ゴー・ホーム!

 2298年、10月26日10:31、《南沙人工岛天空/海军基地》最下層にて。


 30センチ程の人形が音もなく崩れ落ち、チリ1つ残さずに消え失せる。

 「会談」が終わったのだ。

 交渉は無事成功。これで神国日本は生き残ることができるだろう。


「──っぷ、……っぜ、はぁ、はぁ、は──」


 それと同じタイミングで曲直瀬まなせ。会談中、彼女はずっと仮死状態であった。慌てて睡蓮がペットボトルを持って駆け寄る。曲直瀬の体は異常なほど発汗しており、瀑布ばくふのように流れ落ちていた。



 【神器:棚機津目たなばたつめ

 製作者:桜宮菊華

制作部位:桜宮の両目

  形状:直径2センチの球が2つ

  効果:球を使用者2人が当時に割ると、その破片が鏡を形成しそれを通して使

     用者同士が通話できる。通話可能距離はむげんで、タイムラグは

     一切発生しない。

     もしくは使用者以外の第三者を模した人形を作成し、その人形と通話でき

     る。召喚された第三者は通話間、昏倒する。記憶に乖離かいりは発生しない。

発動条件:使用者以外の人間が最低でも1人以上必要。双方が等しい人数である必要

     はない。

  代償:使用者以外の命を通話料として徐々に徴収する。命尽きる前に通話を終え   

     れば、その者は助かる。その者が不幸にも長通話によって死亡した場合、 

     別の命を要求する。付近の命が尽きた時、強制的に通話は終わる。



 幸いにも曲直瀬の命は最低でも1時間以上の重みがあったようで死亡することはなかった。その重みが具体的に何グラムであるかは、誰にも分らないが。


 30分程がち。

 曲直瀬の体調も元通り回復したタイミングで、執務室内にブザーの音が鳴り響く。翡紅はPCで行っていた作業を中断。来訪者を手元の端末で確認し、入室の許可を出した。


「私、雷天レィチェン空将がわが主、翡紅様の許可を経て入室、失礼致します」


 入ってきたのは翠玉国空軍全体を指揮する翡紅古参の部下、雷天レィチェン空将だ。ややこしい事にこれが本名フルネームである。彼女の祖先は日本出身であるが、それはもう歴史上大昔の話。

 その名残は「苗字」と「名前」がある、ぐらいであった。


「用件はわかってるわ。戦略爆撃隊の解体作業の許可を得に来たのよね? 答えはGO! よ」

「はっ!」

「っと、ついでに上の階でヒロシの看病をしているティマに言伝ことづてをお願い」

「了解しました」

「内容は……遣翠使団との交渉はつつがなく終わったわ。今日から数えてだいたい10日後に彼らを受け入れることを正式に決定、各々の面子は早速各種調整に向け動いているわよ。さて、ティマ。しばらくの間あなたがヒロシのお世話をしなさいな。とりあえずはこの国を案内してあげて。頼んだわよ……以上よ」


 雷天レィチェン空将は見事な敬礼を決め、「失礼致しました!」の声と共に足早に退室した。



 ざざ、ざざぁ、ざぱぁん!

 ぎぃっこ、ぎーこ、ぎいっこ、ぎーこ……


 残念ながら、それとも今更というべきか、カモメの鳴き声は、なかった。


 10月26日12:19


「……! すごい……空から見た時よりも」


 《南沙人工岛天空/海军基地》の医務室から出た僕とティマは改めて、海聚府ハイジューフー内の彼女の船、ではなく彼女が住む部屋へと案内されることになった(基本的に船の個人所有は認められていない。船は大変貴重なものだからだ──皇帝翡紅とて例外ではないとのこと)。

