~Notification~ 脅迫

 脅迫とはひとえに脅えた者の武器にすぎない。

 ──レオナルド・ダ・ヴィンチ







 今から丁度200年前。

 母なる地球は天からの豊穣クリスマスプレゼントを受け取らされて。そこに住む私たち人類文明は滅びた。

 果たして今回は、どうなるだろうか。ひょっとして。、滅びるのだろうか。

 少なくとも『今は』まだ、わからない。







2298年 12月25日 AM09:29。

台湾海峡 澎湖ぼうこ諸島 澎湖ぼうこ白沙郷バイシャーごう赤崁碼頭チンカンふとう


翠玉すいぎょく国、「大篷车キャラバン

旗艦、大和型戦艦「信濃」の戦闘指揮所CICにて。






 かりかりかり。かりかりかり。ぎちっ。

 薄暗いその部屋にて噛む音が響く。犠牲になるは音を立てる主の、爪。


 人によっては不愉快な音であろうが、詰めているオペレーターの中にその行為を咎める者は、いない。

 皆わかっている。

 これは残酷過ぎる極彩色に染まる世界での、姫君に遺された数少ない──ストレス発散法であった。



 噛ませて甘えさせてくれる相手は、もういない故に。

 


防御队第50~59隊フィリピン方面艦隊からの連絡は、まだ?」

「残念ながら、3日前22日先遣队アーチャーフィッシュの連絡が最後です」

「そう」

「その、翡紅フェイホン様。彼らは恐らく異形に……」

「大丈夫よ無形ウーシン。わかっている、その可能性が最も高いことも、もうこれ以上彼らを待つわけにもいかないことも。でも」


 その話す口は重い。現在の大篷车キャラバンの総人口は約30万人。それに対し防御队第50~59隊フィリピン方面艦隊の構成人数は3000名。

 決して少なくはない。だが、それでも命の天秤は──圧倒的に傾く。



 そして決断できるのは、決断することが、彼女の役目。



無形ウーシン、全部隊に指令を。これよりここ澎湖ぼうこ諸島を離れ、次の目的地たる香港島へ出発せよ! と」

「了解しました」



 指令が伝えられるや否や大篷车キャラバンを構成する各艦では「錨上げ!」の声があちこちで響き、あるものはかいを漕ぎ始め、あるものは帆を張り、そしてあるものは機関に火を灯す。

 翡紅フェイホンが乗艦するこの「信濃」もまたロ号艦本式重油専焼水管ボイラー計12基に改めて命を吹き込み、艦本式タービンを唸らせる。そうして得た爆発的な力は4軸のスクリュープロペラを回し始め……信濃が、動きだす。


「両舷微速、前進せよ!」


 艦橋から艦長であるロマノフ・ユーリィの、まだあどけない少年の声がスピーカーを通じて流れ出た。


 かくして翡紅フェイホンは決断した。大を生かすため、小を犠牲とすることを。最も遠い所はレイテ島のタクロバンから、近所ではバブヤン諸島のダルピリ島から来るはずの民を見捨てて。彼らは進むのだ。少しでも安全な地を目指して。







30分後。


 信濃は赤崁碼頭チンカンふとうより出港、現在位置は険礁嶼シンジャオユーの南西600メートルの地点。


 艦の周囲を映すディスプレイには己が過去よりランダムに召喚した多種多様な種類の船が映る。一見するとある種の頼もしさ──特に見た目映える戦艦などは──を感じてしまうが、翡紅フェイホンの目には憂いの色しかなかった。



──仮にジーノチカが見せてくれたNouddxenzsのような化け物が「遷移計劃」の途中で襲い掛かってきたとして、果たして撃退できるかしら。

 士気に関わるから言えないけど。。遥かに洗練された旧時代の軍すらかなわなかった相手を、移動ぐらいしか満足にできない私達がどうこうできるとはとても思えない。

 でも、それでも……やる導くしかない。それが私の役目だもの。



 改めて決意する翡紅フェイホン。その一方で心配事はまだまだある。例えば。そっと横を見ると、ひたすらに虚空を見つめるティマの姿があった。少なくとも今日の調子はずっとこんな感じである。その原因は、どう考えてもただ1つ。



 あの日の夜。神国から救出したごく僅かの面々は皆心身共に虚脱状態にあった中、ティマだけは違った。普段からは想像もできないほどの力を出して、泣き、叫び、支離滅裂を唱え、暴れて。危うく魔法を行使しようとまでした。幸い、呂玲ロィレンがそのご自慢の腕力で押さえつけて、事なきを得た。

