ずり、ずり、ずり、ずり、ずり、ずり。

 ずり、ずり、ずりずり、ずり、ずりずり、ずり、ずり。

 がたん。


 地面に跡がつく。土色ではない、極彩色ごくさいしきの地面に。跡を辿っていくと、八端十字架を掲げる3つの塔を持つ茶色修道院、その入口から続く。

 跡を残している物、それは変色した長方形の物体。生きた人を後世の為に遺し、その生を弔い、語り、教えとし、記し続ける。

 地球上で唯一の時を観測する知性持つものが進化し続ける中で獲得した習性の証。


 まぁ、今では「唯一の」という言葉は正しくないのだがそれはさておき。


「──遅いなぁザグウェくん。早く回収してくれないと械人かいじんに見つかっちゃうよ。そしたら潜入中のツジのみんなに迷惑が…………あ!」


 薄地の緑ワンピースの女がそうぼやいた時、目の前に広がる湖面に揺らぎが発生する。揺らぎはアーチ状の蜃気楼となり、中から男が出て来た。

 そして手持ちのボンベから繋がる吸入器を一口、二口。

 男は黒い皮膚、ヤマアラシのように反り返った赤髪、顔のあちこちには4色の複雑な紋様を持つ。


「遅いよザグウェくん! 早く帰ろう早くコレ食べなきゃ消費期限過ぎちゃうよ!」

「つまらんジョークだな……825年モノだぞ、それ」

「わ、よくすぐに計算できるね。ところでその言い方だとワインみたい」

「はぁ……いいからこっちこい、ともえ」

「うん!」


 ともえ、と呼ばれた女が修道院より略奪してきた柩を軽々と持ち上げザグウェに渡す。その細腕からは考えられないほどの力だ。


「チッ、相当な質量があるな。黒雲母よりはましだが」

「あれを送ったばっかなの? 体大丈夫? 魔素マキジェン足りてない? あげようか?」

「お前が近づいた時点でさ。まったく、わざわざ武器と本体という二段構えで送るという演出のせいで……更に今度は妖怪女と回収。閣下も人使いが荒い。おまけにこんななんか被って、ときた」

「演技、頑張ってね♪ ザグウェくんのぶんも残してあげるから」

「いや、俺に死肉嗜食嗜好はないからな?」


 というような会話を残して男女は揺らめぎ、消える。

 後にはスナゴヴ湖に建つスナゴヴ修道院が黙って見つめていた。その視線がどこにあるか、それは誰にもわからない。






 そして────────約10分後。


 アイルランド島、北アイルランドのアントリム県ブッシュミルズ跡の海岸にて。


 アダン戦でボロ負けした夜行ヤコを回収した一行がそこに戻ると。



 べりべり、という音がする。

 ばりばり、という音がする。

 むちゃむちゃ、という音がする。

 じゅるじゅる、という音がする。



 皮を破れ、筋を裂け、脂を喰らえ、髄を啜れ、骨を砕け、脳を飲め、血を味わえ。


 腐敗をべたつかせながら、「」ワンピースの女──ともえは一心不乱にべる。中途半端にふやけた、人だったものを。

 その横には丁寧に、かつ圧倒的な力で粉砕された。中くらいの木製の蒸し器、カセットコンロが置かれていた。


 その姿にザグウェはつい、指摘してツッコんでしまう。


「何しているんだ」

「?? 料理したものをたぁふぇでふぃるんだよ」


 受け答えの最中にも蒸し器より料理された一品……力任せに潰した咽喉を取り出し口に入れ、咀嚼。胃に格納しようと奮闘する。


「んん~もちゃもちゃして食べづらいよぉもう!」

「そもそもどうして蒸しているんだ」

「え? そのままだと固くて歯とか顎壊れちゃったから、柔らかくしたら美味しくなるかな、って」


 中々の回答に思わず唸るザグウェ。

 どこから矯正すればいいのやら、と真面目に考えてしまいそうになってふと思い出す。夜行ヤコのことを。


「おい、食事は後回しにしてくれ。閣下の計画通りに、はやくこの未熟者を治してSANCTUMに帰るぞ」

「じゃぁ早くべるから、調理手伝ってよ」

「はぁぁ……ったく、何すればいいんだ?」

「塩コショウと、味の素をかけて、と。じゃぁ蒸し器ごと焼いて! ウェルダンで。あ、隕石は出さないでね?」

「…………心配しなくても俺にそこまでの力はない。治療を受けた後の姉さんとは違うからな」


 ザグウェは右腕を蒸し器に向ける。その直後に弱弱しい炎が発生し、直撃。ともえのリクエストを叶える。


「うーん。たいぶ、弱いね。魔道具の不調かな? まぁいいや。後で直してあげるね。──あちちっ手の皮焼けちゃう! 急いで食べなきゃ!」


 ともえは燃える肉を持ち上げる。萎びて窪んだ眼窩に歯を立て、べ始める。口を横に動かし、丁度子供が冷えたスイカを急いで食べるような、そんな感じで。

 じゅうじゅうと焦げるのはともえの顔。あっという間に表皮が爛れ、真皮が露出し体液が流出し始める。顔を動かすたび、死肉と擦れ毛細血管や汗腺が崩れ組織は削れ遂には皮下組織までも……壊れ始める。