 大勢の兵士にじろじろと、今までと違うを受けながら待機していた連絡船ガレー船「アルゴー号」に搭乗し……僕は人生2度目の船を経験しているのであった。

 ガレー船、というのは見る船なのだが、非常に昔の船らしく、基本的にはかいと帆によって動力を得るものらしい。

 櫂を漕ぐ人、は通常甲板の下に配置されるらしいが……ちらっと見る限り、そこは無人であった。代わりに腕を模した達によって動かされている。それらは帆の先っちょにある小型アンテナから指令を受けているようで……要は遠隔操縦だ。

 そしてこの「アルゴー号」は主に翡紅や客人まれびとが使用するVIP用の船。なんで今、この場にはティマと二人っきりだ。何故か緊張する。

 ちなみに、「VIP用なら護衛が必要じゃぁないんですか?」と聞いたらさも可笑しそうな、ふわっとした顔でこう返された。「……今回は特別です。それに護衛なら私の瞳にもう映っていますよ」

 

 目的地までせいぜい10キロほど、とのことなのでそう時間はかからないのだが、出発してすぐに僕はある艦に圧倒されていた。

 基地に着陸する寸前に僕の目を捉えた、他とは明らかに違う戦艦。それが今、僕からほんの100メートル程の位置に堂々と居を構えていた。

 帆の真下にある端末で何やら操作をしていたティマがこちらへと近づく。


「……気になりますか? あの艦が」

「はい、なんかその、惹きつけられるんですよ」

「……ひょっとしたら、それは祖先の血が騒いでいるからかもしれませんね。あの艦はあなた達の祖先、日本人が造ったものですから」

「え、そうなんです?」

「……はい。ええと、なんでしたっけ。ちょっと待ってください」


 ティマはそう言い残し、帆の下まで小走りで向かう。直ぐに戻ってきた。端末を両手で抱えながら。


「……この端末には、翠玉国が所有している艦船全ての情報があります。これらは『ねこVer.404』というAIによってまとめられたものです。……ありました。大日本帝国、横須賀海軍工廠よこすかかいぐんこうしょうにて1944年11月19日に竣工した、大和型戦艦──」


 そこから先は言わなくてもわかった。丁度艦の前方へ来たからだ。そこに艦名が彫られていた。

しなの信濃」、と。



 その後はしばらく船内を探検した。船内の中央部には四角と円と歯車を組み合わせたような、他の機械とは明確に異なるモノを見つけたのでティマに聞いたら、「……それは『アンティキティラ』という太古の時代に作成されたコンピューターのようなものです。同年代の船からはそれなりの頻度で見つかりますし、私の祖国にもありますよ」と教えてもらった。


 それから15分後。

 僕達は無事に海聚府ハイジューフーにたどり着くことができた。


 多数のコンクリートブロックによって作られた仮設の港「マルベリー」に降り立った僕は圧倒される。

 見渡す限り、浮き橋、もやい綱、鎖、空中回廊によって連結された船たち、ではなく。そこに行き交う人、人、人! なんという活気だろう! ガヤガヤガヤ……なんていう音、本当に! これが喧噪というやつか。

 神国日本と違い、人々は皆笑顔で、がっちりとした体格の者が多い。あらゆるスペースに出店があり様々なサービスを提供しているようだ。

 屋台、食材店、小物屋、本屋、診療所、薬局、服屋、駄菓子屋、工具店、家具屋、ジャンク屋、武具屋、などなど。それらがカオステックに混沌と、一体となって続いているのだ。あちこちに梯子やら縄があり様々な所から出入りができそうに思える。