 以降の彼女の容態は大半がこの様に呆けているか、もしくは唐突に暴れるか。その時はいつも己の体を用いて慰めて、鎮める。というプロセスが始まってもう2ヶ月。

 これまではどうにかが、これからの長い旅路にていつも成功するとは限らない。もし、仮に彼女の怒りを鎮められなかったら。

 その時こそ翠玉すいぎょくの終わり。召喚されし無数の隕石群によって悉く海中に没するであろう。


 誤解を恐れずに言うならば今の状況は、真横にいつ爆発するかわからない時限爆弾を置いているようなもの。

 だが翡紅フェイホンに見捨てるという選択肢はない。というかそういう決断をする人格であれば「だれ1人欠けることなく安全地まで国ごと移動させる」という計画を実行することはないだろう。



──あの時、ティマ達は。ティマは当然としても、サクちゃん桜宮達の酷い動揺……いえ、あれは怯えね。その様子をを見る限り単にこと以上の「何か」が起きたに違いないわ。

 彼らの記憶が錯乱しているのがその証拠。まともに思い出すと精神が壊れるから、本能的に封印しているんだわ。

 風の噂によると中央大藩国ちゅうおうだいはんこくでは人の記録を外部モニターに移す技術を復元中とか。それを使えば真相がわかるかもしれないわね。



 無論彼女とてヒロシの死を悲しんでいる。が、立場が言うのだ。公に感情を露出することは許されない、と。

 そして森羅万象を己の信念を成すために骨の髄まで利用しつくすのが政治家というものである。翡紅フェイホンはそんな自分が憎くて仕方なかった。




 前途多難しかない一方で、影ある所に光ありというべきか。ほほえましい光景もほんの僅かだが、ある。

 目の向きを転じると、呂玲ロィレン力道りきどうの肩を抱き寄せ、何やら内緒話をしている。……残念ながら呂玲ロィレンはやたら声がデカいので色々と台無しであったが。


「つまりだな、オレが思うに女というのは……を…………するとイチコロだぜ!」

「ほう、ほうなるほど! 流石は呂玲ロィレン殿、勉強になりますぞ!」


 察するにデートか何かの相談だろうか。ハッキリ言ってどこかズレている気もするけど。こんな他愛もないやり取りが、そして笑顔が、素晴らしいものに感じる。翡紅フェイホンはそう感じていた。


「で、相手の好みは? そこが肝心なところだぜ」

「そうですな、確か……」



──神国しんこく日本の生き残りは実のところ10人もいない。そんな彼らを私は受け入れた。今や彼らも翠玉すいぎょくの一員だ。

 だから私には彼らも分け隔てなく守り、安全な地へと運ぶ義務がある。それがこの国の君主皇帝としての、私の役割。



 翡紅フェイホンは誰にも悟られることなく、改めてそう決心した。






 その時である。

 警報音が、鳴り響いた。


「っ、何か!」

「報告します、大篷车キャラバンの全通信回線が何者かに攻撃……そんな。速過ぎる……!」

翡紅フェイホン様、私達の全電子機器が、ハッキングされました……」

「何ですって!?」


 戦闘指揮所CIC内の全ての電子機器は停止、無機質なブルースクリーンを晒している。突然の出来事に啞然としていると。


「えっ、どうして……」

「どうしたの」

「一部の機器が復活しました、正常に動作……しています」

「具体的には?」

「外のカメラとごく一部の通信回線、です」


 さらに通信が割り込む。大篷车キャラバンのもう1つの旗艦、ブルー・リッジ型揚陸指揮艦「ミッチェル」からだ。


「信濃に緊急報告、澎湖ぼうこ諸島より北北東30キロの地点にて所属不明艦を検知、映像をそちらに送ります」


 正面のモニターがブルースクリーンから意味のある映像に切り替わる。無人ドローンによって撮影されているのは、1隻の船であった。


 のっぺりとした船体に、ピラミッド型の構造物が1つ。その色は無機質な、

 その奇怪な見た目はある単語を連想させた。


「何で、ここに……?」


 力道りきどうが力なく呟く。まるでそれに呼応するように、突然スピーカーが喋り始めた。







 こちらは第四帝国所属の黒船である。お前たち翠玉国敵対NPC国家に要求するはただ1つ。


・そちらに所属する人物実装済みキャラクター、『ティマドクネス』を抹殺せよ。繰り返す。『ティマドクネス』を抹殺せよ。


 その人物キャラ世界の均衡ゲームバランスを崩す因子バグを抱えている可能性がある。

 健全な戦争ゲームを遂行するに当たって、新たな神を孕むチート行為を働く可能性があるような因子バグ帝国政府運営は認めない。

 もしこの通知を受け入れない場合、帝国政府運営は、お前たち悪質プレイヤー計30万~50万を永久BANと皆殺しにする。


 もう一度だけ繰り返す。

 こちらは第四帝国所属の……

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