 だが彼女は気にすることがない。

 鼻の形が熔け、歯が砕け、咬筋が裂け、顎関節が外れても尚。

 見よ。灼ける顔の反対側を。しゅうしゅうと音がするその箇所を。

 見よ。その美しく、シミ1つなき弾力溢れる表皮を。

 直っている。治っているのだ。

 先まで確かに崩落した部位は、存在しなかった。


 そしてまた、顔を動かす。繰り返される崩と再。

 最後にともえは口唇を持ち上げる。

 大昔、15世紀に生を全うした君主のソレを。彼の唇は何度己の名を唱えただろうか。もっともその名は沢山ある。

 ワラキア公? 串刺し公? ドラキュラ公? それとも……Vlad III?


 いずれにせよ、ともえには何の関係もない。

 重要なのは死人の名でもその功績でもなく、宿なのだから。


 死人の口唇と生人の口唇が一瞬触れあって。前者は酸が荒ぶる奈落へと吸い込まれていった。


「ふう。これで『次元相転移』の能力は使えるようになったかな? それとももうちょっとべる必要があるかな? ──じゃあ次はアナタの番……名前なんだっけ」


 外れた顎を直しながらともえは2つに絶たれた夜行ヤコの元へ駆け寄る。彼女が纏う腐敗と崩壊のくすんだ色以外におかしな部分は何一つなく。

 そして始まるは世にも淫靡で冒涜的な治療。



「こらこら、暴れないの、じっとしててね二人とも。今からくっつけてあげるから。ん……ちゅ……っ、? んべぇ……れぇ……くちゅ、ほら、いやいやしふぁいの……んぅ…………次は、断面をっと」


 まるで接着剤を塗布するように夜行ヤコの断面を丁寧に舐め上げていく。片側に治療を施したら、当然もう片方も。

 筋肉の突起物で出来た感覚器とそこから垂れる粘性が香に靡いた音と共にうごく。


「なぁ、アンタはこの光景を見て何とも思わないのか?」


 ザグウェは横に立つÆsirニア・ゴッズに話しかける。問いに対し「それ」は彼らの言葉で返答する。

 風が啼くような声が響く。

 その音は特殊な加工を経て、彼の耳が認識できるものとして鼓膜を震わせた。


「なにを おもうのだ? には ひろがるくうかん にかんじる にくのものたちでいう しょくじやあいじょうひょうげん、ちりょう というがいねんは ない。だから、なにを おもえばいい?」

「……聞く相手を間違えたか」


 肩を竦めるザグウェ。それを感じた黒雲母は特に何かを言うこともなく。

 しばらくして、肉同士をぶつけるべとついた音が響いた。

 ともえはくっつけた夜行ヤコをぎゅうぎゅうと両側より押す。プラモデルのパーツを接着している表現と言えばわかりやすいか。


「よしっ、これで直ったよ。もう安心してね? わたしたちの言うことをちゃんと聞くって約束したら────逢わせてあげる。おかあとおとうにね」


 最後は囁くように。

 聞いた夜行ヤコはもう喋る体力もないのか、瞳を上下に動かして意を伝えるとすぐに眠りについた。


 これが癒人いじんの力である。

 自身か、その周囲の者に極めて強力な……物理法則を捻じ曲げるほどの回復能力を授ける。この力は対象選択制で、自分に対して発動中の時他者を回復することはできない。逆も然り。だだし、回復対象が他者である時そこに上限というものはない。

 そして回復スピードは癒人いじんとの距離が近いほど効果が高まる。更に癒人いじんの体液を流し込むとより効果的に能力が発動する。


 癒人いじんとは、使い捨て前提の大英雄の肉体を利用した人間兵器群である『ナギ・シリーズ』。そのモデルの1つであるが、もし旧時代に完成していれば……異形生命体との戦いはもっと違っていたものになるだろう。煉獄へと1歩、近くなる方向で。