 その中に一歩踏み出そうとして──ぐらっとバランスを崩す。足元が全て浮いているので安定していないのだ。倒れかけた僕を後ろから、ティマが優しく抱き留める。


「……しばらくは私に捕まって移動してください。はぐれる可能性もありますし。大丈夫、数日もすればなれますよ」


 そう耳元でささやかれるので、どうしてか無性にくすぐったさと恥ずかしさが同時にこみ上げてきた。なのでただ黙ってコクコクとうなずく。


 こうして僕はティマはの腕に抱きついた状態で喧噪と書かれた暖簾のれんを潜り抜けた。


 翡紅の側近なので目立たないよう深くフードを被ったティマと共に通りを進む。幸いにも誰かに呼び止められることなく、順調に歩みを進めることができた。


「……今日はご馳走にしましょう。ここに素晴らしいお客さんもいることですから」


 こちらを見ながらそう言うティマの顔には、小さな微笑みが浮かんでいる。それに少し見とれてしまい、返事がやや遅れる。


「ご、ご馳走! 本当にイイんですか?」

「……もちろんですよ。何か食べたいものはありますか?」

「え? ええと……」

「……遠慮しなくても大丈夫。たいていの物はこの市場にありますから」


 そこでふと脳裏に閃く食材が。


「じゃあ……魚! できればサバという種類のやつが食べたいです!」

「……わかりました。では、魚屋によらないと、ですね」


 ティマはそう言いながら先程より深く、微笑む。

 それを見て今更ながら羞恥心がこみ上げてきた。食べ物の話題になったのでつい、テンションが上がってしまった。たまらず下を向いてしまう。

 頭上からくすくすという笑い声が鼓膜を震わせた。

 そのを聴いても悪い気は全くせず、むしろ温かみのある心地良い情動じょうどうが僕の脳内を満たした。



 しばらくして、食材調達の為に魚屋うおや魚三昧さかなざんまい」、という店に寄った僕は初めて見る動いてる生きている生物、も魚に夢中になっていた。店の中には大小様々な水槽があって様々なの魚が動き回っている。


「いらっしゃい奥さん! 今日は何をお探し……」「……と、あと青魚、もしあればサバという種類の……」「ちょうど……神国から……睡蓮っていうおちびちゃんがたっくさん水揚げ……」「……それはタイミング……」



 ……これがいきものなのかぁ。僕らと全然違う見た目をしているんだな。水の中で息、詰まんないのかな? ん? この魚、じゃないか。見た目も堅そうだし、こんな魚もいるんだなぁ。

 数分か、或は10分か。それとも実は1時間近くもあったのか。文字通り時を忘れるほど魚たちに僕は夢中になっていた訳だが、頭上からの声でその時間は終わりを告げた。


「……ヒロシさん、そろそろ行きますよ」


 見上げると革袋を片手に下げたティマがにこにこしながら僕を見ていた。またもや妙な恥ずかしさに心を満たされながら彼女の元へ急ぐ。

 店を出ようとしたら、「毎度あり! ボウヤもまた来いよ!」という店主の声が背中に響いた。その声の主に少しばかり頭を下げて改めて外に出る。


 ボウヤ、か。まぁ、こよみさんによると僕はまだ2歳だから、多分あっているんだろうけど。なんか釈然としないなぁ。

 モヤっとした気持ちを抱えながら引き続きティマの住む部屋へと向かった。



こんにちは。筆者のラジオ・Kです。

今回もプチ用語解説をば。

 序盤に解説が出た【神器:棚機津目たなばたつめ】の元ネタは日本古来よりの民間信仰、棚機津女たなばたつめです。最後の漢字一文字が違いますね。

 なんとなくお察しの方もいるかもしれませんが、これと中国の「牽牛けんぎゅう織女しゅくじょ」の星伝説と乞巧奠きっこうでんという行事が奈良時代に伝わり、習合しゅうごうした結果誕生したのが七夕です。

 習合というのは様々な宗教の要素が混ざり合い、同一視される現象のことです。流石さすが宗教に寛容な日本ならではの現象! ということはなく、世界中でよく見られるわりと普遍的な現象です。

 この辺りは調べると興味深いので、気になった方は是非調べてみてね!


 ──この神器は七夕で有名な、己の未熟さ故、長い永い距離天の川によって引き離されてしまった彦星と織姫がいつでも会話できるように、という願いの元、神によって製作されました。

 ただ、世の中全ての事柄においてそうですが、理を越えた力には。

 代償がいるのです。

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