 ともえはふと回想する。



──そういえばにもよくしていたよね。ずっと添い寝して。最後にしたときは全然起きてくれなかったなぁ。

 ……あ、今思えば鈴鹿峠と伊吹山での戦い後の昏睡は精神的なものアップデート中だったんだよね。じゃぁ意味、なかったよねぇ。



 それは今から3年ほど前の記憶。

 この体が七癒なないという名前で呼ばれていた頃の記憶。

 ほんの僅かに残された、木漏れ日のような記憶。

 侵略者に押し潰され、混ざり合いよごれた人格。


「予定通り、全部終わったよザグウェくん。あれ、吐いていないね」

「ほう、自分の行いがヤバイ気持ち悪いと自覚あるのか」

「……へー、ザグウェくんってわたしのことそう思っていたんだー」


 じとっとした目が下から上へと覗き込む。


「ちっ、カマかけやがって。というかともえ能力を使えば俺の内心なんてすぐにわかるだろうが」

「何のことかな? 癒人いじんとしての能力? 後付けの力動りきどう君の『剛力』? 曲直瀬まさせさんの『透視』? 成析しげさく君の『分析』?博士はくとの『貯蔵』? 細川の『変爻切傷』? 黒田の『表示計数』? 柴田の『比例破突』? ──だいたいは墓荒らしとか死体探しに役立ったけどね。で、どれのことかな」

「……もういい。いつもはぐらかしやがって」

「えへへ」

「褒めてねぇぞ? なんで嬉しそうなツラになっているんだ」

「だって悪感情のわりに名前で呼んでくれるじゃん。ねぇそれってつまりツンデ」

殺してやろうか」

「無理だと思うよ?」


 ザグウェの口は遂に閉じた。色々と疲れ果ててしまったからである。


「ところでまだ質問、答えてもらってないんだけどー?」

「……」

「無視しないでよぉ」

「……」

「むー」

「……チッ、わかったよ。熔け死ぬ人ならもう見飽きたからな」

魔王国エチオピアでの核攻撃のこと? わたしたちが色々と頑張って手引きした奴だよね」

「その通りだな」

「ふーん。そのことについて何とも思わないの?」


 その返答に音はなく。ただとあるジェスチャーをしただけ。

 数年前であればくどくどとして講釈を垂れるところであったかもしれない。

 だが彼は成長したのだ。

 それとも嫌悪から無関心になっただけかもしれない。


「あ、迎えがきたね!」


 海岸に目を向けると、巨体が素晴らしい速さで浮上してくる。

 宇蟲戦闘獣cosmic battle structure、「ハイドラ」。その潜伏モードである。


「ふふ、これでわたしたちの戦力を増強スカウトせよ、っていうミッションはクリアだね」

「そういえば本隊の連中はどこにいるんだ」

「あれっ知らなかったの? 従星にいるよ。スラエタオナさん、サン・ドニさん、ゾディアックくん、Rt──とか」

「誰だそいつら。強いのか?」

「ううん。どっちかというと。ま、リーダー(仮)と比べてしまえば全員同じ評価になっちゃうと思うけど」


 というような会話をしつつ一行は潜水艦へと向かう。

 いつの間にか太陽は沈み、辺りは星々が煌めき始める。この地に文明の手が届かないため、天空は輝く海となる。

 その海には光り輝く円形の島が浮かんでおり、今までの光景を、彼らを、見下ろしていた。






 いや、今までの光景を見ていたのはもう二者いる。


 ひとつは、星海に紛れて、覗き見る。


 そしてもうひとつは。





「みーつーけぃた」





 ジャイアンツ・コーズウェー。





こんにちは、こんばんは。

そして新年あけましておめでとうございます。

作者です。

今年もよろしくお願いします<m(__)m>


 新年最初の1話目、いかがでしたでしょうか。

 相当な内容だったと思いますが、楽しんで頂けたのなら、嬉しいです。


 さて、蛇足かもしれませんが2点ほど補足を。


 1つ目はともえの回想シーンについて。

 該当するのは第一部第1章の「寝起き」というエピソードですね(懐かしい)。

 実に14ヶ月ぶりの伏線回収となりますね。

 また、神国しんこく日本のキャラクターが久しぶりに登場します(懐かしい……)。


 2つ目は最後の光景について

 「その海には光り輝く円形の島が浮かんでおり」というのは月の隠喩なのですが。

 調べたところによりますと2023年の6月2日時点の月齢は13.5、中潮。

 年代が違うので間違っている可能性がありますが、上記のデータにより取り敢えず月は輝いている、ということにしておきます。

 万が一その時点で新月であれば台無しですからね。


 そしてこの後にもう1話だけ、短い話を経て第二部第1章はおしまいとなります。


 では。

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